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第三章
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しおりを挟む「ごめんね。朱鳥、ちょっと飲み過ぎて寝てるんだよ」
京斗さんと同じ職場なのだから、呉内さんも同じ飲み会に参加していたということか。呉内さんはお酒に酔うイメージがないので、飲み過ぎて眠っているというのはかなり意外だった。
「朱鳥ー、降りないとタクシーの運転手さん困ってるよ」
京斗さんが何度か呼びかけて、ようやく呉内さんが降りてきた。スーツの上からロングコートを羽織っており、ただでさえ高い背がより強調されて見える。本当にスタイルいいな、この人。
ただ、いつもの落ち着いた雰囲気とは違い、気だるそうに頭を抑えている。
「悪い。京斗。さすがに飲み過ぎた」
「そのセリフさっきも聞いた」
「あー、頭痛え……」
声のトーンも低く、若干苛立った様子だった。こんな呉内さんははじめて見た。なぜかその姿から目が離せない。
「帰ってからちゃんと水飲んで寝なよ」
「ああ、わかってる……」
言いながら呉内さんが顔を上げたところで目が合った。いつもの笑顔ではなく、眉間に皺を寄せて不機嫌そうにしている。
「…………理人くん?」
俺の存在に気づいた瞬間、驚いたように目を見開いた。隣にいる深月と俺を交互に見て状況を理解したらしく、急に笑顔になった。
「こ、こんばんは……」
「朱鳥さん、こんばんは」
「こんばんは。理人くん、深月くん。二人揃ってどうしたの?」
あ、いつも呉内さんに戻った。
「京兄が飲み会に行ったんで、二人で夜ご飯を食べてたんです」
「そうだったんだ。ごめんね。ちょっと俺が飲み過ぎちゃったから、京斗にタクシーで送ってもらったんだ」
深月はわざとらしくにっこり笑うと、俺の背中を軽く叩いた。
「じゃあね、理人。俺は京兄と帰るから」
「あ、うん。遅くまでありがとな」
「理人くん、ごめん。朱鳥のこと頼んでいい?」
「はい、大丈夫です」
呉内さんを見る限り、酔い潰れているという感じではなさそうだが、頼まれた以上はちゃんと部屋まで送ろう。それにわかりづらいだけで、本当はめちゃくちゃ酔ってるかもしれないし。
深月はすばやくタクシーに乗ると、窓から顔を覗かせて手を振った。その隣で京斗さんが運転手に声をかけている。
「またね、理人」
「おう、またな」
二人が乗ったタクシーが見えなくなったところで、呉内さんに視線を移すが、やはりそこまで酔っているようには見えない。
「冷えるから中に入ろうか」
エントランスに入る足取りも、こちらを見る顔色も至って普通だ。でも近づくとほんの少しアルコールの匂いがする。
「部屋まで送りますよ」
エレベーターで七階のボタンだけを押すと、呉内さんは静かに笑って「ありがとう」と言った。
七階の部屋に着くと、呉内さんはちゃんと自分で鍵を開けて室内に入った。一歩遅れて俺も中に入ったところで鍵を閉められた。出るタイミングを失い諦めて呉内さんを見ていると、コートも脱がずにリビングのソファに座ったので、すぐに靴を脱いでキッチンに入る。
「とりあえず水飲んでください」
食器棚から勝手にコップを取り出し、水道水を入れて渡す。
「……ありがとう」
呉内さんは一気に水を飲むと、空になったコップをテーブルに置き、ソファの背もたれに首を預けてそのまま目を閉じた。
このまま帰ろうと思ったが、酔っている人をこの寒い部屋に放置するのは良くないかと思い、寝室に連れて行くことにした。
「呉内さん、その……ソファで寝ると風邪引くんで、寝室行きましょう」
「あー、そうだね。ごめん」
呉内さんはゆっくり立ち上がると、コートを脱いでソファの背もたれにかけた。
この部屋の寝室は廊下を出て左だったはず。俺も風邪を引いたときはお世話になったんだから、ちゃんと呉内さんがベッドで寝るのを見届けよう。急性アルコール中毒になっても困るし。
俺が先を歩いて寝室のドアを開け、電気と暖房をつける。あとは呉内さんがベッドに入れば俺の役目は終わりだ。
「暖房つけたんで……」
