1 / 13
早朝の出逢い
しおりを挟む
1
早朝の町を自転車で走り抜ける。
足がどんどん重くなる。遅刻だ。怒られる。ここからスパートをかけないとギリギリ間に合わないだろう。
私は無心にペダルを漕いだ。ああ、バイク通学が羨ましい。私の家が学校からあと500メートル離れていたなら、バイク通学が許可される距離だったのに。そうだったなら、あと5分は寝ていられるかもしれないのに。
どうでも良いことを考えながら、足は同じ速度で回転させ続けている。
今日は遅刻するわけにいかない。やっとの思いで射止めた主役。高校演劇地区大会に向けての朝練開始の日なのだ。
なんとしても遅刻するわけにはいかない。
けれど、そんな日に限ってアクシデントは起こるのだ。
叫びが聞こえた。
笛を鳴らしているような甲高い音。
ピィィィーーーッ
どこか、もの悲しさを含んだような。
叫び、と表現するのが正しいのかどうかわからない。けれど、それは確かに叫びだった。
ピャァァァァーーーーッ
声が近づいてくる。いや、私が近づいているんだ。この道の先から聞こえてくる。
長雨が続いた6月の半ば。今日は久しぶりに朝から太陽が顔を出した。午前6時半を少し回ったころ。このあたりには、まだ人の姿はない。その声だけが、静かな町に響き渡る。
鳥の鳴き声だ。そう気づいたのは、その姿が見えてくる頃だった。
道の右手に四角いカゴが置かれている。
ピャーーーーーーッ
灰色の鳥が小さい体を精一杯に使い、遠くまで響く甲高い鳴き声を上げていた。
私はカゴの少し手前で自転車を降りた。
灰色の鳥は、トサカみたいな頭の羽をピンと立てながら、道の先に向けて再び鳴き声を上げた。
鳥の視線の先には、走り去る車。
ピャァァァァーーーッ
その声を最後に、灰色の鳥は叫ぶのをやめた。車が見えなくなったのだ。
あの車の主がこの鳥を置いていったのだろう。カゴが置かれた場所は、小さな店の軒先だった。
私はペダルに足をかけ、車を追いかけようとした。けれど、すぐに再び自転車を降りた。
去る者を追っても無駄だ。
この先には大きな交差点がある。信号であの車が停まっていたら、私が全速力を出せば、まだ追いつけるかもしれない。
けれど、追いついたところでどうするというのだろう。その人物は明らかにこの鳥を置いていったのだ。
この子を捨てるつもりで立ち去ったのだ。
そんな人を呼び止めることに、なんの意味があるだろう。
それよりも、このままこの子を道端に置いておく方が危険な気がした。このあたりには野良猫もいる。
私は鳥カゴに歩み寄り、そばにしゃがみこんだ。
体は灰色で地味だけれど、顔は明るい黄色。なんといっても特徴的なのは、チークを塗ったかのように丸くオレンジ色に染まった頬。
なんだこのふざけた顔の鳥は。
本人(本鳥?)はそんなつもりはないのだろうが、こんな模様では、どうしたって、とぼけたような顔に見えてしまう。
思わずふふっ、と息を漏らして微笑んだ私の視線を避けるように、頬紅の鳥はカゴの隅に移動した。
「君もひとりぼっちになっちゃったんだね」
ぐいん、と首を傾げ、こちらを上目遣いに見つめる鳥。
「大丈夫、生きてればきっといいことあるよ」
言い聞かせるように、そう呟いた。
私自身が何度も自分に言って聞かせてきた言葉だ。
ふるふる、と体を震わせて、少し羽を膨らませた鳥は、今度はキョロキョロと辺りを見回した。
飼い主の車は、もうとっくに見えない。
この鳥には少し窮屈そうなサイズの鳥カゴの底は、餌のカスやフンでひどく汚れていた。
胸がキューっと締め付けられる。息をふうっと吐き出す。ゆっくり呼吸を整える。
「大丈夫だよ」
なんとかこの子を元気付けようとした。言葉なんか、わかるわけないのだろうけれど。
