災禍の魔女を超えるまで

kainushi

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第一章 勇神祭

第三話 幼馴染

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家に戻る頃には日も暮れかけていた。一刻も経っていないかと思っていたが、どうやら体感以上に時間が過ぎ去っていたらしい。

ダインは、自分が家に戻ったらどんな反応をするだろうか。ずっと遺跡に閉じ込められていると思っているだろうから、きっと仰天するに違いない。多少の仕返しとして、奴の反応くらいは楽しんでもいいだろう。

いたずらっぽいことを考えつつ家の扉を開くと、鋭い碧の双眸と鉢合わせる。その眼の持ち主は、帝都内で一の実力者といわれる男、ケイン。リヒトの因縁の相手だ。

「…………」
「…………」

互いに言葉を交わさぬまま、軒先ですれ違おうとする。模擬戦以外では赤の他人のように接するのが日常になっていた。しかし、今日は少し様子が違った。

「おい」

家の扉を閉じかけていたところで、急に声をかけられる。リヒトの肩が僅かに震えた。

「勇神祭、明後日だな」
「……うん」
「備えはできているのだろうな」
「…………」

「備えどころか、君の父親のせいで出場できなくなるところだった」と言う気にはなれなかった。ダインの策謀は、ケインの意図したものでないと確信していたからだ。
ケインは卑怯な戦術を誰よりも嫌う。相手が何であろうと、圧倒的な力を以て正面から叩き潰すのが彼の信条だ。
宿敵であるケインが卑怯な手を好まない男であり、その姿に感化されたからこそ、分の悪い勇神祭に正々堂々挑もうと決心できたのだ。

「俺には俺の目的がある。どんな奴だろうと容赦はしない。もちろん、お前にもだ」
「…………」

そういうなり、ケインは背を向けて街の雑踏へと消えていく。一瞬、彼の茶髪が夕焼けに照らされ、赤く煌めくのを見た。

家に戻ると、リヒトは真っ直ぐに自室に向かった。途中、ダインが口をあんぐりと開けてこちらを凝視していたが、気にしている余裕もない。粗末なベッドに腰掛け、リヒトは項垂れる。

ケインの気迫は凄まじかった。
あれは、強い男だ。今の今まで決して研鑽を怠らずに過ごしてきたのだろう。その実力の一端が、話しているだけでも肌を通して伝わってくる。帝都一を謳うだけある。

(こんなことで弱気になってたらダメだ……いや、でも……)

あの男と対等に戦える未来が、いまだに想像できなかった。

今まで目を逸らしていた「現実」と向き合わなければならない時が来たのだ。

リヒトはベッドに項垂れた。心のざわつきは、この硬い感触では微塵も和らぐことはない。だが、なにか行動を起こす気にもなれない。
無事に帰ったとはいえ、一時は遺跡の中で死を覚悟した。必死に張り巡らせていた緊張の糸は、とっくに切れていたのだ。






「……ねぇ」

暗闇の中で誰かの声を聞く。

「リヒト、起きてる……?」

その声とともに目前を覆う暗闇が裂けていき、微睡んだ意識が徐々に覚醒していった。どうやら、気づかぬうちに眠りこけていたようだ。

「あっ……起こしちゃった……?」

寝ぼけ眼をこすって見ると、幼馴染のアイナの姿がそこにあった。淡い紫の髪をあやしそうに揺らしながら、彼女はこちらをうかがっている。

「あぁ……うん」
「ごめん、勝手にお邪魔しちゃってます」

起きたばかりでまだしゃきりとしていないリヒトを見て、彼女は苦笑いした。

「アイナ……? なんでここに」
「心配だったから、様子を見に来ちゃった。今日、ダインさんと外に出て行ったっきり全然見かけなかったから、何かあったのかと思って」
「……もしかして、もう夜?」
「うん」

言われて、窓に掛かっているボロ布を取り払う。たしかに、外の街には夜の帳が降りた頃で、あたりには家屋から漏れる明かりがポツポツと浮かんでいた。

(まずい!)

