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短編①門派を追放されたらライバルが溺愛してきました。

014:寤寐思服(二)

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「ふう。結構頑張ったな」

 小屋に戻り卓子の上に果実や山菜を乗せると、ごろごろと木の実が転がった。収穫は上々で、予想以上に様々ものを持ち帰ることができたのだ。
 これなら普段から山で食べられそうなものを採ってくれば、少しは自分でも役に立てるだろうか。
 そんなことを考えながら、煬鳳ヤンフォンは食事の支度を始めることにした。
 水を汲み湯を沸かし、粟を入れて山菜を入れただけ。凰黎ホワンリィが作っていたときはもっと美味しそうだったのだが……何が違うのか全く分からない。

 そういえば初めてここで出されたのも粥だったなと思い出し、口元が緩む。あの時食べた粥は、身体だけではなく冷え切った煬鳳ヤンフォンの心も温めてくれたのだ。門派全ての弟子たちに反旗を翻されて孤独だった心を埋めてくれた。それからもずっと、凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンを一人にはしなかった。
 それがどれほど有り難いことだったのか、今ならよく分かる。

(こんな出来栄えで喜んでくれるのかな……)

 目の前にあるのはお世辞にも料理とは言い難い出来栄えのものだ。正直にいって、食べられるのかも怪しい限り。

「これで凰黎ホワンリィが怒ったら目も当てられないな」

 いっそ作ったものは無かったことにして、捨ててしまおうか。
 そんなことを考えていたときだ。
 激しく小屋の扉を叩く音が響き、煬鳳ヤンフォンは身を固くする。

(なんだ?)

 戸を叩く音は荒々しく、およそ凰黎ホワンリィや客人などではないことが窺い知れる。

(もしかして、また昨日の奴らが……)

 凰黎ホワンリィは今、玄烏門げんうもんに行っているのだ。もしも昨日の奴らが来たのならば煬鳳ヤンフォン一人で戦うしかない。しかし、聞こえる声は一人二人ではなく、明らかにもっと沢山の声がするのだ。もしもその声全てが煬鳳ヤンフォンに敵意あるものならば、己の命もここまでだろう。勝ち目などあるはずがない。
 どうするか――傍に置いてあった太い薪木を手に取ろうとした瞬間に声は響く。

ヤン殿!? 煬昧梵ヤンメイファン殿はおられませんか!?」
「えっ!?」

 声の主は凰黎ホワンリィではない。にもかかわらず、煬鳳ヤンフォンの名を呼ぶ扉の向こうの人物に煬鳳ヤンフォンは驚いた。

「大変です、ホワン様が……!」
凰黎ホワンリィがどうしたんだ!?」

 凰黎ホワンリィの名を聞いた瞬間、思わず煬鳳ヤンフォンは扉を開けて飛び出した。扉の前には礼儀正しそうな青年が焦りの表情を浮かべ立っている。

「えっと……あんたは?」
「も、申し遅れました! 私はホワン様から日々教えを賜っております、善瀧シャンロンという者にございます。ヤン殿が力を失われたことを知っている者は、蓬静嶺の中でも私含めて数人のみですので御安心ください」

 善瀧シャンロンと名乗った青年は姿勢を整えると煬鳳ヤンフォンに丁寧に頭を下げる。煬鳳ヤンフォンより幾分か年下なのだろうが礼儀を弁えていて、凰黎ホワンリィの愛弟子というのも頷ける。きっと幼い頃よりきちんと凰黎ホワンリィの下で教えを受け修業に励んでいたのだろう。

「それで、実はホワン様はヤン殿の力を戻して頂くために玄烏門げんうもんに赴いたのですが」
「何かあったのか?」

 善瀧シャンロンは沈痛な面持ちで頷く。よほど悪いことなのか、顔色も悪い。
 知らず知らずのうちに、煬鳳ヤンフォンは手を強く握りしめていた。

玄烏門げんうもんホワン様の願いに聞く耳を持たないどころか、あらぬ疑いをかけてきて……。ヤン殿と結託して玄烏門げんうもんに復讐をしようと企ててると決めつけて、ホワン様を拘束してしまったのです!」
「なんだって!?」

 いくらなんでも無茶だ。仮にも凰黎ホワンリィ蓬静嶺ほうせいりょうの現嶺主りょうしゅ代理、おいそれとでっちあげでどうこうしていい相手とは違う。煬鳳ヤンフォンのように同じ門派同士の内輪もめならいざ知らず、他派にまで手を出せば門派同士の正面衝突にもなりかねないのだ。

