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第六章
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しおりを挟む何で……何で柴本の口から由莉奈さんの名前が出てくるんだ。
「ま、あの人が呉内さんを好きすぎて、一人で暴走するのは何となく予想してたからいいけど」
場の雰囲気に合わず、やけに口調が軽い。まるで仲のいい友達について話すみたいに楽しげだった。
「でも、女の考えてることはわかんねーよな。自分の爪と一緒に加工した花を送りつけたり、好きな男に振り向いてもらうために、興味ない男に抱かれようとするとかさ」
バカにしたような笑い声が室内に響く。
「俺には理解できねえわ」
由莉奈さんが俺に宛てた花びら入りの封筒。その中には虫の死骸や彼女の爪が入っていた。今思い出しても胃の奥が気持ち悪くなる。
深月以外の友達に大晦日の件は話していない。怪我や入院については、アパートから飛び降りたのではなく、事故に遭ったことにしていた。そもそも学祭の打ち上げに参加していない柴本は、由莉奈さんの存在自体、知らないはずなのに。
「何で、お前がそんなこと知ってんだよ……」
「ん? ああ、だって、あの日お前を誘拐するように頼んだのも、酒に睡眠薬を混ぜたらいいですよって教えたのも、全部俺だから」
手品の種明かしをするみたいに、柴本の口端から笑みが溢れている。頭の思考回路を引きちぎられたみたいに、急に何も考えられなくなった。
「は……?」
「呉内さんの名前を出せば、お前が由莉奈さんについて行くことはわかってたしな。ありがたく利用させてもらった」
「由莉奈さんと知り合いだったのか」
「音信不通のセフレって言えばわかるか? 知り合ったのは学祭の女装コンテストを見に行ったとき」
二人が繋がっているとは考えもしなかった。いや、そもそもあの事件に自分の友達が関わっていたなんて、想像もしなかったし、知りたくもなかった。
「由莉奈さん言ってたぞ? 『朱鳥は八月一日理人に出会ってからおかしくなった』って。『あいつは私から人生で一番大切なものを奪った』だってさ。付き合ってもない男を男に取られたって喚いてるのは、さすがにバカみたいだったけどな」
大晦日の夜、花で埋め尽くされた部屋の中で、俺を襲おうとした由莉奈さんの顔が思い浮かぶ。とても苦しそうで、それでいて怖かった。
「簡単な話だったんだぜ? あの日は由莉奈さんがお前を誘拐して部屋に軟禁。そのあとは助けが来ないように、由莉奈さんが呉内さんを初詣に誘ってデート。で、一人になったお前を俺が犯すって、ただそれだけ。なのにさ、由莉奈さんは暴走するし、お前が呉内さんのスマホ持ってたせいで、GPSで居場所バレるし」
どうしてそこまでして柴本が俺を狙うのかがわからなかった。何かきっかけになるようなことでもあったか?
大学入学から今日までのことが一気に頭の中を駆け抜ける。いくら考えても理由がわからない。出会ったころから柴本は積極的に合コンに参加したり、セフレをつくったり、女の子との関係を築くことに必死だった。男の俺に興味があるような素振りを見せたことは一度もない。
「何でそこまでして俺を……」
俺を見下ろす柴本の目が、急に冷たくなった。とたんに目の前の男が誰なのかわからなくなり、視線を逸らした。頭が痛いのはたぶん酒のせいだけではない。
「俺さ、お前みたいなやつが大嫌いなんだよ」
「は……?」
「顔良くて、頭良くて、運動もできる。家も金持ちで、誰からも好かれて、人を疑うことさえ知らない。生まれてから一度も苦労なんてしたことがありません、みたいなやつ。生きてるだけで周りからちやほやされる、きれいな世界だけを見てきた、俺とは正反対の、そういう人間がずっと嫌いだった」
柴本は壁に手をつくと、俺の顎を掴んで無理やり目を合わせた。
「嫌いで嫌いで、そういうやつら全員消えてくんねえかなって、ずーっと思ってた。でも考えみたんだ。そういう人生勝ち組ですって面して悠々自適に生きてる人間が、俺の下でバカみたいに喘いでたら、最高だなって」
