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第二章

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   ようやく休憩時間になったときには、体力的にも精神的にもかなり疲弊していたし、深月と一緒に学祭を回れるわけでもないので、自分の学科のたこ焼きを食べて一人で学内を見て回ることにした。

   一時間の休憩のために元の服に着替えるわけにはいかないので、女装姿のまま歩き回ったが、この格好でどこかのお店に入る気にはなれず、結局たこ焼き屋が出してるドリンクのコーラを飲みながら、人気のない階段に座ってぼうっとしていた。 
 
   午前中の疲労をすべて吐き出すように大きくため息をつくと、制服のスカートに入れていたスマホの着信音が鳴った。画面には「非通知設定」と表示されている。前に一度かかって来て以来、毎日のようにかかってくる。

   あの日以降かかってくるたびに無視しているが、そろそろいい加減にしてほしい。 画面を見つめたまま出るか出ないか迷っているうちに着信は切れてしまった。

   次にかかってきたら文句の一つでも言ってやろうかと画面を睨みつけていると、すぐにまた非通知から電話がかかってきた。

「毎日毎日、かけてくんじゃねえよ!」

 疲れていたのとイライラしていたのもあり、通話ボタンをタップしてすぐに怒鳴ってしまった。しかし相手は一言も話さない。

「おい、聞いてんのか!?」

   数秒待ってみたが、やはり相手は何も話さない。面倒になって電話を切ろうとした瞬間ぼそぼそと声がした。 

「……今、どこですか」

 その声が聞こえた瞬間、反射的に通話を切ってしまった。

 ……何だ、今の。

 男のものか女のものかもわからない、低くぼそぼそとした声で、異様な気味の悪さを感じた。いたずら電話なのだろうが、こうなってくるとタチが悪い。 

 電話を切ってスマホをスカートのポケットに入れた瞬間、誰かに見られているような視線を感じ、慌てて周囲を見回した。まさか電話をかけてきたやつが近くに隠れて、俺の様子を見て面白がっているのだろうか。

   居心地の悪さを感じて場所を移動しようかと考えていたとき、聞き慣れない声がした。

「お、お姉さん、たこ焼き屋の人、だよね?」

   この場には俺しかいないので、お姉さんというのはたぶん俺のことだろう。お姉さんではないが、女装をしているのでそう見えても仕方ない。

   声のしたほうに顔を向けると、小太りの中年の男が首から下げたカメラを持って立っていた。この涼しい時期に額に汗をかいており、サイズの合っていないシャツが体に沿ってぴんと張っている。潰れた鼻の下から見える黄色い歯をガチガチと鳴らしている。コスプレをしている学生が多いので、こういう客も集まりやすいのだろう。

   休憩時間まで客と話す気にはなれず、一度睨んでから無視した。どうせすぐ女装だとわかるだろうと思っていたが、なぜか男は一切の迷いなくこちらに近づいて来る。

「お、お姉さん、び、び美人だねえ……」
「は?」

   まさか男だと気づいてないのか?   どう見ても女の格好をした男だろう。座っているから背の高さがわからないのかと思い立ち上がろうとした瞬間、あまりの顔の近さに体が硬直してしまった。

   普段から男にこんなに顔を近づけられることはないのが、つい最近似たようなことがあったことを思い出してしまった。呉内さんに押し倒されたときのことを。

「きゅ、休憩中……かな? 良かったら、ぼ、ぼぼ僕と一緒に回らない?」 

   俺が返事をする前に男が手首を掴んできた。汗ばんだ手のひらが気持ち悪くて、一気につま先から頭のてっぺんまで鳥肌がたった。おまけに吐く息が臭くて、気分が悪くなる。

「悪いけど、俺、男だから……」

 ダメ押しにそう言ってみたが、男は興味をなくすどころか、なぜかにんまりと笑ってみせた。

「知ってるよ」

   全身から血の気が引く。一刻も早く男の手を振り払いたいのにうまく力を入れられず、自分の腕をまともに動かすことができない。そのまま思い切り手を引かれ、男の体に倒れこみそうになった。

「俺の連れに何か用?」

   男が突然聞こえてきた声のほうに目を向けたので、俺もつられてそちらを見ると、少し離れたところに呉内さんが立っていた。

 何でここに? いや、この際、助けてくれるなら誰でもいい。

「つ、連れ? 君の?」

 男の問いに呉内さんは小さく首を縦に振る。

「それ以上触ったら通報するよ?」

 呉内さんがスマホを見せびらかすようにこちらに向けると、男は慌てて俺から手を離し、小さな背をより縮めてぶつぶつと独り言を言いながら立ち去った。

   放心状態のまま呉内さんと目が合った瞬間、自分の今の格好を思い出し、慌てて俯いてウィッグの髪で顔を隠す。まずい。よりによって女装姿を見られるなんて、本当に最悪だ。しかも男に絡まれてるときに。ってか、そもそも何で学祭にいるんだよ。

「大丈夫ですか?」 

   いつものように人の良さそうな笑顔を浮かべながら、呉内さんがこちらに近づいて来る。まさか俺だと気付いてないのだろうか。というよりも、知り合いの男が化粧してこんな格好をしてるとは夢にも思わないか。だが喋るとさすがにバレる。

   どうするべきか考えている間にも、呉内さんはこちらに近づいて来る。本人としては単にナンパされている女の子を助けたつもりなのだろうが、実際は俺だ。バレたときのことを考えると怖くて、その場から逃げ出そうかと思った。

「あ、ありがとうございます」

   無理矢理高い声を出してお礼を言い、出来る限り目を合わせずに階段を駆け上がろうとした。

「ところで理人くん、そんなに可愛い格好してどうしたの?」

   一気に距離を詰められ耳元でそう囁かれた瞬間、背中に強烈な冷や汗が流れ、指先が少し震える。

「いつから……気づい……」
「はじめから君だとわかってたよ」

   気づいてわざと声をかけたのか。これじゃ、助かったのかそうじゃないのかよくわからない。また何かされるのだろうか。あの男より呉内さんの方が力が強い。だから頭の中では今のうちに逃げろと警告を鳴らし続けているが、体はまったく言うことを聞かない。

「あんまりそういうことされると、俺が困るんだけどね」
「……え?」

   人あたりの良い笑みを浮かべているはずなのに、今の俺にはそれが怖い。何を考えてるのかさっぱりわからないし、俺のことをどう見てるのかもわからない。

「あれ、朱鳥さん?」

   どうやってこの場を乗り切ろうかと考えていると、女装姿のままの看板を持った深月がこちらに向かって歩いて来ていた。

   ……助かった。深月がいれば下手なことはしないだろう。ナイスタイミングだと、心の中で安堵する。

「こんにちは。深月くんまでずいぶんと可愛いらしい格好してるね」

   俺とこの人の間に何があったのか知らない深月は、普段と何ら変わらず呉内さんに話しかけた。

「大学の友達に頼まれてやってるんですよ。俺と理人で女装して屋台の宣伝しろって」
「へえ、学祭って感じでいいね。君たちのところはたこ焼き屋かな?」
「そうです。あ、良かったら朱鳥さんも食べていってください。理人の休憩ももう終わりだし、一緒に屋台まで行きましょう」

   何も呉内さんまで呼ばなくてもいいのにと思ったが、二人きりになるよりはマシだ。この人を屋台まで連れて行って、俺は宣伝のために看板を持って移動すればそれでいい。

   これなら自然に呉内さんから離れることができる。そう考えて俺は深月の意見に賛成し、三人でたこ焼き屋の屋台に向かった。

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