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千山万水五行盟(旅の始まり)
035:陰森凄幽(十)
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※誤って前日に公開したあと再公開したのですが、こちらは8月20日(日)更新分です。
朝餉を取った煬鳳たちは、迎えに来た清粛の案内で彼の父である清大秧のもとを尋ねた。彼は清粛の父、ということだから峰主の息子ということになる。屋敷の離れは小さいが、あまり大事にしたくない煬鳳たちには丁度いい。
清粛の父は『神医』のような肩書は持たないが、研究熱心な彼は時に睡龍の外にまで足を延ばし、珍しい薬草や薬木などを探し求めることも多いそうだ。索冥欷の根もそういった旅の果てに手に入れたそうだから、なかなかの冒険家だろう。
いま、こうして煬鳳たちの目の前に座っている清大秧は、そういった話が真実であると確信できるような、体格のいい男性だ。旅を続け日焼けで浅黒くなった肌、袖から覗く筋肉質な腕。それでいて煬鳳の診察をする姿は丁寧かつ慎重で、どこか安心感がある。
「確かに霊力がこの痣から鳥へと繋がっているのは間違いない。実に不思議な現象だ。しかも霊力の余剰分であるにもかかわらず、この鳥はまるで身体の主とは別の意志を持っているように感じられる」
清大秧は煬鳳の頸根の痣から黒曜が出たり戻ったりしているのを見て、感心したように言った。困惑した顔で凰黎はおずおずと「先生」と呼ぶ。
「その通りですが、しかし問題はそこではなく……」
「分かっておる。先ほど何度か出し入れして分かったことだが、この鳥は煬殿の身体から霊力が溢れたぶんだけ力を増し、霊力の増加と連動するように煬殿の体の熱が上がっている。凰殿が即時に熱を下げなければ、今頃はもっと体温が上昇しているはずだ」
清大秧の言う通り、煬鳳の熱が上がるたびに手を握る凰黎が冷気を送り込んでは熱を下げている。今度は煬鳳の痣に手で触れると清大秧は呪文を唱えた。
「道は首に非ず、道は――いや、駄目だな」
途中で言葉を切り、清大秧は考え込む。
「別の場所から霊力を逃がそうと考えたが、どこから出ようと限界はある。抑え込むのは却って危険。霊力の鳥が実態を持つ以上、今すぐにできる対処が無い……」
ある程度予想していたとはいえ、清大秧は溜め息をつく。彼もそれなりに経験を積んだ医者ではあるが、その彼の知識もってしても、すぐにできる対処法はないのだから。
「やはりそう簡単には行かないのですね……」
しかし、清大秧以上にがっくりと肩を落としたのは凰黎だ。駄目もとであったとはいえ、打つ手なしでは失意の表情を隠せない。
清大秧は凰黎と煬鳳の二人に語り掛ける。
「……普通、霊力が明確な実体を持つことはないのだが、この黒い鳥は完全に実体として表れているのだから驚きだ。しかも煬殿の霊力は驚くほど大きく、日が経つごとに増している。その上昇幅も尋常ではない。……恐らく何か原因があるのだろうが、このままいけば痣はどんどん大きくなっていき、最終的には肉体が耐え切れずにはじけ飛んでしまうだろう」
とはいえこの言葉には流石にぎょっとして、煬鳳は思わず清大秧を見た。しかし彼は冗談を言っているようには見えず……むしろ真面目な顔を崩さない。
凰黎は口を引き結び、じっと考えているようだ。
「煬殿。君は私が冗談でも言っているか、脅しているかどちらかだと思っているようだが、そのようなことをしても何の得にもならない。私自身、こんな症状を見たのは初めてだが、これは病でも呪いでもなく、自らの力によって引き起こされるもの。単純に薬でどうこうできるものではない」
「先生、ならば解決する策はないのでしょうか?」
「そうだな……」
凰黎は神にも縋るような目で清大秧を見据えている。対する清大秧は清大秧で難しい顔をして腕を組んでいる。あらかた察しはついていたことだったが、やはり事実を突きつけられると目の前が暗くなる気がした。
