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第三章
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しおりを挟むカルラの閉店後、井坂くんと別れてコンビニに寄り食材や日用品を買った。食材といっても卵とベーコンとあとはほとんどがインスタントラーメンや冷凍食品だ。
コンビニを出て五分ほど歩き、マンションが見えてきたところで、エントランスから誰かが出て来た。
「井坂くん……?」
向こうはスマホを触っていてこちらに気がついていない。その姿を見た瞬間、反射的に物陰に隠れてしまった。井坂くんの家は逆方向だし、そもそもどうしてうちのマンションから出て来たのだろう。
少しだけ様子を伺っていると、さらにエントランスから誰かが出てきた。
呉内さん……?
井坂くんのあとを追いかけてきたのは、カルラにいたときとは違う服装の呉内さんだった。二人はそのまま俺がいる場所とは反対方向に向かって歩き出した。
「って、何で隠れてんだよ……」
二人の姿が夜の闇に消えたところで、深くため息をつく。隠れる必要はなかった。二人とも知り合いなのだから、そのままマンションに戻って挨拶すればよかったんだ。それなのにどうしてわざわざ身を隠したのか。これじゃ、二人を意識してると言っているようなものだ。
もし、呉内さんといる相手が深月だったら、俺はたぶん何も考えずに声をかけに行った。それは簡単に想像できる。
つまり井坂くんだから隠れたのか? もし、由莉奈さんだったら?
たぶん、相手が由莉奈さんでも俺は声をかけなかったように思う。理由はわからない。ただ何となくそんな気がする。呉内さんがいつどこで誰と会おうが俺には関係ないのに。
自分の行動に疑問を抱きながらもマンションに入る。そろそろ光熱費の請求が来ている頃だろうと思いポストを開けると、ピザのチラシに紛れて厚みのある白い封筒が入っていた。
表には『八月一日理人様』と書かれている。差出人の名前はない。手紙? 誰から? 俺の知り合いに手紙を送ってくるような人間はいない。そもそも用があればチャットでメッセージを送るか電話をかけてくるはずだ。
不審に思いつつも、封筒とチラシと光熱費の請求書を持って三階に向かった。
部屋に入ってすぐ、ポストに入っていたものをテーブルに置き、買ってきたものを冷蔵庫や冷凍庫、キッチンの棚に片付ける。
まだ呉内さんと深月が買ってきてくれたゼリーやアイスが残っている。これを見るたびに、風邪を引いて呉内さんにお世話になったときのことを思い出す。
一息つこうとソファに座ったところで、白い封筒が目についた。放っておいてもいいが、何が書かれているのか気になって開けてみることにした。
蝋付けされた手紙は生まれてはじめて見た。真っ白な封筒に真っ赤な蝋。映画でしか見たことのないそれは、どうやって開封すればいいのかわからなかったので、ハサミで封を切ることにした。
中に入っている折りたたまれた紙を取り出すと、パラパラと何かが落ちた。ゴミかと思い、膝の上に落ちたそれを見る。
……何だこれ?
鮮やかなオレンジ色のそれは一つ一つがとても小さく、中には黄緑色の細い糸のようなものがついているものもある。一つだけ見るとそれが何なのかまったくわからなかったが、数枚拾ってテーブルに乗せたところで気がついた。
おそらくこれは花びらだ。花には詳しくないので、オレンジ色の花といえばチューリップか金木犀くらしいか思いつかないが、チューリップの花びらは、もっとサイズが大きような気がするので、金木犀かもしれない。
いや、金木犀にしろチューリップにしろ、何で封筒にこんなものが入っているんだ? 押し花をして失敗したのかと思ったが、押し花を贈られる理由もわからない。
花びらが入っていた理由が何か書かれているかもしれないと思い、折りたたまれている紙を開いた。
「うわっ……」
紙を開いた瞬間、大量の花びらがすべり落ちた。膝の上がオレンジ色に染まる。
肝心の紙には文字が一切書かれておらず、代わりに真ん中に黒い何かがあった。はじめは汚れかと思ったが、よく目を凝らして見てそれが何か理解した瞬間、鳥肌が立った。
「何なんだよ、まじで……」
それは潰れた小さな虫の死骸だった。わざわざそれだけセロハンテープで紙の真ん中に貼り付けられている。さすがに気持ち悪くて、すぐに紙を丸めてゴミ箱に捨てた。
封筒には『八月一日理人様』と書いてあった。つまりこれは確実に俺に向けられたものだ。非通知で電話をかけてくるやつと同一人物である可能性は高いが、そもそもその相手に心当たりがない。
過去に付き合った相手だろうか。それとも一度だけ関係を持った相手だろうか。そうなってくると人数が多くて検討もつかない。
せめて宛名書きが手書きであれば、字体で犯人を絞り込めそうな気もするが、残念ながらパソコンで入力されているのでわからない。
さすがに警察に行くべきだろうか。それともこういうときは誰かに相談するべきだろうか。警察に行ったところで犯人に心当たりがない以上、相手にしてもらえるかどうか怪しいところだ。でもこれ以上一人で悩んでいても解決しそうにない。
俺の周りで口が固くて信用できるとなると、やっぱりあいつしかいないか。深月に連絡を取ろうとスマホを開いた瞬間、メッセージを知らせる通知音が鳴った。
送信者は金澤未奈と表示されている。前回近野が主催した聖女との合コンの際にいた女の子だ。
最近、人間関係について考え過ぎているのは、単に俺に彼女がいないからだという結論に至り、まず近野が言っていた俺に会いたい女の子と連絡を取ってみた。それが昨日の話だ。
メッセージのやりとりをして、何となく顔を思い出した。たしかに近野が言うようにアイドルみたいに可愛い子だった。残念ながらそれ以外のことはよく覚えていない。
ただ合コンのあと酔っ払いながらも俺が一緒に帰ろうとしていた時点で、金澤さんのことを気になっていた可能性は高い。呉内さんとどこで入れ替わったのかはわからないが。
それにこのストーカーっぽい嫌がらせをする相手も、俺に彼女ができれば興味を失って止めるかもしれない。
今の悩みをすべて解決するには彼女をつくることが一番いい。そういうわけで、明日の講義のあと午後から金澤さんとデートをすることにした。
ーーそれじゃあ、明日ね。連絡くれてありがとう。合コンではじめて会ったときから、また会いたいなって思ってたの。だから明日理人くんに会えるの、すっごく楽しみにしてる。今日は早く寝るね。おやすみ。
金澤さんのメッセージには絵文字やスタンプが多いし、一つ一つの文章が長い。文面だけで何となく彼女の性格がわかってきた。
メッセージでのやりとりを終えると、急にお腹が空いてきた。買ってきたインスタントラーメンでも食べようと思い、散らばっていたオレンジ色の花びらをゴミ箱に捨てた。
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