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短編①門派を追放されたらライバルが溺愛してきました。

008:呉越同舟(二)

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 粥を食べ終えた煬鳳ヤンフォンは、暫くの間これまでの思い出話を互いに話した。力を全て奪われて無力な只人になった手前、昔の話をするのは気まずいと思っていたが、いざ話し始めると案外饒舌になってしまうものだ。そうしていると、何だかとても懐かしくなってしまい、不思議と穏やかな気持ちになった。

「……っくし」

 壁の隙間から入り込んだ夜風の冷たさに、煬鳳ヤンフォンは思わずくしゃみをする。すると、すぐさま凰黎ホワンリィが暖かい羽織を肩に掛けてくれた。

「冷えますか? 今夜は少し冷えるようです。……湯冷めしたのかもしれませんね」
「有り難う……って。俺は風呂に入った覚えはないんだが」
「着替えさせる前に私が入れましたよ」

 凰黎ホワンリィはサラリととんでもないことを口にした。
 サラリと言ったが、驚きのあまり煬鳳ヤンフォンは飲んでいた茶を噴き出した。

「!?」

 目をこぼしそうなほど見開いて凰黎ホワンリィを二度見する。

「ずぶ濡れで凍えていた人を、濡れたまま着替えさせるとお思いですか?」

 その問いには「そうですよね」としか答えようがない。凰黎ホワンリィの対応は至極まっとうなものだ。逆に濡れたままで着替えさせる奴がいたら、よほど無知なやつだけだろう。

(ますます死にたい……)

 理解すればするほど、己の無力さが惨めで、気を失っている間に起こったあれやこれを想像すると恥ずかしくて居たたまれなくなる。

「貴方の今のお気持ちは理解しますが……雨の山道で倒れていた貴方の体は冷え切っていました。それに、雨でどろどろになった汚泥にまみれていて、どうしようも無かったのです。悪く思わないでください」

 堪らず卓子に突っ伏した煬鳳ヤンフォンを見て気の毒に思ったのか凰黎ホワンリィはそう付け加えた。
 しかし彼に謝らせるのは傲慢が過ぎると、さすがに煬鳳ヤンフォンだって理解はしている。

「いや……驚いただけだから気にしないでくれ。助けて貰った身分で贅沢を言えるわけがないのも理解しているつもりだ。その……済まなかった。お前には感謝している、これは本当だ。こんな言い方をするのも、本当は傲慢かもしれないが……」
「大丈夫ですよ。……普段の貴方に比べたら随分としおらしい言葉ですから。それだけで十分です」
「……」

 頭を下げたら鈍器で殴られた。今の煬鳳ヤンフォンはそんな気持ちだ。

「お前は、俺のことを一体どんな目で見ていたんだ……」
「どんなって……」

 ちらりと煬鳳ヤンフォンを見て、凰黎ホワンリィは考えている。

玄烏門げんうもんを率いていた貴方はお山の大将といいますか、がさつで傲慢。誰に対しても尊大でした。確かに力は強かったので歯向かうものも殆どいなかったのだと思います。けれど自分の力を過信しすぎて、周りが見えていないように思えました」
「……」

 その言葉はとても的確で、酷いことを言うとは思ったが、実際のところ間違ってはいない。

「ですが――」

 凰黎ホワンリィは付け加える。

「今の貴方からは驚くことにそういった傲慢さも尊大さが、欠片も見えませんから。可愛らしいものですよ。力を奪われ、冷静に自分を見つめ直したことが結果的に良かったのかもしれませんね」

 人生の全てを奪われたと言っても過言ではないのに、「良かった」などと言われたことが信じられず、煬鳳ヤンフォンは思わず凰黎ホワンリィを睨む。

「良かった? 力を奪われ、追放されてもか?」
「それは不幸なことでした。……でも私は、少なくとも今の貴方の方が以前の貴方より好きですよ? きっと他の方々も同じ気持ちなのではないでしょうか」
「つまり、今までの俺は好ましいとは思われていなかったってことか」
「そうとは言っていないでしょう。以前の貴方にもそれなりに好ましいところはあったはずですから」
「はず……ね。もしもそれが本当なら、こんなことにはなっていなかったさ」
「それも一理あるかもしれません。しかし……失ってしまったのなら、結局のところ、昔のことは昔と割り切ってこれから先のことを考えていくべきです」
「簡単に言ってくれるな」
「しかしそうするよりほか、ないのでしょう?」
「……お前は俺みたいに全てを奪われていないから、そう言えるのさ」
「その言い分も、間違っていないと思います」