「我々にできうる範囲で考えるなら二つ。煬殿の霊力をより多く体の中に留めておけるようにするか、余剰分の霊力を切り離す。この二つだろう。しかし前者はこれからどれほど霊力が増大するか分からぬ故、得策であるとは言い難い。よって、後者のほうが現実的ではあるだろう。問題は切り離したあと、再び霊力が増えた際にどうなるか……」
「霊力を切り離すなど、できるのでしょうか。それに切り離したとて……」
凰黎の言うことはもっともだろう。仮に奇跡的に霊力を切り離すことができたとしても、日々力が増していくのならいずれまた同じことが起こってしまう。そのたびに何度も同じことを繰り返す必要があるのではないか、煬鳳はそう考える。
しかし、清大秧はそうではないと言う。
「要するに、いまは溢れる霊力の出入り口がこの痣しかない。実体が無ければ問題が無いのだが、なまじ実体を持っているから問題だ。ゆえに痣を広げぬ状態で互いに霊力の融通ができるようになれば、体に負担はかからない。現実的かというと少々難しいが、不可能かといえばそうでもない。……あくまで仮定の話ではあるのだが」
解決策はぼんやりと見えてきたが、解決できるかといえばそこが一番の難関だ。
彼の話はかなり仮定の話が多く、現実味が薄い。しかし、煬鳳たちが戸惑っていることに気づくと清大秧は咳払いと共に言葉を付け加えた。
「私の見解を話すと、まず薬で治すということは不可能だ。一番有効なのは凰殿が煬殿の体熱を下げることだが、対処療法にも限界がある。……そのうえで最も有効な手段を考慮した結果を申し上げた。難しいのは承知の上だが、世の中には不可能を可能にするような道具も沢山ある。そういった物の中から希望に合致する道具を探してみてはどうだろうか」
最初は乗り気ではなかった凰黎だったが、清大秧の話にも一理あると考えたようだ。
「そうですね。他に手段が見つからない以上、いまは可能性に懸けるほか無いやもしれません。先生のお言葉、しかと胸に刻んでおきます」
凰黎は深々と清大秧に頭を下げて礼を言った。
二人はこの話を持ち帰ってじっくり検討することにして、清林峰を後にすることにした。清林峰には煬鳳と凰黎の二人だけではなく、雷靂飛もいるし盟主から引き受けた仕事の報告もしなければならない。いつまでも清林峰に滞在して悩んでいるわけにはいかないのだ。
「お二人には本当にお世話になったのに、根本的な解決策をお伝え出来ず心苦しい限りです。せめてこれをお持ちください」
別れ際、清粛は申し訳なさそうな顔で、煬鳳の手に何かの包みを持たせた。
「これは?」
「いま清林峰にある、残り全ての索冥花を丹薬にしたものです。大きな力を使うことは煬殿の体への負担になると父より聞きました。少ないですが、根本的な解決にはならずともこれを飲めば多少は身体への負担が軽減されるはずです」
煬鳳は唖然として、凰黎の顔を見た。凰黎も少なからず驚いたようだ。
(そりゃ、そうだろ……。だって、凄い貴重な薬で清林峰の切り札でもあったのに……)
そのような貴重なものをいきなり残り全部手渡すなど、清林峰として許されるのだろうか。しかもこの薬のために神医は殺人者となり、その息子も同じように罪人となった。それだけではなく彼らの弟子たちもまた、勝手にこの薬を盗み出し自らの野望のために使ったほどの薬なのだ。
「えっと、気持ちは有り難いけどさ。でもこれがないと清林峰は困るんじゃないのか?」
「祖父や父とも話し合って、皆で決めたことです」
そう言って清粛は笑った。
「実は、まだ索冥花には改良の余地がありました。それは人の体には負担が多すぎて……あっ、煬単語殿には影響がないのでご安心を」
「……」
この青年は悪気無く人をぎょっとさせる天才だ。空き家に死体を置いた件もそうだったが、一瞬ヒヤリとさせられる。
「索冥花は修行をしていない者には強すぎる薬なのです。榠先生の弟子たちは、国王や重鎮たちをこの薬で回復させたそうですが。……もしかしたらそう遠くないうちに影響が出るかもしれませんね。そうなっても我々にはどうすることもできませんが……」
