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第六章
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しおりを挟む風呂から上がり、呉内さんの部屋着を借りた。下着は以前、サイズを間違えて買ったという新品のものをもらった。
俺が脱衣所で着替えている間、呉内さんは浴室で濡れたシャツを脱いでいく。一つ一つボタンを外しシャツを後ろにずらすと、無駄のない腹筋が見えた。あの体に抱きしめられていたのかと思うと頭がくらくらする。
シャツを脱いだあとスラックスに手をかけたところで、俺の視線に気づいた呉内さんが顔を上げた。
「じっと見られると恥ずかしい、かな」
「えっ、あ……す、すみません!」
慌てて背を向ける。部屋着を着た瞬間、ふわっと呉内さんの匂いに包まれる。気づかれないように大きく息を吸って、呉内さんの匂いで肺が満たされるのを感じた。
部屋着のサイズは少し大きかった。肩や腰の周りは生地が余っているし、ズボンはウエストの紐を強く締めないと歩くだけで脱げてしまいそうだ。
ウエストの紐を結ぶのに夢中になっていて、後ろに呉内さんがいることを忘れていた。突然ぎゅっと両手で腰を掴まれ、思わず肩が上下した。
「うわっ!?」
「前から思ってたけど、理人くんって腰細いよね」
「へ……?」
そうだろうか。自分ではそんなに細いとは思っていないのだが、たしかに鍛えている呉内さんと比べると細いのかもしれない。
「もっと……筋肉つけたほうがいいですか?」
「ううん。きれいだなって思っただけ。それに俺の服着てるの、ちょっと大きくて可愛い」
可愛いと言われるのはまだ慣れなくて、言われる度に気持ちが浮つく。
可愛いと言われることも腰が細いことも、男としてはどうなのだろうと思うが、呉内さんが褒めてくれるなら気にしないくてもいいかもしれない。
呉内さんの手が離れたのを確認してから恐る恐る振り返ると、まだ着替えている途中だったらしく下着以外何も身につけていなかった。俺ばっかりこんな気持ちになるのは悔しいので、呉内さんの腹筋のあたりをそっと触れた。
「く、呉内さんの体もすごく、きれいです……俺と違って筋肉もあるし、引き締まってるし……」
割れ目の部分を指でなぞる。胸の辺りは厚みがあるのに、腰に近づくつれて細くなっている。股関節の部分にくっきりと線があって、男の体という感じがして羨ましい。
思わず見惚れていると、腹筋に触れていた手を掴まれた。視線を上げると、呉内さんと目が合う。こちらを見る目は熱を含んでいて、見ているうちにその熱に飲み込まれるんじゃないかと思った。
「理人くん……」
「は、はい」
「そんなに触られると、我慢できなくなっちゃうから」
呉内さんは俺の耳に口づけするように話す。ざらりと舌の感触に身震いする。
「あっ、その……」
もう一度ゆっくりと視線を下げると、下着越しもわかるほど大きくなっていて思わず息を呑んだ。全身が熱いのはたぶん風呂上がりだからだと自分に言い聞かせる。
「びっくりさせてごめんね。でもあんまり話してると風邪ひいちゃうから」
呉内さんは俺の手首をそっと離すと、何事もなかったように部屋着を着た。今、俺が着ているのと同じ、もこもこしたプルオーバーに、足首にゴムがあるジョガーパンツだ。
「そろそろ髪乾かそうか」
着替え終えた呉内さんは俺の頭にタオルをかけた。
「その前にちょっとだけ拭いておくね」
ふわふわなタオルで頭を拭かれる。でもタオルで視界が遮られるのが嫌で、少しだけ上を向いた。
「よし、それじゃあ洗面所行こうか」
呉内さんはそれが当たり前のことであるかのように、俺を再び横抱きにして洗面所まで運ぼうとした。
「あ……」
「うん? どうしたの?」
「もう、歩けます……から」
さすがにこう何度も横抱きをされるのは恥ずかしい。まだ足が痛むとはいえ手当してもらったし、足の感覚も戻っている。
「うーん。でも俺がこうしたいから、ね?」
そう言われてしまえばもう何も言えない。俺は大人しくされるがまま洗面所に連れて行ってもらった。
