36 / 76
第三章
7
しおりを挟む月曜には完全に体調が戻り、いつものように朝から大学に行き、夕方からカルラに向かった。
「八月一日さん、体調はもういいんですか?」
「迷惑かけてごめん。もう大丈夫だから」
今日は閉店まで井坂くんと二人のシフトだ。風邪を引いて迷惑をかけた分、頑張らないと。
デザートタイムをすぎると一気に客足が減るので、この時間帯は比較的落ち着いている。俺が休んでいる間に新しいメニューが出たらしく、キッチンに入ることになった。
新しいメニューはカツサンドだった。カルラの軽食はサンドイッチの類が一番多く、料理が苦手な俺でも何とか作ることができる。
だが夕方以降はやはりパスタやオムライスを注文する客が多いので、この時間帯だけ井坂くんにキッチンとホールを交代してもらい、閉店一時間前には再び俺がキッチンに戻った。
常連客の中には俺が風邪を引いたことを知ってる人もいて、ホールに出ている間は体調を尋ねられることが多々あった。
夜の九時を回った頃、この時間帯は基本的に常連客しか来ない。今も客は二人しかいないし、注文を受けるのもほとんどがコーヒーだ。
「いらっしゃいませ」
ドアベルが鳴り、すぐさま井坂くんが客の元に行く。次は誰が来たのだろうかと、頭の中で常連客の顔を二、三人思い浮かべていると、聞き慣れた声がした。
「こんばんは。祐馬くん」
……呉内さん? 思わずカウンターから顔を出すと、井坂くんと私服姿の呉内さんが向かい合って話していた。
「こんばんは。いつもの席でいいですか?」
「うん。お願い」
井坂くんが呉内さんをテーブル席に案内したが、キッチンにいる俺と目が合った瞬間、井坂くんに何かを耳打ちし、すぐにこちらに来た。
「こんばんは、理人くん、体調はもういいの?」
どうやら席を変えてほしいと頼んだらしく、呉内さんはカウンターの真ん中の席に座った。
「おかげさまで。本当にありがとうございました」
「よかった。すごくしんどそうたったから心配してたんだ」
俺としては呉内さんに風邪が移っていないようで安心した。本人は大丈夫だと言っていたが、風邪を引いた人間と半日も一緒にいれば移る可能性は高い。もし呉内さんが風邪を引いたら由莉奈さんが看病するんだろう。
「あ、そうだ。今日はね、コーヒーとワッフルにしようかな」
呉内さんが注文するのは決まっていて、いつもコーヒーとバームクーヘンのケーキセットだ。ワッフルを注文したことは一度もない。
「珍しいですね」
「ああ、この前、祐馬くんがおすすめしてくれたんだよ」
祐馬って誰だ? と思ったが、そういえば井坂くんの下の名前が祐馬だったことを思い出した。いつの間にか仲良くなったらしい。
「そうだったんですね。すぐに用意しますね」
ワッフルといっても上にフルーツが載っているような派手なものではなく、バニラアイスとはちみつがかかっているシンプルなものだ。
呉内さんは俺が準備している間、いつものように本を読んでいた。ワッフルとコーヒーをカウンターのテーブルに置いたところで、再びドアベルが鳴った。入店してきたのは私服姿に紙袋を持った京斗さんだった。呉内さんがカウンターにいるのを見つけると、井坂くんに挨拶だけしてこちらに来た。
「こんばんは、京斗さん」
「こんばんは。理人くん。風邪、大丈夫?」
「はい。深月と呉内さんが来てくださったので、すぐに良くなりました」
京斗さんは呉内さんの隣に座ると、カウンターテーブルに置かれているワッフルを見た。京斗さんも基本的にケーキセットを注文することが多く、だいたいがバームクーヘンかチーズケーキだ。
「俺もコーヒーとワッフルにしようかな」
「わかりました。すぐ用意しますね」
「ありがとう。朱鳥が食べてるの見てると食べたくなっちゃった」
「ついつい、いつも同じのを頼んじゃうからね。たまには」
「そうなんだよ。あ、そうだ。理人くんってロールケーキ好きだったよね?」
京斗さんが思い出したようにこちらを見ると、カウンターのテーブルに置いていた紙袋を俺に渡してきた。
「友達の奥さんがケーキショップを開いたんだ。そこのロールケーキ、良かったら食べて」
「え、いいんですか」
「理人くんの好みの味かわからないけど、朱鳥も美味しいって言ってたから」
「ありがとうございます。いただきます」
すぐさま紙袋ごと店の冷蔵庫に入れた。そのままコーヒーとワッフルの準備をする。それにしても京斗さん、よく俺がロールケーキ好きなの覚えてたな。
「へえ、理人くんって小さい頃からロールケーキ好きなんだ」
「そうですけど、何見てるんですか?」
コーヒーとワッフルをトレーに乗せてカウンターから出ると、呉内さんが京斗さんのスマホを覗き込んでいた。
「あ、これって……」
京斗さんにスマホを見せてもらうと、そこに写っていたのは小学生の俺と深月と高校生の京斗さんだった。三人の前にはテーブルがあり、そこにはロールケーキが乗った皿がある。
背景の壁には『理人くん、十歳のおたんじょうび、おめでとう』と書かれたボードが設置されており、ところどころ紙吹雪のようなものが舞っている。
「理人くんが十歳の誕生日のときの写真。この前、部屋を整理していたら出てきたんだ」
「懐かしいですね」
この年になると自分の幼少期の写真を見ることはないので、こうして改めて見ると少し恥ずかしい。そういえば実家で幼少期のアルバムや写真を見た記憶はほとんどない。親の性格が性格なのでそもそも写真を撮っていない可能性もあるが。
「可愛いね、理人くんも深月くんも」
「理人くんの誕生日は毎年ロールケーキだったんだよね」
京斗さんが懐かしそうに言う。深月と仲良くなってからは、誕生日は毎年佐久間兄弟に祝ってもらっていた。
「そうでしたね。誕生日じゃなくてもケーキ屋を見かけるたびに親に買ってほしいって言ってました」
「そんなに好きなんだ」
「たしかはじめてお店で食べたケーキがロールケーキだったんですよ。それで好きになったんです」
俺が小さいころ、母親がケーキを焼くのにハマっていたことがあり、その影響で家で手作りケーキを食べることはよくあった。そんな中ではじめてお店で食べたのがロールケーキだった。手作りケーキがまずいわけではなかったが、その店のケーキが特別美味しかったんだと思う。
「へえ。どこのお店?」
「……それが覚えてなくて。たぶん、白桃屋のロールケーキかなって思ってるんですけど」
「ああ、あそこね。今じゃ予約三年待ちだけど、昔は普通に入れたもんね」
京斗さんが納得したように言う。呉内さんもコンテストの景品で白桃屋のロールケーキの引換券をもらっており、たしかにあそこのケーキは美味しいよね、なんて言っていた。
「まあ、でも今はここのが一番好きなんですけどね」
「カルラのも美味しいよね」
「じゃあ、次はロールケーキを頼もうかな」
「ぜひ」
それから三十分ほどして二人が席を立ったので、井坂くんに今日のお代はいらないと伝えるように頼んだ。呉内さんには風邪のときにお世話になったのでそのお礼として、京斗さんにはロールケーキのお礼ということにした。
あいにくオーダーが入ったので、俺は直接二人に伝えられなかった。帰り際、京斗さんが店を出た瞬間、呉内さんが井坂くんに耳打ちしているのが見えた。カウンターにいる俺には何を話していたのか聞き取れない。
ただ、そのあと井坂くんはずっと機嫌が良さそうだった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
身体検査が恥ずかしすぎる
Sion ショタもの書きさん
BL
桜の咲く季節。4月となり、陽物男子中学校は盛大な入学式を行った。俺はクラスの振り分けも終わり、このまま何事もなく学校生活が始まるのだと思っていた。
しかし入学式の一週間後、この学校では新入生の身体検査を行う。内容はとてもじゃないけど言うことはできない。俺はその検査で、とんでもない目にあった。
※注意:エロです
R-18♡BL短編集♡
ぽんちょ♂
BL
頭をカラにして読む短編BL集(R18)です。
♡喘ぎや特殊性癖などなどバンバン出てきます。苦手な方はお気をつけくださいね。感想待ってます😊
リクエストも待ってます!
【※R-18】αXΩ 懐妊特別対策室
aika
BL
αXΩ 懐妊特別対策室
【※閲覧注意 マニアックな性的描写など多数出てくる予定です。男性しか存在しない世界。BL、複数プレイ、乱交、陵辱、治療行為など】独自設定多めです。
宇宙空間で起きた謎の大爆発の影響で、人類は滅亡の危機を迎えていた。
高度な文明を保持することに成功したコミュニティ「エピゾシティ」では、人類存続をかけて懐妊のための治療行為が日夜行われている。
大爆発の影響か人々は子孫を残すのが難しくなっていた。
人類滅亡の危機が訪れるまではひっそりと身を隠すように暮らしてきた特殊能力を持つラムダとミュー。
ラムダとは、アルファの生殖能力を高める能力を持ち、ミューはオメガの生殖能力を高める能力を持っている。
エピゾジティを運営する特別機関より、人類存続をかけて懐妊のための特別対策室が設置されることになった。
番であるαとΩを対象に、懐妊のための治療が開始される。
部室強制監獄
裕光
BL
夜8時に毎日更新します!
高校2年生サッカー部所属の祐介。
先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。
ある日の夜。
剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう
気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた
現れたのは蓮ともう1人。
1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。
そして大野は裕介に向かって言った。
大野「お前も肉便器に改造してやる」
大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…
僕はオモチャ
ha-na-ko
BL
◆R-18 エロしかありません。
苦手な方、お逃げください。
18歳未満の方は絶対に読まないでください。
僕には二人兄がいる。
一番上は雅春(まさはる)。
賢くて、聡明で、堅実家。
僕の憧れ。
二番目の兄は昴(すばる)。
スポーツマンで、曲がったことが大嫌い。正義感も強くて
僕の大好きな人。
そんな二人に囲まれて育った僕は、
結局平凡なただの人。
だったはずなのに……。
※青少年に対する性的虐待表現などが含まれます。
その行為を推奨するものでは一切ございません。
※こちらの作品、わたくしのただの妄想のはけ口です。
……ので稚拙な文章で表現も上手くありません。
話も辻褄が合わなかったり誤字脱字もあるかもしれません。
苦情などは一切お受けいたしませんのでご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる