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エピローグ

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 座敷に上がると大勢の学生がメニューやスマホと睨めっこしていた。新入生が大半を占めているので、見覚えのない顔が多い。

「理人、深月! お前ら遅えぞ!」
「おー、悪い悪い」

 座敷の通路を突っ切って、奥のテーブルにいる近野に声をかける。騒がしかった店内がとたんに静まり返る。珍しく深月がいるので、みんな声をかけるタイミングを伺っているのだろう。

「これで全員揃ったな」
「え、俺ら最後?」
「最後、最後。とりあえずさっさと座れ」

 今回の飲み会で俺は深月の隣に座ると決めているので、ほかの席に座るつもりはない。新歓である以上、テーブルごとにバランスよく学年や性別が散らばっているが、近野もバレンタインの飲み会のことが気になっているらしく、俺と深月が隣に座ることについては何も言わなかった。

 全員がドリンクを注文し終え、新入生歓迎会がスタートした。各テーブル席にいる新入生が簡単な自己紹介をする。

 俺と同じテーブルには五人の新入生がおり、そのうちの一人がイケメンで、近野がさっそく今年の学祭の美男子コンテストに出場させようと嬉々として話していた。

 新入生のほとんどが大学という、高校とは違う世界に憧れを抱いているらしく、話すというよりは学祭やサークル、飲み会についての質問が多かった。

「ま、飲み会はだいたい俺が幹事やるから、そのときは参加してくれよ。あと合コンも」

 飲み会好きの近野は、また合コンの予定をたてているらしく、さっそく新入生のイケメンに声をかけていた。


 それから一時間ほどして、みんな酔いが回ってきたころ、いつの間にか近野は二つ隣の席に移動していて、俺の左隣には赤坂が座っていた。近野以外にもメンバーは変わっていて、新入生は席を移動するたびに自己紹介をしていた。

「八月一日先輩ー! あの、質問してもいいですか?」

 赤坂の隣にいた茶髪に化粧の濃い新入生の女の子が、テーブルに身を乗り出してわざとらしく手を挙げた。先の尖ったネイルがギラギラしている。

「いいけど、何?」
「先輩って付き合ってる人、いますか?」

 その質問に、同じテーブルにいたメンバーが一斉にこちらを見た。ついでに近野も見ていたが、深月はいつも通り一人で唐揚げを食べていた。

「私もそれ、聞きたかったんです!」
「私もー」
「先輩かっこいいからめっちゃ興味あります」

 同じ席の女の子たちからも声が上がる。こういう場で、この手の話題が出てくるのは当然のことで、彼女がいるかどうか聞かれることはわかっていた。

 相手が呉内さんだと言うつもりはない。でもこれから先、合コンに呼ばれたり、必要以上に連絡先を聞かれたりしないように、付き合っている人がいることだけは、はっきり言うと決めていた。

「……いるよ」

 酒は乾杯の一杯以降、深月に止められているので、ウーロン茶を飲みながら答える。飲み会の席で酔わないというのは、これはこれでいいかもしれない。

「は!? え、ちょっと待て! 理人、お前彼女できたの!?」

 近野が大袈裟にテーブルを叩いて立ち上がる。

「聞いてねえって!」
「言ってねえし」
「……深月、理人に彼女ってマジ?」

 黙々とからあげを食べていた深月は、近野からの質問に一度だけ顔を上げた。からあげのせいで頬がリスみたいに膨らんでいる。それを飲み込むと、その場にいた全員に視線を向け、一拍おいてから「マジ」と呟いた。

 一瞬の沈黙のあと、近野が声を荒げた。

「はあ!? 嘘だろ!? マジかよ……ってか、彼女できたんなら言えよ!?」
「聞かれなかったし……」
「え、理人マジで彼女いんの!? 紗江ショックなんですけど!」
「は!? え、ちょっと理人、ついに彼女できたの!?」

 近野が大声を出したせいで、他のテーブルからも声がある。相模がわざわざ別のテーブルからこちらに来る。

「でもさ、バレンタインのときは彼女いなかったよな?」

 相模は俺の斜め後ろに座って肩を組み、同意を求めるようにテーブルにいる他のメンバーを見る。

「どこの子? うちの大学? あーいや、他の学科の子か? それとも聖女? 南大のミスコン優勝者? あと考えられそうなのは……」

 近野が指を折り曲げながら、俺の彼女候補を考える。

「もしかしてバレンタインでチョコくれた人と付き合ったとか?」
「は? チョコはもらってないって言ってたじゃん」
「あのあと、誰かからもらったとか」
「同い年? 年下? もしかして年上?」
「あ、もしかしてあのとき、チャット交換した他学科の子?」