ドライヤーで髪を乾かされている間、ずっと呉内さんの手が俺の頭の上にあって、ひどく心地よかった。その長い指で髪を梳かされ、大きな手のひらで頭を優しく撫でられる。
洗面所の鏡越しに見る呉内さんは、ずっと伏せ目がちに俺の髪を見ていた。長いまつ毛が大きな目を隠している。こっち見ないかな、なんて思いながら俺はずっと鏡の中の呉内さんを見ていた。
俺の髪が完全に乾いたところで、ようやく鏡越しに呉内さんと目が合った。さきほどの射抜くような視線とは違い、優しくて温かい。
「これでいいかな」
「ありがとうございます」
「理人くんの髪って触り心地いいよね」
「そうですか?」
「うん。ずっと触っていたくなる感じ」
呉内さんはドライヤーを片付けたあとも俺の頭を撫でてくれた。髪なんか気にしたことはなかったが、そう言ってもらえるのは嬉しかった。そう思う反面、俺も呉内さんの髪に触れてみたいと思った。
二人でリビングに戻りソファに座ると、呉内さんがホットココアを淹れてくれた。一口飲むと口の中にココアの甘みが広がり、ずっと緊張状態だった体がほぐれていく。
呉内さんも隣で静かにココアを飲んでいる。スーツから部屋着に変わるだけで、いつもは遠く離れた存在が少し近くなったような気になる。
スーツを着てたってことは、俺を探してくれたのは仕事終わりだったってことだよな。でも、何で俺のことを探してたんだろう。居酒屋からいなくなったことを知るはずないのに。
「……あの、呉内さん」
マグカップをテーブルに置く。今日あったことは言いたくなかった。でもこれだけ迷惑をかけておいて何も言わないのはよくないかもしれない。それにあの雨の中で何も知らないはずの呉内さんが、どうやって俺を見つけてくれたのかも知りたかった。
「ん?」
「その……どうやって俺のこと……見つけてくれたんですか」
呉内さんもマグカップをテーブルに置くと、体をこちらに向けた。
「君の友達のおかげだよ」
「友達って……」
「近野くんと深月くん」
近野はまだしも深月の名前が出るとは思わなかった。だって深月は飲み会にすら参加していない。
「でも深月は飲み会に参加してないんです。それなのに何で……」
「順を追って説明するね」
呉内さんの話はこうだった。
飲み会で酔った俺がトイレに行ったままいつまで経っても戻って来ない。不審に思った近野が様子を見にトイレに行った。外から声をかけたが反応はなく、一旦座敷に戻って俺のスマホに電話をかけた。
しかし何度かけても電話は繋がらず、他のメンバーに聞いても、誰も俺の居場所を知らないと答えた。もしかしたら倒れているかもしれないと、もう一度トイレに行って今度は中に入ったが誰もいない。この時点ですでに俺は居酒屋を出ていた。
荷物を置いたままいなくなるのはあまりにも不自然だ。心配になって念のため俺と一番仲の良い深月に連絡をしたが、深月も俺の居場所を知らなかった。深月は飲み会のあと俺が呉内さんと会うことを知っていたので、京斗さんのスマホを使って呉内さんに電話をかけた。
電話を受けた呉内さんはちょうど家に帰ってきたところだったらしい。すぐに俺を探しにマンションを出たそうだ。
公園に寄ったのは、この雨の中荷物を置いて居酒屋を出たのだとしたら、どこかで雨宿りをしている可能性を考えたから。
靴を履いていないうえ財布や家の鍵を持っていないと聞いていたので、建物内に入るよりも外の雨を凌げる場所にいるんじゃないかと、公園や近くの駅を探していたらしい。
「公園にいる君を見たとき、本当に心臓が止まるかと思ったよ。でも同時に見つかったことにすごく安心した」
深月にはすでに俺が見つかったことは連絡済みらしい。おそらく深月から近野に連絡がいっているはずだ。
柴本はあのあとどうなったのだろうか。近野が二回目にトイレに行った時点で誰もいなかったということは、一人で帰ったのか、あるいは何もなかったフリをして飲み会に戻ったのか。
消えたはずの声が蘇ってくると同時に、殴れた部分が腹のあたりが重くなった。
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