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図中的長夜之飲(絵の中の宴)
004:長夜之飲(二)
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次の日朝早く、凰黎は塘湖月を共だって蓬静嶺へと戻ってきた。凰黎は仔細を静泰還に話し、壁絵の人物のうち出身が分かる者たちについて調べたい旨を申し出た。
通常このようなことで嶺主を煩わすことはないのだが、なにぶん凰黎は幼く、何をするにも彼一人の判断で好きにできるわけではない。それ故に彼が自分の持つ力以上に何か行動を起こしたい時は、このように嶺主に意見を仰ぐほかなかったのだ。
「阿黎の言うことはもっともだ。宜しい。そなたに任せよう」
話を一通り聞いた静泰還は、凰黎の意見に頷く。そして次に彼は傍に控える門弟たちを見やる。
「ただし、凰黎はまだ幼い。ここは兄弟子として、そなた達が手足となり凰黎を助けてやりなさい」
「承知致しました」
そして塘湖月とその弟子たちに壁絵の人物たちの故郷へ赴くようにと命じ、また、凰黎には蓬静嶺で解決した過去の事件についての記録を収めてある保管庫への立ち入り許可を与えた。
これは決して静泰還が凰黎を優遇したのではない。彼はいつでも公平な人間で、もしも凰黎が間違ったことや独善的なことを言っていたのなら咎めていたことだろう。けれど凰黎の言葉は実に一言一言的確だったのだ。
そして、そのことは塘湖月も凰黎のこれまでの行動を見て重々承知している。だからこそ誰一人として、嶺主に対して意見を言うものはいなかったのだ。
「有り難うございます、嶺主様」
凰黎は静泰還に礼を言うと、すぐさま行動に移った。
蓬静嶺は数百年にわたる歴史ある門派であり、この辺りで起きた大概の事件の解決に関わっていることが多い。塘湖月とその弟子たちが戻ってくるまでの間に、凰黎はあることをずっと調べていた。蓬静嶺で解決した過去の事件のうち、酔香鎮に関わるもの。
三日三晩探し続けた結果、ようやく凰黎は目的の情報を見つけることができたのだが、幸運にも同じころ、塘湖月達も調査を終えて各々の町村から戻ってきた。
――それは、あの壁に絵が描かれるよりもずっと前の話。
酔香鎮が今ほど繁栄していなかった頃。ある妖邪の類が街を襲ったのだという。その時に当時の蓬静嶺嶺主がこの妖邪を退治したそうだ。
その妖邪は鼈妖といい、なかなか強力な妖邪だった。斬っただけではすぐに体を繋げて復活してしまう。厄介な存在だ。
そこで嶺主は考えた。鼈妖を粉々に砕き、その身を燃やして灰にしたのだ。そのうえで灰を土と共に練り込んで強固な封印を施した。
嶺主は鼈妖を封じた土で石碑のようなものを作り、それ以後は大きな事件が起こることは無くなったのだという。
そして塘湖月達の報告もまた、ある程度予想の範疇だった。
「壁絵の中に入っていると思われる人物は、みな亡くなっておりました」
やはりといえばやはりだが、壁絵になった者たちの体は既になく、魂だけがあの壁絵に入ったということだ。
「不可解なのは、ある日突然、昼夜関係なく――ばったり倒れたかと思うとそのまま。という様子だったそうです。苦しむ様子もなく、病気でもない。しかし調べてきた全員がそのような亡くなり方だったので少々気味が悪いですね」
亡くなった人物の名前と死亡日、理由などを書き連ねた紙を広げながら塘湖月は言う。死亡した件自体も絵が動き始めた頃から始まったとみて間違いない。
そして共通点は死亡時以外にもう一つある。
「やはり、死ぬ少し前にみな、多かれ少なかれ酔香鎮を通っているのですね……」
死んだ者たちは皆、酔香鎮に立ち寄っていた。そして早いときはその日の夜、遅いときは二日後。長さはまちまちだが、少なくとも二日後には確実に亡くなっている。
「謎が解けたようなそうでないような……」
感じた陰の気は、あの壁自体から出ているものではないか。となると予想できることは限られてくるはずだ。
だがしかし、それでも決め手に欠けるような気がして仕方がない。
