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陳蔡之厄黒炎山(黒炎山での災難)

038:犀安騒動(一)

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 数日ぶりに訪れた犀安さいあんはやはり賑やかだった。前回訪れたのと異なっているのは、夜の街を歩いていること。

「うわーー! 夜の犀安さいあん、一度は見てみたかったんだ!」

 明るく彩られる燈籠を見ながら、半ば興奮気味に煬鳳ヤンフォンは言った。

「ご機嫌ですね、煬鳳ヤンフォン
「ああ、この前は………………その、色々あってそれどころじゃなかったしさ」

 色々、というのは色々だ。砂糖漬けの一件のあと凰黎ホワンリィに開放して貰えず、結局気づけば眠りこけ朝になってしまっていた。だから夜市も訪れたいと思っていたが、叶わず仕舞いだったのだ。

(ほんとは一緒に夜の街を歩きたかったんだよな)

 二人で過ごす夜も良いものだが、その前にここでしか見られない風景も楽しみたい。特に、普段はここまで賑やかな場所に出かけることも稀有なもの。
 ……子供っぽいかもしれないが、大好きな人との思い出も作りたかったのだ。

「色々、ですか?」

 凰黎ホワンリィの『色々』を察した顔が、何かを語っているように見えたので慌てて煬鳳ヤンフォンは手を振った。

「色々だよ、色々! ほら、五行盟ごぎょうめいの盟主に頼み事されて、すぐに戻らないといけなかったしさ! みんなへの土産のことばっかり考えてたから、夜景を楽しむのも忘れてたしさ」
「それもそうですね。せっかく犀安さいあんまで来たのだから、泊まる場所を確保したらもう一度外に出ましょうか」
「そうしたい!」

 ごまかした言葉の意味するところもお見通しの顔だったが、そこは突っ込まないでいてくれるようだ。もしかしたら、あのとき煬鳳ヤンフォンが止めるのも聞かずに突っ走ってしまったので、多少は悪かったと思っているのかもしれない。

 雷靂飛レイリーフェイとは街に入る前に別れてしまったので、今は煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィの二人。どうせ雷靂飛レイリーフェイはどこかに飲みに行ったのだろう。彼が手に持った布袋からじゃらじゃらと金の音がしていたので間違いない。

 ――あの男、生真面目に見えて意外に酒好きでそして酔いつぶれるまで飲みまくる。

 一緒にいたら、絶対にとばっちりを喰らいそうなので、酒を持っているときは近づきたくない相手だ、と煬鳳ヤンフォンは思う。

「泊まる場所は……別のところを探すより、前に五行盟ごぎょうめいが手配してくれた客棧きゃくさんにしましょうか」
「それもそうだな。慣れないところで失敗するより、安心だ」

 凰黎ホワンリィの提案に煬鳳ヤンフォンも頷く。
 以前五行盟ごぎょうめいが取ってくれたのは犀安さいあんの大通りに面した大きな客棧きゃくさんで、格付けするなら一番上等な部類になる。決して絢爛豪華なつくりではないが、気配りや料理、寝心地の良さ含めて文句なしの場所だった。

 犀安さいあんは広い。
 客棧きゃくさんの数も数知れず。玉石混交、当たりもあれば外れもある。下手に知らない場所で失敗するくらいなら確実な『当たり』を選んだ方が良いだろう。
 二人は記憶にある道を辿って、先日泊まったばかりの客棧きゃくさんへと向かうことにした。

「おやまあ、また犀安さいあんにいらっしゃったんですか? この前のお連れさんもご一緒ですね」

 客棧きゃくさんの主人は凰黎ホワンリィの顔をよく覚えていたようで、随分と手厚いもてなしをしてくれた。凰黎ホワンリィは人の多い犀安さいあんを歩いても、皆が振り返るような目立つ容姿なので当然と言えば当然か。