振り返ると、後ろでジャケットを脱いだ呉内さんが、さらにはネクタイまで外しはじめていた。その仕草に思わずドキッとする。脱いだジャケットとネクタイは床に落とし、拾う素振りは見せない。そのままシャツのボタンを上から二つ外す。
あれ、これってやばいんじゃ……。
「く、呉内さん……!」
酔っているからか、呼びかけには答えない。早く寝室から出たほうがいい気はするものの、呉内さんが出入り口を塞いでいるので逃げようがない。
とにかく距離を取ろうと一歩ずつ後ずさると、ベッドに足をぶつけ、その反動でふかふかの布団の上に座りこんでしまった。
「ねえ」
恐る恐る顔を上げると、呉内さんがすぐ目の前にいた。ベッドに左手をつき、右手で俺の顎に手を添える。整った顔が至近距離にあって思わず息を呑む。目を合わせることすらできない。
「こっち見て」
「……は、い」
「可愛い」
耳元でそう言われて、一気に全身が熱くなる。男の俺が可愛いなんて言われて嬉しいはずのないのに、その言葉一つでこんなにも鼓動が早くなっている。でも同時にそれが悲しかった。
可愛いって、誰と間違えてんだよ……。
「あ、あの、く、呉内さん……うわっ!?」
そのまま抱きしめられ、押し倒された。やばい。男とベッドに入れないなんて言いながら、今のこれは完全にそれだ。前に似たようなことをされたときはあれだけ嫌だったのに、今ここに不快感や嫌悪感は一切ない。
ただ緊張しているせいか、全身が熱くうまく呼吸できない。
「……呉内さん?」
しばらくしても俺を抱きしたまま微動だにしないので、気になって軽く背中を叩いてみたが反応はない。それどころか、背中に手を回したことで呉内さんの体格の良さに気づいてしまい、余計に体に力が入る。
はじめて押し倒されたとき、見た目からは想像できないその力の強さに驚いた。あのときは怖くてそれどころではなかったが、改めて触ってみるとかなり鍛えているようだ。着痩せするタイプなのだろう。
これで俺が上になるってことはないもんな……って、何考えてんだ。
それよりもまずこの状況をどうにかしなければと、もう一度名前を呼ぶがやはり反応はない。もしかしてと思い、全身経を耳に集中させると、微かに寝息が聞こえてきた。
「まじかよ……」
この状況で寝たのか……!
いや、タクシーに乗っていたときから寝ていたくらいだから仕方ないか。飲み過ぎたと本人も京斗さんも言っていたくらいだし、相当眠かったのだろう。
呉内さんはどういうときにお酒を飲むのだろうか。学祭の打ち上げのときはほとんど飲んでいなかったし、一緒に食事をするときもお酒を飲むことはない。
普段から飲まないのに飲み過ぎたということは、何か嫌なことがあって自暴自棄になっていたのか。近野も合コンで失敗するとヤケ酒だと言ってコンビニで缶ビールを買いまくるので、たぶんそんな感じだろう。
由莉奈さんと喧嘩したとか? 彼女と喧嘩してお酒を飲むようには見えないが、俺はそもそも呉内さんのことをよく知らない。だから、本当はそういう人なのかもしれない。
……俺って呉内さんのこと、何も知らないんだな。
それなのにこんなに悩んで、緊張して、自分でも何がしたいのかわからない。
深月は俺の中にある呉内さんへの感情が恋愛なら、それは片想いからのスタートだと言った。
でもそれはあまりにも不毛なことではないだろうか。俺が女なら可能性はある。頑張れば振り向いてもらえるかもしれない。でもそうじゃない。俺は男で、きっと呉内さんが俺を好きになったのは一時の気の迷いだ。
あんなにきれいな人と付き合ってから、男の俺を恋愛対象に見るのはさすがに無理だと思う。だからもうチャンスはない。
これからどれだけ仲良くなっても、俺は呉内さんにとって同じマンションの年下の男でしかない。抱きしめる行為だって、異性間なら愛情表現かもしれないが、同性間ならそうじゃないといくらでも言える。
……俺の感情が今の呉内さんと同じなら、もう何も考えなくていいんだよな。その方がきっと今の何十倍も楽だから。
絡み合った糸を解かずそのまま捨ててしまうように、すべての悩みから目を逸らし、誰かと寝るために用意されたベッド上でゆっくりと意識を手放した。
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