目を伏せ清粛は首を振る。
「索冥花は木が枯れたわけではありませんので、時が経てばまた花を咲かせるでしょう。焦ってもまた榠先生や弟子たちのようなことになる可能性もありますから。いったんこの薬は無かったものと思うことにします」
「確かに、今回のことで清林峰の秘薬の話が広まってしまうでしょうから、いっそいまは手元にない方が良いのかもしれませんね」
「凰殿にそう言って頂けると、私としても安心します」
清粛と凰黎は頷きあっているが、煬鳳の隣には不服そうな男が一人、難しい顔をしていた。
「納得がいかぬ! 何故このように素晴らしい薬を、煬殿だけが貰うことができるのだ!? それこそ五行盟に渡すべきなのでは!?」
凰黎にほとんど任せっきりで、途中では酔って寝こけていただけ、役に立ったのは最後の一瞬のときのみ。そんな雷靂飛にぶうぶうと文句を言われて煬鳳も苦笑いするしかない。
「雷公子。我々が今回ここにやってきたのは、元々煬鳳の難しい持病を診て頂くためだったです。ほとんどの索冥花は榠聡檸が盗み使ってしまったいま、残りはどうか我々にお譲り頂けないでしょうか。五行盟からの頼みは『清林峰の頼みを聞くこと』で、薬を持ち帰ることではないはず。どのみち薬は完全なものではないということでひとつ……」
真摯な凰黎の眼差しを跳ね返すことができず、雷靂飛は顔を背けた。彼は悪人ではないので、躊躇いの表情を浮かべ、やがて観念したように溜め息をついた。
「くっ……私は何も見なかった! ……そういうことにしておきます」
「感謝いたします、雷公子」
雷靂飛はまだ不服ではあったものの、彼も凰黎の頼みは断りづらいようだ。何だかんだ清林峰での一件は、凰黎がいなければ解決し得ないことだったのだから。
「さ。お許しも頂いたことですし、善は急げでいますぐ頂いちゃいましょう」
「え、いま!?」
「当然です。少しでも効果が望めるかもしれないのなら、早いに越したことはないですから。それに、貴重な神薬を奪おうとする輩だっていつ来るかも分かりません。安全なうちに」
「……」
煬鳳がどうしようと困っていると、清粛がすぐさま水を持ってきてくれた。これはもう、飲むしかないということだろう。仕方なく煬鳳はそのまま丹薬を口に放り込んで、貴重な索冥花を全て腹の中に収めたのだった。
「どうですか? 変化はありましたか?」
興味津々に凰黎に言われるもまだ実感もない。しいて言うなら一気に水を飲んだので腹の中で水が揺れている感覚くらいなもの。
「まだ何も分からないや。歩いていればそのうち変わるかもな」
「そうですか……」
とはいえ清大秧が言っていたように、索冥花で根本的な解決になるとは思えない。ただ、この薬が多少なり時間稼ぎになってくれることを祈るのみだ。
「清粛、いつか森の外にも出て来いよ。その時は俺と凰黎の住んでる清瑞山にも遊びに来てくれ、いつでも歓迎する。あっ、それから、玄烏門の皆も紹介するからさ、きっと来いよ!」
「有り難うございます煬殿。その際は是非。……それに、皆様には本当にお世話になりました。困ったときはいつでも我々が助けに馳せ参じましょう。どうか、道中お気をつけて」
清粛とそれぞれ別れの言葉を交わして、三人は清林峰を後にした。
「はあ、なんかまだ水が腹で踊ってる」
歩きながら煬鳳は思わず溜め息をつく。
「少し休んでから出発すれば良かったかもしれませんね」
「しかし、それでは今日船に乗ることは難しかったのだから、やむを得まい」
少し後悔している凰黎と、全く気にしない雷靂飛。しかし腹の心地悪さに堪りかね煬鳳が木の根に腰を下ろすと凰黎は真っ先に「少し休みましょうか」と言って足を止めた。
「あのなあ、船に乗れなくなっても知らないぞ!」
「その時は明日の船に乗りましょう。どのみち森を出るにはもう少しかかるでしょうし」
「はぁ……なんて呑気な奴らなんだ」