 凰黎ホワンリィはそう言って煬鳳ヤンフォンの言葉を肯定したが、その表情は少し悲し気で――何故だか煬鳳ヤンフォンはチクリと胸に痛みを覚えた。


 この小屋は凰黎ホワンリィが山に一人で籠もりたい時に使っている場所らしい。凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンを一人で小屋に置くことを良しとはせず、その日は彼も小屋に泊まることにしたようだ。
 とは言っても、煬鳳ヤンフォンが目覚めた時には既に日も落ちていたから、そうでなかったとしてもその日は小屋に泊まるつもりだったろう。
 助けられてからというもの、今まで刃を突き合わせたことしかなかったはずの相手とこうして同じ場所で寝ているのも不思議なものだ。

(今まで俺はあいつに対して勝手な印象で気に入らないと思っていたが、あいつは本来ああいう奴だったんだな)

 凰黎ホワンリィは、煬鳳ヤンフォンがそれまで思っていた彼と違い理路整然としてはいるが決して冷たくはなく、礼儀をあまり知らぬ煬鳳ヤンフォンとも広い心で接してくれた。正直に言って驚いたし、何故もっと早く本当の彼を知ろうとしなかったのだろうとすら思えたほど。孤立した煬鳳ヤンフォンにとって、温かい彼の存在は有り難く思えた。
 もっと以前からこうして話をしていたのなら、煬鳳ヤンフォンの行動を諫めてくれたかもしれないし、相談に乗ってくれたかもしれない。
 そうしたら……今日のような酷いことは起こらなかったのかもしれない。
 と、いうのは少しばかり希望的すぎるだろうか。
 今日一日の出来事があまりに多く、そして信じ難い。
 昨日までは門弟を率いてその頂に座っていたはずの己が、今日一日でその座から引きずり降ろされて、自分の人生を賭け築いてきた全てのものを、その日のうちに失ってしまったのだ。
 そしてもう一つ。
 今まで憎むべき好敵手だと思っていた人物が、案外良い奴だったということ。いろいろ思うところはあるが、彼がいなければ煬鳳ヤンフォンは確実に山でそのまま凍えて死んでいたことだろう。

 ――死んだほうが楽だったかもしれない、というのは置いておくことにして。

 考えてみれば実に不思議な縁だった。
 弟子たちに裏切られたのは悲しむべき出来事だったが、力を失わなければ凰黎ホワンリィとまともに話す切っ掛けすらなかったのだ。
 あまつさえ、彼の名すら知ることはなかったのだから。

凰黎ホワンリィ
「何か?」

 小さな声で呼びかけてみたが、凰黎ホワンリィはまだ眠ってはいなかったらしい。思いのほか早く返ってきた返事に驚き躊躇って、煬鳳ヤンフォンは続ける言葉に戸惑う。

「い、いや。こうしてお前と話すのは、初めてだったんだなと改めて思ってさ」
「そうですね、以前の貴方は私の話など聞く耳を持ちませんでしたから」
「それは……悪かったよ」
「おや」

 決まりの悪さに煬鳳ヤンフォンが唇を尖らせると、凰黎ホワンリィの目じりが下がる。その表情が少し馬鹿にしているように感じられ、煬鳳ヤンフォンは拗ねた声で抗議した。

「なんだよ」
「珍しい、貴方がこんなに素直に謝るなんて」
「俺だって謝りくらいする。……さっきだって謝ったろう」
「では今日以外で誰かに謝ったことは?」
「……」

