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千山万水五行盟(旅の始まり)

031:陰森凄幽(六)

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黒明ヘイミン! お前、どこに行ってたんだよ!」
「どこって、家に帰ったに決まってるでしょう。あなた達は、あれからすぐ峰主ほうしゅ様のところに行ったじゃないですか」
「……」

 それもそうだった。
 確かに彼の言う通り、煬鳳ヤンフォンたちは峰主ほうしゅの元に連れて行かれてしまったので、あまりどうこういえた義理ではない。

「それより、ここは二階だぞ!? 何してるんだ」
「入り口でおっさんが酔い潰れて眠ってるんで、仕方なく勝手にお邪魔したんですよ」
「おっさん……」

 それはもしや、雷靂飛レイリーフェイのことだろうか。しかし酔い潰れているとはいったいどうしたのだろう。

「下の階の水がめの中身が酒とすり替えられていたようでした。ただの酒なので暫くしたら起きるでしょう」
「!?」

 全く動じずに凰黎ホワンリィがさらっと口にしたので煬鳳ヤンフォンは驚いた。もしやと思い、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィに尋ねる。

「な、なあ。もしかしてさっきあんなことしてきたのは……」
「下の階にいる彼がぐっすり眠っていたからですよ?」

 ………。
 煬鳳ヤンフォンは頭を抱えた。
 随分大胆なことをすると思ったら、そういうことだったのか。

「あんなこと?」
「わー! わー! 何でもない! 何でもない!」

 危うく黒明ヘイミンが藪蛇になりそうなことを言いかけたので、慌てて煬鳳ヤンフォン黒明ヘイミンの口を塞いだ。凰黎ホワンリィの方を振り向けば袖で口元を隠して笑っている。何か言ってやりたいと思ったが、いまはそれよりもこの場をごまかすことが先決だ。

「そ、それより気づいてたのならなんで言わなかったんだ!? 酒と水をすり替えられたんだろ!? 絶対何か企みがあるに決まってるじゃないか!」
「そうですけど……。ふつう一口飲んだら気づくでしょう? 恐らくレイ公子は気づいたけれど、美味しかったからそのまま飲んだのだと思います。それにどのみちチン公子の母君が夕餉を作りに来てくださるのですから、どうあっても夕餉の頃には起きるでしょう」
「じゃ、じゃあさっき俺にくれた水は?」
「薬草園に行ったときに清粛チンスウに頼みました。薬草を育てるのに使う水なら、きっと一番綺麗な水だろうと思ったので」
「……」

 凰黎ホワンリィの言う通り、もしも酒と水がすり替わっていたら一口飲んですぐに気づく。雷靂飛レイリーフェイが眠りこけるほど飲んだのは……単に酒が飲みたかったのだろう。

(こんなんで大丈夫なのかな……)

 たるんでいると思わなくもないが、しかし凰黎ホワンリィの言う通りで、夕餉になれば嫌でも起きざるを得ない。従って、別に酒を飲もうが関係ない……のかもしれない。

凰黎ホワンリィもあんなことしてきたし……)

 思い出すだに耳が熱くなる。自分たちも決して人のことは言えない、と煬鳳ヤンフォンは心の中で思った。

「それで、何か用か?」

 いつの間にか椅子に腰かけ、卓子たくしにゆったりと座る黒明ヘイミン煬鳳ヤンフォンはジロリと見る。いきなり部屋に入って来るわ、勝手に寛ぐわで実に自由気ままな男だ。
 そんな煬鳳ヤンフォンの視線に気づくと、黒明ヘイミンは肩を竦めて笑う。

「酷い言い草だなぁ。ちょっといい情報持って来たんですよ?」
「良い情報?」

 そう、と黒明ヘイミンは頷く。

「あなた達は、ここ最近立て続けに起こっている事件を調査するために来たんでしょう? なら、人の出入りはしっかり調べた方がいいと思いますよ」
「人の出入り? そんなの、外部の人間がやってきたら清林峰せいりんほうの迷陣ですぐに気づかれるだろう」
「違う違う。その期間中に誰がこの清林峰せいりんほうにいたか。一見関係なさそうに見えても、比べてみると共通点があるんじゃないかと思って」
「……」

