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第三章

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 月曜には完全に体調が戻り、いつものように朝から大学に行き、夕方からカルラに向かった。

「八月一日さん、体調はもういいんですか?」
「迷惑かけてごめん。もう大丈夫だから」

 今日は閉店まで井坂くんと二人のシフトだ。風邪を引いて迷惑をかけた分、頑張らないと。

 デザートタイムをすぎると一気に客足が減るので、この時間帯は比較的落ち着いている。俺が休んでいる間に新しいメニューが出たらしく、キッチンに入ることになった。

 新しいメニューはカツサンドだった。カルラの軽食はサンドイッチの類が一番多く、料理が苦手な俺でも何とか作ることができる。

 だが夕方以降はやはりパスタやオムライスを注文する客が多いので、この時間帯だけ井坂くんにキッチンとホールを交代してもらい、閉店一時間前には再び俺がキッチンに戻った。

 常連客の中には俺が風邪を引いたことを知ってる人もいて、ホールに出ている間は体調を尋ねられることが多々あった。


 夜の九時を回った頃、この時間帯は基本的に常連客しか来ない。今も客は二人しかいないし、注文を受けるのもほとんどがコーヒーだ。

「いらっしゃいませ」

 ドアベルが鳴り、すぐさま井坂くんが客の元に行く。次は誰が来たのだろうかと、頭の中で常連客の顔を二、三人思い浮かべていると、聞き慣れた声がした。

「こんばんは。祐馬くん」

 ……呉内さん? 思わずカウンターから顔を出すと、井坂くんと私服姿の呉内さんが向かい合って話していた。

「こんばんは。いつもの席でいいですか?」
「うん。お願い」

 井坂くんが呉内さんをテーブル席に案内したが、キッチンにいる俺と目が合った瞬間、井坂くんに何かを耳打ちし、すぐにこちらに来た。

「こんばんは、理人くん、体調はもういいの?」

 どうやら席を変えてほしいと頼んだらしく、呉内さんはカウンターの真ん中の席に座った。

「おかげさまで。本当にありがとうございました」
「よかった。すごくしんどそうたったから心配してたんだ」

 俺としては呉内さんに風邪が移っていないようで安心した。本人は大丈夫だと言っていたが、風邪を引いた人間と半日も一緒にいれば移る可能性は高い。もし呉内さんが風邪を引いたら由莉奈さんが看病するんだろう。

「あ、そうだ。今日はね、コーヒーとワッフルにしようかな」
 
 呉内さんが注文するのは決まっていて、いつもコーヒーとバームクーヘンのケーキセットだ。ワッフルを注文したことは一度もない。

「珍しいですね」
「ああ、この前、祐馬くんがおすすめしてくれたんだよ」

 祐馬って誰だ? と思ったが、そういえば井坂くんの下の名前が祐馬だったことを思い出した。いつの間にか仲良くなったらしい。

「そうだったんですね。すぐに用意しますね」

 ワッフルといっても上にフルーツが載っているような派手なものではなく、バニラアイスとはちみつがかかっているシンプルなものだ。

 呉内さんは俺が準備している間、いつものように本を読んでいた。ワッフルとコーヒーをカウンターのテーブルに置いたところで、再びドアベルが鳴った。入店してきたのは私服姿に紙袋を持った京斗さんだった。呉内さんがカウンターにいるのを見つけると、井坂くんに挨拶だけしてこちらに来た。

「こんばんは、京斗さん」
「こんばんは。理人くん。風邪、大丈夫?」
「はい。深月と呉内さんが来てくださったので、すぐに良くなりました」

 京斗さんは呉内さんの隣に座ると、カウンターテーブルに置かれているワッフルを見た。京斗さんも基本的にケーキセットを注文することが多く、だいたいがバームクーヘンかチーズケーキだ。

