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千山万水五行盟(旅の始まり)

037:陰森凄幽(十二)

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 森の出口に無事辿り着くと、出口では迷陣の門番が煬鳳ヤンフォンたちを待っていた。老人を見つけた凰黎ホワンリィはすぐさま老人の元へ歩み寄る。

「待っていてくださったんですか?」
「森で戦いがあったようじゃな」
「怪しいものがどうやら森に潜んでいたようですね。清林峰せいりんほうの者の姿を借りて近づいたのですが、ご老人の助言のお陰で事なきを得ました」
「いやいや、儂は何もしておらんよ」

 そんなわけはないだろう――と、煬鳳ヤンフォンは心の中で思った。
 あの老人が蒼い光のことを話したのは意図的だ。敢えて話すことで、森の中に怪しいものがいることを気づかせたのだ。

「いいえ。貴方の言葉の一つ一つに今回は助けられたように思います。……率直に申し上げますが、貴方はかつての清林峰せいりんほう峰主ほうしゅか長老の生き残りですよね?」
「え!?」

 突然凰黎ホワンリィがそんなことを言ったので、雷靂飛レイリーフェイ煬鳳ヤンフォンも驚いて凰黎ホワンリィを見た。迷陣を扱う老人はただの門番などではないことに気づいてはいたが、まさか峰主ほうしゅか長老のどちらかとは思っていなかったのだ。
 言われた当の老人ですら目を見開いて凰黎ホワンリィをじっと見つめている。

「お前さん、何を……」
「当たり前の話ですが、清林峰せいりんほうと全く無関係の者が門番であるわけがありませんよね? そして、それが可能なのは清林峰せいりんほうの人間のみ。――以前貴方が仰ったように長老たちが命と引き換えに迷陣を敷いたのならば、生半可な力の者では迷陣を自在に操ることはできませんし、門番という重要な務めなど任されるわけもないでしょう。ならば貴方はいったい何者なのか。長老を除くなら、年齢的に言っても当てはまるとすれば、当時の峰主ほうしゅなのではないでしょうか」
「……」

 老人は驚き言葉を失っているようだ。目を丸くしてなおも凰黎ホワンリィを見つめている。何か言おうと少し口を開くのだが、うまく言葉が出てこないようだ。

「あんた……」
「違いますか?」

 凰黎ホワンリィは微笑む。いつもの、愛想のいい爽やかな笑顔だ。煬鳳ヤンフォンは、彼のこの微笑みが愛想良く見えて実は自分の信念を通すときによく使うことを知っている。
 だから、煬鳳ヤンフォンは思った。あえて老人の正体を黙っておかず言い当てたのは、きっと凰黎ホワンリィはこの清樹チンシュウに何かを尋ねたいからかもしれない、と。

「いや……驚いたな。言い当てたのはあんたが初めてだ」

 老人はそれまで曲げていた背中をすっと伸ばすと姿勢を正す。先ほどまではよぼよぼの老人に見えていた筈なのに、急に若さが戻ってきたようにも見える。
 凰黎ホワンリィと老人。
 向かい合う二人のやりとりを、煬鳳ヤンフォン雷靂飛レイリーフェイは呆然と見守るしかない。

「いかにも、私は前峰主ほうしゅ清樹チンシュウだ」
「黙っておられたのに申し訳ありません。もしや我々は、貴方に試されているのでは、と思ったもので」
「……」

 清樹チンシュウは返事をしない。それは無言の肯定ということだろう。

「試す、とはいったいどういうことだ!? 我々は五行盟ごぎょうめいの通行許可を持って……」
「それはお前たちの都合だろう」

 雷靂飛レイリーフェイの言葉に清樹チンシュウが言い返す。前峰主ほうしゅである彼にとっては、現在の清林峰せいりんほうの門弟となる者たちが逃げるようにこの森へとやってきた事実は、どんなに時が経っても忘れられない出来事だ。都合のいいときだけ紹介状と通行許可を持って通せと言ってくる五行盟ごぎょうめいは面白くない存在なのだろう。

 たとえ現清林峰せいりんほう掌門しょうもん五行盟ごぎょうめいに助けを求めたとしても、だ。

 だから、通さずとは言わないが、やって来た者たちが通すに値する者なのか、少し試してみたくなった、そんなところではないか。
 そして凰黎ホワンリィは彼のその想いを見抜いたのだ。

「私は当時のことを実際に見たわけではありませんが、清林峰せいりんほう霆雷門ていらいもんが一つであった頃、当時の清林峰せいりんほう五行盟ごぎょうめいの中でも頭一つ飛びぬけていて、かの瞋砂門しんしゃもんよりも強力であったと聞いています。二つに分かれた上に日陰者のように生きねばならなくなったのは、たとえ己の意志であったとしても辛酸を嘗める思いだったことでしょう」
「若造、知ったような口を利くな」
「申し訳ありません」

 清樹チンシュウの言葉に凰黎ホワンリィは頭を下げた。煬鳳ヤンフォンは頭を下げる必要などないと思ったが、そこは凰黎ホワンリィの駆け引きだ。口を挟む余地はない。

「だが、お前さんたちは清林峰せいりんほうの一件を解決し、さらに忍び込んでいた輩も見つけて追い払ってくれた。外部からの侵入者が迷陣に入ればすぐに気づくが、実体を持たない鬼や妖邪ようじゃを捉えることは難しい」
「一つだけ――お伺いしても?」