「ええ。野暮用でまた戻ってきまして。先日食べた料理がとても美味しかったのでこちらにまたお世話になろうと思いました」

 笑顔で答える凰黎ホワンリィ客棧きゃくさんの主人は上機嫌で「一番見晴らしのいい部屋をご用意しますよ!」と言って煬鳳ヤンフォンたちを二階の部屋へと案内してくれた。

「凄いな、犀安さいあん全体が見渡せるぞ!」

 窓を開けた煬鳳ヤンフォンは思わず感嘆の声を漏らす。
 以前この先日を訪れた時も良い部屋に泊まったと思ったが、今回の部屋は格別だ。一番角に面したこの部屋の窓の周囲にはこの客棧きゃくさんより高い建物が無く、遠くの景色まで一望できる。眼下に広がる火樹銀花かじゅぎんかの如き燈籠の数々が、赤々と犀安さいあんの夜景を彩っており、思わずため息が出てしまうほどの美しさだ。

「おや、これはとても美しい光景ですね。泊まったかいがあるというものです」

 凰黎ホワンリィも満更ではなさそうで、煬鳳ヤンフォンの肩を抱いて隣に立つ。
 遥か先まで続く犀安さいあんの街並みも見事だったが、どこまでも続く広い星空を見ていると、なんだか心まで洗われるようだ。

「寒くありませんか?」

 凰黎ホワンリィが外衣を煬鳳ヤンフォンの肩に掛けた。

「平気だよ。凰黎ホワンリィのほうこそ、寒くないのか?」
「私は大丈夫ですよ」

 二人で顔を見合わせ、それからもう一度景色に目を向ける。思えばほんの少し前まで清林峰せいりんほうにいたのだった。

(神医に会いに行って、清林峰せいりんほうの事件を解決して……)

 結局神医が犯人の一人だったので本来の目的は果たせなかったが、代わりに峰主ほうしゅの息子が診てくれたのだし、行ったかいはあったのだろう。しかし煬鳳ヤンフォンの体については解決とまではいかなかった。

「そういえば……鼓牛グーニゥの仕えてる尊いお方、は無事だったのかな」

 索冥花さくめいかを譲って貰い、空の彼方に消えて行った牛のことを思い出す。

「どうでしょうね……。しかし空を飛べる牛とは実に珍しいものです。彼が仕えている主ならそれなりに偉い方なのでしょう。そんな方の体の不調が治ったとしたら、清林峰せいりんほうにとってはとても大きな自信に繋がるのでしょうね」
「治ったって、報告してくれればだけどな」
「ふふ、そうですね」

 彼は『いずれこのご恩は必ず』と言っていたから、本当に治ったらいつかはお礼を言うために清林峰せいりんほうを訪れるかもしれない。

 ――その日が早くきてくれたらいいのに。

 夜空を見ながら、煬鳳ヤンフォンは思う。



 暫く部屋で休んだあと、煬鳳ヤンフォンたちは夜の犀安さいあんへと繰り出した。
 単なる散策と美味しいものを探すだけのつもりだったのだが、凰黎ホワンリィは何故か片手に本を持っている。

凰黎ホワンリィ、それなんだ?」
「ああ、これは……船の中で思いつく限りの霊剣やそれに近い珍しい剣を書き記したものです。夜市でもしかしたら、そのような剣があるかもしれませんから」
「霊剣? なんで?」
「それはもちろん貴方の増加する霊力をなんとかするために、ですよ」

 凰黎ホワンリィの言葉に反応して、煬鳳ヤンフォンの体から黒曜ヘイヨウが姿を現した。黒い鳥の姿で肩に留まる黒曜ヘイヨウは、それだけ見ると煬鳳ヤンフォンの飼っている鳥にしか見えない。
 煬鳳ヤンフォンが霊力を使うたび、膨れ上がった霊力が体を突き破ってしまう。黒曜ヘイヨウは、はみ出した霊力の一部ではあるが全てではない。

