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短編①門派を追放されたらライバルが溺愛してきました。

009:呉越同舟(三)

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 次の日。

 日も昇りかけた頃にようやく目を覚ました煬鳳ヤンフォンが小屋の外に出ると、ちょうど凰黎ホワンリィが野菜を抱えて戻ってきたところだった。

「よく眠れましたか?」
「あ、ああ。……悪いな。泊めて貰っている身分なのに、こんなに遅くまで寝かせて貰うなんて」
「昨日は大変なことばかりだったから、さぞや疲れたのでしょう。好きなだけ寝て構いませんよ」

 凰黎ホワンリィの腕に抱えられている野菜を何気なく見つめていると、

「どうです? 美味しそうな蘿蔔らふく[ *大根 ]でしょう? 先ほど着替えを取りに行ったときに行商から買ったんですよ。きっと甘いと思いますよ」

 蘿蔔らふくは甘いらしい。まあ、それでも蘿蔔は蘿蔔なのだろうが。掌門しょうもんになってからというもの、贅沢三昧でそういった食事とは無縁だった。そういえば十を数えた頃、年上の誰かにごちそうになったことがあったな、と煬鳳ヤンフォンは思い出す。しかし、凰黎ホワンリィは仮にも蓬静嶺ほうせいりょう嶺主りょうしゅ代理なのだ。本来ならもっと良い物を食べていてもおかしくないはずなのだが。

「行商の蘿蔔を食べるのか」
「それは勿論。……貴方だって甘いもの、嫌いではないでしょう?」
「……」

 子供っぽいと思われたくなくて誰にも言っていないことだが、人並み程度には甘いものは嫌いではない。机の上に甘いものがあれば、人目を盗んでつまみ食いするくらいには好きだ。

「甘いったって、蜜漬けの果物とは甘味が全然違うだろう」

 そんな煬鳳ヤンフォンの視線に気づいてかクスリと凰黎ホワンリィは微笑む。考えを読まれた気がして、慌てて煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィから視線を逸らした。

「それより――貴方に合いそうな服を持ってきました。着替えて朝餉を食べたら山を下りて買い物に出ませんか」
「は? 何でお前と買い物に行くんだよ」
「貴方の門派が今どうなっているか、気にはならないのですか?」

 凰黎ホワンリィの言葉は真っすぐに煬鳳ヤンフォンに刺さる。気にならないはずがないのだ。

「……分かった。行こう」

 煬鳳ヤンフォンはそう言うと、差し出された服を奪い取ってもう一度小屋に入った。

「俺は何をやってるんだろう……」

 何だか凰黎ホワンリィに翻弄されているような気がしてくる。しかし、昨日の今日で門派がどうなったのか、気にならないと言えば嘘になる。
己が力を奪われ、門派から追放されたこと。下手したら近隣じゅうに噂が広まっているかもしれない。ならば、煬鳳ヤンフォンが敢えてその場所に出向くことに意味はあるのだろうか。

(俺を見たら、皆笑うんだろうな……)

 一人そんな光景を想像して、空しさが募った。

「まあ、凰黎ホワンリィの服よりは落ち着く、かな」

 帯を締めて全身をぐるりと確認する。清潔ではあるが、実に地味だ。藍とも黒ともつかない薄汚れたような色合いの直領袍を身に着け、煬鳳ヤンフォンは一人ごちる。とはいえ、凰黎ホワンリィの着ていたそれは、凰黎ホワンリィが着るからこそ美しい。とても煬鳳ヤンフォンには似合うと思えず、正直落ち着かなかった。

「大きさもまずまず、大丈夫なようですね」

 頃合いを見て入ってきた凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンをしげしげと見る。

「ああ、おかげで随分動きやすくなった」
「良かった。私の服では、貴方には少し大きいようでしたから」

 煬鳳ヤンフォンはむせた。

(なんでこいつ、俺の方が体格が小さいって気づいたんだよ!)

 そんな視線で凰黎ホワンリィを睨むと、涼しげな顔で凰黎ホワンリィは笑う。

「気づかないと思ったのですか? あれだけ戦っていたら分かるに決まっているでしょう。よく上げ底の靴を履いたままあれだけ戦うことができたものだと、感心するほどでしたよ」
「なっ……!」
「ああそう。肩幅も厳めしい服を着こんで誤魔化していたようですが……門派を束ねる者として他の弟子たちになめられないようにするための……。いや、貴方からしたら同門とはいえ周りは敵ばかり、少しでも弱そうに見えたら足元を掬われる、そんな貴方の焦りと思いがそうさせたのでしょうね」

 凰黎ホワンリィの言葉は当たっている。
 しかし、今まで只管に隠していたことをいとも容易く暴かれてしまい、穴があったら入りたい。煬鳳ヤンフォンは恥ずかしくて今すぐ川に身を投げてしまいたくなった。

「悪いかよ! ああ、そうだよ! 俺はお前より小さいよ! それが何か!?」
「悪いなどと一言も言ってはいませんよ? 貴方は自分を守るためにそうしたのだから、当然のことだと思っています」
「~~~~っ!」

 人が気にしていることをサラリと暴いたうえに、こちらは羞恥で怒っているにもかかわらず何故か己の所業ではないかのように慰めようとする。
 それはあまりに理不尽すぎやしないか――と言いたかったのだが、睨みつけた凰黎ホワンリィの顔が妙に嬉しそうで。その表情を見た瞬間に怒る気が失せてしまった。

