イージーモードな俺の人生を狂わせたアイツ

世咲

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第六章

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 翌朝、目が覚めて真っ先に視界に入ったのは、こちらを見て微笑む呉内さんの顔だった。ベッドの向こう、呉内さんの後ろでカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。きらきらとした光が眩しくて、思わず目を細める。

「おはよう、理人くん」

 ぼんやりする頭で昨夜のことを思い出す。飲み会のあと呉内さんに助けられて、一緒に風呂に入って、ちゃんと自分の思いを伝えたんだっけ。それでこうやって二人で一つのベッドで寝ているんだ。そう思うと嬉しくて、思わずかけ布団で顔を覆った。

 何より寝起き様に見る呉内さんは心臓に悪い。こんなにきれいでかっこいい人が俺の恋人だなんて。

「朝ごはん、できてるよ」

 布団越しに呉内さんの声がして、ちらっと顔を出すと、上から覗き込むようにこちらを見ていた。

「だから出てきてほしいな」

 柔らかい声だった。たぶん、友達や会社の人たちの前では絶対に出さないような、柔らかくて甘い声。呉内さんが少しだけ布団をめくる。

「おはよう、ございます……」
「寝起きの理人くん、可愛い」

 覆い被さるようにして、上から頬や首筋にキスされる。くすぐったくて体をくねらせるが、呉内さんに力で勝てるはずもなく、あっという間に両手首を押さえられてそのまま唇にキスをされた。でもあのときみたいに跡がつくほど強くはない。たぶん、俺が手を動かせば簡単に振り解ける力だ。

「足とお腹は大丈夫?」
 
 呉内さんは俺の手首を離すと、今度は触れない程度に下腹部を指差した。殴られた部分はまだ少し痛いが、気にするほどのことでもない。青あざは濃くなっているだろうから、見ないようにした。

「大丈夫です」

 そこまで話して、呉内さんがシャツを着てスラックスを履いていることに気づいた。そうか、今日は平日なんだ。つまり呉内さんはこれから仕事に行くわけだ。

「あ、すみません。今日、お仕事ですよね」
「ん? ああ、大丈夫。まだ七時だから」

 ベッドのヘッドボードに置いてある時計を見ると、七時五分だった。よかった。俺のせいで遅刻寸前だったらどうしようかと思った。

「顔洗っておいで」
「はい」

 布団からのろのろと出て、座った状態で床に足をついた瞬間、忘れていた痛みに襲われる。でも歩けないほどではない。ガーゼと包帯が巻かれているので、できるだけそちらに体重をかけないようにして歩けば問題はない。

 あとは呉内さんに気づかれないように歩けば大丈夫だ。

「理人くん」
「は、はい」

 呼ばれて顔を上げると、いつの間にか目の前にいた呉内さんに脇腹を掴まれ、そのまま持ち上げられた。慌ててしがみつくように呉内さんの肩に両手を回し、大人が子供を抱いているときのような体勢になる。

「無理しちゃダメだよ」
「でもちょっとくらい歩かないと……」
「大丈夫。俺がいるときくらい甘えて?」

 優しい声でそう言われると、もう何も言えなくなる。そのまま洗面所に連れて行かれ、顔を洗って歯を磨き、再び抱き上げられてダイニングキッチンに行った。

 テーブルにはホテルの朝食か、と言いたくなるような和食が並んでおり、ソファに座った瞬間お腹が鳴った。味噌汁のいい匂いが鼻をかすめる。

「いただきます」
 
 久しぶりに食べる呉内さんの料理はやっぱり最高に美味しくて、ついおかわりした。目が覚めたら好きな人がいて、朝から手作りのこんなに美味しいご飯を食べられるなんて、本当に夢みたいだ。

「あ、そうだ。昨日着てた服乾いてるよ」
「ありがとうございます」

 この家の洗濯機は乾燥機がついているため、洗濯物を干す必要がないらしい。おかげで自分の部屋に入れなくても着替えることができる。昨夜、スマホの充電器も借りたのであとで確認しよう。

 食後、呉内さんがコーヒーを淹れている間に、私服に着替えてスマホを確認すると、大量のメッセージと着信履歴があった。

 着信履歴は深月と近野から。メッセージは昨日飲み会に参加したメンバーからだ。メッセージのほとんどが今度食事に行こうとか、また飲み会しようとか、そんなことばかりだった。

