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雪女

亡者

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 声が聞こえた。
 遥の声だ。
(微かだけど聞こえた……どこだ、どこに……!)

 急いで山中へ向かう道を駆け上った。
 捜索を続ける人たちの横を通り抜け、あやかしの道に通じる場所を探した。
 手にした懐中電灯ひとつでは心もとないが、林道の終点からのびる無舗装の道へと足を踏み入れた。

 息が上がっている。心臓がいやに速く打っている。走ったからだけではない。何か、良くない感じがする。
 早くいかなければ。

「頼むから俺を入れてくれ、そっち側へ行かせてくれ……!」

 遥と小春の名を呼びながら、険しい坂道を上へとすすむ。
 やはり人間だけでは、あやかしの道へは入れないのだろうか。

(そうだ、高原さん……大天狗さまなら……)
 あやかしの道に入る方法を教えてくれるかもしれない。
 思った次の瞬間には電話をかけていた。
 電波は途切れ途切れで、ときおり圏外のマークがちらついている。

(繋がれ、繋がってくれよ……!)
 だが、コール音すら鳴らない。
 山道を戻るしかないか。諦めつつも、もう一度発信する。
 コール音が鳴った。
(よし、繋がれ!)

「はぁい、高原で……」
 瞬間、電話の声が途切れた。圏外だ。

「もしもし……もしもしっ! 嘘だろ、頼むから繋がってくれよ!」
「まぁまぁ、そんなに焦らなくても大丈夫だって」
「これのどこが大丈夫だって……え?」

 声は、背後からした。
 振り向くと、スマホの明かりに照らされた、にやけ顏が目に飛び込んできた。
 山の景色にはまるで溶け込まないスーツ姿の男がひらひらと手を振っている。

「なっ、なんで……」
「なんでって、僕に電話くれたじゃない」
「電話したからって急に現れる人なんていないでしょう、普通……」
 言ってから、この男が人でも普通でもないことに思い至った。

「使うんだろう? 願いごと」
 高原がぴっと人差し指を立てる。

「1回だけ、頼みを聞いてくれるんですよね。俺に……教えてください、あやかしの道へ入る方法を」
 ふふっ、と高原は笑う。
「僕にこう願えば簡単なのに。遥ちゃんと雪ん子ちゃんを連れてきてくださいって」

 悠弥もそれはわかっていた。でも。
「俺が行きたいんです。遥さんのところに。遥さんが、俺を呼んでいるから」

 高原は満足そうな笑みを浮かべた。
「だから好きだよ、君のこと。じゃあ、特別大サービス。連れて行ってあげるよ。二人のところまで」
 言ってこちらに左手を差し出す。

 一寸躊躇した悠弥の様子を一瞥した高原が、目を半眼にして口を尖らせた。
「僕だって可愛らしいお嬢さんと手を繋ぐ方がいいけど。でもこうしないと、君が永遠に暗闇の中を彷徨うことになる。これは僕の優しさだよ」

 迷ったら帰れなくなるかもしれないと、遥も言っていた。大妖と呼ばれる大天狗でさえこうして警戒しているのだから、相当危険な場所だということなのだろう。

 悠弥は差し出された左手をとる。
「よろしくお願いします」
「絶対に手を離すな。面倒くさいことになるから」

 言って歩き出す高原。半歩遅れて悠弥が続く。
 数歩進んだところで、高原がこちらをちらりと見やる。
 その瞬間、目の前が真っ暗になった。

「なっ……?!」
 目を開けているはずなのに、何も見えない。左手に懐中電灯を持っているはずだが、目の前に掲げたその手すら見ることができない。
「真っ暗だろう? 人間はここに入ると、なにも見えなくなるらしいね」

 先ほどと変わらぬ速度で高原は歩を進める。
 周囲には、なんとも言えない気配が満ちている。思わずつないだ右手をぎゅっと握ると、高原はくすくすと笑った。

「……高原さんには、見えてるんですか」
「そりゃまあ、僕は天狗だからね。さすがに薄暗いけど、しっかり見えるよ。良からぬものの存在も、ちゃんと、ね」

 含みのある言葉のあとに、何かがこちらに飛んでくる気配。
 バシッという音とともに、それが消える。
「まったく、身の程知らずというか、なんというか……」
 高原が何かを払いのけたらしい。

「何がいるんですか、この道には……」
 さもおもしろくなさそうに高原が答える。
「人の魂の成れの果てだよ。穢れきった人間の魂は天に還ることも、地に留まることもできずに、こういうところに溜まるんだ」

 小春の姿を見たときは、彼女の周りに黒い影がまとわりついていた。
 これはあの影で、もともと人だったのだというのか。

「死んだ人の霊……ってことですか」
「ちょっと違うな。でも、だいたい同じかもしれない」

 腑に落ちないが、どうやら悠弥が思う死後の世界と、あやかしたちのいうそれは少しずれているらしい。

「君もその魂が穢れたら、こんなふうに暗い場所を彷徨うだけの影に成り下がる。気をつけることだ」
 嘲るように言いながら、何度かそれを叩き潰すような鈍い音だけが聞こえる。

「彼らは人の体を欲している。もう一度現世に戻りたいと、その念だけが残った亡者だ。気をしっかり持っておけ、君の体は彼らにはお宝だからね」

 足元に絡みつく気配は、その亡者のものだろうか。これに捕らわれたら戻れなくなるのだろうか。
 思った矢先、ぐいっと左足をなにかに掴まれる感触。
 すごい力で真下に引っ張られる。

「うわぁっ、なっ、離せ……!」
 足元は地面だと思っていたが、今まで立っていた場所からどんどんと深く沈み込んでいく。
(沼?! 引きずり込まれる……っ)

 その力に負け、つないだ右手が離れる。
 次の瞬間、天地がひっくり返った。
 何かに絡みつかれたまま、頭から落ちていく感覚。温度のない、ぞわりとしたものが肌を撫でていく。
 叫ぶが、声が出ない。

(いや、違う……聞こえないんだ、何も)

 落下の浮遊感が止まり、水中にいるかのように上下が曖昧になる。音も、光もない真の暗闇。悠弥は手を伸ばした。だが、なんの感触もない。高原とは完全に引き離されたようだ。

 まとわりつくものは、全身に絡みついて離れない。羽交い締めにされるような格好で、身動きが取れなくなる。
 耳元で、息遣いのような感触。一瞬でぞっと総毛立つ。

(体を欲しているって……まさかこいつらに体を取られるってことか)

 冗談ではない。悠弥はなんとか振りほどこうと力を入れた。

(ふざけんな! 俺は遥さんと小春ちゃんを助けに来たんだ!)
 強く、強くそう思った。

 すると少し、締め付けが弱くなる。悠弥は勢いに任せて体をひねり、腕を振り上げた。
 伸ばした手に、冷たい何かが触れた。
(なんだ?)
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