 質問責めにあうこともわかっていたので、こういうときのためにちゃんと答えを用意しておいた。
 
「内緒」

 一つでも答えればさらに質問は増えるだけだ。要するにこういうときは何も言わないのが一番いい。相手を女だと思ってる時点で、絶対に正解には辿りつかないけど。ちなみにバレンタインの飲み会でチャットを交換した相模の女友達とは、予想通り社交辞令程度のやりとりしかしていない。

 グラスに残ったウーロン茶を一気に飲み干す。呉内さん、今ごろ何してるかな。こっちが夜だから向こうは朝か。

 ふいに呉内さんが日本を発った日の朝のことを思い出す。あのときは三週間くらい大丈夫だろうと思っていたのに、今はこんなにも早く帰って来て欲しいと思っている。

「うわー、理人の幸せそうな顔、マジで腹立つ。ぼっち同盟だと思ってたのに」
「理人に彼女とか聞いてないし!」
「まじでビビったわ。つか、どんな美女よ。顔写真ないの?」
「うるせー。写真はないし、あっても見せない。ま、そういうわけで、今後は合コン行かないからな、近野」
「マジか……」
「つか、新歓なんだからもう俺の話はいいだろ」

 ヤケクソになった近野がビールを一気飲みする。赤坂が俺の隣を離れる。唐揚げを食べ終えた深月が、別皿に残っているサラダを完食する。この話をきっかけに、新入生の恋愛事情や大学生になってからやらかした恋愛話などで盛り上がりはじめる。

 深月も新入生から色々と質問されていたが、そのほとんどをうまい具合に受け流していた。


 二時間飲み放題の一次会が終わり、だらだらと話しながら全員で店を出る。近野と相模は二次会に参加する学生の人数を確認し、次に行く居酒屋を探している。

「近野、相模。悪いけど俺と深月は帰るわ」

 二次会の居酒屋を抑えた二人に声をかける。何十人もの人間がそこかしこで話しているので、少しだけ声のボリュームを上げる。

「りょーかい。またな」
「おう、また学校で」
「理人!」
「何?」
「彼女、大事にしろよ」
「……おう」

 俺と深月は学生の輪から離れ、駅に向かって歩き出す。人の波から抜けると、途端に車の走る音や人の歩く音がはっきり聞こえるようになる。

 駅までの道中、深月は今日の居酒屋で食べた料理がどれも美味しかったので、今度家で再現すると話していた。

 乗客の少ない電車に乗り、三つ先の駅で降りる。暖かい車内から降りたせいか、外に出ると冬のように寒くて、思わずスプリングコートのポケットに手を入れる。

 人通りの少ない路地を歩く。ときどき吹き付ける風がコートの裾を揺らす。

「深月ー」
「何?」

 歩きながら声をかけると、まっすぐ前を見たまま深月が返事をする。

「もうすぐだ」
「そうだね。もうすぐだ」
「今日寝て、明日起きたら、だよな」
「うん、明日だよ」

 お酒は乾杯の一杯しか飲んでいないのに、酔っているときみたいに気持ちがふわふわしている。

 外からは見えないように服の下に入れていたネックレスを取り出す。呉内さんから誕生日にもらったシルバーリングはチェーンを通し、ネックレスとして身につけている。

 傷がついたり汚れたりするのを防ぐためと、単純になくさないようにするためだ。呉内さんがあらかじめチェーンも用意してくれていたので、ありがたくそれを使っている。

 高校生のころ、彼女からペアリングが欲しいと言われて買ったことがある。学生でも買える値段のものを二つ買ってお互いに身につけていた。でもアクセサリーの一つという感覚しかなくて、その意味を深く意識したことはなかった。

 でもこのリングは、まるで自分は呉内さんのものだと言われているような気がして、見るたびに嬉しくなる。ピアスだって同じだ。ただのアクセサリーは、好きな人からもらったりお揃いであったりするだけで、特別なものに変化する。

 路地から大通りに出る。目の前の信号が青になった。深月の家はこの横断歩道の先にあるので、今日はここでお別れだ。

「理人」
「ん?」
「俺は理人が幸せそうでよかったよ」

 クリスマスの日、雪の降る中ベランダで深月に言われた言葉を思い出す。長い冬は終わった。季節が変わっても俺たちは前に進んでいる。これからも、この先もずっと、呉内さんと一緒に進んでいきたいと思う。それが俺の幸せだからだ。

「……ありがとな!」

 深月が横断歩道を渡りはじめる。信号が点滅する。深月の背中が人混みに紛れて見えなくなったところで、俺もマンションに向かって歩き出した。

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