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短編②蒸し餅の恩返し
018:一宿一飯(三)
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金夫妻が建てたという小さな祠廟。何を祀っているのかというと「誰かは分からないがご先祖を祀っている」というものだった。小さな祠廟だが、しっかりとした造りをしていて、こんな辺鄙な村には不釣り合いなほど。それもこれも金夫妻の財力と信心があってのもの――だと今までは思われていた。
「この祠廟を作ったのは一年前。事件が起こり始めたのはそれから暫くしてからだ。……確か最初はたまたま死んだ男で賄えないかと考えていたようだから、時期も一致するだろう」
つまり、金夫妻の息子は祠廟を作る少し前に亡くなっていたのだ。未だに殆どの者たちが息子の死を知らないまま。そう考えるとなんだか切なさがこみあげてくる。
祠廟の周りをざっと観察すると、重厚な門の奥に固く閉ざされた扉が見える。(普通に考えればあの奥に息子の死体を祀ったりしそうなもんだけど……)
しかし、いくら息子の死体を隠すため、祈るためとはいえそんな堂々とした事をするものだろうか。煬鳳は考える。
ぐるりと周りを見渡せば祠廟の周りには石畳が敷かれており、草陰に隠れていて見つけ難くはなっているものの一部分だけ大きさが異なる場所がある。
「えっ、もしかしてこの下から棺を掘り返すんですか!?」
暫く祠廟の足元を見ていた仲眠が、ぎょっとした顔で振り返る。
「まあそうだな。もしかしたら掘ったほうがいいかもな」
「ぼ、僕は嫌ですよ!? 墓荒らしみたいなことするの……」
「別に金目のものが入ってるわけじゃないだろ」
「嫌ですよ! 怖いじゃないですか!」
後退るように離れていく仲眠を見ながら煬鳳は溜め息をつく。
「安心しろ。幸い祠廟には地下への隠し階段があるみたいだ。多分、そこに棺はあると思う」
そう言うと、先程の怪しげな石畳を指差した。
二人が石畳を外して地下室に踏み込むと、広いとも狭いとも言い難い広さの空間が広がっていた。中にはぽつんと棺があるだけだ。ここまでの広さは必要ない気がするが、大は小を兼ねるともいうからそういった意味合いがあったのかもしれない。地下室の中は湿っぽく生臭い臭いが充満している、長い時間滞在することは無理だろう。
二人がかりで棺を開けた仲眠だったが、中身を見るや否や真っ青な顔で部屋の隅に走り出すと堪らず吐瀉してしまった。煬鳳はある程度予想はしていたので口元を手巾で覆っている。それでも当然ながら異臭は抑えきれるようなものでもない。
(案の定、思った通りだな)
棺の中には肉片の付いた骨しか残っていなかった。さながら――誰かが食い散らかしたように見える。
まるで、獣か何か恐ろしいものに食われたような。
未だえずきながらも仲眠はヨタヨタと煬鳳の背後に辛うじてしがみ付く。離れることへの不安と恐怖から、なるべく傍にいたほうが良いと判断したのだろう。
「や、煬さん。一体どういうことなんですか? なぜ彼の死体はこんなひどい状態に……」
その後すぐに先ほどの棺の様子を思い出したのか、慌てて顔を背けると再び仲眠は口元を手で覆い隠す。普通の人間なら腰を抜かすか、すぐさま地上に逃げるだろうに仲眠はなかなか肝が据わっている。素直に煬鳳は感心した。
「見ての通り、食われたのさ。金夫妻をだまして男たちを殺させた奴にな」
「なんだって!? それ、誰なんですか!?」
「金夫妻の息子を生き返らせるなんてのは嘘っぱちで、うまいこと言ってあの夫婦に死体を持ってこさせたってことだ。……だっておかしいだろ。普通に死んだ死体も駄目、同じ年頃の男を既に五人も殺してるのにまだ生き返らない」