夕飯の準備や洗濯など、その日の作業がまだ目白押しだ。慌てて立ち上がろうとしたところを、アイナに制止された。

「今日はもう大丈夫。ご飯は私が作った」
「えっ?」
「リヒト、疲れてそうだったし、ダインさんたちも騒いでたから」
「ご、ごめんっ、わざわざそんなこと、代わりに……」

アイナはたまに家に来て家事などを手伝ってくれる時がある。今度何かお礼をしないといけないなとリヒトは思った。

「気にしないで。それよりも……リヒトの調子の方が、気になる」
「…………」

勇神祭は、帝都の誰もが知る大きな行事だ。リヒトがそれに挑もうとしていることは、アイナもわかっていた。

「……隣、いい?」
「う、うん」

彼女はかがめていた身を持ち上げ、隣に腰掛ける。昔と比べて女性的に成長したアイナを間近にし、胸がどきりとする。

「……あの」と彼女が言いかけたが、そのまま口を噤む。

「……?」
「あの……えっとね」

アイナの様子がいつもと違う。リヒトは接し方に少々困った。

「リヒトはさ、六年前のこと、覚えてる?」
「……六年前?」
「ほら、近所に変な男の子たちがいたでしょ。もう帝都から出て行っちゃったけど」
「……あ~」

言われて思い出す。


10歳頃、リヒトは近所の同年代の子どもからいじめを受けていた。

『やーい、できそこない!』
『役立たずー!』
『これでもくらえ!』

殴られ蹴られ、泥を浴びせられ、散々の扱いを受けてもリヒトは何もしなかった。

『やめてよ……』
『あー!泣いた泣いた、できそこないが泣いたー!』

そんな嘲笑を吹き飛ばすかのような一喝――

『やめろ!クズども!』

ケインが放ったものだ。彼はいじめっ子たちの正面に陣取り、立て続けにのしていった。そいつらが脱兎のごとく逃げ去っていくまでの一部始終を見て、言いしれぬ感動を覚えたのだが、

『弱いやつはさっさと逃げろよ』

そう言って侮蔑の視線を向けてくるケインに、リヒトは何も言えなくなってしまった。胸が張り裂けそうだった。

『弱いやつ』と言われたことが、強烈に印象に残った。


「あの頃は、ケインもリヒトのことを助けてくれてた、と思うんだけど……」
「いや……どうかな」

結果的にリヒトを助ける形にはなったが、彼なりの信条のもとに行動を起こしただけのように思える。こちらに寄り添う姿勢は微塵も感じられない。

「でも、ケインはあいつらからリヒトを守ってくれてた。リヒトが優しい人だって知ってたからだよ、きっと」
「…………」
「なのに……二人が、こんな風に争ってるなんて……」

アイナはうつむき、胸を抑える。彼女も、ここ数年のリヒトとケインの関係性を知っているのだ。

「勇神祭が大事なのはわかるけど、一緒に優勝するとか、賞金を分けるとか、助け合いはできないのかな……どっちかが嫌な思いをしているなんて……」
「それは、難しいと思うよ」

リヒトは今日一番はっきりとして言った。

「どうして?」
「お互いの気持ちの問題、かな。優勝できるのは一人だけ。だから頑張れるというか、そういうこだわりみたいな、信念みたいなのがケインにもあると思う」
「リヒトもそうなの?」
「うん。上手く言葉にできないけど……誰かと一緒に、とかじゃなくて、一番じゃないといけないんだよ」

かつて勇神祭で頂点となった父の姿を思い浮かべた。

「……私は、そういうの、よくわからない。皆が幸せになってくれればいいのに」
「まぁ僕もそうなったらいいなとは思うよ。でも、譲れないものもあるんだ」

アイナは、消え入りそうな黒の瞳でリヒトを見つめた。唇が微かに震えていた。

「リヒトは……そこまでして優勝したいの? 負けたら、ひどいことになっちゃうかもしれないのに……」
「うん」
「どうして?」
「前にも話したかもしれないけど、父さんの死の真相を、直接第一街に行って確かめたい。父さんは出来損ないじゃないんだって証明したいんだ」
「難しいかもしれないよ」
「わかってる」