「……ふん。もういい!」
「しかし、貴方のそんな必死なところを可愛いと思ってはいる」
「お、お、お前いい加減に――」

 いい加減にしろ、と言いかけて煬鳳ヤンフォンは言えなくなってしまう。何故なら凰黎ホワンリィの白くて綺麗な手が、煬鳳ヤンフォンの頬に触れたからだ。自分の頬が熱いのか、それとも凰黎ホワンリィの手が冷たいのか、ひやりと心地よい感覚に思わずドキリとして煬鳳ヤンフォンは固まってしまう。

「ほら、真っ赤」
「……!!」

 顔を逸らすこともできず、いつしか凰黎ホワンリィの言う通り煬鳳ヤンフォンは耳まで赤くなって、視線だけ明後日の方を見るのだった。


「美味い……」

 凰黎ホワンリィが手際よく作った朝餉は、かかった時間に比べて驚くほど美味だった。朝、彼が買ってきたという蘿蔔は、冷たくて瑞々しく、そして甘い。

「小屋の外に川が流れていたでしょう? 先ほどまでその川でずっと冷やしておきました」
「随分と手慣れているな」
「自分のことは自分でやる、が信条ですので、ね」

 片目を瞑って得意げな顔をしたあとで、凰黎ホワンリィは不意に顔をあげる。

「ん? どうした?」
「いや……。そのままでは食べ辛いかと」

 何のことを言っているのか、煬鳳ヤンフォンには分からなかったが、凰黎ホワンリィは立ち上がると煬鳳ヤンフォンの背後に屈みこむ。

「!」

 不意に髪に触れられて驚いて振り返ると、紐を咥えた凰黎ホワンリィがにこりと微笑んだ。薄紅梅の色をした唇が、綺麗な弧を描く。不思議なほど安心感を覚えるその微笑みに、思わず煬鳳ヤンフォンは見入ってしまう。

「怖がらなくて大丈夫。髪を結うだけだから」

 しかし凰黎ホワンリィの言葉ですぐ我に返る。慌てて「う、うん」と返事を濁すと、俯いて凰黎ホワンリィが結い終えるのをドギマギしながら待った。

「普段はどうやって髪を?」
「……専属の髪結いがいて、毎日結わせていた」
「それはそれは……」

 その『それはそれは』には、恐らく「自分では結えないくらい不器用なんだろう」と「どうせ偉ぶった態度で結わせていたんだろうな」という二つの意味が込められていたに違いない。と、煬鳳ヤンフォンは直感した。

「自分でどうにかできないわけじゃない。ただ……相応の見た目ってもんが必要だろう」
「そうですね。門派の長ともなれば、身なりには気を使うのは当然のことだと思いますよ」

 煬鳳ヤンフォンの言葉を否定するでもなく、凰黎ホワンリィは同意する。

「そうだ。煬鳳ヤンフォン
「何だ」
「貴方は、幾つになるのですか?」
「……二十一」
「なるほど、私より二つ下なのですね」
「悪いか」
「別に?」

 何だか妙に扱いが年下のように感じると思ったら、実際彼の方が年上だったのだ。相手は煬鳳ヤンフォンが年下だとは知らなかったようだが……扱いは完全に年下だった。
 ほどなくして、髪の毛を結いあげた凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンの顔を覗き込むと満足げに頷く。

「うん。……この方が年相応で貴方らしい」

 一体何をもってこの男は自分を年相応に見えると言っているのか。一抹の不安を覚えたが、気にしたら負けだ。煬鳳ヤンフォンは浮かんだ様々な考えを一旦心に仕舞って気にしないことにした。
 とはいえ――結った、とは言っても別段何の変哲もない、綺麗に櫛を通して紐で結いあげただけ。けれど雑かといえばそうでもなく。首を少し傾けるとさらりと髪が流れ、何だかくすぐったい。

(朝起きたときはぼさぼさだったのに……)

 凰黎ホワンリィは随分と丁寧に櫛を通してくれたらしい。

「……あ、ありがと……」
「ん?」

 やっとの思いで絞り出した言葉をいとも容易く聞き返されて、煬鳳ヤンフォンはかっとなる。というより、大慌てで言い返す。

「き、聞こえたくせに、聞き返すな!」

 嬉しそうな顔をしているから、今発した煬鳳ヤンフォンの言葉は絶対に凰黎ホワンリィに届いたはずだ。それなのに嬉々として聞き返してくる、この男の意地悪さ。分かってて言ってくるのだから余計にたちが悪い。

「聞き返したらいけませんか?」
「恥ずかしいだろ!」

 真っ赤になって叫ぶ煬鳳ヤンフォンを、またも嬉しそうな顔で凰黎ホワンリィは見つめている。完全に遊ばれている、そう思ったが反論してもどうせ更に遊ばれるに違いない。

「煩い! 早く食って、山を下りるんだろうが!」
「はいはい」

 そう怒ってもやっぱり凰黎ホワンリィは笑うだけ。
 少し前――煬鳳ヤンフォンが力を失うまでは、彼がこんなにも屈託なく笑う姿を見たことはなかった。そして、煬鳳ヤンフォンに大人げのない意地悪をすることも。

(ほんと、変な奴……)

 口をへの字に曲げて妙な気分のまま、煬鳳ヤンフォンは朝餉を一心不乱に掻っ込んだ。


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