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第六章
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しおりを挟む周りの女の子たちに比べて化粧は控えめで、服もグレーや茶色といった地味な色なものを着ている。どうやら相模と同じ学科の学生で、前から俺のことを知っていたらしい。名前は言われて五秒後に頭から抜け落ちてしまった。
連絡先を交換したいとは思わない。この子に限らず、今は誰とも。でもここで断るのはさすがに不自然だろう。これまでの俺なら、絶対に交換していたから余計に。
「あー、俺、あんまり人と連絡取らないけどいい?」
女の子はそれでもいいから交換してほしいと言ってきた。
「お、お願いします……」
控えめなのか積極的なのかよくわからないその子とチャットのアカウントを交換した。充電がなくなりそうだったので、新しく追加された友達の欄を見てすぐにスマホを閉じる。
たぶん、この飲み会のあとに社交辞令程度のメッセージを送るだけで二度と連絡しないだろう。
「理人ってすぐ既読スルーするよね。紗江がメッセージ送っても、返事来るの次の日とかだし」
お前とそんなに連絡取り合ったことないだろ、と思いつつも、ウーロンハイを飲む。黒髪の女の子は連絡先を交換したあとは、大人しく自分の席に戻って行った。
「ありがとな、理人」
「いいよ。お前の友達か?」
「まあ、そんな感じ。つか、お前も早く彼女つくれよ!」
「ご忠告どうも」
相模はそう言うと、隣のテーブルにいた男に呼ばれてそちらに行った。カフェの店員の女の子と付き合ってから、相模はずっと浮かれている。
去年、相模の意中の店員が呉内さんに連絡先を渡しているのを見たときは、失恋確定だと思っていたが、どうやらそのあと相模が頑張ったらしい。今日は一次会で帰ると言っていたし、他の女の子とも連絡先は交換しないと言っていた。
俺だって、今日うまくいけば呉内さんと……。
ふと、このあとのことを考えて、一気に不安が押し寄せてきた。
……大丈夫だよな? 呉内さんは俺のこと好きだって何度も言ってくれたし、告白したら受け入れてもらえるんだよな?
受け入れてもらえるとわかっているのに不安になるのは、今ここにいる学生たちが全員異性を意識しているからだ。同性同士で仲良くなろうなんて人間はいない。当たり前みたいに、男は女に、女は男に声をかけて、わざとらしく顔を近づけてベタベタ触り合ってたり、くだらない話題で大袈裟に盛り上がったりしている。
その様子を客観的に見ていると、急に呉内さんが俺を好きだという事実に現実味がなくなっていく。
もし呉内さんがここにいたら、女の子たちに声をかけられて、きっと男の俺なんか視界にも入らない。そのうちにこの中で一番きれいな子と二人きりになれる場所に行って、一夜を過ごす。そんな様子を想像するのは簡単だった。
でもそれはあくまで俺の想像にすぎない。呉内さんは今日、俺の告白に頷いてくれる。あれだけ好きだと言ってくれたのだから、信じていいはずだ。
それなのに、もしも振られてしまったらと、余計なことを考えてしまう。考えたって仕方ないのに、一度この思考に入るとなかなか抜け出せない。
今、この場の空間の方が、俺にとって現実的なのはたしかだ。呉内さんといると、いつもの自分じゃないみたいなときがよくあって、ときどき夢でも見ているんじゃないかと思う。
ーー俺が好きなのは理人くんだから
あの日の呉内さんの声がゆっくりと遠のいていく代わりに、周囲の声がやけにうるさく聞こえはじめる。夢から覚めたような気分だった。
「それでさ、付き合ってると思ってたのに、こっちから家に誘ったら拒否られて、問いただしたら付き合った覚えはないって言われたってわけよ。本当最悪でしょ」
宮崎が自分の過去の恋愛事情についてペラペラと話している。こういう飲み会では、いかに自分の過去の不幸な恋愛事情で場を盛り上げるか、ということを考えている人間が一定数存在する。そしてそれを聞きたがる人間も多い。
他人の恋愛なんてどうでもいいのに、宮崎の話を聞いたとたん、体全体が不安に支配されているような感覚になり、それを取り払おうとウーロンハイを一気に飲んだ。
おかげで飲み会開始から一時間半後、見事に酔ってしまった。最悪だったのは、追加注文したウーロンハイを飲んだと思ったら、隣にいた赤坂のテキーラだったことだ。
酒は弱いわけではないが、特別強いわけでもない。立て続けにウーロンハイを三杯飲んだあとにテキーラを飲んだ瞬間、さすがに気分が悪くなってきた。
「ちょ、理人、今日は飲まないんじゃなかったのかよ。顔色、悪いぞ?」
隣に座っている近野が俺の異変に気づいたらしく、心配そうに眉間に皺を寄せ、背中をさすってくれた。
「つか、お前、それ赤坂のテキーラだろ」
「あー、うん。間違えて飲んだ」
「間違えたって……大丈夫かよ」
「大丈夫。でもちょっとトイレ行くわ」
吐き気がするほどではないが、一旦この人混みから抜け出したい。そこら中から聞こえる人の声やガチャガチャと食器同士が当たる音が頭に響くからだ。
酒を飲むつもりはなかった。でもどうしてもこのあとことを考えると不安で、怖くて、それらを少しでも誤魔化すためには飲むしかなかった。
「おい、理人、大丈夫か?」
スリッパを履いて座敷を出ようとしたところで、出入り口から一番近い席に座っていた柴本に声をかけられた。自分の話が終わったあとは、スマホをいじっていたらしい。
気分が悪いからトイレに行くと伝えると、心配だからと柴本はついて来てくれた。
座敷を出て、人の熱気から抜け出しただけでも少し気分がよくなった。そのまま階段を降りて一階にあるトイレに向かう。
ほとんどの人間が酔っているこの状況で、二人の学生が席を離れたことを気にするものは一人もいなかった。
ここの男子トイレはドアを開けると正面に洗面台があり、その右側にあるドアを開けると便座がある。洗面台の空間には大人が二人並べるほどの広さがある。運良く先客はいなかった。
「個室入るか?」
「ああ、そうだな。すぐ出るからお前は戻っていい……」
後ろにいる柴本にそう言おうとして、いきなり肩を掴まれた。そのまま後ろから強く押されて、倒れ込むように個室入った。
「おい! 危ないだろ、こんな狭い場所で」
振り返って抗議の声をあげたが、突然腹部に鈍い痛みを感じ、個室の真ん中にあった便座の上に座り込んだ。殴られたと理解するにはかなり時間がかかった。
「いっ……」
「理人ってさ、本当、警戒心薄いよな」
頭上からする声が誰のものか、一瞬わからなかった。
「……は? お前、何言って」
ガチャリ、と個室の鍵が閉まる音がした。とたんにトイレの外の音や話し声がすべて聞こえなくなり、閉塞感に息が詰まりそうになった。
「ああ、安心しろよ。ここのトイレは女子トイレと男子トイレと兼用トイレがあるから、ちょっとくらい入ってても文句言われねえし」
「……言ってる意味がわかんねえって。お前、何がしたいんだよ」
「ここまでされてわかんねえの? そんなんだから俺みたいなのに狙われるんだよ」
「……狙われるって何だよ」
柴本が何を考えているのかわからない。ただ酒のせいで酔っているんだと思いたかった。それなら、まだ笑って許せるから。
……だから、そんな目で見んな。
「由莉奈さんが失敗したときは、もう諦めようって思ったんだけどな」
「……は?」
その名前が出た瞬間、全身から血の気が引いていくのを感じた。
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