私の言葉が終わると同時に、音もなく店のガラス戸が開いた。
『小鳥用品店 バードステーション』
飾り気のない文字だけのステッカーが貼ってある。
驚いた鳥がカゴの中でバタバタと暴れた。
「あ、ごめんごめん」
扉の向こうから男の人が顔を出した。
カゴの中の鳥と私を交互に見る。鳥がピィッと一声鳴いた。
「ああ、そういうこと」
彼は何かに納得したかのように、私のことを気にかける様子もなく無造作にカゴに手をかける。
カゴを取り上げられ、しゃがみ込んでいた私が取り残された格好だ。彼はそのまま店内に戻ろうとしている。
「あ……あの……」
この状況にいたたまれなくなった私は、思わず声を上げた。
「その鳥……」
この店の主人だろうか。眠そうな細い目、無造作ヘア……というか、ちょっとボサボサの黒髪。
「引き取りでしょう。このまま預かりますよ」
「いや、その……その子っ、私が持ってきたわけじゃなくて……!」
思わず全力で否定した。私が捨てていったと思われるのは心外だ。
「わかってますよ。様子を見ていてくれたんですよね。ありがとう。もう大丈夫です」
薄い笑みを浮かべ、小さく会釈すると、そのまま店の中に戻ろうとする。
「ちょっ、まって! その鳥……どうするの?」
「どうって……しばらくここで預かって育てますよ。新しい飼い主が見つかるまで」
「そ……そう……」
まだ何か、と言わんばかりの目でこちらを一瞥してから、男の人は細い目をさらに細めて困ったような表情を作った。
「ところで、大丈夫ですか、時間……」
そうだった。
「え、あっ?! そうです、そうでした! やばい、急がなきゃ」
私は急ぎ自転車にまたがり、ペダルにかけた足に力を入れる。
「あのっ、あとでまた……見にきてもいいですか?!」
彼はきょとんとした顔をしながらも、いいですよ、と小さく返事を返してくれた。
早朝の町を自転車で走り抜ける。
足がどんどん重くなる。遅刻だ。怒られる。ここからスパートをかけないとギリギリ間に合わないだろう。
私は無心にペダルを漕いだ。ああ、バイク通学が羨ましい。私の家が学校からあと500メートル離れていたなら、バイク通学が許可される距離だったのに。そうだったなら、あと5分は寝ていられるかもしれないのに。
どうでも良いことを考えながら、足は同じ速度で回転させ続けている。
今日は遅刻するわけにいかない。やっとの思いで射止めた主役。高校演劇地区大会に向けての朝練開始の日なのだ。
なんとしても遅刻するわけにはいかない。
けれど、そんな日に限ってアクシデントは起こるのだ。
叫びが聞こえた。
笛を鳴らしているような甲高い音。
ピィィィーーーッ
どこか、もの悲しさを含んだような。
叫び、と表現するのが正しいのかどうかわからない。けれど、それは確かに叫びだった。
ピャァァァァーーーーッ
声が近づいてくる。いや、私が近づいているんだ。この道の先から聞こえてくる。
長雨が続いた6月の半ば。今日は久しぶりに朝から太陽が顔を出した。午前6時半を少し回ったころ。このあたりには、まだ人の姿はない。その声だけが、静かな町に響き渡る。
鳥の鳴き声だ。そう気づいたのは、その姿が見えてくる頃だった。
道の右手に四角いカゴが置かれている。
ピャーーーーーーッ
灰色の鳥が小さい体を精一杯に使い、遠くまで響く甲高い鳴き声を上げていた。
私はカゴの少し手前で自転車を降りた。
灰色の鳥は、トサカみたいな頭の羽をピンと立てながら、道の先に向けて再び鳴き声を上げた。
鳥の視線の先には、走り去る車。
ピャァァァァーーーッ
その声を最後に、灰色の鳥は叫ぶのをやめた。車が見えなくなったのだ。
あの車の主がこの鳥を置いていったのだろう。カゴが置かれた場所は、小さな店の軒先だった。