「結局のところ、あの壁の人達は何なのでしょうね……」
目の前にいるのが少年だということも忘れ、塘湖月は問いかける。
「恐らく……恐らくですが。鼈妖[*1]を封じた石碑は何らかの手違いで酔香鎮の街の壁になってしまった。そして何らかの切っ掛けがあって鼈妖の封印が破られて蘇った。しかし鼈妖の体は灰となって土と共に練り込まれているため、思うようには動くことはできない。そこで……鼈妖は何らかの方法を使って人々の命を奪い、命を奪われた人々の魂は壁絵の中に残った……」
酔香鎮の人々を重点的に襲わないのは、あの壁を根城にしていることに気づかれて壁を破壊されてしまったら困るからだろう。なぜ鼈妖は復活したのか?という疑問は残るが、大方の疑問は解決したのではないか。
「鼈妖がこれ以上人を襲わせてはなりません。すぐに酔香鎮へ向かいましょう」
凰黎は塘湖月を連れて再び酔香鎮へと向かおうとした。
――のだが。
「ならぬ」
静泰還の私室で事と次第を報告し、これから酔香鎮へ向かう旨を報告した凰黎に対して、静泰還からの第一声はこの一言だった。
調査はいざ知らず、退治する必要があるならば、さすがに静泰還も黙ってはいない。壁の件を解決するよう言ったのは彼だったが、同時に「直接戦おうとはするな」とも釘を刺している。
当然、凰黎が酔香鎮に行けば鼈妖と戦おうとすることは一目瞭然だ。
「そなたが優秀であることは認める。しかし、いくらなんでも妖邪と対峙するには幼過ぎるだろう。ここから先は、我々に任せなさい」
しかし、凰黎は簡単には引き下がらない。
「お言葉を返すようですが、嶺主様はどのようにしてあの鼈妖を退治するおつもりですか。まだ本来の力を取り戻してるとはえ、相手は当時の嶺主様も手こずった相手。策無しで解決できるとは思えません」
「ならば阿黎。そなたには策があると?」
凰黎のことを買っているとはいえ、目の前の少年がここまで豪語する理由を読み取ることはできず、静泰還は俄には信じ難いという表情を見せた。
確かに凰黎は他の子供とは違う、特別な存在だ。しかし、いくらなんでも九つの子供にあの鼈妖を倒す策があるというのだろうか?
そういった表情がありありと浮かんでいる。
暫く思案したあとで静泰還は凰黎に言った。
「……では、そなたの考えを聞かせて貰おう。話次第ではお前に全て、任せよう」
* * *
「さて、問題です。私はその時なんと嶺主様に言ったと思いますか?」
それまでずっと煬鳳に語って聞かせていた凰黎が、ふと話を止め煬鳳に問いかけた。ただずっと聞くばかりでは飽いてしまうかもしれない、そういった凰黎の考えもあったのかもしれない。
煬鳳は急に問いかけられて少し驚いたが、すぐに「そうだなあ……」と言って考える。
「凰黎のことだから、きっととんでもないことを言って嶺主を黙らせたんだろ」
「何故そう思いますか?」
どこまで煬鳳が当てられるか、という期待も多少はあるのだろう。凰黎はすぐに答えを言う様子はなく、じっと煬鳳が答えるのを待っていた。
「ううん……。どこまでその鼈妖が強いのかは分からないけど、とにかく執念深いことは理解できた。灰にして土に混ぜたのに、まだしぶとく復活しようとしたところを考えると……強い破邪の力で消し去るか、おいそれと復活できないような形にしてしまうか、どっちかが良いんじゃないか。当時の嶺主が鼈妖を消し去ることができなかったわけだから、凰黎が提案するなら後者の手段だろう」
「……」
凰黎は煬鳳を見つめている。その瞳の中には少々の驚きも含まれているように煬鳳には感じられた。
「どう? 当たってるか?」
期待を込めて、煬鳳は凰黎を上目遣いに見る。絶対当たっているという自信と、当たったご褒美を期待する眼差しだ。凰黎はそんな煬鳳を愛おしそうに見つめると、耳元で囁いた。
「当たりです」
ご褒美を期待する煬鳳の頭を軽く撫で、凰黎は話の続きを語り始めた。
* * *
静泰還に向かって凰黎は整然と語る。
「嶺主様、このような方法はいかがでしょうか。あの土壁に炭を混ぜて作った墨を用いて巻物に辟邪の呪文を書き連ね、墨を使い切るまで続けます。それを霊験あらたかな寺社に納めて毎日浄化呪を唱えて頂くようお願いするのです。二重の力が働くうえに、うっかり壁に使われることもありませんから、いずれ浄化呪の力によって鼈妖は消え去ることでしょう」
その場にいた誰一人、凰黎の意見に反論することができなかった。彼以上の策を出すことができなかったからだ。
結局、静泰還が折れて鼈妖の件は凰黎に一任されることとなった。僅か九歳の少年が嶺主を説き伏せて自ら指揮を執る権利を得たことは、蓬静嶺の門弟たちを驚かせたらしい。
その夜、凰黎は塘湖月とともに壁絵の前に卓子を据え酒がめを置き、壁絵たちが動き出すのを待った。本来妖邪たちが動き出すのは夜であるから、わざわざ夜まで待つ必要はなく、日の出ているうちにカタをつけるのが好ましい。しかし、凰黎はそうはしなかった。
周囲には他の門弟たちが、凰黎の合図を待っている。
『おや、また会ったね、坊ちゃん』
壁絵の中で一番初めに声を掛けてきたのは商人風の男だ。次に現れたのは、凰黎に細かく色々教えてくれた学者の男。壁絵の学者は、凰黎の隣にいる塘湖月を見ておや、と目を開く。
『探していた旦那様は隣にいるお方かい? 酒を用意しているということは、今夜は旦那様がここで酒を飲むのかね?』
「はい、その節はお世話になりました。こちらは私の兄弟子です」
凰黎は壁絵の学者に丁寧に答えると、言葉を続ける。
「今宵は皆さまにお詫びとお願いをしにやって参りました」
『それはどうしてかね?』
「私たちは蓬静嶺よりやってきた者です。あなた方がこうして壁絵の中に魂を取り込まれてしまったのは、壁に潜む鼈妖の仕業なのです」
『なんと!』
壁絵の学者は驚いたようだったが、それでもそれほどには驚かなかった。彼ら自身、なぜ壁の中に取り込まれてしまったのか見当もつかないようだったが、薄々これは普通のことではないと気づいていたのだろう。
「今宵私たちはこの壁を砕きます。当然ながら絵も土へと還ることになります。恐らくはそれでも鼈妖を退治しない限りは、皆さまがたが救われることはありません。……ですからここでお約束します。一時的にご不便はおかけすることになりますが、いずれは必ず皆さまの魂をお救いすることを」
だからどうか、これから行うことを許してください、と凰黎は言い添える。
学者はふうむと唸ったあとで、他の仲間たちと協議を始めたが、しかしじきに凰黎の前に戻ってくると『君に全て任せることにした。我々のことをよろしく頼む』と言って頭を下げた。
――――――
[*1]鼈妖……すっぽんの妖怪
通常このようなことで嶺主を煩わすことはないのだが、なにぶん凰黎は幼く、何をするにも彼一人の判断で好きにできるわけではない。それ故に彼が自分の持つ力以上に何か行動を起こしたい時は、このように嶺主に意見を仰ぐほかなかったのだ。
「阿黎の言うことはもっともだ。宜しい。そなたに任せよう」
話を一通り聞いた静泰還は、凰黎の意見に頷く。そして次に彼は傍に控える門弟たちを見やる。
「ただし、凰黎はまだ幼い。ここは兄弟子として、そなた達が手足となり凰黎を助けてやりなさい」
「承知致しました」
そして塘湖月とその弟子たちに壁絵の人物たちの故郷へ赴くようにと命じ、また、凰黎には蓬静嶺で解決した過去の事件についての記録を収めてある保管庫への立ち入り許可を与えた。
これは決して静泰還が凰黎を優遇したのではない。彼はいつでも公平な人間で、もしも凰黎が間違ったことや独善的なことを言っていたのなら咎めていたことだろう。けれど凰黎の言葉は実に一言一言的確だったのだ。
そして、そのことは塘湖月も凰黎のこれまでの行動を見て重々承知している。だからこそ誰一人として、嶺主に対して意見を言うものはいなかったのだ。
「有り難うございます、嶺主様」
凰黎は静泰還に礼を言うと、すぐさま行動に移った。
蓬静嶺は数百年にわたる歴史ある門派であり、この辺りで起きた大概の事件の解決に関わっていることが多い。塘湖月とその弟子たちが戻ってくるまでの間に、凰黎はあることをずっと調べていた。蓬静嶺で解決した過去の事件のうち、酔香鎮に関わるもの。
三日三晩探し続けた結果、ようやく凰黎は目的の情報を見つけることができたのだが、幸運にも同じころ、塘湖月達も調査を終えて各々の町村から戻ってきた。
――それは、あの壁に絵が描かれるよりもずっと前の話。
酔香鎮が今ほど繁栄していなかった頃。ある妖邪の類が街を襲ったのだという。その時に当時の蓬静嶺嶺主がこの妖邪を退治したそうだ。
その妖邪は鼈妖といい、なかなか強力な妖邪だった。斬っただけではすぐに体を繋げて復活してしまう。厄介な存在だ。
そこで嶺主は考えた。鼈妖を粉々に砕き、その身を燃やして灰にしたのだ。そのうえで灰を土と共に練り込んで強固な封印を施した。
嶺主は鼈妖を封じた土で石碑のようなものを作り、それ以後は大きな事件が起こることは無くなったのだという。
そして塘湖月達の報告もまた、ある程度予想の範疇だった。
「壁絵の中に入っていると思われる人物は、みな亡くなっておりました」
やはりといえばやはりだが、壁絵になった者たちの体は既になく、魂だけがあの壁絵に入ったということだ。
「不可解なのは、ある日突然、昼夜関係なく――ばったり倒れたかと思うとそのまま。という様子だったそうです。苦しむ様子もなく、病気でもない。しかし調べてきた全員がそのような亡くなり方だったので少々気味が悪いですね」
亡くなった人物の名前と死亡日、理由などを書き連ねた紙を広げながら塘湖月は言う。死亡した件自体も絵が動き始めた頃から始まったとみて間違いない。
そして共通点は死亡時以外にもう一つある。
「やはり、死ぬ少し前にみな、多かれ少なかれ酔香鎮を通っているのですね……」
死んだ者たちは皆、酔香鎮に立ち寄っていた。そして早いときはその日の夜、遅いときは二日後。長さはまちまちだが、少なくとも二日後には確実に亡くなっている。
「謎が解けたようなそうでないような……」
感じた陰の気は、あの壁自体から出ているものではないか。となると予想できることは限られてくるはずだ。
だがしかし、それでも決め手に欠けるような気がして仕方がない。
「結局のところ、あの壁の人達は何なのでしょうね……」
目の前にいるのが少年だということも忘れ、塘湖月は問いかける。
「恐らく……恐らくですが。鼈妖[*1]を封じた石碑は何らかの手違いで酔香鎮の街の壁になってしまった。そして何らかの切っ掛けがあって鼈妖の封印が破られて蘇った。しかし鼈妖の体は灰となって土と共に練り込まれているため、思うようには動くことはできない。そこで……鼈妖は何らかの方法を使って人々の命を奪い、命を奪われた人々の魂は壁絵の中に残った……」
酔香鎮の人々を重点的に襲わないのは、あの壁を根城にしていることに気づかれて壁を破壊されてしまったら困るからだろう。なぜ鼈妖は復活したのか?という疑問は残るが、大方の疑問は解決したのではないか。
「鼈妖がこれ以上人を襲わせてはなりません。すぐに酔香鎮へ向かいましょう」
凰黎は塘湖月を連れて再び酔香鎮へと向かおうとした。
――のだが。
「ならぬ」
静泰還の私室で事と次第を報告し、これから酔香鎮へ向かう旨を報告した凰黎に対して、静泰還からの第一声はこの一言だった。
調査はいざ知らず、退治する必要があるならば、さすがに静泰還も黙ってはいない。壁の件を解決するよう言ったのは彼だったが、同時に「直接戦おうとはするな」とも釘を刺している。
当然、凰黎が酔香鎮に行けば鼈妖と戦おうとすることは一目瞭然だ。
「そなたが優秀であることは認める。しかし、いくらなんでも妖邪と対峙するには幼過ぎるだろう。ここから先は、我々に任せなさい」
しかし、凰黎は簡単には引き下がらない。
「お言葉を返すようですが、嶺主様はどのようにしてあの鼈妖を退治するおつもりですか。まだ本来の力を取り戻してるとはえ、相手は当時の嶺主様も手こずった相手。策無しで解決できるとは思えません」
「ならば阿黎。そなたには策があると?」
凰黎のことを買っているとはいえ、目の前の少年がここまで豪語する理由を読み取ることはできず、静泰還は俄には信じ難いという表情を見せた。
確かに凰黎は他の子供とは違う、特別な存在だ。しかし、いくらなんでも九つの子供にあの鼈妖を倒す策があるというのだろうか?
