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短編①門派を追放されたらライバルが溺愛してきました。

011:呉越同舟(五)

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 この世の中、親がいる子供の方が少ないのではないか。そう思う程度には孤児は多い。
 そして煬鳳ヤンフォンも例にもれず、孤児だった。
 気づいたときにはたった一人。
 弱ければ生きていくことすら叶わない。
 煬鳳ヤンフォン玄烏門げんうもんに入門できたのも、本当に運よく――彼の才能を、たまたま出会った当時の掌門しょうもんが見出したからだ。

「その才能って奴も、今となっては全て無くなってしまったからな。脆いものだ」

 はは、と笑ったが、凰黎ホワンリィは悲し気な瞳で煬鳳ヤンフォンを見つめている。

「何だよ、孤児なんかごまんといるだろう。俺に限った話じゃない。だからお前がそんな顔をすること――」

 煬鳳ヤンフォンの言葉は途中で途切れた。凰黎ホワンリィが彼のことを抱きしめたからだ。

「ちょ……ちょっと!?」

 凰黎ホワンリィは答えない、代わりにもっときつく、煬鳳ヤンフォンを抱きしめる。
 この腕から出たいのならば、押しのけてしまえばいい。けれど、何故だかどうしても煬鳳ヤンフォンにはできなかった。
 どうしていいか分からず、どぎまぎとしながらそのまま抱きしめられていると、凰黎ホワンリィがぽつりと呟く。

「貴方は……そんな幼い頃からずっと、力が無ければ生きていけないような世界にいたのですね」

 不思議なことだが、その言葉を聞いて『そうだったのか』と煬鳳ヤンフォンは内心思う。何故自分がこれほどまでに強さを誇示することに拘っていたのか。誰かに追い越されることに怯えていたのか、ずっと分からなかった。

(そうか、俺はずっとそうやって生きてきたから……それ以外の生き方が分からなかったんだ……)

 ならば今、彼にそれ以外の生き方に気づかせる切っ掛けとなったのは、不本意ながら彼の力を奪った者たちと、それに生き方を教えてくれた凰黎ホワンリィということになる。

「ははっ」

 何だか急に可笑しくなって、煬鳳ヤンフォンは笑う。身体を離した凰黎ホワンリィが不思議そうに煬鳳ヤンフォンを見ていた。

煬鳳ヤンフォン? どうしたのです?」
「いや……もし俺が、こんな惨めな目に遭っていなかったら。お前がこんなに料理が上手いことも、自分がいかに愚かであったか気づくことも、お前がどんな奴なのか知ることもなかったんだなって思ってさ」

 煬鳳ヤンフォンの言葉に、凰黎ホワンリィは静かに耳を傾けている。己を見つめる彼の瞳は水晶のように澄んでいて綺麗だ。

「……それで、貴方の気持ちは?」

 微かに微笑みを湛える凰黎ホワンリィには、これから煬鳳ヤンフォンが何を言うかを分かっているのではないか。そう思えてしまう。

「正直まだ落ち込んでる。……でも今この瞬間に限っては、それも悪くなかったのかなって思うよ」

 そう言うと煬鳳ヤンフォンは椀の中の碁子を口に運ぶ。

「……うん。美味い」
「……それは、どうも」

 そんな一日も悪くない。

    * * *

 それから少しばかり時が過ぎた。
 相変わらず煬鳳ヤンフォンは無力なままであるし、凰黎ホワンリィも時おり小屋を離れることはあるものの、基本的には小屋で煬鳳ヤンフォンと同じ時間を過ごすことが多い。

 意外だったのは、煬鳳ヤンフォンが門派を追放されたという噂はどこへ行っても全く聞かないことだ。情報が漏れて混乱することを恐れているのか、それとも何か別に理由があるのか……どちらにせよ煬鳳ヤンフォンに推し量ることはできなかった。しかしそれはそれで、恨むものも多い煬鳳ヤンフォンにとって好都合だった。

「ふう……こんなものか」

 山の中で薪拾いをしていた煬鳳ヤンフォンは額の汗を拭って姿勢を戻す。薪など凰黎ホワンリィが一瞬で集めてくることも可能だろうが、料理もできず、雑事もさほど慣れていない煬鳳ヤンフォンにできることはこれくらいしかなかったのだ。

 山を流れる小川の水を掬って飲むと、その場に座り込む。一息ついたら小屋に戻ろうか、そんなことを考えながら小川を見つめた。水面に映る己の姿は、確かに少し前までの――黒鳳君こくほうくんと呼ばれていた頃とは別人のように見える。あの頃はお無理に自分を威厳があるように、凶悪に見せようと随分頑張っていたが、その姿が剥がれてみれば何ということはない、確かに年相応の青年だ。

(何をしたいのか見つかるまで、ここに居るって凰黎ホワンリィは言ったけど……)

 思いのほか小屋での暮らしは穏やかで楽しく、そして居心地が良い。
 無力でも構わない、できることならこのまま凰黎ホワンリィと共にあの小屋でずっと……。

「って、な、な、何考えてるんだ、俺は! 今でさえ同じ場所で寝食を共にしてるっていうのに、ずっとなんて言ったら……」

 煬鳳ヤンフォンは気づいてしまった。
 凰黎ホワンリィとの生活において、凰黎ホワンリィは実に甲斐甲斐しく煬鳳ヤンフォンの面倒を見てくれる。至らぬところばかりの、生活力が皆無の煬鳳ヤンフォンのことを、衣・食・住、それに風呂の支度から何まで全て凰黎ホワンリィがやってくれているのだ。

 ――こ、これって、ふ、ふ、夫婦みたいじゃないか!