しかし何だかんだ言いつつも雷靂飛は根は悪い男ではない。口では文句を言いながらも足を止め、煬鳳が休むのに付き合うことにしたようだ。面倒だし困ったやつだが、煬鳳も彼のそういうところは嫌ではない。
煬鳳はおもむろに立ち上がると、呼び掛けた。
朝餉を取った煬鳳たちは、迎えに来た清粛の案内で彼の父である清大秧のもとを尋ねた。彼は清粛の父、ということだから峰主の息子ということになる。屋敷の離れは小さいが、あまり大事にしたくない煬鳳たちには丁度いい。
清粛の父は『神医』のような肩書は持たないが、研究熱心な彼は時に睡龍の外にまで足を延ばし、珍しい薬草や薬木などを探し求めることも多いそうだ。索冥欷の根もそういった旅の果てに手に入れたそうだから、なかなかの冒険家だろう。
いま、こうして煬鳳たちの目の前に座っている清大秧は、そういった話が真実であると確信できるような、体格のいい男性だ。旅を続け日焼けで浅黒くなった肌、袖から覗く筋肉質な腕。それでいて煬鳳の診察をする姿は丁寧かつ慎重で、どこか安心感がある。
「確かに霊力がこの痣から鳥へと繋がっているのは間違いない。実に不思議な現象だ。しかも霊力の余剰分であるにもかかわらず、この鳥はまるで身体の主とは別の意志を持っているように感じられる」
清大秧は煬鳳の頸根の痣から黒曜が出たり戻ったりしているのを見て、感心したように言った。困惑した顔で凰黎はおずおずと「先生」と呼ぶ。
「その通りですが、しかし問題はそこではなく……」
「分かっておる。先ほど何度か出し入れして分かったことだが、この鳥は煬殿の身体から霊力が溢れたぶんだけ力を増し、霊力の増加と連動するように煬殿の体の熱が上がっている。凰殿が即時に熱を下げなければ、今頃はもっと体温が上昇しているはずだ」
清大秧の言う通り、煬鳳の熱が上がるたびに手を握る凰黎が冷気を送り込んでは熱を下げている。今度は煬鳳の痣に手で触れると清大秧は呪文を唱えた。
「道は首に非ず、道は――いや、駄目だな」
途中で言葉を切り、清大秧は考え込む。
「別の場所から霊力を逃がそうと考えたが、どこから出ようと限界はある。抑え込むのは却って危険。霊力の鳥が実態を持つ以上、今すぐにできる対処が無い……」
ある程度予想していたとはいえ、清大秧は溜め息をつく。彼もそれなりに経験を積んだ医者ではあるが、その彼の知識もってしても、すぐにできる対処法はないのだから。
「やはりそう簡単には行かないのですね……」
しかし、清大秧以上にがっくりと肩を落としたのは凰黎だ。駄目もとであったとはいえ、打つ手なしでは失意の表情を隠せない。
清大秧は凰黎と煬鳳の二人に語り掛ける。
「……普通、霊力が明確な実体を持つことはないのだが、この黒い鳥は完全に実体として表れているのだから驚きだ。しかも煬殿の霊力は驚くほど大きく、日が経つごとに増している。その上昇幅も尋常ではない。……恐らく何か原因があるのだろうが、このままいけば痣はどんどん大きくなっていき、最終的には肉体が耐え切れずにはじけ飛んでしまうだろう」
とはいえこの言葉には流石にぎょっとして、煬鳳は思わず清大秧を見た。しかし彼は冗談を言っているようには見えず……むしろ真面目な顔を崩さない。
凰黎は口を引き結び、じっと考えているようだ。
「煬殿。君は私が冗談でも言っているか、脅しているかどちらかだと思っているようだが、そのようなことをしても何の得にもならない。私自身、こんな症状を見たのは初めてだが、これは病でも呪いでもなく、自らの力によって引き起こされるもの。単純に薬でどうこうできるものではない」
「先生、ならば解決する策はないのでしょうか?」
「そうだな……」
凰黎は神にも縋るような目で清大秧を見据えている。対する清大秧は清大秧で難しい顔をして腕を組んでいる。あらかた察しはついていたことだったが、やはり事実を突きつけられると目の前が暗くなる気がした。
「我々にできうる範囲で考えるなら二つ。煬殿の霊力をより多く体の中に留めておけるようにするか、余剰分の霊力を切り離す。この二つだろう。しかし前者はこれからどれほど霊力が増大するか分からぬ故、得策であるとは言い難い。よって、後者のほうが現実的ではあるだろう。問題は切り離したあと、再び霊力が増えた際にどうなるか……」
