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第四章
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しおりを挟む手紙の件で深月と一緒に警察に行ったが、話を聞く限り犯人逮捕に期待はできそうになかった。
手紙に犯人の筆跡はないし、マンションに設置されている防犯カメラは個人情報のため、確認するには開示請求が必要となるらしい。映っていたとしても、犯人が変装していた場合、個人の特定ができるかどうかはわからない。爪からDNA鑑定をしたとしても、犯人が前科者でなければデータベースに登録がないので意味がないとのことだった。
結局、俺自身に大きな被害がない以上、徹底して捜査をしてもらえるものでもないらしく、警察からは見回りを強化するとだけ言われた。
十二月三十一日。大晦日。カルラは年始が休みのため、営業が再開するのは一月四日からだ。そして大晦日の今日は普段より早い夜の七時に閉店する。
退院して体調がよくなった氷坂さんに、一昨日あたりから常連客たちが挨拶に来ていた。今日も見知った顔が多く、ゆったりとした時間が流れていた。
夕方の六時ちょうど。ドアベルが鳴り出入り口を見ると、私服姿の呉内さんが立っていたので、すぐに出迎えに行った。この時間帯で私服ということは仕事は休みなのだろう。
「こんばんは」
「こんばんは。今日は七時で閉店なんだよね?」
「そうですね。あ、席はいつもの場所でいいですか?」
ちょうど空いていたので、いつものテーブル席に案内しようとしたところで、カウンターから氷坂さんが出て来た。そういえば呉内さんと氷坂さんは会ったことがあるのだろうか。知らないうちに井坂くんとも仲良くなっていたくらいだし、顔見知りになっている可能性はある。
氷坂さんは呉内さんを見ると、とても嬉しそうに笑って見せた。
「やあ、朱鳥くん。久しぶりだね」
「お久しぶりです、氷坂さん。覚えていてくださったんですね」
呉内さんは足を止めて氷坂さんに会釈をする。
「もちろんだとも。君が来てくれるのは嬉しいよ」
「実は何度か来てたんですけど、タイミングが合わなかったみたいで」
「気にしないでくれ。私も長い間、入退院を繰り返していたからね」
「体調はもういいんですか?」
「医者からは無理をするなと言われたくらいさ」
氷坂さんが笑うと、呉内さんもつられて笑う。まるで昔からの知り合いのような距離感だった。
「あ、あの……氷坂さん、呉内さんとお知り合いなんですか?」
二人のやりとりを見ていて、口を挟まずにはいられなかった。
「ん? ああ、知り合いも何も、朱鳥くんは学生時代にうちで働いていたんだよ」
「は!?」
呉内さんがここで働いていた? そんな話は聞いたことがない。呉内さんがバイトをしていたというのも意外だったし、それがカルラだというのは想像もしなかった。思わず二人の顔を交互に見る。
「隠していてごめんね、理人くん。でもわざわざ言うことでもないかなって」
「あ、いえ……ちょっとびっくりしただけで」
「理人くんと朱鳥くんは知り合いなのかい?」
「はい。理人くんの友達の兄さんと同じ職場で働いてるんです。彼とはマンションも同じで」
「そうか、そりゃすごい偶然だ。朱鳥くんは理人くんと同じで、お客さんから人気があってね。彼がいる日はとても忙しかったよ」
「そんなことないですよ」
そりゃ、呉内さんが接客業なんかしてたら大騒ぎだろう。今日だってカルラに入ってきた瞬間、周りの客に二度見された。いや、それはいつもか。
「朱鳥くんも理人くんと同じ大学だったね」
考えてみればカルラから一番近い大学は、俺が通ってる光条大学なのでありえない話ではない。俺がアルバイトとして入社するのと交代で退職した人も、たしか同じ大学の学生だったと聞いている。
マンションまで同じなのは珍しいが、大学が同じならバイト先が同じだったとしてもおかしなことではない。呉内さんがコンビニや居酒屋で働いていたというよりはまだ現実味があるし。
「そういえば朱鳥くん、あのことはもういいのかい?」
「ええ、もう大丈夫です」
そう言うと呉内さんは笑顔でこちらを見つめてきた。何のことかはわからなかったが、呉内さんの反応を見た氷坂さんが満足そうにキッチンに戻って行ったので聞きそびれてしまった。
閉店時間の五分前に呉内さんは退店した。それから残っていた客も全員退店し、年内最後の営業は終了した。
残っている食器類を片付けていると、呉内さんが座っていたソファの席に何かあるのが見えた。近づいてみるとそれはクリアケースに入ったスマホだった。
「これって……」
間違いなく呉内さんのものだ。あの人が忘れ物をするなんて珍しい。鞄を持っていなかったので、ズボンのポケットに入れていたのが落ちたのだろう。あと少しで退勤するので、預かっておいて帰宅してから返しに行こう。こういうときマンションが同じなのは便利だ。
閉店後、同じケースを使っている自分のスマホと間違えないように、呉内さんのスマホはバイトのときに使っているリュックのポケットに入れた。
雪が降ったクリスマスと比べて、今日はまだ気温が高い。出勤するときはコートと呉内さんからクリスマスプレゼントとして貰った手袋で十分だったが、さすがに日が落ちると寒い。やはりダウンジャケットを着てくるべきだったか。
少し後悔しつつも、店を出て五分ほど歩いたところで、前から来る赤い車がスピードを落として歩道側に寄って来た。何となくそちらに目を向けると、運転席に見知った顔があった。
「理人くん、こんばんは」
「あ、どうも……」
窓を開けて挨拶してきたのは、由莉奈さんだった。
「これから朱鳥と北川くんとうちで食事するんだけど、理人くんもどう?」
「え、そうなんですか」
「うん。そのままみんなで年越ししようって話してたの。それに北川くんがデザートに美味しいロールケーキを買ってきてくれたの。朱鳥が理人くんはロールケーキが好きだって言うから、一緒にどうかなって」
家に帰ったところで夜ご飯はインスタントラーメン確定だし、何より呉内さんのスマホを預かっているので一刻も早く返却したい。
呉内さんと由莉奈さんが付き合っていると勘違いしていたときなら確実に断っていただろうが、そうでないと知った今、断る理由はない。
「ありがとうございます」
「よかった。私、料理好きだからいつも作りすぎちゃうの。四人ならちょうどいいわ。あ、そうだ。助手席乗って」
言われるがままに助手席に乗ると、速やかに車は発進した。
由莉奈さんの家は、カルラから車で十五分ほどのアパートだった。てっきりマンションに住んでいると思っていたので、外階段付きのアパートの二階というのは意外だった。
「入って」
「お邪魔します」
外観はかなり築年数の古いアパートといった雰囲気だが、中はリノベーションされているのか新築並みにきれいだった。内装はまさに女性の部屋という感じで、棚に可愛らしい雑貨やぬいぐるみが並んでいたり、家具も白系で統一されている。
「朱鳥と北川くんはスーパーに買い出しに行ってるからちょっと待っててね」
由莉奈さんはエアコンのスイッチを入れ、キッチンに入った。ソファの前には小さなテレビがあり、周りには由莉奈さんの成人式の写真や、友達と遊んでいる写真が飾られている。
その中の一枚に呉内さんと写っているものがあった。学生時代の呉内さんは今より顔立ちが少し幼く、髪は茶色で耳にピアスをつけている。それでも派手な雰囲気はなく、ただただかっこよかった。これは本当にモテるだろうな。今もだけど。
俺には絶対に見ることのできないその姿に思わず魅入ってしまう。
「二人が帰って来るまでどうぞ」
「あ、すいません」
目の前に出された飲み物を一口飲む。口に入れた瞬間吐き出そうとしたが、すぐにここが由莉奈さんの家であることを思い出し、無理やり飲み込んだ。
それからすぐに抗えないほど強い眠気に襲われた。意識を失う前、由莉奈さんの笑った顔が見えた気がした。
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