 今までのあれやこれやを思い出し、一人でわたわたと慌てふためく。
 しかし同時に、いくら何でもそれは甘え過ぎだ、とも思う。

(い、いや、本気で世話になるならもっと俺も何かしなくちゃ……。って、いや、今考えているのはそうじゃなくて……)

 咄嗟に流れる川の水をばしゃばしゃと顔にかけ、顔を洗う。顔はすっきりしたが、頭の中はぐちゃぐちゃのままだ。

「俺、俺はどうしたいんだろう……」

 水面に向かってぽつりと呟く。
 その時だ。

『ほっほっほ、若人よ。悩んでいるようじゃな』
「だ、誰だ!?」

 慌てて立ち上がり、辺りに目を向ける。今の煬鳳ヤンフォンに気配を探ることはできないが、目で見たときに気づけることもあるはずだ。そう思ったのだが、どこにも人影は見当たらない。
 ならば気のせいだったのか?
 しかしそんなはずはない。そんなことをぐるぐると考えていると、再び声が響く。

『これ、若人よ。ここじゃ』
「ここって、どこだよ」
『川じゃ川』
「川?」

 小川は川底の小石まで見えるほど澄み渡っている。その綺麗な水に惹かれたのか、大きな鯉が川の中を優雅に泳いでいる。

(いや、まさか鯉ってことは……)

 そう思ったのだが。

『鯉じゃ鯉』
「嘘だろ!?」


 鯉だったのだ。

「鯉が喋った!?」
『鯉も喋るときは喋る』
「さいですか……」
『お前、恋に悩んでいるな。私は恋の申し子、鯉仙人こいせんにんじゃ』
「……」
『鯉だけに』
「……」

 突っ込むべきか悩んだが、突っ込む気分でもなかったので煬鳳ヤンフォンは黙っておくことにした。

鯉仙人こいせんにんなんて、そんな奴聞いたことないけど」
『所詮は鯉じゃからな。しかし今、恋に悩める若人の思いを感じて、こうして姿を現したというわけなのじゃ』
「別に恋に悩んでなんてねえし」
 鯉仙人こいせんにんはパクパクと鯉の口を動かしながら語り掛ける。
『先ほど、想い人のことを考えていたのではないか?』
「ばっ……! ち、違う! 凰黎ホワンリィはただ、俺に本当に良くしてくれてるだけだ! あいつは凄い良い奴なんだ。だ、だから……」
『だから、なんじゃ?』

 だから何なのだろう。煬鳳ヤンフォンは考えた。考えて、しかし答えは出てこない。

「分からない。その、夫婦でもないのに四六時中世話焼かせて、それに頼り切ってる何にもできない自分が情けなかった、それだけだ」

 凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンに対して沢山のものをくれた。服も食事も住む場所も。それに彼の時間を割いて食事を作らせ、世話を焼かせている。彼が門派の弟子たちの元に行く時間は今、ごくわずかだ。
 煬鳳ヤンフォンは今、自分がとても居心地が良いと感じたが、それは凰黎ホワンリィの殆どを犠牲にした上で成り立っている。

 それは煬鳳ヤンフォンしか得をしない、非常に不公平な関係だ。
 それは対等な関係とは言えないだろう。

『それはお前さんだけの問題ではあるまいて。まず……相手が今の生活をどう思っているか、それが一番大事なのではないか?』

「どう思っているか?」

『そうじゃ。恋の話からずれてしまったが、仕方ない。今回だけ特別に教えて進ぜよう。世話を焼きたくないと思っているのか、それとも世話を焼きたいと思っているのか。……お前さんの悩みは、お前さんが一人で決めるようなことではない。その先に相手がいるのだから、相手にもちゃんと話を聞きなさい。話はそれからじゃぞ』

「……」
『どうした? ん?』
「いや……鯉の爺さん、凄いな……」

 まさか鯉にこれほどまで相談に乗って貰えるとは思わなかった。そしてこんなにも求めている悩みの答えを的確に言って貰えるとは思っていなかったのだ。

『崇めていいのじゃぞ』
「崇めはしないけど、感謝する。有り難う、爺さん!」

 まだ何も答えは出ていないが、やるべきことは見えたような気がする。それだけで先ほどまでうじうじと悩んでいたことが嘘のように晴れ晴れとした気持ちになることができた。

(よし、小屋に早いところ戻ろう!)

 ならば善は急げだ。
 煬鳳ヤンフォンは集めた薪の束を抱えると「またな!」と言って走り出した。
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