「霊力を切り離すなど、できるのでしょうか。それに切り離したとて……」
凰黎の言うことはもっともだろう。仮に奇跡的に霊力を切り離すことができたとしても、日々力が増していくのならいずれまた同じことが起こってしまう。そのたびに何度も同じことを繰り返す必要があるのではないか、煬鳳はそう考える。
しかし、清大秧はそうではないと言う。
「要するに、いまは溢れる霊力の出入り口がこの痣しかない。実体が無ければ問題が無いのだが、なまじ実体を持っているから問題だ。ゆえに痣を広げぬ状態で互いに霊力の融通ができるようになれば、体に負担はかからない。現実的かというと少々難しいが、不可能かといえばそうでもない。……あくまで仮定の話ではあるのだが」
解決策はぼんやりと見えてきたが、解決できるかといえばそこが一番の難関だ。
彼の話はかなり仮定の話が多く、現実味が薄い。しかし、煬鳳たちが戸惑っていることに気づくと清大秧は咳払いと共に言葉を付け加えた。
「私の見解を話すと、まず薬で治すということは不可能だ。一番有効なのは凰殿が煬殿の体熱を下げることだが、対処療法にも限界がある。……そのうえで最も有効な手段を考慮した結果を申し上げた。難しいのは承知の上だが、世の中には不可能を可能にするような道具も沢山ある。そういった物の中から希望に合致する道具を探してみてはどうだろうか」
最初は乗り気ではなかった凰黎だったが、清大秧の話にも一理あると考えたようだ。
「そうですね。他に手段が見つからない以上、いまは可能性に懸けるほか無いやもしれません。先生のお言葉、しかと胸に刻んでおきます」
凰黎は深々と清大秧に頭を下げて礼を言った。
二人はこの話を持ち帰ってじっくり検討することにして、清林峰を後にすることにした。清林峰には煬鳳と凰黎の二人だけではなく、雷靂飛もいるし盟主から引き受けた仕事の報告もしなければならない。いつまでも清林峰に滞在して悩んでいるわけにはいかないのだ。
「お二人には本当にお世話になったのに、根本的な解決策をお伝え出来ず心苦しい限りです。せめてこれをお持ちください」
別れ際、清粛は申し訳なさそうな顔で、煬鳳の手に何かの包みを持たせた。
「これは?」
「いま清林峰にある、残り全ての索冥花を丹薬にしたものです。大きな力を使うことは煬殿の体への負担になると父より聞きました。少ないですが、根本的な解決にはならずともこれを飲めば多少は身体への負担が軽減されるはずです」
煬鳳は唖然として、凰黎の顔を見た。凰黎も少なからず驚いたようだ。
(そりゃ、そうだろ……。だって、凄い貴重な薬で清林峰の切り札でもあったのに……)
そのような貴重なものをいきなり残り全部手渡すなど、清林峰として許されるのだろうか。しかもこの薬のために神医は殺人者となり、その息子も同じように罪人となった。それだけではなく彼らの弟子たちもまた、勝手にこの薬を盗み出し自らの野望のために使ったほどの薬なのだ。
「えっと、気持ちは有り難いけどさ。でもこれがないと清林峰は困るんじゃないのか?」
「祖父や父とも話し合って、皆で決めたことです」
そう言って清粛は笑った。
「実は、まだ索冥花には改良の余地がありました。それは人の体には負担が多すぎて……あっ、煬単語殿には影響がないのでご安心を」
「……」
この青年は悪気無く人をぎょっとさせる天才だ。空き家に死体を置いた件もそうだったが、一瞬ヒヤリとさせられる。
「索冥花は修行をしていない者には強すぎる薬なのです。榠先生の弟子たちは、国王や重鎮たちをこの薬で回復させたそうですが。……もしかしたらそう遠くないうちに影響が出るかもしれませんね。そうなっても我々にはどうすることもできませんが……」
目を伏せ清粛は首を振る。
「索冥花は木が枯れたわけではありませんので、時が経てばまた花を咲かせるでしょう。焦ってもまた榠先生や弟子たちのようなことになる可能性もありますから。いったんこの薬は無かったものと思うことにします」