煬鳳は鼻と口を手巾で押さえながら空いている片方の手で、棺の蓋を乱暴に放り上げて蓋をする。こうでもしないと臭いがきつすぎて話を続けることが耐え難いからだ。もっと乾燥した場所なら良かったのだろうが、皮肉にもここはじめじめしてあまり良い環境ではなかったらしい。
「何よりも、いま見た通り夫妻の息子の死体自体が何者かによって食い荒らされている。つまり――生き返るって話はただの口実で、この話をでっちあげたやつは単純に死体が喰いたかっただけってことさ」
「それって一体何者なんですか!?」
「落ち着け仲眠。そいつは――」
言いかけて煬鳳は仲眠を抱えると石床に転がった。頭上を何かが掠めていったことだけは仲眠にも辛うじて分かったようだ。声にならない叫びをあげながら、必死で煬鳳にしがみ付いている。煬鳳はしっかりと仲眠の首根っこを捕まえ、襲い来る影をひらりとかわす。
「戦うにもここじゃ狭すぎる。……仲眠、そのまま絶対離れるなよ! 黒曜!」
煬鳳が天井に向かって手を翳した瞬間、激しく天井が砕け散った。
冬空の星々が顔を出し、小さな煌めきが降り注ぐ。
仲眠は大きな鳥の背から降ろされてもまだ現実を受け入れられないらしい。信じられないという目で目の前の黒い鳥を凝視している。
黒曜と呼ばれた黒い鳥は人一人より少しばかり大きく、煬鳳と仲眠を乗せてあの地下室の天井を粉々に砕いたのだ。艶やかな黒い羽は燃えているかのように揺らめいていて、仄かに紫の光を放っている。
「そんな驚くようなもんでもないさ。こいつはほら、あの光る珠だよ。お前も見ただろ?」
驚きのあまり言葉も発しない仲眠を見て煬鳳が笑う。しかし次の瞬間には厳しい表情で振り返った。
「死体を食う妖邪か。随分と悪知恵が働くもんだな」
目の前には一体の妖邪が立っている。窪んだ眼の奥にギラリと光る赤い光。頬はこけ体は骨と皮だけに見えるが、随所は不自然なほど筋肉が盛り上がっている。
『なに、食うのは死体だけとは限らない。生きた人間を喰うのも久しぶりだ。さぞ美味かろうな』
「面白いことを言ってくれるな。誰に向かって言ってるんだ? 本気でそんなことができるとでも思ってるのか?」
『たわけ! 小僧が!』
煬鳳は仲眠を後ろに下がらせると、妖邪の攻撃を軽くいなした。妖邪が一声雄叫びをあげれば、地中から魑魅魍魎が顔を出す。
「うわっ、なんだあれ!?」
「深く考えると嫌になるから、気にしないでおけ」
説明してもきっと仲眠が後悔するだけだろうと踏んで、煬鳳は投げやりにそう言ってやった。とはいえ、頭数を揃えるだけにしても敵が多いのは面倒だ。
「黒曜、全て燃やし尽くしてやれ!」
煬鳳の号令で黒曜が鬼たちに飛び掛かる。黒曜を包む黒い炎は、魑魅魍魎たちをあっという間に飲み込んで灰塵へと変える。それを見て煬鳳はハッと気づき、慌てて黒曜に呼びかけた。
「あっと黒曜! 親玉のは喰ったら駄目だ。こいつは……」
言い終わる前に煬鳳は飛び出すと、抜き放つ剣で妖邪を真っ二つに斬り捨てた。
「全部消えたら妖邪の仕業だって誰にも分からなくなるからな。関係者には一応見せておかないと」
曇り一つない剣を鞘に戻すと二つになった妖邪の死骸に目を向ける。大した強さでもなかったが、思いのほか金夫妻をうまいこと操って、調子に乗っていたのだろうか。勢いづいた割には呆気の無い最期だった。
「きゃあああ! 一体これはどういうことなの!?」
騒ぎに気づいたのか、金夫妻が使用人と連れ立って祠廟にやってきたらしい。祠廟の惨状を見て気が動転してしまったらしく、金夫人は妖邪の死骸の前でへたり込んでしまった。
仲眠が金夫妻に何か言おうとしたのだが、煬鳳はそれを手で制す。というのも、今の状態で彼が何か言おうものなら憎悪が彼に向く可能性もあるからだ。
