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第二章

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 三時四十五分。そろそろ控え室に移動しようかと思い、たこ焼き屋に看板を預けようと歩きはじめたときだった。近くで甘い匂いがした。甘いといってもしつこい感じではなく、いつまでも嗅いでいたような爽やかないい匂いだ。

「あの……」
「はい?」

 後ろから声をかけられて振り返ると、黒い髪を緩く巻いた背の高い女性が立っていた。甘い匂いはおそらくこの人の香水だろう。さきほどよりも匂いが濃くなった。

「東館にあるここのお店に行きたいんだけど、どう行けばいいかわからなくて」

 女性は学祭のパンフレットにあるメイド喫茶を指差した。アイドルみたいな顔の女の写真がドアップに写っており、『お帰りなさいませ、ご主人様』と書かれている。

「ああ、ここちょっとわかりにくいんですよ。よければ案内しますよ」
「本当に? ありがとう」

 ファッションショーで歩いているとしたら、こういう人なのだろうと思った。背が高くて全体的に細く、顔立ちも整っている。職業はモデルと言われても信じるだろう。女性は歩くたびに周囲の視線を惹きつける。まるで呉内さんみたいに。道中は他の来場者に声をかけられないように看板を下げて歩いた。

「お仕事中に呼び止めてごめんね」
「あ、いえ。大丈夫です。屋台の宣伝で構内を歩いてるだけなんで」

 ほとんどずっと歩いているだけなので、大した仕事ではない。俺が必死で客引きしなくても、深月もいるわけだから問題ないだろう。

 五分ほど歩いて目的のメイド喫茶に着くと、女性はにっこり笑ってお辞儀をした。

「ありがとう。中で友達が待ってるの。お姉さんのお店はたこ焼き?」
「あ、そうです」
「そう。それじゃ、あとで行かせてもらうね」
「……どうも」

 女性がメイド喫茶の中に入ると、パンフレットにあった通り「お帰りなさいませ、ご主人様」という声が響いた。

 せっかく美人に声をかけられたんだから、もっと色々な話をして連絡先くらい聞けばよかったのに、何も言わずに送り出してしまった。そもそも俺が男だと気づいているのかはわからないが。

 廊下で一人になったところで、控え室に行く時間を思い出しスマホを確認する。

「やば」

 慌てて階段を降りてたこ焼き屋に向かう。長蛇の列を横切って屋台の裏側に入ると、近野が水を飲みながら休憩していた。手作りの看板を屋台の壁に立てかける。

「え、理人、お前なんでまだここにいんだよ」
「うるせー。それ預けたからな!」
「おう。早く行けよ。呉内さん、もう待ってるぞ」
「わかってる!」

 急いでコンテストの控え室に行くと、他学科の女装をしている男とサポーターのペアがすでに席に着いていて、どうやら俺が一番最後であるらしかった。

 控え室内は何とも言えない状態だった。当然だがここにいるのは全員が男。そのうちの半分が女装をしている。小柄な男に女装させて本格的にカップルに見せようとしている者もいるが、中にはあえて筋肉質で背の高い男が女装して受けを狙っている者も複数いる。

 混ざりたくねえな、ここに。

「遅くなってすみません」
「今からだから大丈夫。名前は?」
「八月一日理人です」
「八月一日くんね。サポーターの人はもういる?」

 コンテストを運営スタッフに声をかけられてすぐ、一番後ろの席に座っている呉内さんが手を挙げた。改めてこの格好を見られるのは恥ずかしいし、正直なところ今すぐにでも帰りたい。

「理人くん、こっち」

 できるだけ顔を上げないようにしながら後ろの席に行くと、相変わらず何を考えているかわからない笑顔で呉内さんが声をかけてきた。

「宣伝お疲れ様。これコンテストに関する資料だって」
「あ、ありがとうございます」

 呉内さんから渡されたのはコンテストのルールやスケジュールが書かれた紙だった。近野が言っていた通り、優勝者には賞金二万円と白桃屋のロールケーキが贈呈されると記されていた。

   それから女装コンテストの運営スタッフから紙に書かれている内容に関しての説明があり、その後質疑応答の時間が十分ほどあった。

   その時間中、隣に座っていた他学科の男が『ステージの一番前でアピールをすると得点が上がる』という項目について、アピールとはどういうものなのかと質問をした。

   たしかにアピールと言われても何をすればいいのか検討もつかない。わざわざサポーターまでいるくらいだから、女装している男が一人でやることではないのだろうが。

「決まりはありません。ただこのコンテストは理想のカップルに見えるという前提がありますので、サポーターと二人で簡単に出来ることを考えてください。持ち時間は一組三十秒前後なので、思いつかない方は二人で簡単なポージングをするというのでも問題ありません」

   要するに、ファッションショーでモデルがステージの一番前でしているようなポージングをサポーターと二人でやればいいのか。そうはいってもそんなこと人生で一度もやったことがないし、理想のカップルに見えるポージングなど想像もできない。

   横目に呉内さんを見ると俺の視線に気がついたのか、にこりと笑って「大丈夫、任せて」と小声で言われた。俺が考えたところで何かいい案が出るはずもないので任せておくことにした。


   五時ちょうど。予定通り女装コンテストがスタートした。ステージでは司会者の学生二人が笑いを交えながら、コンテストのルールや会場についての説明をしている。

   コンテストの参加者は全員ステージの横の幕の裏で待機している。ステージに出る順番ははじめから決まっているものと思っていたが、まさかの開演二十分前に行われた抽選により、俺と呉内さんがトリを飾るはめになった。

   できれば三、四番目くらいに出てさっさと終わらせたかったのだが、抽選なので文句の言いようもない。これではコンテンストが終わるまで、ずっと呉内さんと一緒にいなければならない。自分のくじ運の悪さを呪うしかなかった。

「それでは行きましょう!   まずはこの二人です!」

   司会者がそう言うと一番はじめの二人組が幕から出て、客席の真ん中を通っている細長いステージを腕を組んで歩いて行く。その間に司会者がその二人の学科名や名前を読み上げている。

   客の中には参加者と同じ学科の学生もいるようで、二人に向かって大きな声で名前を呼んだり、手を振ったりしている。

 出場者がステージの一番前に来ると、サポーターの男が女装している男をお姫様抱っこし、くるりとその場で一周回ってみせた。それを見た観客たちは歓声を上げ、コンテストは盛り上がりを見せはじめた。

   アピールは何でもいいとのことだが、あれは絶対にやりたくないし、歩くときも腕を組むのは嫌だった。

  呉内さんと極力会話を避けるために、俺は自分の番が来るまでずっと幕の隙間からステージを見ていた。終わった参加者たちは気楽そうにしているが、俺の番までは一時間近くもあり、ステージに立つ前から疲れはじめていた。
 
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