「確かに、今回のことで清林峰の秘薬の話が広まってしまうでしょうから、いっそいまは手元にない方が良いのかもしれませんね」
「凰殿にそう言って頂けると、私としても安心します」
清粛と凰黎は頷きあっているが、煬鳳の隣には不服そうな男が一人、難しい顔をしていた。
「納得がいかぬ! 何故このように素晴らしい薬を、煬殿だけが貰うことができるのだ!? それこそ五行盟に渡すべきなのでは!?」
凰黎にほとんど任せっきりで、途中では酔って寝こけていただけ、役に立ったのは最後の一瞬のときのみ。そんな雷靂飛にぶうぶうと文句を言われて煬鳳も苦笑いするしかない。
「雷公子。我々が今回ここにやってきたのは、元々煬鳳の難しい持病を診て頂くためだったです。ほとんどの索冥花は榠聡檸が盗み使ってしまったいま、残りはどうか我々にお譲り頂けないでしょうか。五行盟からの頼みは『清林峰の頼みを聞くこと』で、薬を持ち帰ることではないはず。どのみち薬は完全なものではないということでひとつ……」
真摯な凰黎の眼差しを跳ね返すことができず、雷靂飛は顔を背けた。彼は悪人ではないので、躊躇いの表情を浮かべ、やがて観念したように溜め息をついた。
「くっ……私は何も見なかった! ……そういうことにしておきます」
「感謝いたします、雷公子」
雷靂飛はまだ不服ではあったものの、彼も凰黎の頼みは断りづらいようだ。何だかんだ清林峰での一件は、凰黎がいなければ解決し得ないことだったのだから。
「さ。お許しも頂いたことですし、善は急げでいますぐ頂いちゃいましょう」
「え、いま!?」
「当然です。少しでも効果が望めるかもしれないのなら、早いに越したことはないですから。それに、貴重な神薬を奪おうとする輩だっていつ来るかも分かりません。安全なうちに」
「……」
煬鳳がどうしようと困っていると、清粛がすぐさま水を持ってきてくれた。これはもう、飲むしかないということだろう。仕方なく煬鳳はそのまま丹薬を口に放り込んで、貴重な索冥花を全て腹の中に収めたのだった。
「どうですか? 変化はありましたか?」
興味津々に凰黎に言われるもまだ実感もない。しいて言うなら一気に水を飲んだので腹の中で水が揺れている感覚くらいなもの。
「まだ何も分からないや。歩いていればそのうち変わるかもな」
「そうですか……」
とはいえ清大秧が言っていたように、索冥花で根本的な解決になるとは思えない。ただ、この薬が多少なり時間稼ぎになってくれることを祈るのみだ。
「清粛、いつか森の外にも出て来いよ。その時は俺と凰黎の住んでる清瑞山にも遊びに来てくれ、いつでも歓迎する。あっ、それから、玄烏門の皆も紹介するからさ、きっと来いよ!」
「有り難うございます煬殿。その際は是非。……それに、皆様には本当にお世話になりました。困ったときはいつでも我々が助けに馳せ参じましょう。どうか、道中お気をつけて」
清粛とそれぞれ別れの言葉を交わして、三人は清林峰を後にした。
「はあ、なんかまだ水が腹で踊ってる」
歩きながら煬鳳は思わず溜め息をつく。
「少し休んでから出発すれば良かったかもしれませんね」
「しかし、それでは今日船に乗ることは難しかったのだから、やむを得まい」
少し後悔している凰黎と、全く気にしない雷靂飛。しかし腹の心地悪さに堪りかね煬鳳が木の根に腰を下ろすと凰黎は真っ先に「少し休みましょうか」と言って足を止めた。
「あのなあ、船に乗れなくなっても知らないぞ!」
「その時は明日の船に乗りましょう。どのみち森を出るにはもう少しかかるでしょうし」
「はぁ……なんて呑気な奴らなんだ」
しかし何だかんだ言いつつも雷靂飛は根は悪い男ではない。口では文句を言いながらも足を止め、煬鳳が休むのに付き合うことにしたようだ。面倒だし困ったやつだが、煬鳳も彼のそういうところは嫌ではない。
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