「俺もコーヒーとワッフルにしようかな」
「わかりました。すぐ用意しますね」
「ありがとう。朱鳥が食べてるの見てると食べたくなっちゃった」
「ついつい、いつも同じのを頼んじゃうからね。たまには」
「そうなんだよ。あ、そうだ。理人くんってロールケーキ好きだったよね?」

 京斗さんが思い出したようにこちらを見ると、カウンターのテーブルに置いていた紙袋を俺に渡してきた。

「友達の奥さんがケーキショップを開いたんだ。そこのロールケーキ、良かったら食べて」
「え、いいんですか」
「理人くんの好みの味かわからないけど、朱鳥も美味しいって言ってたから」
「ありがとうございます。いただきます」

 すぐさま紙袋ごと店の冷蔵庫に入れた。そのままコーヒーとワッフルの準備をする。それにしても京斗さん、よく俺がロールケーキ好きなの覚えてたな。

「へえ、理人くんって小さい頃からロールケーキ好きなんだ」
「そうですけど、何見てるんですか?」

 コーヒーとワッフルをトレーに乗せてカウンターから出ると、呉内さんが京斗さんのスマホを覗き込んでいた。

「あ、これって……」

 京斗さんにスマホを見せてもらうと、そこに写っていたのは小学生の俺と深月と高校生の京斗さんだった。三人の前にはテーブルがあり、そこにはロールケーキが乗った皿がある。

 背景の壁には『理人くん、十歳のおたんじょうび、おめでとう』と書かれたボードが設置されており、ところどころ紙吹雪のようなものが舞っている。

「理人くんが十歳の誕生日のときの写真。この前、部屋を整理していたら出てきたんだ」
「懐かしいですね」

 この年になると自分の幼少期の写真を見ることはないので、こうして改めて見ると少し恥ずかしい。そういえば実家で幼少期のアルバムや写真を見た記憶はほとんどない。親の性格が性格なのでそもそも写真を撮っていない可能性もあるが。

「可愛いね、理人くんも深月くんも」
「理人くんの誕生日は毎年ロールケーキだったんだよね」

 京斗さんが懐かしそうに言う。深月と仲良くなってからは、誕生日は毎年佐久間兄弟に祝ってもらっていた。

「そうでしたね。誕生日じゃなくてもケーキ屋を見かけるたびに親に買ってほしいって言ってました」
「そんなに好きなんだ」
「たしかはじめてお店で食べたケーキがロールケーキだったんですよ。それで好きになったんです」

 俺が小さいころ、母親がケーキを焼くのにハマっていたことがあり、その影響で家で手作りケーキを食べることはよくあった。そんな中ではじめてお店で食べたのがロールケーキだった。手作りケーキがまずいわけではなかったが、その店のケーキが特別美味しかったんだと思う。
 
「へえ。どこのお店?」
「……それが覚えてなくて。たぶん、白桃屋のロールケーキかなって思ってるんですけど」
「ああ、あそこね。今じゃ予約三年待ちだけど、昔は普通に入れたもんね」

 京斗さんが納得したように言う。呉内さんもコンテストの景品で白桃屋のロールケーキの引換券をもらっており、たしかにあそこのケーキは美味しいよね、なんて言っていた。

「まあ、でも今はここのが一番好きなんですけどね」
「カルラのも美味しいよね」
「じゃあ、次はロールケーキを頼もうかな」
「ぜひ」

 それから三十分ほどして二人が席を立ったので、井坂くんに今日のお代はいらないと伝えるように頼んだ。呉内さんには風邪のときにお世話になったのでそのお礼として、京斗さんにはロールケーキのお礼ということにした。

 あいにくオーダーが入ったので、俺は直接二人に伝えられなかった。帰り際、京斗さんが店を出た瞬間、呉内さんが井坂くんに耳打ちしているのが見えた。カウンターにいる俺には何を話していたのか聞き取れない。

 ただ、そのあと井坂くんはずっと機嫌が良さそうだった。

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