凰黎ホワンリィはまだ玄烏門げんうもんにいるのか?」
「はい、おそらくは」
「なら今すぐ玄烏門げんうもんに行くぞ! ついて来い!」

 煬鳳ヤンフォンは躊躇いなく走り出す。少なくとも玄烏門げんうもんならついぞこの前まで自由に出入りしていた場所だ。道なら迷わず覚えている。

(問題は山門を通して貰えるかだが……)

 気づかれぬように入るのは無理だ。しかし行けば何か方法が見つかるかもしれない。
 あとから追いかけてきた善瀧シャンロンに追い越されそうになりながらも、煬鳳ヤンフォンは懸命にかつての居場所に向かって、走り続けた。

    * * *

 玄烏門げんうもんは険しい岩山に山門を構える。緩やかな山間にある蓬静嶺ほうせいりょうとは雲泥の差だ。門派を例えるときも蓬静嶺ほうせいりょうは大概美しいものや雅な表現なのに対して、玄烏門げんうもんは粗暴や乱暴、山賊など。もはや悪口といっても差し支えはないくらいだろう。
 さらに言うならば、二つの門派の他にも近隣の門派がいくつかあるのだが、いずれも評判は悪くはなく玄烏門げんうもんほど酷い例えをされることはない。

 ――もう一度この場所に来るとは思わなかった。

 幼い頃より見慣れた場所を前にして煬鳳ヤンフォンは息を飲んだ。入り口は門弟たちが守っている。自分はつい少し前にここから追放されたのだ。味方は一人とていなかった。ゆえに今、煬鳳ヤンフォンが姿を現せばどうなるか、想像に難くない。

凰黎ホワンリィをどうやったら助け出すことができるのか……)

 運よく忍び込めたとして、手負いの凰黎ホワンリィを無力な煬鳳ヤンフォンが無事に救い出せるのかといえば難しいだろう。
 しかし、もしも仮に凰黎ホワンリィを助けるならば、一つだけ方法はある。
 それは……。

善瀧シャンロン、といったか?」
「はっ、はい!」

 背後から見守る善瀧シャンロンに振り返る。彼の実力は凰黎ホワンリィには及ばずとも相当なものだろう。それなのに、力ずくで凰黎ホワンリィを助け出そうとしないのは、凰黎ホワンリィが人質であると同義だからだ。
 しかし、それも暫くのあいだだけ。
 もしも本気で玄烏門げんうもん凰黎ホワンリィをどうにかしようものなら、玄烏門げんうもん蓬静嶺ほうせいりょうのどちらかが屈するまで激しい戦いになるはずだ。いくらなんでもそれは避けたいと煬鳳ヤンフォンは考える。夜真イエチェンたちだって馬鹿ではない。その程度のことは理解している筈だろう。

「どうにかして玄烏門げんうもんの領域の中に入りたい。お前、あいつらの気を引くことができるか?」

 善瀧シャンロン煬鳳ヤンフォンの言葉に少しだけ躊躇いを見せる。彼は煬鳳ヤンフォンが無力だと知っているからだ。

「気を引くくらいなら可能です。しかし、山門に入れば直ぐに侵入者があったことに気づかれてしまうでしょう」

 当然それも分かっている。何せ己はこの場所で育ったのだから。

「それでも構わない。俺はここで育ったんだ。入りさえすれば奥に行く方法なんかいくらでも知ってるしな」

 暫し考えたあとで善瀧シャンロン煬鳳ヤンフォンの手を取ると頷く。
 ようやく彼も覚悟を決めたらしい。

「……分かりました。それでは、私があの者たちをかく乱します。できる限り、最大限に。ヤン殿はくれぐれもお気をつけて」
「分かった。感謝する」
「では……どうかお気をつけて!」

 言うや否や善瀧シャンロンは走り出す。いつの間にか握られた霊剣を振りかぶると、辺りに激震が走った。

「いや、確かに気を引くって頼んだけど……。かなり派手にやったな」

 煬鳳ヤンフォンとしては、適当に話しかけでもしてくれればそれで良かったのだが、善瀧シャンロンはできるだけ煬鳳ヤンフォンが進みやすいようにしようと考えてくれたらしい。願わくば彼の行動によって、あとから蓬静嶺ほうせいりょうが言いがかりをつけられないことを祈りたいが……。そもそも嶺主りょうしゅを拘束すること自体が異常だろう。

(頼んだぞ!)

