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第三章
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しおりを挟むやっぱり二人は付き合っていたのか。友達だからって異性の二人が香水をお揃いで買うとは思えない。それにこのボトルの中身はほとんど残っている。つまり最近買ったんだ。たぶん呉内さんが帰国して、俺を押し倒した日の、そのあとくらいに。
よかったじゃないか。二人は誰がどう見てもお似合いだし、これで呉内さんに対して何か心配する必要は本当になくなった。俺が望んでいた結末。これから先は仲のいい兄弟みたいな関係を築いていける。
そう思うのに、なぜか気持ちが晴れない。胸の奥が重く感じる。匂い自体は嫌いじゃないのに、この匂いに包まれていることがひどく不快に感じる。
「俺も今度、香水見に行ってみようかな……」
「いいね。もし買ったら教えてね」
呉内さんは香水を本棚に戻すと、コーヒーを淹れると言ってキッチンに行った。
「あ、呉内さん」
「ん? どうしたの?」
「……すみません。近野からこのあとことで連絡が来て、早いですけど今日はもう帰りますね」
一刻も早くこの匂いを消したかった。すぐに家に帰ってシャワーを浴びたい。だから咄嗟に嘘をついた。
「そっか。残念。また今度一緒にコーヒー飲もうね。今日は本当にありがとう」
「いえ。こちらこそお邪魔しました」
足早に玄関に向かい、靴を履いてドアを開けた瞬間、見覚えのある顔が視界に入った。
「こんにちは、理人くん」
「……由莉奈さん」
ドアの前にいたのは、今一番会いたくない人だった。人形みたいに大きな目と目が合う。その奥にほんの少しの怒りが滲んでいる。打ち上げのときと同じで、俺を敵視するような目だ。
何でここに……。
「由莉奈?」
「朱鳥!」
由莉奈さんは俺の後ろにいる呉内さんを見ると、すぐさま嬉しそうに笑い、手に持っていた紙袋を差し出した。
「昨日までお友達と韓国に行ってたの。よかったらこれ、お土産」
「そう。ありがとう」
呉内さんはお土産を受け取ると、玄関で固まったまま動けずにいる俺の耳元で「またね、理人くん」と告げた。
その瞬間、弾かれたように体が動いて、笑顔のままの由莉奈さんの横をすり抜け、そのまま階段で三階まで一気に降りた。
自分の部屋に戻るなり、服を脱いでシャワーを浴びる。石鹸で耳の裏と手首を重点的に洗うが、それでも匂いが残っているような気がして、肌が赤くなるくらい思いきり擦った。
「何やってんだ……」
濡れたままの髪をタオルで拭きながらベッドに腰をかける。恋人同士が同じ香水を使って何が悪い。普通だろ、そんなの。
由莉奈さんと呉内さんなら、間違いなく誰もが憧れる理想のカップルだ。女装した俺と並ぶよりもずっと。呉内さんだってそれをわかってるはずだ。だから俺に拒絶されてすぐにあの人と付き合ったんだ。
「……いいんだよ、それで」
これでいい。何も間違っていない。これが正しい関係だ。由莉奈さんと呉内さんは恋人同士で、俺はただ同じマンションの住人。おかしなことなんか一つもない。そう自分に言い聞かせる。なのに、何でこんなに気が晴れないんだ。
時計を見ると近野たちの約束までまだ時間がある。少しの間気を紛らわせようと眠りについた。
夕方、近野の家で開かれたテスト勉強会は、うちの学科で一、二を争うバカの柴本と、やればできるが勉強嫌いな近野のためだ。俺は二人に勉強を教えつつ、自分も苦手な部分を勉強する。友達といると集中力が切れることも多いが、教えるという行為は意外と自分のためにもなる。
三人で一つのローテーブルを囲んでいるせいで、参考書を置くスペースがなく、俺と柴本は自分の分を床に置き、近野は後ろにあるソファに置いている。
「あー、もう限界」
開始から一時間半ほどして近野がシャーペンを放り投げて、ソファの肘掛けに頭を預けた。