 探るように小声で言った凰黎ホワンリィの言葉に清樹チンシュウは躊躇い、そして頷いた。凰黎ホワンリィは誰かにも聞こえぬようにと袖で口元を隠し、清樹チンシュウに何か囁く。

「!」

 明らかに清樹チンシュウの表情が変わった。煬鳳ヤンフォンは、凰黎ホワンリィが何を言ったのか全く分からない。しかし、清樹チンシュウの動揺から察するに……凰黎ホワンリィの言葉は相当彼に衝撃を与えたように思える。

「……」

 暫しのあいだ思いつめた表情をした清樹チンシュウは、決意したように顔をあげると凰黎ホワンリィに向かって頷いた。

「そなたの名は」

 諦めたような、敗北したような表情の清樹チンシュウは、凰黎ホワンリィに名を訊ねる。

凰霄蘭ホワンシャオラン、と申します」
ホワン……?」

 またも凰黎ホワンリィの言葉に清樹チンシュウは片眉を跳ね上げたが、すぐに「そうか……」と何か納得したように一人で呟いた。
 何が「そうか」だったのかは分からないが、少なくとも凰という名前は彼にとって悪い気持ちになる要素ではなかったようだ。

 それから清樹チンシュウ煬鳳ヤンフォンたちを始めに出会った小屋まで案内し、旅立つ三人を見送ってくれた。

「私は森の入り口でこの場所を守るのが役目。もしもまた何か困ったことがあったら言いなさい。ことと次第によっては助けよう」
「感謝いたします。それでは」

 最後まで素直ではないが、清樹チンシュウなりの心遣いだったのだろう。凰黎ホワンリィは丁寧に彼に礼を告げ、煬鳳ヤンフォンたちは犀安さいあんに戻るため渡船場へと向かった。

「全く、我々は清林峰せいりんほうの求めに応じてこうしてやってきたというのに、何故あんな態度を取られねばならんのだ!」

 清樹チンシュウの言葉に納得がいかなかったのか、船の上でも雷靂飛レイリーフェイはぶつぶつと文句を言っていた。見た目は年相応に見えないが、それでも彼はまだ二十数歳程度。恐らく凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンと同様に、かつての清林峰せいりんほうで何があったのかを詳しくは知らないのだろう。

雷靂飛レイリーフェイ。貴方が怒るのは無理のないことだと思います。しかし前峰主ほうしゅが憤る理由を知れば、それも仕方のないことだと思うに違いありませんよ」

 見かねた凰黎ホワンリィがそれとなく雷靂飛レイリーフェイを宥めたが、彼の表情はやはり不服そうだった。

「なあ、凰黎ホワンリィ

 雷靂飛レイリーフェイに聞こえないほどの声で煬鳳ヤンフォンは呼び掛ける。

「さっき、清樹チンシュウの爺さんに何て聞いたんだ?」

 先ほど清樹チンシュウ老人との会話の犀、凰黎ホワンリィが彼に言った言葉を覚えていた。

『一つだけ――お伺いしても?』

 その後の清樹チンシュウ老人の表情。そして頷いた理由。凰黎ホワンリィは彼に、いったい何を聞いたのか、知りたかった。
 凰黎ホワンリィは周囲を見回し、互いの距離を確認する。己の聞こえる範囲に煬鳳ヤンフォンしかいないことを確認した後で囁いた。

「ああ、実は――」

 次の瞬間、煬鳳ヤンフォンは耳を疑った。

「『五行盟ごぎょうめいに裏切り者がいるとお考えなのでは?』と言ったのですよ」

 その後清樹チンシュウがどのように返答したのか、煬鳳ヤンフォンは覚えている。彼は最終的に頷いたのだ。それが何を意味するかといえば……。

『そうだ』

 という、肯定。

「以前煬鳳ヤンフォン清林峰せいりんほう霆雷門ていらいもんの二つの力が一つだったなら、もっと強かっただろうと言ったことがありましたよね」
「ああ、言った」

 雷靂飛レイリーフェイの戦いも見たが、とにかく攻撃だけなら霆雷門ていらいもんは圧倒的だ。いかんせん融通の利かない奴が多いのが難点だが、攻撃力の高さだけで言うなら瞋砂門しんしゃもんに勝るとも劣らない。対して清林峰せいりんほうの持つ医術や薬学などの知識はそれだけでも皆が喉から手が出るほど欲しがるだろう。

「かつての清林峰せいりんほう五行盟ごぎょうめいの中でも一、二位を争う強大な門派でした。あらぬ噂が流れて弱体化させられたなんて、少しおかしいと思いませんか?」
「……言われてみれば、確かに……」

 凰黎ホワンリィの言うことは煬鳳ヤンフォンにもよく分かる。五行盟ごぎょうめいの中に清林峰せいりんほうを面白く思っていない者がいたら――偽の噂を流したとしたら。

(あの清樹チンシュウの爺さんは、俺たちを試したって言ってた。……五行盟ごぎょうめいの中に潜む敵かどうかを見定められたってことか……?)

 真意は分からない。

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