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第三章
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しおりを挟む小テスト明けに風邪を引いた。
季節の変わり目だったことと、テスト勉強を詰めこみ過ぎたことが原因なのはわかっていた。いつもなら適度に勉強して適度に休んでいたが、最近は一人でいると余計なことを考えるので、とにかく何かに集中していたくて、睡眠時間を削ってまで勉強していた。
朝起きて体調の悪さに気づき、体温を測ると三十八度。家に市販の解熱剤はない。大人しく寝ていればどうにかなるだろう。
熱が出たので今日は大学を休むことを深月にチャットで伝え、ついでにカルラにも連絡を入れて眠りについた。
目を覚ますと体は熱いのに寒気がひどくて、寝る前よりも体調が悪化していた。再び熱を測ろうと思ったが、体温計をどこに置いたのかわからなくて諦めた。おそらくさっきより熱が上がっているだろう。
寝る前にベッドに置いていたミネラルウォーターを口に含んだが、喉が痛過ぎて飲み込むのにずいぶんと苦労した。
頭も痛いし、喉も痛いし全身が熱い。汗で服が肌にへばりついていて気持ち悪い。病院に行くべきだろうが、そんな気力はない。せめて額に貼る冷却シートくらいないかと、ベッドから降りようとしてめまいがした。
「ゴホッ……ゴホッ……!」
風邪を引くことは滅多にないので、こういうときに必要なものがこの家には一つもない。マスクすらない。どうせ誰もいないので移す心配はないが。
一か八か親に連絡してみようかとペットボトルの横にあるスマホを見ると、深月から何件か連絡が来ていた。そのメッセージを開いた瞬間、インターフォンが鳴った。
体を引き摺って玄関に向かいドアを開けると、マスクをし大きなビニール袋を持った呉内さんが立っていた。仕事終わりなのかスーツを着ている。
「理人くん、風邪引いたって聞いたけど大丈夫?」
喉が痛くて声が出ないので、気力を振り絞って首を縦に振るが、たぶん大丈夫でないのはバレている。
「色々持って来たから部屋に上がってもいい?」
深月からのメッセージは三件だった。一件目は大学終わりに見舞いに行くこと、二件目はバイト先でも体調不良者が続出したため、どうしても代わりに出なければならなくなったこと、三件目はその話を聞いた京斗さんから呉内さんに話が伝わり、深月の代わりに呉内さんが見舞いに来るということだった。
「薬は飲んだ?」
首を横に振って否定する。
「食事は?」
同じく首を横に振る。それだけ聞くと呉内さんは俺の額に手を当てた。外が寒いからかひんやりしていて気持ちよかった。
「ひどい熱だね。とりあえず横になろうか」
呉内さんが靴を脱いで部屋に上がってきたので、大人しくベッドに行こうとして、まためまいがした。
……あ、やばい。これ
倒れたかと思ったが、目の前にいた呉内さんに支えられ、背中を何度かさすられた。
「しんどいね。もう、大丈夫だから、ベッド行こうね」
そのまま横抱きをされてベッドまで連れて行かれたが、頭痛がひどくて恥ずかしいという感情すらなかった。
「薬は市販のもの買ったから、ご飯食べたら飲んでね。食欲はないかもしれないけど、ちょっとでもいいから食べてね」
「す、み゛……まぜ、んっ、わ、ざわざ……来ても……らっで……」
掠れてほとんど声は出なかったが、何とかそれだけ伝えた。
「気にしないで。それと無理に話さなくていいよ。お粥作るからキッチン借りるね」
呉内さんはジャケットを脱いでソファの背もたれにかけると、ビニール袋を持ってキッチンに向かった。頭が痛過ぎて何も考えられない。とにかく誰かが来てくれてよかった。それだけで嬉しかった。
しばらくしてお粥入りのお椀とスプーンを持った呉内さんがベッドに来た。上体を起こしてお椀を受け取ろうとしたが、なぜか渡してもらえなかった。
「落とすと危ないから、はい、口開けて」
それはさすがに抵抗感があったが、スプーンにお粥を乗せたまま微動だにしない呉内さんを見て、諦めて口を開けた。
たぶん、すごく美味しいんだろうが、体調が悪いせいでほとんど味がわからない。量が少なかったおかげで完食することができ、解熱剤をもらって飲んだ。
