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第四章
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しおりを挟む部屋に戻るなり、電気もつけずにソファに横になった。家を出る前に暖房を消し忘れていたおかけで、それほど寒くはない。むしろ少し暑いくらいだ。そこで呉内さんから借りたマフラーを返し忘れたことに気がついた。
この時期にマフラーを借りたままでいいはずはないが、あのやりとりのあとに返しにいく勇気はない。
少しくらい預かっていても、いいよな。
改めてマフラーに顔を埋めると、呉内さんの匂いでいっぱいだった。
はじめて押し倒された日はそれどころじゃなかったし、風邪を引いて介抱してもらったときは、鼻が詰まっていて匂いなんてほとんどわからなかった。
でも今ははっきりとわかる。香水でもアルコールでもない呉内さん本人の匂いが。意識するだけで匂いは濃くなる。
「……やばいな、これ」
呉内さんは今でも俺のことが好きだと言った。それはつまり、俺はこれまでずっと盛大な勘違いをしていたことになる。
風邪を引いた翌日、ソファで抱きしめられたときも、酔っ払ってベッドに押し倒されたときも、決して呉内さんが俺と彼女を間違えていたわけではなかった。
深月とベランダで話していたのも、内容は聞こえていないだろうが、見られていたことは間違いない。そう考えると恥ずかしいなんてものじゃない。
ソファに横になっていると、学祭の日に見た夢を鮮明に思い出す。
覆い被さった呉内さんに触れられる。耳元で囁かれる。体に電気が走ったような感覚に襲われる。一つ一つが現実に起こりうる可能性があって、想像するだけで熱くなった体が疼く。
ここで俺が答えを出せば、これまでの悩みや不安は解決するだろう。呉内さんと俺の関係は、今はうまく言葉にできないような、あいまいなものだ。でもそこにはっきりとした名前がつくことになる。
「ちゃんと、考えないとだよな……」
自分の決断で人生が変わる。でもまだ俺にはその覚悟が足りない。
ーー俺は理人の幸せを願ってるよ
深月の言葉を思い出す。まず、俺がちゃんと自分自身の幸せを考えないとな。
ーー俺が好きなのは理人くんなんだから
マフラーをつけていると呉内さんに包まれているような気分になって、なかなか外すことができなかった。
翌日から大学の冬休みがはじまった。
帰省というほど実家が離れているわけではないが、毎年のように年末年始は海外にいる両親が、今年は日本にいるというので、一月三日だけ顔を出すことにした。
それまでに少しずつ部屋を掃除しよう。散らかった服をハンガーにかけ、クローゼットに吊る。テーブルに置きっぱなしにしていたチラシを捨て、ついでにいらないものも捨てていく。
スティックタイプの掃除機で部屋を掃除している最中に、今日のこの時間帯にネット通販で買った本が届くことを思い出した。
対面ではなくポストに直接入れられるので、エントランスまで降りて見に行かなければならない。面倒だが放置するのもよくないので、すぐに部屋を出た。ちょうどエレベーターが三階で止まっていた。
そのまま一階に降りてポストに向かう。エントランスには誰もいなかった。部屋着で降りて来てしまったので、呉内さんに会わなかったことに安心する。
ポストを開けるとチラシと荷物の入った硬い封筒が入っていたので、まとめて取ってすぐに部屋に戻った。
テーブルに取ってきたものを置き、せっかく片付けのだからとチラシの類はすぐに捨てようと思った。
「……これって」
チラシとチラシの間に、一枚の封筒が挟まっていた。真っ白な厚みのある封筒の真ん中に、赤い蝋付けがされている。表を見ると『八月一日理人様』と書かれている。
金澤さんが警察に連れて行かれて以来、迷惑電話は来なくなった。手紙自体は一度しか来ていないので、てっきり電話と一緒で金澤さんの仕業だと思っていた。
ポストは少なくとも週に三回は確認している。前回見たとき、たしかにこの手紙はなかった。つまりこれは金澤さんが警察に連れて行かれたあと、ごく最近投函されたものになる。
部屋に戻って恐る恐るハサミで封を切り、中に入っている紙を取り出すと、何かがひらひらと落ちた。
白い……花びら?
前回、開封したときはオレンジ色の小さな花びらが落ちてきたが、今回は白色だった。無数の白い花びらが床に落ちる。それもあのオレンジの花びらとは形状が違う。つまりまったくの花だろう。
何の花だ? 白い花なんて数えきれないくらいあるだろうし、形状もそれほど特徴的には見えない。
あとで深月がやっていたように画像検索をしてみようと思い、一旦花びらを無視して中に入っていた紙を取り出した。また虫の死骸が貼り付いけられているのだろうと思っていたが、折りたたまれていた紙を開いた瞬間、腹の底から何かがせり上がってくるのを感じ、慌てて口元を押さえた。恐怖のあまり涙が溢れてくる。
「な、ん……で……」
震える手でテーブルに置いていたスマホを取り、深月に電話をかける。ワンコールで電話が繋がった。
「もしもし、理人?」
「ご、め……今から俺の家、来れるか?」
「……何かあったの?」
「ああ、えっと、その……手紙が来て」
俺がそう言うと、深月はすぐに行くと言って電話を切った。
フローリングに散らばった花びらを片付ける余裕すらなく、俺は深月が来るまでその場にしゃがみ込んだまま動けなかった。
二十分ほどでインターフォンが鳴りモニターを見ると、急いで来たらしくスウェット姿の深月が立っていた。エントランスのオートロックを解除し、深月を部屋に招き入れる。
「理人!」
「悪い、急に呼び出したりして……」
「いいよ、そんなの。それより手紙が来たって……」
深月はフローリングに落ちている白い花びらを見て眉間に皺を寄せた。
「金澤さん……じゃないってこと?」
「……思ったんだけど、一回目の手紙が来たとき、まだ金澤さんとデートする前だったから……その時点では知らないはずなんだよ、俺の家」
一回目の手紙が来たとき、金澤さんとは連絡を取っていなかった。俺が彼女を部屋に入れたのは手紙が来たあとだ。つまり、一回目の手紙が来た時点では俺の部屋を知らないことになる。
俺の後をつければマンションを特定することはできるかもしれないが、各部屋のドアが外に面していないうえ、ポストに名前を出していない以上、部屋を特定するのは難しいはずだ。
「ってことは、別の誰か……」
深月は花びらを一枚拾い上げ、目を凝らして見たが、やはり何の花なのかはわからないらしく、前回と同様スマホで画像検索をかけた。
「前みたいに紙は入ってたの?」
俺が黙って頷くと、深月が見せてと言うので首を横に振った。
「見ない方がいい……と思う」
「虫の死骸じゃなかった?」
「つ、め……人の爪が入ってた……」
虫の死骸が手紙に貼り付けられていたのように、今回は人の爪がテープで紙に貼り付けられていた。赤黒い血と一緒に。
「警察行こう」
「そう、だな……」
「これ以上、放っておいたら、たぶんもっと悪質なものになるよ」
深月に言われて、俺は白い花びらと手紙を袋に入れて警察に行くことにした。
「この花、これかな……」
深月のスマホの画面を覗き込むと、スノードロップという花の画像があった。
「スノードロップ……?」
花に詳しくない俺でもマリーゴールドは知っているが、スノードロップというのははじめて聞いた。
「ヒガンバナ科の花で二月から三月に咲く花。内側と外側に花びらがある。日光が当たると外側の花びらが開き、夜には閉じる性質がある。花言葉は『希望』、『慰め』」
深月がスマホをスクロールしていく。花の特徴や詳しい栽培方法などが記されている記事の中である一文が目に留まった。
イギリスでは、スノードロップは「死の象徴」である。花言葉は「あなたの死を望みます」。
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