 見えてはいないだろうが、煬鳳ヤンフォンは静かに首を振る。

「やっぱり……」

 凰黎ホワンリィは無言を肯定と受け取ったらしい。

「ほっとけ。今は少しばかり愚かだったと後悔している」

 少しむくれて投げやりに言い返すと、何故かくすくすと小さな笑い声が聞こえた。それがあまりに意外だったので煬鳳ヤンフォンは思わず体の向きを変えて振り返る。

 ――振り返った先には凰黎ホワンリィが此方を向いて笑っていた。

 それがあまりに綺麗な微笑みだったので、煬鳳ヤンフォンは堪らず目を見開く。鼓動が一瞬跳ねあがったのは、きっと意外過ぎて驚いたからだろうと言い聞かせる。

「――そうだ。私も、改めて気づいたことがあるのですよ」
「な、何だ?」

 凰黎ホワンリィ煬鳳ヤンフォンの動揺に気づいたか否かは分からない。けれど彼は煬鳳ヤンフォンを見つめたまま目を細める。

「貴方が意外に素直で、思った以上に可愛らしい」
「な、な、な、はぁああ!? 何を言っているんだ!」

 驚いた拍子に、煬鳳ヤンフォンは寝床から転がり落ちた。ちょうど凰黎ホワンリィの表情に見入っていて、彼の言動に構える余裕が無かったこともあったのかもしれない。或いは普段の霊力に満ち溢れていた頃だったら、もっと冷静にふてぶてしく言い返すこともできただろう。

『何を馬鹿なことを。気でも触れたのか? 凰霄蘭ホワンシャオラン。お前がそんなことを言うなど、滑稽でしかないぞ』

 ……とか。
 しかし既に動揺のあまり無様な姿を晒してしまった後なのでどうすることもできないのが悲しいところ。

凰黎ホワンリィは俺のことをからかってるのか? いや、もしこれが冗談でなかったら……いやいや、何を考えてるんだ)

 煬鳳ヤンフォンの動揺をよそに、凰黎ホワンリィは変わらず煬鳳ヤンフォンのことを見つめていた。先ほどの笑顔から少しばかり悲哀を込めた表情に変わり、それがまた一層煬鳳ヤンフォンの胸を締め付ける。

玄烏門げんうもんの者たちは先達を力で追い落とすのが常だと聞きます。力こそ全て、貴方が掌門しょうもんの座についたのも、他の者たちより抜きんで強かったからだ」
「……」

 煬鳳ヤンフォンは黙って凰黎ホワンリィの言葉を聞いていた。

「いくら才能があったとていつ足元を掬われるかわからない。一日たりとも気の休まる日は無かったのでしょう。だから私や、周りの様子に目を配る余裕もなかった。いつ足元を掬われるか分からない。……それはとても辛く、大変な毎日だったのだろうなと思っていますよ」

 彼の言葉は正しい。
 煬鳳ヤンフォンが背丈を誤魔化していたのも、少しでも大きく見せなければ舐められてしまうからだった。掌門しょうもんになることで、大勢の門弟たちを従えることになったが、やはりいつでも心のどこかで、その日に怯えていたのだ。
 結局、その日は今日来てしまったということ。

「分かったような口をきくな。俺は……」
「俺は?」

 見つめる凰黎ホワンリィの目が、次の言葉を待っている。けれど何と言っていいか分からずに、結局もごもごと口を動かした後で、

「う、うるさいな。何だっていいだろ」

 と、顔を背けてしまった。

「ほら、動揺すると普段の尊大な物言いから子供っぽく変わる」
「◎△×□!?」

 自分に自信がないと堂々と反論するのは難しいものだ。今の煬鳳ヤンフォンにとっては、凰黎ホワンリィの一言を強く跳ね返すだけの言葉を見つけられなかった。
 代わりに赤くなったり青くなったりを繰り返しながら無言で歯ぎしりをするだけ。しまいにはもう何も言えなくなってしまい、

「もう寝る!」

 と、被褥[*1]を被ってふて寝してしまった。


――――――

被褥[*1]……布団とか毛布
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