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第三章
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しおりを挟むカフェを出てバスに乗り、俺のマンションの近くにあるスーパーで食材を購入する。得意な料理は和食だと言われたが、残念なことに俺の家にある食材で和食に使えそうな食材は卵しかない。おかけでビニール袋二つ分の買い物をするはめになった。
マンションに到着するころにはすでに日が沈んでいたし、俺もお腹が空きはじめていた。金澤さんは日が沈んでも昼間と変わらないテンションで、今日買った服の話をしている。
マンションのエントランスを通ろうとした瞬間、どこからか視線を感じた。誰かに見られているような強い視線だ。慌てて周囲を見回してみるが誰もいない。
「どうしたの?」
「……何でもない」
ここ最近、視線を感じることは多々ある。でも俺が周りを確認すると誰もいない。それもこれも全部、迷惑電話をかけてきたり、手紙を送りつけてきたやつが犯人に違いない。今日、金澤さんと付き合うことができれば、それもたぶん終わるはずだ。
エントランスを抜けてエレベーターで三階に上がり、自分の部屋に入る。久しぶりに半日以上出かけっぱなしで疲れたので、一旦荷物をテーブルに置いて金澤さんにはソファに座ってもらった。
「何か飲む?」
「じゃあ、ウーロン茶で」
見たい番組があるわけではなかったが、今日一日で金澤さんが芸能人好きなのはわかったので、テレビをつけてからキッチンに向かい、冷蔵庫に入っていたウーロン茶を取り出した。
俺はどれだけ話を聞いてもまったく興味は持てないが、金澤さんは女優や俳優にやけに詳しいし、好きなアイドルグループもいて、ときどき友達と一緒にライブに行くのだと言っていた。どこのグループか忘れてしまったので、また食事中にでも聞いてみるとしよう。
ガラスのコップを食器棚から取り出してウーロン茶を入れ、ソファに座っている彼女のもとまで持っていくと、すでにつけていたテレビ番組に夢中になっていた。
その間に食材を冷蔵庫に入れ、自分の分のお茶も入れてソファに座る。お腹は空いていたがそれ以上に疲れていたので、二人でそのままテレビを見ていた。
バラエティ番組の内容は、人気イケメン俳優やモデルなどの芸能人が、世間に隠している何かをカミングアウトをするというもので、ちょうど次にカミングアウトする男が、彼女が最近好きになった俳優なのだという。
茶髪にパーマを当てた清潔感のある人で、動画の広告や本屋の雑誌売り場で見たことがあるような気がする。名前はわからない。
この俳優の前には最近売り出し中の八頭身のモデルが、実は男だとカミングアウトしていた。スタジオで驚きの声が上がっていたし、金澤さんも「男に見えない!」と興奮した様子だった。
それから俳優がカミングアウトをするまでの間に二回もコマーシャルが入り、だんだん見ているのが嫌になってきたところで、ついにそのときがやってきた。
そのころには俺は番組に飽きていたし、お腹も空いていたし、今日はじめて見る芸能人のカミングアウトはどうでもよかったが、彼女が画面を食い入るように見ていたので消すわけにもいかなかった。
「それでは今ときめく大人気俳優の大瀬さんにカミングアウトしていただきましょう! 実は私、◯◯なんです!」
司会者の男がそう言うと、ゲストの席に座っていた俳優が立ち上がり、マイクに向かってこう言った。
「実は私、二年前からお付き合いしている彼氏がいるんです!」
俳優がそう言った瞬間、スタジオにいた客席から悲鳴のような甲高い声があがる。その声に紛れて隣に座っている金澤さんが、俺に聞こえるか聞こえないかの声量で「え、気持ち悪い」と言った。
はじめは聞き間違いかと思ったが、さきほどまで食い入るようにテレビを見ていた彼女は、ソファから立ち上がって勝手にテレビを消した。
「来週のドラマ楽しみにしてたのに」
何で、と言いそうなって言葉を飲み込んだ。俺は消えたテレビ画面を見たまま、彼女の顔を見ることはできなかった。さきほどまでテレビの音でうるさかった室内が途端に静かになる。
「あーあ、最悪。見るんじゃなかった」
金澤さんの声が遠くに聞こえる。また胸の奥がざわつきはじめる。いや、今度はどちらかというと胸の奥を無理やり抉られたような、不快な感覚だった。今にも吐きそうなほどに。
「理人くん、そろそろご飯作るね」
金澤さんはキッチンに向い、冷蔵庫に入れたスーパーの袋から食材を取り出す。そのとき、ちょうどチャットの通知音が鳴った。ようやく我に返り、ポケットに入れていたスマホを見ると深月からだった。
メッセージを見た瞬間、俺はソファに置いてあった金澤さんの小さなハンドバッグと紙袋を持って、キッチンにいる彼女に声をかけた。
「……悪いけど今日は帰って」
金澤さんは少しの間、唖然としたまま俺を見ていたが、構わず彼女に荷物を押し付けて玄関まで追いやった。
「……えっ、え、何? どういうこと!?」
「あー、友達が体調悪いみたいでさ、そいつも一人暮らしだからちょっと様子見に行くわ」
咄嗟に出た嘘だった。こんなことを言うつもりなんてなかったのに、今はそうでもしないと耐えられそうにない。強引に玄関のドアを開けて、抵抗する彼女を無理やり外に追い出し、勢いよくドアと鍵を閉めた。
「ちょっと! 理人くん!」
金澤さんは外から激しくドアを叩きながら、大声で俺の名前を呼び続けている。その高い声が頭に響いて、気分が悪くなる。
「理人くん! 理人くん!! 何!? 私、何か嫌なことした!? 気にさわること言った!? それなら謝るから……! ねえ、開けて! 理人くんってば!」
外から何度もドアを叩いていたが、しばらく経っても俺が出てこないとわかると諦めたらしく、ヒールの音が遠のいていくのがわかった。足音が完全に聞こえなくなったところで、ドアにもたれたままその場にしゃがみ込む。
「はあ……」
自分で自分の感情がよくわからなかった。金澤さんは話は長いがそれなりに可愛いし、今まで付き合った彼女の中にも似たようなタイプはいた。それにわざわざ家にまで来てご飯をつくると言うのだから、向こうにその気があったことはわかっている。
それでも、どうしてもあれ以上一緒にいたくなかった。 たぶんあのまま一緒に食事をして、金澤さんが俳優のカミングアウトについて言及したら、場合によっては殴っていたかもしれない。
テレビを見ていたとき、金澤さんが俳優のカミングアウトを見て気持ち悪いと言ったとき、なぜか呉内さんのことを思い出した。思い出して、胸が締め付けられたように苦しくなった。
「あー、クソ! 何なんだよ……」
自分の中にあるもやもやとした感情を少しでも発散すべく、すぐにスマホを開いて深月にメッセージを送った。
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