服の下に手を入れられる。反射的に柴本の手首を掴んだが、酒のせいかあるいは恐怖のせいか手にうまく力が入らない。
「さわ、んなっ……」
「理人、お前さ、呉内さんに抱かれてんだろ?」
「え……?」
「いいって、隠さなくても。お前の様子見てたらすぐわかったし。どうりでずっと彼女いないわけだよな? 男に抱かれてんじゃ、女なんか抱けねえもんな」
「そんなこと、あるわけねえだろ……」
精一杯睨むが、効果はまったくない。柴本はこの状況が自分に有利であることを理解している。服を胸元まで捲り上げるとつまらなさそうに眉間に皺を寄せ、舌打ちをした。
「噛み跡の一つもねーのかよ」
「俺と呉内さんは……そういうんじゃねえ」
「だから隠さなくていいって。男に抱かれたことあんならすぐできるよな?」
耳の奥を柴本の舌が這う。唾液の水音がやけに大きく聞こえて、気持ち悪さのあまり柴本の手首を掴んでいる手が震える。
「できるわけ、ねえだろ……! ふざけんのも大概しろ!」
喉からしぼり出すように声を上げて、柴本の手首に爪を立て、反対の手で押しのけようとしたが、すかさずに口の中に指を二本突っ込まれた。
「や、めっ……ろっ……ん、ぁっ!」
「あんまり騒ぐと、この奥までブチ込むぞ」
指が舌の上を伝って喉の奥に入り込んでくる。苦しくて息ができない。目の前がぼやけて、柴本の顔が歪んで見える。
何で……何でこんなことになってんだよ……。
柴本とは大学の新入生歓迎会で仲良くなった。近野と同じ中学出身で、いつも適当なことばっかり言ってるし、女の話ばっかりするし、柴本のことを真意の掴めない性格だと言うやつも多い。
でも俺はそういう性格も含めて好きだった。軽薄そうに見えて、ちゃんと他人のことを考えてるいいやつだと思っていた。
「言ったよな? 俺、お前なら抱けるって」
大学の食堂で女装コンテストについて話していたときのその発言も、勉強会で近野のためだと言って俺を押し倒したことも、全部大切な友達だから許したのに。
……いや、違うか。友達だと思ってたのは俺だけだった。入学してから今日までずっと大切にしていたものが粉々になって、全身から抜け落ちていくような気がした。
「その顔に生まれたことを今日だけは後悔するんだな」
口から指を抜かれ、腹の奥から何かが迫り上がってくるような感覚があった。吐きそうだと思った瞬間、柴本に前髪を掴まれ、無理やり顔を上げさせられた。
「はあ……っ、ぁ……頼む、から……もう、やめてくれ……」
口元から涎が垂れるのも気にせず、肩を使って必死で呼吸する。
たとえ柴本が俺のことを友達だと思っていなくても、心の底から嫌いでも何でもいい。でも今、ここで相手をしている暇はない。
「お前さ、そういう顔、相手を煽るだけだって覚えておいたほうがいいぞ」
ズボンのベルトに手をかけられた瞬間、頭の中で警告音が鳴り響き、反射的に柴本の両手を掴んだ。
「まじで、やめろ……っ!」
「手に力入ってねえぞ」
いとも容易く俺の手を振り解くと、柴本は一瞬何かを考える素振りを見せ、今度は自分のズボンのベルトに手をかけた。
「ま、先にこっちからでいいわ」
ベルトを外し、ズボンのボタンを開ける。何をされるの理解した瞬間、この空間ごと切り裂くように外から人の声がした。
「理人ー? まだトイレか?」
近野の声だった。俺がトイレに行ったきり帰ってこないことを気にして、探しに来たのだろう。
柴本が慌てて俺の口を手で覆い、壁越しにトイレの出入り口に目を向けた。気づかれたくないからか、近野の足音が遠ざかるまで動かない。
壁の向こうで近野の独り言が聞こえる。おそらく、トイレから返事がないので、ほかの客が入っていると思ったのだろう。
俺もこの状況を見られるのは嫌だったので、近野の足音が遠のいて行くのを待った。そして、足音が完全に聞こえなくなった瞬間、柴本がこちらを振り向くのと同時に、パンパンに膨れ上がった股間に蹴りを入れた。
「ぐあっ……!!!」
激痛に顔を歪めた柴本を押しのけて、急いでトイレの個室を出る。洗面台でスリッパを脱ぎ捨て、そのまま走って居酒屋を出た。
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