 清林峰せいりんほうで会った清大秧チンダーヤンの診察によれば、溢れた霊力を切り分けることができればなんとかなるのではないか、ということだ。
 しかしそこが一番問題で、そんな都合のいい剣などすぐに見つかるはずもない。
 そして今、凰黎ホワンリィは霊剣を使ってその霊力を何とかしようとしているのだという。

「そんなこと、できるのか?」
「古来より様々な神魔霊剣が世にあると伝えられていますが、しかし神殺しの剣や地を斬る剣はあったとしても人の霊力を切り分ける力を持った剣、などというご都合主義な剣は聞いたことがありません。……ですが、この前の掘り出し物の佩玉はいぎょくのように、霊剣でなくとも何かいい塩梅の物があればと思いまして」
「さすがにそれは難しいんじゃないかな……」
「それでも、何事も可能性は捨てずにおきませんと」

 煬鳳ヤンフォンの言葉に、凰黎ホワンリィはにっこりと微笑んだ。
 そうは言ったものの、いざ外に出ると積極的に夜市を回ることはせず、二人でいくつかの店に入って食事を楽しんだ。夜に営業をする店と言えば、たいがい酒楼や酒店ばかりだが、そういった場所に入っても二人は茶と茶飯を注文するのみ。何故なら明日にはまた五行盟ごぎょうめいを訪れなければならないからだ。

 さすがに偉い人達に会いに行くというのに、酒の匂いをぷんぷんさせるわけには……そこまで考えたあと明らかに酒を飲みに行った雷靂飛レイリーフェイのことを思い出し、あれは大丈夫なのかと考えた。

(いや、あいつはなんだかんだ上手く生きてそうな感じがするから、多分大丈夫だろ)

 根拠は無いが、彼の行動を見ていると不思議とそう思えてしまう。

煬鳳ヤンフォン、食事が進んでないようですが……。悩み事でも?」
「いや。雷靂飛レイリーフェイは今頃飲み歩いてるんだろうけど、明日盟主に会うのに大丈夫なのかなって」

 心配そうにのぞき込んだ凰黎ホワンリィに、煬鳳ヤンフォンは笑う。

「ああ……。もしかすると彼は明日、五行盟ごぎょうめい本部には来ないのかもしれませんね。我々は直接盟主様に頼まれたので報告に行かねばなりませんが……彼は霆雷門ていらいもんの使者として、雷閃候レイシャンホウより命じられたのでしょうから」
「なるほど」

 そう考えると雷靂飛レイリーフェイはあのあとすぐに酒楼に行ったわけではなく、先に雷閃候レイシャンホウと会ったのかもしれない。凰黎ホワンリィの推測は真っ当だと思えた。

「追加の料理でございます」

 煬鳳ヤンフォンたちの座る卓子たくしに蒸し焼き肉が運ばれてくる。がっつりお腹が空いている訳でもなかったが、試しに箸をつけてみると意外に食が進む。多少の旅の疲れもあったはずなのだが、凰黎ホワンリィが選んで注文したものはどれも程よい味付けとさっぱりしたものが多く、すんなりと腹に入っていった。

「美味い!」
「それは良かった」

 その食べっぷりがよほど嬉しかったのか、凰黎ホワンリィはずっと煬鳳ヤンフォンが夕餉を食べる様子を見つめている。

 不思議に思うのだが、凰黎ホワンリィはどうしてここまで自分のことを好いてくれるのだろうか。以前『いつから好きだったのか』と尋ねたとき彼は『ずっと』だと言っていた。しかし思い返してみても、凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンを好きになった切っ掛けになりそうなことは全く思い出せない。

(まあ、妥当なところとしては……やっぱ戦ってるときになんか切っ掛けがあったのかもな)

 深く考えても仕方ない。煬鳳ヤンフォンはそう思うことに決め込んだ。
 しかしそのあいだも凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンのことを上機嫌で見つめている。じろじろ見られると恥ずかしいのだが、凰黎ホワンリィがあんまり嬉しそうにしていたので結局煬鳳ヤンフォンは何も言わなかった。
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