そのあと呉内さんはスポーツドリンクのペットボトルの蓋を開けて、中にストローを入れて俺に飲ませた。残った分は蓋をして枕元に置くと、食器をキッチンに持って行き、マスクを持ってすぐにこちらに戻って来た。
「理人くん、マスクつけるよ」
言われて顔を上げると、マスクを持った呉内さんの顔が至近距離にあって、息が止まるかと思った。そんな俺の気も知らず、呉内さんは紐を片方ずつ伸ばして俺の耳にかける。余計に熱が上がったような気がした。
「汗かいてると思うから、上だけでも着替えようか」
汗でベタついているのが気持ち悪かったので、この申し出はありがたかった。呉内さんはクローゼットからスウェットを取り出し、洗面所からタオルを持って来てくれた。その間もずっと頭が痛くて死にそうだった。
「理人くん……大丈……」
呉内さんの顔が歪んで見え、声が遠のいていく。そこで意識が途切れた。
眩しい光で目が覚めた。枕元にはペットボトルが一本とスマホがある。ぼんやりとしている頭を何とか動かして、目を覚ます前のことを思い出そうとした。
風邪引いたんだっけ。喉はまだ痛いし体もだるいが、頭痛が治ったおかけで寝る前よりはずいぶん楽になった。おそらく熱も少し下がっている。
ベッドから降りてトイレに行こうとして、ソファに誰かがいるのか見えた。親か? いや、あの人たちが何の用もなくうちに来るとは思えない。
恐る恐るソファを見ると、呉内さんが肘掛けに頭を預けて眠っていた。そういえば深月の代わりに呉内さんがお見舞いに来てくれたんだった。
足が長過ぎてソファに収まりきっていないし、ジャケットを掛け布団代わりにしている。緩められたネクタイとシャツの第一ボタンが開けられているのが、大人の男という感じがして思わずドキッとした。
……そうじゃなくて。もしかしてずっとこの部屋で俺の看病をしてくれたのか? 呉内さんが仕事終わりに来たとして、今外が明るいということは確実に日付を超えている。
「くれ、ないさん……」
昨日よりは声が出るようになっていた。起きていてもきれな人は寝顔もきれいだ。くるんとした長いまつ毛に筋の通った鼻、閉じられた薄い唇、細長い首。普段、何から何まできちんとしている隙のない人のこういう姿は、見てはいけないものを見ているような気になってくる。
「く、れない、さん……」
軽く肩を揺すって起こそうとした瞬間、腕を掴まれそのまま前に引っ張られた。まだ抵抗するほどの力はなく、あっけなく体勢を崩してしまった。ソファの上で呉内さんに抱きしめられている。逃げようにも腕の力が強く、俺は普段より力がないので動くことができない。
「……ん」
至近距離で呉内さんの目が開く。大きな目は近くで見ると本当にきれいで、思わず見惚れてしまった。
「理人くん……?」
「お、はよ……ござ、います」
二、三度瞬きをしたのち、呉内さんは状況を理解したらしく、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ああ、ごめんね。ちょっと寝ぼけてたみたい」
「あ、いえ……大丈、夫です」
「声、昨日よりマシになったね」
そう言うとにっこり笑いながら俺の額に手を当てた。その大きな手になぜか安心してしまう。
「うん。熱もちょっと落ち着いたね。でもまだ熱いし、寝てようか」
上体を起こして俺の膝裏に手を回したかと思うと、再び横抱きされる。昨日は頭が痛過ぎて気にならなかったが、さすがに恥ずかしい。
「あの、歩け……ます、から……」
「いいの、いいの」
抵抗する間もなくベッドに降ろされると、そのまま丁寧に布団をかけられる。
「すい、ませ、ん……きょ、かいしゃ」
「今日は土曜だから休みだよ。だから気にしないで」
昨日のお粥の残りがあるから、と呉内さんはそのままキッチンへと向かった。布団の中に入った瞬間、ソファで抱きしめられた感覚が蘇った。
嫌悪感はなかった。あれだけ触れられるのが嫌だったはずなのに、先ほど抱きしめられたときはそんな感情は一切なかった。でも、あのとき呉内さんは寝ぼけていて相手が俺だと認識していなかった。つまり彼女と勘違いしたのだろう。
あの大きなベッドの上で、呉内さんが女性の引いて抱きしめる姿を想像する。その相手はきっと由莉奈さんだ。
少しだけ、また頭が痛くなってきた。
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