そういった表情がありありと浮かんでいる。
暫く思案したあとで静泰還は凰黎に言った。
「……では、そなたの考えを聞かせて貰おう。話次第ではお前に全て、任せよう」
* * *
「さて、問題です。私はその時なんと嶺主様に言ったと思いますか?」
それまでずっと煬鳳に語って聞かせていた凰黎が、ふと話を止め煬鳳に問いかけた。ただずっと聞くばかりでは飽いてしまうかもしれない、そういった凰黎の考えもあったのかもしれない。
煬鳳は急に問いかけられて少し驚いたが、すぐに「そうだなあ……」と言って考える。
「凰黎のことだから、きっととんでもないことを言って嶺主を黙らせたんだろ」
「何故そう思いますか?」
どこまで煬鳳が当てられるか、という期待も多少はあるのだろう。凰黎はすぐに答えを言う様子はなく、じっと煬鳳が答えるのを待っていた。
「ううん……。どこまでその鼈妖が強いのかは分からないけど、とにかく執念深いことは理解できた。灰にして土に混ぜたのに、まだしぶとく復活しようとしたところを考えると……強い破邪の力で消し去るか、おいそれと復活できないような形にしてしまうか、どっちかが良いんじゃないか。当時の嶺主が鼈妖を消し去ることができなかったわけだから、凰黎が提案するなら後者の手段だろう」
「……」
凰黎は煬鳳を見つめている。その瞳の中には少々の驚きも含まれているように煬鳳には感じられた。
「どう? 当たってるか?」
期待を込めて、煬鳳は凰黎を上目遣いに見る。絶対当たっているという自信と、当たったご褒美を期待する眼差しだ。凰黎はそんな煬鳳を愛おしそうに見つめると、耳元で囁いた。
「当たりです」
ご褒美を期待する煬鳳の頭を軽く撫で、凰黎は話の続きを語り始めた。
* * *
静泰還に向かって凰黎は整然と語る。
「嶺主様、このような方法はいかがでしょうか。あの土壁に炭を混ぜて作った墨を用いて巻物に辟邪の呪文を書き連ね、墨を使い切るまで続けます。それを霊験あらたかな寺社に納めて毎日浄化呪を唱えて頂くようお願いするのです。二重の力が働くうえに、うっかり壁に使われることもありませんから、いずれ浄化呪の力によって鼈妖は消え去ることでしょう」
その場にいた誰一人、凰黎の意見に反論することができなかった。彼以上の策を出すことができなかったからだ。
結局、静泰還が折れて鼈妖の件は凰黎に一任されることとなった。僅か九歳の少年が嶺主を説き伏せて自ら指揮を執る権利を得たことは、蓬静嶺の門弟たちを驚かせたらしい。
その夜、凰黎は塘湖月とともに壁絵の前に卓子を据え酒がめを置き、壁絵たちが動き出すのを待った。本来妖邪たちが動き出すのは夜であるから、わざわざ夜まで待つ必要はなく、日の出ているうちにカタをつけるのが好ましい。しかし、凰黎はそうはしなかった。
周囲には他の門弟たちが、凰黎の合図を待っている。
『おや、また会ったね、坊ちゃん』
壁絵の中で一番初めに声を掛けてきたのは商人風の男だ。次に現れたのは、凰黎に細かく色々教えてくれた学者の男。壁絵の学者は、凰黎の隣にいる塘湖月を見ておや、と目を開く。
『探していた旦那様は隣にいるお方かい? 酒を用意しているということは、今夜は旦那様がここで酒を飲むのかね?』
「はい、その節はお世話になりました。こちらは私の兄弟子です」
凰黎は壁絵の学者に丁寧に答えると、言葉を続ける。
「今宵は皆さまにお詫びとお願いをしにやって参りました」
『それはどうしてかね?』
「私たちは蓬静嶺よりやってきた者です。あなた方がこうして壁絵の中に魂を取り込まれてしまったのは、壁に潜む鼈妖の仕業なのです」
『なんと!』
壁絵の学者は驚いたようだったが、それでもそれほどには驚かなかった。彼ら自身、なぜ壁の中に取り込まれてしまったのか見当もつかないようだったが、薄々これは普通のことではないと気づいていたのだろう。
「今宵私たちはこの壁を砕きます。当然ながら絵も土へと還ることになります。恐らくはそれでも鼈妖を退治しない限りは、皆さまがたが救われることはありません。……ですからここでお約束します。一時的にご不便はおかけすることになりますが、いずれは必ず皆さまの魂をお救いすることを」
だからどうか、これから行うことを許してください、と凰黎は言い添える。
学者はふうむと唸ったあとで、他の仲間たちと協議を始めたが、しかしじきに凰黎の前に戻ってくると『君に全て任せることにした。我々のことをよろしく頼む』と言って頭を下げた。
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[*1]鼈妖……すっぽんの妖怪
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