 おそらく近野は混乱を避けるために、参加メンバーに俺の話をしなかったのだろう。

 深月と近野に心配と迷惑をかけたお詫びのメッセージを送ると、すぐに深月から電話がかかってきた。呉内さんに断りを入れて廊下に出て、電話に出る。

「もしもし、理人?」

 電話越しの深月の声は切羽詰まったような感じだった。それほどまでに心配をかけてしまったのだろう。

「あー、その心配かけてごめん」
「いいよ、そんなの。それより大丈夫? 飲み会の途中でいなくなったって聞いたけど」
「うん。詳しいことはまた会ったときに話す」

 深月にだけは話しておこう。でもそれはこの電話ではなく、会ったときに直接だ。

「わかった。今、朱鳥さんの家?」
「そう」
「じゃあ、すぐにそっちに行くよ。近野から荷物預かってるし」
「持って来てくれるのか?」
「もちろん。鍵ないと帰れないでしょ?」
「……ありがとな」

 電話を切ってもう一度スマホを見ると、近野からメッセージが届いていた。柴本の話を近野にするつもりはない。昨日トイレに来たことや、荷物を預かってくれていたこと、そしてこのメッセージの内容から考えて、おそらく近野は何も知らない。何より近野と柴本は中学時代の友達だ。友達が友達を襲ったなんて、知りたくないだろう。

 近野に返信をしてからダイニングキッチンに戻った。
 
「あの、呉内さん。深月が今からここに荷物を持って来てくれるみたいなんです。呉内さんが家を出るのは何時くらいですか?」
「俺は八時半に出るよ」

 あと二十分か。深月の家から急いで出ても最低二十分はかかる。ちょうどこの家を出る時間と重なる可能性がある。深月が八時半に間に合わなかったら、呉内さんをエントランスまで見送ってそのまま外で待っているとしよう。

 スマホの画面に深月からの「今、出た」というメッセージが表示される。チャットを開いて返事をする。トーク画面に並ぶ名前を見て、ここに呉内さんの名前もあったらいいのに、と思った。

 ……いや、恋人同士なんだから、連絡先交換するのは普通だよな。むしろ知らないほうが不自然だよな。ここは思い切って聞いてみようか。

「あの……呉内さん」

 ソファでコーヒーを飲んでいる呉内さんの隣に座る。

「どうしたの?」
「えっと……その、俺と、連絡先を交換……してください」
 
 連絡を聞くだけでこんなに緊張していることが恥ずかしくて、思わずスマホで顔を隠す。呉内さんが相手となると、とたんにすべてがこれまで通りにはいかなくなる。

「もちろん。俺も理人くんの連絡先、聞こうと思ってたから」

 すぐにチャットのアカウントと電話番号を交換する。チャットの友達の欄に呉内さんの名前が追加された。アイコンは未設定だった。呉内さんっぽいと思った。ちなみに俺のアイコンは歩いているところを後ろから深月に盗撮されたものだ。

「写真、アップしてるんだね」
「あっ……それは」

 チャットのタイムラインに載せているのは高校のときの写真と、大学の入学式の写真だ。SNSはほとんどしないが、高校のとき暇つぶしにアップしていた時期があった。結局、面倒になって今では何も投稿していない。

「ねえ、この写真、保存してもいい?」
「え、ああ、大丈夫です」

 俺の高校時代の写真なんか保存してどうするのだろうと思うが、呉内さんが嬉しそうにスマホを見ているので何も言わないことにした。

「理人くん。これからは何かあったら俺に連絡してね。もし、君が遠くにいても絶対に駆けつけるから」
「ありがとうございます……俺も、連絡もらえると嬉しい、です」

 よし、これでいつでも連絡できる。連絡先を交換しただけで浮かれていると、すぐに呉内さんが家を出る時間になった。
 
 深月から到着したというメッセージは来ていない。

「それじゃ、出ようか」
「はい」

 スーツの上からコートを羽織り、ビジネスバッグを持った呉内さんと二人で玄関に向かう。俺がドアを開けた瞬間、呉内さんが忘れ物だと言って慌ててリビングに戻った。

「おはよう、理人」

 ドアを開けると、目の前に大きな紙袋を持った深月が立っていた。まさかもう来ているとは思わなかった。

「深月! 悪いな、わざわざ来てもらって」
「いいよ。それより……」
「理人くん」

 深月から紙袋を受け取ろうとした瞬間、後ろから呉内さんに名前を呼ばれた。反射的に振り返ると、ごく自然に後ろから抱き寄せられ、顎を掴まれてキスをされた。

「行ってくるね」

 ゆっくり唇を離すと、呉内さんはそう言って俺の頬に手を添えた。



 そのあと三人でエレベーターに乗って一階まで降り、マンションを出る。呉内さんの車が見えなくなったところで深月が俺を見て呟いた。

「さっきのあれ、絶対わざとだよね」
「え?」

 深月の言葉の意味を理解した瞬間、恥ずかしすぎてその場にしゃがみ込んだ。
 
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