「おい、近野。前より集中力短くなってないか?」
「うるせー。あー、クソ。ヤりてえな……」
「お前なあ……彼女できてからそればっかり」
近野の一言でやる気を無くしたらしい柴本が、炭酸水を飲みながらケラケラと笑う。
「だってよお、せっかく付き合ってんのに、全っ然ヤらせてくんねえの!」
「キス止まり?」
「そう! なあ、理人、お前普段どうやってんの?」
「は? そんなのそのときのノリだろ」
「それができたら苦労しないんだって! いい雰囲気になったとたん、急にお腹空いたとか、見たいテレビがあるとか言って雰囲気ぶち壊し。さすがに萎えるわ」
「……お前、それ嫌われてるんじゃね?」
柴本の意見に内心俺も賛成する。お腹が空いたはまだしも、いざってときに見たいテレビがあるはさすがに不自然だ。
「嫌われてねえわ! ピュアなんだよ、ピュア! たぶん……」
「あれだろ、近野の下心が見え見えなんだよ。だから引かれんの」
「いや、結構隠してるつもりなんだが……」
「わかってねえな。女ってのはそういうの敏感だから。いいか? ヤるときは自然に……」
完全に集中力が切れた柴本と近野を無視して勉強をしていると、いきなり体に重みを感じ、それと同時に視界が反転した。
「こうやってな、相手が何かに集中してるときに押し倒すわけよ」
座布団の上に座っていた俺をいきなり押し倒したのは柴本だった。俺に馬乗りになっている友達の顔が、ほんの一瞬呉内さんと重なって見えた。気持ちを落ち着かせようと心の中で大きくため息をつく。
「おい。俺を巻き込むな」
「これも童貞の近野くんのための指導だから、ちょっと付き合え」
横目に近野を見ると、興味津々という目でこちらを見ていた。え、近野って童貞だったのか。だからこんなに必死なのか。
「押し倒していきなり触るのはダメだ。そういう気分になってないと抵抗されるからな。ちゃんとキスして、酸素不足にさせて相手の思考を鈍らせる」
「お前、言ってることわりとクズだぞ」
「それで、それで?」
「で、体を優しく撫でる。はじめは脇腹とか腰とか」
柴本の手が脇腹を撫でる。くすぐったくて笑いそうになるが、あまりにも二人が真剣なので必死で堪える。
「向こうもその気になってきたところで、ようやく胸を触る」
「時間にしてどれくらい?」
「時間じゃねえわ。相手の様子をちゃんと見ながら判断するんだよ」
「お前、がっつきすぎて相手のこと見てないだろ」
俺がそう言うと、近野は心当たりがあるのか眉を顰めた。
「図星か」
「ど、童貞にそんな余裕あるわけねえだろ!」
「まあ、誰にだってそういう時期はあるな。でもな、近野。大人の階段上りたきゃ、そこは堪えろ。順番に丁寧に触っていけば向こうだって嫌な気はしないって」
柴本の手が下から上に上がってきたかと思うと、ごく自然に服の中に手を入れられ胸を揉まれた。
「うわ!? ちょ、お前どこ触って……!」
思わず声を出すと柴本がケラケラと笑いながら手を離した。
「ははっ! 悪い、悪い。でもわかっただろ? こうやって時間をかけて順序よくいけばうまくいくんだよ」
「いや、理人嫌がってたけど……」
「俺がこいつに胸揉まれて喜ぶわけねーだろ。でもお前の相手は彼女なんだからそこはいけるって」
胸を触られたとき、学祭の日に見た夢を思い出したが、無理にでも二人と会話を続けることで、何とか平静を保つことができた。
「理人の言う通り。向こうだってヤりたくねえわけじゃなくて、たぶんお前の下心に引いてるだけだから。あとはお前の出方次第」
「そうそう。つか、柴本、お前いつまで人の上に乗ってんだよ。さっさと降りろ」
「おー、悪い。いや、蹴るなって」
柴本を軽く足蹴りし退かせ、乱れた服を整えてため息をつく。
それからも集中力が切れた二人は、しばらくの間近野の脱童貞について話し合った。今日ばかりは一緒に勉強したのは間違いだったかもしれない。
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