 立ち込める砂煙に紛れて煬鳳ヤンフォンは山門を突破する。暫くすれば門弟たちが侵入者に気づくだろう、それまでにできるだけ奥へ進みたい。

凰黎ホワンリィは拘束されていると言ったけど……」

 恐らく、いま彼の代わりを務めているのは煬鳳ヤンフォンを追放した夜真イエチェンだろう。彼が凰黎ホワンリィをどのような扱いにするか、煬鳳ヤンフォンには分からない。しかし善瀧シャンロンが小屋にやってきてからそう時間は経っていないことを考えれば、まだ遅くはないはずだ。
 かつてここで暮らしていた記憶を頼りに、煬鳳ヤンフォンはかつて自身がいた場所へと向かった。

凰黎ホワンリィ!」

 夜真イエチェンの前に跪かされ、両側から門弟に押さえつけられている凰黎ホワンリィの姿を見た煬鳳ヤンフォンは、自身が隠れていたことも忘れて凰黎ホワンリィの元へと駆け寄ろうとした。

煬鳳ヤンフォン! 来ては駄目です!」

 凰黎ホワンリィの制止も聞かず、取り押さえようとした門弟たちをギリギリでかわすと、煬鳳ヤンフォンは膝をつき凰黎ホワンリィを抱きしめる。

凰黎ホワンリィ!」

 凰黎ホワンリィは傷だらけだ。かつて彼と何度も剣を交えたときでさえ、こんなにボロボロの彼の姿を見たことはなかった。

「酷い傷だ……。俺のせいで、本当に済まない」

 泥と血のついた凰黎ホワンリィの頬をそっと手で拭う。自分のせいで凰黎ホワンリィがこのような姿になったと思うと申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。

夜真イエチェン……」

 煬鳳ヤンフォン夜真イエチェンに向き直ると、頭を地面に擦り付けた。

「何の真似だ。煬昧梵ヤンメイファン

 煬鳳ヤンフォンは声を絞り出し、懇願する。

凰黎ホワンリィは行き倒れていた俺を助けてくれたただけなんだ。それ以外は何も関係ない。頼む、夜真イエチェン凰黎ホワンリィは帰してやってくれ」
「何を根拠にその話を信じるという? できないならば無理だ。それに、元はと言えばこいつがお前の力を戻せなどと申し立ててきたから、痛めつけたまで」

 煬鳳ヤンフォンは衝撃を受けた。
 己が追放される前まで、夜真イエチェンとはそれなりに信頼のおける関係だった。彼も煬鳳ヤンフォンのことを慕っていたし、末端の門弟とは違って彼は無益な争いはせず、比較的話が分かる方だった。――だからこそ、夜真イエチェンより人間的に劣る自分は、彼によって掌門しょうもんを追われても仕方ないと思ったのだ。

(それが、こんなことを言うなんて……)

 一体彼に何があったのか。
 しかし今はそんなことを言っている場合ではない。煬鳳ヤンフォンの望みはただ一つだけなのだから。

「根拠はない。証明もできない。でも少なくとも俺はお前たちに復讐を考えてもいないし、そんな力は俺のどこにも無いのはお前が一番よく知っているはずだ。それでも俺のことが信用ならないというのなら、俺を殺してくれ」
煬鳳ヤンフォン!」

 凰黎ホワンリィが叫んだ。きっと、また命を投げ出そうとしたから怒っているだろう。それでも、煬鳳ヤンフォンが今持っているものは己の命しかないのだ。

「俺が生きているのが罪ならば、今この場で首を斬って貰っても構わない。こうなったのも掌門しょうもんとして責任を持った行動のできなかった、自分の行いのせいだ。全ての罪は俺の命をもって償う。だから、こいつは無関係なんだ。許して欲しい。苦しんで死ねというのなら、どれだけ苦しんでも構わない。」

 すぐさま夜真イエチェンが剣を抜くのではないかと思ったが、彼は微動だにしない。周りの門弟たちすら、誰一人動こうとはしなかった。
 夜真イエチェンは再び口を開く。

凰霄蘭ホワンシャオランのために自らの命が尽きることも厭わないと? 何故そうまでして助けようと思うのか?」
「……」

 その質問に煬鳳ヤンフォンは一瞬戸惑い……それから消え入りそうな声で語り始める。

「……分からない……。でも、俺は俺が生きることより、凰黎ホワンリィに生きて欲しいと思った。凰黎ホワンリィの命が俺にとって何よりも大切だと思ったんだ」

 ようやくその瞬間に、煬鳳ヤンフォンは理解した。

 ――そうか、そうだったんだ……。

 最期を前にしてようやく答えが出るなんて、本当に滑稽なことだと煬鳳ヤンフォンは笑った。気づけば頬には一筋、涙が伝う。
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