煬鳳は慎重に言葉を選びながら、夫妻に語る。
「この鬼が死んだ息子のふりをして、あんたたちに夢を見せただけだ。あんたたち夫婦を騙して、死体を食ってたんだよ、この妖邪は。気の毒だけど、大切な息子の死体もこいつに食われちまった」
金夫妻はそれでも煬鳳の言葉を信じることができず、妖邪の死骸を前に呆然としたままだった。
仲眠の背をそっと押し、「行こう」と煬鳳は合図する。
煬鳳と仲眠の二人が祠廟をあとにして暫くのあと、男女の絶叫が風の音に紛れて煬鳳たちの耳に届いた。
* * *
夜が明けじきに村は大騒ぎになった。妖邪の死骸と金夫妻の亡骸。それに――棺に入った何者かの骨が一気に発見されたからだ。
どうやら金夫妻は耐え難い悲しみと、五人も殺めた自責の念に堪え切れず、喉を掻き切って死んでしまったらしい。屋敷に行ってみれば使用人たちの姿はどこにも見当たらなかったし、金夫妻の屋敷からはありったけの金品が持ち去られていたそうだ。
「嫌なことを手伝わされていたとはいえ、まさか金品を持って村を逃げ出してしまうなんて……」
見送りの道すがら、仲眠がなんとも信じ難いとばかりの声で言った。
あのあと仲眠に連れられて煬鳳は彼の家に一晩世話になった。朝には彼の母親から気持ちばかりの質素な朝餉もご馳走になった。さほど裕福な家ではないだろうに、なんだか申し訳ない気持ちさえしてしまう。
「どうせこのまま村にいたって、下手すりゃ一蓮托生で罪に問われる可能性だってある。そうなったら死罪だって十分あり得る話だろう。なら、少しでも資金をもって村から逃げ出した方がましだ。きっとそう思ったんだろうな」
金夫妻を甘言で唆した鬼は退治された。しかし結局金夫妻は命を絶ってしまった。人の良い仲眠はそれが気の毒で仕方なかったのだろうし、自分のせいで、という思いもあったのかもしれない。
煬鳳は仲眠に、かけてあげられる言葉がないものだろうかと考えたが、結局見つからず仕舞いだった。
「でも……」
仲眠が言う。
「金おじさんとおばさんは、大切な一人息子を亡くし甘い言葉にだまされて何人も人を殺してしまった。昨日の一件がなかったとしても、いずれは同じ結末を辿っていたような気がします。とても悲しいことだけど……あっ、でも!」
突然、仲眠が大きな声を出したので煬鳳は驚いて彼の顔を見た。仲眠は妙に緊張した面持ちで煬鳳のことを凝視している。
はて、一体どうしたのか?
そう思った瞬間、仲眠が地面に手と頭をつけたのだ。
これには驚いて煬鳳は目を丸くする。
「玄烏門の黒鳳君さま。貴方と出会わなかったら、僕は今日の朝日を見ることなく金おじさんたちに殺されていたことでしょう。それに、先に死んだ者たちの無念も晴れたと思います。今回の事件を解決して下さって、有り難うございました。そして、何の御礼もできない僕を、どうかお許し下さい」
突然畏まってそう言った仲眠の姿に、思わず煬鳳は噴き出した。
「なんだ、気づいてたのか」
「はい、昨日の戦いを見てすぐ。だって黒い鳳凰を操るなんて、もう貴方の他にいないじゃないですか」
「それもそっか」
二人で顔を見合わせ、笑いあう。気づけば煬鳳の袖口から黒曜がひょっこり顔を出し『クエェ』と鳴いていた。煬鳳は黒曜を袖の中にそっと戻すと仲眠を見る。
「まっ、また困ったことがあったら呼んでくれよ。いま、広まりすぎた悪評を払しょくするために真面目に人助けしようと頑張ってるところだからさ。……あ、勿論無料で」
「いいんですか、無料で」
「いいんだよ。それくらいしないと一度地に落ちた評判はなかなか上がらないからな」
そう言って煬鳳は歩き出す。
「煬さま、有り難うございました!」
背中から聞こえる仲眠の声に、ひらひらと手を振って煬鳳は別れを告げた。
* * *
――とまあ、格好つけて去ったは良いのだが、奮発して力を使いすぎて体温が上昇してしまい、止むを得ず小屋に帰る前に湖に立ち寄った。
そこを運悪く凰黎に見つかってしまったというわけだ。
「この祠廟を作ったのは一年前。事件が起こり始めたのはそれから暫くしてからだ。……確か最初はたまたま死んだ男で賄えないかと考えていたようだから、時期も一致するだろう」
つまり、金夫妻の息子は祠廟を作る少し前に亡くなっていたのだ。未だに殆どの者たちが息子の死を知らないまま。そう考えるとなんだか切なさがこみあげてくる。
祠廟の周りをざっと観察すると、重厚な門の奥に固く閉ざされた扉が見える。(普通に考えればあの奥に息子の死体を祀ったりしそうなもんだけど……)
しかし、いくら息子の死体を隠すため、祈るためとはいえそんな堂々とした事をするものだろうか。煬鳳は考える。
ぐるりと周りを見渡せば祠廟の周りには石畳が敷かれており、草陰に隠れていて見つけ難くはなっているものの一部分だけ大きさが異なる場所がある。
「えっ、もしかしてこの下から棺を掘り返すんですか!?」
暫く祠廟の足元を見ていた仲眠が、ぎょっとした顔で振り返る。
「まあそうだな。もしかしたら掘ったほうがいいかもな」
「ぼ、僕は嫌ですよ!? 墓荒らしみたいなことするの……」
「別に金目のものが入ってるわけじゃないだろ」
「嫌ですよ! 怖いじゃないですか!」
後退るように離れていく仲眠を見ながら煬鳳は溜め息をつく。
「安心しろ。幸い祠廟には地下への隠し階段があるみたいだ。多分、そこに棺はあると思う」
そう言うと、先程の怪しげな石畳を指差した。
二人が石畳を外して地下室に踏み込むと、広いとも狭いとも言い難い広さの空間が広がっていた。中にはぽつんと棺があるだけだ。ここまでの広さは必要ない気がするが、大は小を兼ねるともいうからそういった意味合いがあったのかもしれない。地下室の中は湿っぽく生臭い臭いが充満している、長い時間滞在することは無理だろう。
二人がかりで棺を開けた仲眠だったが、中身を見るや否や真っ青な顔で部屋の隅に走り出すと堪らず吐瀉してしまった。煬鳳はある程度予想はしていたので口元を手巾で覆っている。それでも当然ながら異臭は抑えきれるようなものでもない。
(案の定、思った通りだな)
棺の中には肉片の付いた骨しか残っていなかった。さながら――誰かが食い散らかしたように見える。
まるで、獣か何か恐ろしいものに食われたような。
未だえずきながらも仲眠はヨタヨタと煬鳳の背後に辛うじてしがみ付く。離れることへの不安と恐怖から、なるべく傍にいたほうが良いと判断したのだろう。
「や、煬さん。一体どういうことなんですか? なぜ彼の死体はこんなひどい状態に……」
その後すぐに先ほどの棺の様子を思い出したのか、慌てて顔を背けると再び仲眠は口元を手で覆い隠す。普通の人間なら腰を抜かすか、すぐさま地上に逃げるだろうに仲眠はなかなか肝が据わっている。素直に煬鳳は感心した。
「見ての通り、食われたのさ。金夫妻をだまして男たちを殺させた奴にな」
「なんだって!? それ、誰なんですか!?」
「金夫妻の息子を生き返らせるなんてのは嘘っぱちで、うまいこと言ってあの夫婦に死体を持ってこさせたってことだ。……だっておかしいだろ。普通に死んだ死体も駄目、同じ年頃の男を既に五人も殺してるのにまだ生き返らない」
煬鳳は鼻と口を手巾で押さえながら空いている片方の手で、棺の蓋を乱暴に放り上げて蓋をする。こうでもしないと臭いがきつすぎて話を続けることが耐え難いからだ。もっと乾燥した場所なら良かったのだろうが、皮肉にもここはじめじめしてあまり良い環境ではなかったらしい。
「何よりも、いま見た通り夫妻の息子の死体自体が何者かによって食い荒らされている。つまり――生き返るって話はただの口実で、この話をでっちあげたやつは単純に死体が喰いたかっただけってことさ」
「それって一体何者なんですか!?」
「落ち着け仲眠。そいつは――」
言いかけて煬鳳は仲眠を抱えると石床に転がった。頭上を何かが掠めていったことだけは仲眠にも辛うじて分かったようだ。声にならない叫びをあげながら、必死で煬鳳にしがみ付いている。煬鳳はしっかりと仲眠の首根っこを捕まえ、襲い来る影をひらりとかわす。
「戦うにもここじゃ狭すぎる。……仲眠、そのまま絶対離れるなよ! 黒曜!」
煬鳳が天井に向かって手を翳した瞬間、激しく天井が砕け散った。
冬空の星々が顔を出し、小さな煌めきが降り注ぐ。
仲眠は大きな鳥の背から降ろされてもまだ現実を受け入れられないらしい。信じられないという目で目の前の黒い鳥を凝視している。
黒曜と呼ばれた黒い鳥は人一人より少しばかり大きく、煬鳳と仲眠を乗せてあの地下室の天井を粉々に砕いたのだ。艶やかな黒い羽は燃えているかのように揺らめいていて、仄かに紫の光を放っている。
「そんな驚くようなもんでもないさ。こいつはほら、あの光る珠だよ。お前も見ただろ?」
驚きのあまり言葉も発しない仲眠を見て煬鳳が笑う。しかし次の瞬間には厳しい表情で振り返った。
「死体を食う妖邪か。随分と悪知恵が働くもんだな」
目の前には一体の妖邪が立っている。窪んだ眼の奥にギラリと光る赤い光。頬はこけ体は骨と皮だけに見えるが、随所は不自然なほど筋肉が盛り上がっている。
『なに、食うのは死体だけとは限らない。生きた人間を喰うのも久しぶりだ。さぞ美味かろうな』
「面白いことを言ってくれるな。誰に向かって言ってるんだ? 本気でそんなことができるとでも思ってるのか?」
『たわけ! 小僧が!』
煬鳳は仲眠を後ろに下がらせると、妖邪の攻撃を軽くいなした。妖邪が一声雄叫びをあげれば、地中から魑魅魍魎が顔を出す。
「うわっ、なんだあれ!?」
「深く考えると嫌になるから、気にしないでおけ」
説明してもきっと仲眠が後悔するだけだろうと踏んで、煬鳳は投げやりにそう言ってやった。とはいえ、頭数を揃えるだけにしても敵が多いのは面倒だ。
「黒曜、全て燃やし尽くしてやれ!」
煬鳳の号令で黒曜が鬼たちに飛び掛かる。黒曜を包む黒い炎は、魑魅魍魎たちをあっという間に飲み込んで灰塵へと変える。それを見て煬鳳はハッと気づき、慌てて黒曜に呼びかけた。
「あっと黒曜! 親玉のは喰ったら駄目だ。こいつは……」
言い終わる前に煬鳳は飛び出すと、抜き放つ剣で妖邪を真っ二つに斬り捨てた。
「全部消えたら妖邪の仕業だって誰にも分からなくなるからな。関係者には一応見せておかないと」
曇り一つない剣を鞘に戻すと二つになった妖邪の死骸に目を向ける。大した強さでもなかったが、思いのほか金夫妻をうまいこと操って、調子に乗っていたのだろうか。勢いづいた割には呆気の無い最期だった。
「きゃあああ! 一体これはどういうことなの!?」
騒ぎに気づいたのか、金夫妻が使用人と連れ立って祠廟にやってきたらしい。祠廟の惨状を見て気が動転してしまったらしく、金夫人は妖邪の死骸の前でへたり込んでしまった。
仲眠が金夫妻に何か言おうとしたのだが、煬鳳はそれを手で制す。というのも、今の状態で彼が何か言おうものなら憎悪が彼に向く可能性もあるからだ。
煬鳳は慎重に言葉を選びながら、夫妻に語る。
「この鬼が死んだ息子のふりをして、あんたたちに夢を見せただけだ。あんたたち夫婦を騙して、死体を食ってたんだよ、この妖邪は。気の毒だけど、大切な息子の死体もこいつに食われちまった」
金夫妻はそれでも煬鳳の言葉を信じることができず、妖邪の死骸を前に呆然としたままだった。
仲眠の背をそっと押し、「行こう」と煬鳳は合図する。
煬鳳と仲眠の二人が祠廟をあとにして暫くのあと、男女の絶叫が風の音に紛れて煬鳳たちの耳に届いた。
* * *
夜が明けじきに村は大騒ぎになった。妖邪の死骸と金夫妻の亡骸。それに――棺に入った何者かの骨が一気に発見されたからだ。
どうやら金夫妻は耐え難い悲しみと、五人も殺めた自責の念に堪え切れず、喉を掻き切って死んでしまったらしい。屋敷に行ってみれば使用人たちの姿はどこにも見当たらなかったし、金夫妻の屋敷からはありったけの金品が持ち去られていたそうだ。
「嫌なことを手伝わされていたとはいえ、まさか金品を持って村を逃げ出してしまうなんて……」
見送りの道すがら、仲眠がなんとも信じ難いとばかりの声で言った。
あのあと仲眠に連れられて煬鳳は彼の家に一晩世話になった。朝には彼の母親から気持ちばかりの質素な朝餉もご馳走になった。さほど裕福な家ではないだろうに、なんだか申し訳ない気持ちさえしてしまう。
「どうせこのまま村にいたって、下手すりゃ一蓮托生で罪に問われる可能性だってある。そうなったら死罪だって十分あり得る話だろう。なら、少しでも資金をもって村から逃げ出した方がましだ。きっとそう思ったんだろうな」
金夫妻を甘言で唆した鬼は退治された。しかし結局金夫妻は命を絶ってしまった。人の良い仲眠はそれが気の毒で仕方なかったのだろうし、自分のせいで、という思いもあったのかもしれない。
煬鳳は仲眠に、かけてあげられる言葉がないものだろうかと考えたが、結局見つからず仕舞いだった。
「でも……」
仲眠が言う。
「金おじさんとおばさんは、大切な一人息子を亡くし甘い言葉にだまされて何人も人を殺してしまった。昨日の一件がなかったとしても、いずれは同じ結末を辿っていたような気がします。とても悲しいことだけど……あっ、でも!」
突然、仲眠が大きな声を出したので煬鳳は驚いて彼の顔を見た。仲眠は妙に緊張した面持ちで煬鳳のことを凝視している。
はて、一体どうしたのか?
そう思った瞬間、仲眠が地面に手と頭をつけたのだ。
これには驚いて煬鳳は目を丸くする。
「玄烏門の黒鳳君さま。貴方と出会わなかったら、僕は今日の朝日を見ることなく金おじさんたちに殺されていたことでしょう。それに、先に死んだ者たちの無念も晴れたと思います。今回の事件を解決して下さって、有り難うございました。そして、何の御礼もできない僕を、どうかお許し下さい」
突然畏まってそう言った仲眠の姿に、思わず煬鳳は噴き出した。
「なんだ、気づいてたのか」
「はい、昨日の戦いを見てすぐ。だって黒い鳳凰を操るなんて、もう貴方の他にいないじゃないですか」
「それもそっか」
二人で顔を見合わせ、笑いあう。気づけば煬鳳の袖口から黒曜がひょっこり顔を出し『クエェ』と鳴いていた。煬鳳は黒曜を袖の中にそっと戻すと仲眠を見る。
「まっ、また困ったことがあったら呼んでくれよ。いま、広まりすぎた悪評を払しょくするために真面目に人助けしようと頑張ってるところだからさ。……あ、勿論無料で」
「いいんですか、無料で」
「いいんだよ。それくらいしないと一度地に落ちた評判はなかなか上がらないからな」
そう言って煬鳳は歩き出す。
「煬さま、有り難うございました!」
背中から聞こえる仲眠の声に、ひらひらと手を振って煬鳳は別れを告げた。
* * *
――とまあ、格好つけて去ったは良いのだが、奮発して力を使いすぎて体温が上昇してしまい、止むを得ず小屋に帰る前に湖に立ち寄った。
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