と口では言いつつも、リヒトの内には拭い去れぬ不安があった。
本当に、あのケインに勝てるのだろうか。

「じゃあ……その後、リヒトはどうするの?」
「え?」
「リヒトは、その後どんな風に暮らしたいの?」

一瞬頭が固まった。
リヒトは父のようになることを目標として今まで生きてきた。父の汚名を解消するためにも、それが必要なことだと思ったからだ。
だが、その先はどうなるのか。自分は、何をして生きていくのだろうか。考えたこともなかった。

「……今はまだ、よくわからない。勇神祭が終わってから考えるよ」
「そう……」

それからしばらく会話が消えた。アイナが自身の膝をさする音だけが聞こえた。

「ねぇ」

アイナは言う。

「もし、リヒトが優勝できたら……」

先ほどよりも幾分か強い眼差しが、リヒトをとらえる。身体が強張った。彼女がこのような顔を見せるのは初めてのことだ。
しばし、時間が止まったかのように見つめ合う。

「…………」
「……ごめん、やっぱりなんでもない」
「あ……う、うん」

彼女は再び目を伏せてしまった。
息が詰まるかと思った。今のアイナには、目を背けてはならぬ、向き合わねばならぬと、そう思わせる何かがあった。

今日の彼女はおかしい。あやしがって視線を動かしていると、彼女が何か小包を手にしていることに気がついた。

「あ、それ、持ってきてくれたの?」

それは、芋を練って作ったリヒトのおやつだ。見た瞬間に腹の虫が鳴った。
リヒトはよくこのおやつを作って腹の足しにするのだが、そういえば小包に入れて台所に置いておいたのをそのままにしてしまった。アイナは、親切にもリヒトのところに持ってきてくれたのだ。

「!」

しかし、当のアイナは言われるなり身体を大きく震わせて、黙りこくってしまった。

「ありがとう、アイナ」
「……あっ、う、うん」

なぜだか落ち着かない様子で、彼女はそれを手渡した。

「実は今日、何も食べてなくて……色々大変だったからさ」

小包を開くと、食欲をそそる香りが鼻をくすぐってくる。それに、なんだか今日のおやつはとても甘そうだ。すぐに口に入れようと思った。しかし、妙に気になって再び横を向いた。

アイナが、泣いていた。

「ごめん……リヒト、ごめんね……」
「えっ……」

どうしたと問う暇もなく、アイナは逃げるようにその場を去っていく。
リヒトは、ここが自分の部屋なのに、知らない場所に取り残されてしまったような気分になった。今日のアイナのことは何もわからなかった。



「あーあ」

不意に声がする。
誰だ。
リヒトは跳び上がる。

「あんな娘を泣かせちゃうなんて、罪だねぇ、リヒト君」

聞き覚えがある。ここにいてはいけないはずの人の声だ。
振り向く。

「あ、あなたはっ……」

その人の黒髪は、暗い部屋の中でも一際艶めいて見えた。
長年封じられてきた遺跡の住人、魔女ミヤコである。

「やっほ。勝手にお邪魔しちゃってごめんね~」

ミヤコは、窓の近くの部屋の角に居座っている。いつの間に忍び込まれていたのか。なぜ今まで気づけなかったのか不思議だ。

「どうしてここに」
「いやぁ、ごめんごめん。リヒト君の様子がどうしても気になっちゃってさ」

先ほどから訳のわからない状況続きでリヒトの頭は混乱していた。
ミヤコは無邪気な笑顔で言う。

「家ではどんな風に過ごしてるのかな~とか、体調は大丈夫なのかな~とか」
「そ、それでここまで……?」
「あんな話されたら、気になっちゃうよ」

ぷくっと頬を膨らませるミヤコの様子は可笑しかった。これが『災禍の魔女』なのか。可笑しかったし、当たり前のように遺跡から外に出ているのもおかしかった。
彼女の行動力はどこから来るのだろう。疑問を感じつつも、まだ気にかけてくれていたことを少し嬉しく思った。

「あ、今手に持ってるやつ、食べない方がいいよ」
「え?」

ミヤコは急に真剣な顔になって言う。

「それ、多分毒が入ってるから」
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