 卓子たくしに頬杖をつく男を、煬鳳ヤンフォンは見る。お世辞にも切れ者には見えないが、しかし彼の言うことには一理ある。

「それもそうだな。分かった、調べてみるよ」
「うん、それがいいと思いますよ。それじゃ、僕はこれで」

 そう言うと黒明ヘイミンは扉に手をかける。煬鳳ヤンフォンは呼び止めるべきかと少し悩んだが、呼び止める理由もなくそのまま見送ることにした。

「……あとで清粛チンスウに頼んでみようか」
「そうですね、それが良いでしょう」

 扉を見つめながら煬鳳ヤンフォンは言う。

    * * *

 夕餉を終えた煬鳳ヤンフォンたちは、予定通り行動を開始した。
 まだ初更を過ぎたところだが、元より人の少ないこの地では、家から出る者もそう多くはない。途中で清粛チンスウと合流しながら、密やかに薬草園へと戻ってきた。

「大丈夫かな、あいつ」
霆雷門ていらいもんの門弟たちは強いですよ。だから安心して下さい。万に一つレイ公子に何かあったとしても、彼なら無事に切り抜けられるでしょう。霆雷門ていらいもん煬鳳ヤンフォンに勝てないのは、貴方が強すぎるだけです」
「……」

 実に複雑な心境だ。安心して良いのだろうか、それは。
 昼間しこたま酒を飲んだ雷靂飛レイリーフェイは、夕餉と共に目を覚ましたがボロ屋敷で留守番をして貰うことにした。酒臭いからというのもあるが、ボロ屋敷には荷物も置いてある。貴重なものは持って出るが、万が一に備えておいたほうが良いと思ったのだ。

 凰黎ホワンリィは一切の心配する素振りなく「大丈夫」だと言い切ったが、煬鳳ヤンフォンとしては一抹の不安が残る。しかし、凰黎ホワンリィがここまで言うなら間違いはないのだろう。

「しかし、本当に来るんでしょうかね……」

 不安そうに清粛チンスウが言う。
 既に今夜の当番は帰らせたので、薬草園と薬草庫には守るものがいない。代わりに煬鳳ヤンフォンたちが周囲から様子を窺っている。

 二更。
 気配はまだなし。
 聞こえてくるのは谷を吹き抜ける風の音。
 月が明るいお陰で周囲の様子もよく見える。

 そして三更。
 妙な気配を感じ取り、煬鳳ヤンフォンたちは息を飲む。ようやく待ちわびた者が来たらしい。気づかれぬように目で合図をすると、可能な限り気配を殺し機が熟するのを待った。

(きた!)

 突然にしてそれは現れた。
 仄かに光る美しい影がしなやかな足を伸ばしてふわりと降り立つ。あまりにも密やかで、あまりにも清らか。
 そして、その姿を見て煬鳳ヤンフォンはとても衝撃を受けた。

(って………牛じゃないかーーーーーーーーーー!!)

 そう、牛だったのだ。
 しかし、世間で飼われているような牛とはさすがに異なっていて、確かに見た目は牛だが、真っ白で清らかな……………………牛だった。

 戸惑うあまり清粛チンスウの様子を確認したが、清粛チンスウも目を丸くして固まっている。凰黎ホワンリィは足跡を見たと言っていたから、どうせ既に知っていたのだろう。

 どうしたらいいのか。捕まえるべきか否か。
 そうこうしているうちに牛はそろそろと薬草園の中を歩き出す。既に目的は決まっているのか、その歩みに迷いはない。そうこうしているうちに牛は薬草庫の扉に蹄をかけて、器用に鍵を外してしまった。

 なんということだろう。
 とてもただの牛とは思えない。いや、空から舞い降りた時点で普通の牛ではないだろう。これが人の姿をしていたのなら、ここまで驚かなかったかもしれない。多分、予想を大幅に裏切られて頭が追いついていないのだ、と煬鳳ヤンフォンは思った。
 しかし、そんな場合ではない。

(そうだ、混乱してる場合じゃない。俺たちは犯人を捕まえなきゃいけないんだ!)

 薬草庫の中では牛がごそごそと薬草を漁っている。これなら捕まえて問題はないだろう。煬鳳ヤンフォンは気合いを入れ直すと、薬草庫に向かって駆け出した。

「こら! 泥棒野郎!」

 牛はぎくりと振り返る。何か言おうとして口を開き、その口に咥えていた物がはらはらと落ちてしまった。
 落ちた物を見るなり、清粛チンスウが叫ぶ。

「あれは! 間違いない、索冥花さくめいかです!」

 どうやらこの牛の目的は、索冥花さくめいかで間違いないようだ。

『も、申し訳ございません! どうか私の話をお聞き下さい!』

 牛は慌てて床に手をつくと、頭をこすりつけて嘆願する。

「……」

 あまりに人間離れ……いや、牛離れした、人間じみた行動によって、煬鳳ヤンフォンの頭は大混乱だ。何が何やら分からない。
 どうしよう、と背後の凰黎ホワンリィに助けを求めると「大丈夫」と凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンたちに頷く。どうやら凰黎ホワンリィには考えがあるらしい。

「まず――貴方に確認したいことがあります」

 丁寧な口調で、凰黎ホワンリィは牛に呼び掛ける。牛は顔を上げると『なんなりと』と答えた。

「ここ数か月、この清林峰せいりんほうでは六人もの人間が殺されました。これは貴方が関わっていますか?」

 牛はぎょっとして首を横にぶんぶんと振って否定する。

『とんでもない! 私が人を殺すなど、ありえません! それに私が清林峰せいりんほうにやってきたのは、つい昨日のことでございます』
「では、ここで盗みを何度も働きましたか?」
『滅相もございません! 私が盗もうとしたのは、いまこの時が初めてでございます。天に誓って嘘偽りはございません!』
「では貴方は何者ですか? どう見てもただの牛ではありませんね」

『私は、とある尊いお方にお仕えしているもの……いえ、牛でございます』
「私の感じたところによれば、貴方は――」
『お願いでございます。私が何者か知られてしまったら、大変なことになってしまいます』
「……」

 言いかけた凰黎ホワンリィの言葉を強引に牛は遮ったようにも感じられた。……なんだか色々面倒臭い牛だ。
 しかし、とにかくこの牛はただの牛ではなく、誰かか偉い人に仕えている『話せる牛』ということらしい。

「この牛の話、信じてもいいんでしょうか……」

 清粛チンスウが不安なのも無理はない。煬鳳ヤンフォンもまだこの牛のことを信じて良いのか、決めかねている。なにせこの牛が薬草を盗み出そうとしたことに変わりはないのだから。

『私が話せる範囲で、全てお話させて頂きます。どうかそのうえで、何卒お助け頂きたいのです』

 牛はこうなったらと腹を括ったようだ。煬鳳ヤンフォンたちの前に座ると、両手をついてそう懇願した。
 凰黎ホワンリィは牛の両手(蹄)を取って立たせると「薬草庫を開けたままにしては薬草が痛んでしまいます。いったん外に」と言って薬草庫の外へと連れ出した。

『私はさる尊いお方にお仕えする、鼓牛グーニゥと申します。実は私の主がお忍びで散策の途中、卑怯な輩に謀られ傷ついてしまわれたのです』

 鼓牛グーニゥは静かに語り始める。その口調は重く、状況はかなり深刻であるように感じられた。

『詳しくは申し上げられませんが、しかし尊い御身分のお方であるがゆえ、いまはまだ大ごとにするわけにはゆかないのです。我々は秘密裏にあらゆる手段を講じ、思いつく手段は全て試してみましたが、どうすることもできませんでした。そんな時、ある噂を耳にしたのです』
「ある噂?」
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