私はペダルに足をかけ、車を追いかけようとした。けれど、すぐに再び自転車を降りた。
去る者を追っても無駄だ。
この先には大きな交差点がある。信号であの車が停まっていたら、私が全速力を出せば、まだ追いつけるかもしれない。
けれど、追いついたところでどうするというのだろう。その人物は明らかにこの鳥を置いていったのだ。
この子を捨てるつもりで立ち去ったのだ。
そんな人を呼び止めることに、なんの意味があるだろう。
それよりも、このままこの子を道端に置いておく方が危険な気がした。このあたりには野良猫もいる。
私は鳥カゴに歩み寄り、そばにしゃがみこんだ。
体は灰色で地味だけれど、顔は明るい黄色。なんといっても特徴的なのは、チークを塗ったかのように丸くオレンジ色に染まった頬。
なんだこのふざけた顔の鳥は。
本人(本鳥?)はそんなつもりはないのだろうが、こんな模様では、どうしたって、とぼけたような顔に見えてしまう。
思わずふふっ、と息を漏らして微笑んだ私の視線を避けるように、頬紅の鳥はカゴの隅に移動した。
「君もひとりぼっちになっちゃったんだね」
ぐいん、と首を傾げ、こちらを上目遣いに見つめる鳥。
「大丈夫、生きてればきっといいことあるよ」
言い聞かせるように、そう呟いた。
私自身が何度も自分に言って聞かせてきた言葉だ。
ふるふる、と体を震わせて、少し羽を膨らませた鳥は、今度はキョロキョロと辺りを見回した。
飼い主の車は、もうとっくに見えない。
この鳥には少し窮屈そうなサイズの鳥カゴの底は、餌のカスやフンでひどく汚れていた。
胸がキューっと締め付けられる。息をふうっと吐き出す。ゆっくり呼吸を整える。
「大丈夫だよ」
なんとかこの子を元気付けようとした。言葉なんか、わかるわけないのだろうけれど。
私の言葉が終わると同時に、音もなく店のガラス戸が開いた。
『小鳥用品店 バードステーション』
飾り気のない文字だけのステッカーが貼ってある。
驚いた鳥がカゴの中でバタバタと暴れた。
「あ、ごめんごめん」
扉の向こうから男の人が顔を出した。
カゴの中の鳥と私を交互に見る。鳥がピィッと一声鳴いた。
「ああ、そういうこと」
彼は何かに納得したかのように、私のことを気にかける様子もなく無造作にカゴに手をかける。
カゴを取り上げられ、しゃがみ込んでいた私が取り残された格好だ。彼はそのまま店内に戻ろうとしている。
「あ……あの……」
この状況にいたたまれなくなった私は、思わず声を上げた。
「その鳥……」
この店の主人だろうか。眠そうな細い目、無造作ヘア……というか、ちょっとボサボサの黒髪。
「引き取りでしょう。このまま預かりますよ」
「いや、その……その子っ、私が持ってきたわけじゃなくて……!」
思わず全力で否定した。私が捨てていったと思われるのは心外だ。
「わかってますよ。様子を見ていてくれたんですよね。ありがとう。もう大丈夫です」
薄い笑みを浮かべ、小さく会釈すると、そのまま店の中に戻ろうとする。
「ちょっ、まって! その鳥……どうするの?」
「どうって……しばらくここで預かって育てますよ。新しい飼い主が見つかるまで」
「そ……そう……」
まだ何か、と言わんばかりの目でこちらを一瞥してから、男の人は細い目をさらに細めて困ったような表情を作った。
「ところで、大丈夫ですか、時間……」
そうだった。
「え、あっ?! そうです、そうでした! やばい、急がなきゃ」
私は急ぎ自転車にまたがり、ペダルにかけた足に力を入れる。
「あのっ、あとでまた……見にきてもいいですか?!」
彼はきょとんとした顔をしながらも、いいですよ、と小さく返事を返してくれた。
14
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる