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第一章

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「理人くん?」

 ドアを開けたのは紛れもなく呉内さんだった。昼間に会ったときと同じ服装の呉内さんが、不思議そうな顔してこちらを見ていた。そりゃそうだ。自分の部屋の前で何もせずに突っ立ってるやつがいたら俺だって怪しいと思う。

「あ、あの……」
「俺に用かな?」
「はい、昨日のカレーのお礼に」

 持っていたカルラの紙袋を見せると、納得したように笑顔でそれを受け取ってくれた。

「ありがとう。食べてくれたんだ」
「はい。すごく美味しかったです」
「それはよかった」
「すみません。俺、てっきり深月がつくったんだと思ってて、今日の朝エントランスで会ったのに……」
「そんなのいいよ。美味しく食べてくれて嬉しいよ。あ、そうだ。ちょっと待ってて」

 お礼もできたし用は済んだので帰ろうとしたが、なぜか引きとめられてしまった。呉内さんはロールケーキを持って一度部屋に戻ったが、すぐに出て来て玄関のドアを締めた。

「ねえ、よかったから今から一緒にご飯食べに行かない?」
「あ、いや、でも呉内さん何か用事があったんじゃ……」

 俺がインターフォンを押す前に出て来たのだから、外出するつもりだったことは間違いない。

「大丈夫。ただお腹空いたから一人で外食しようと思ってただけだよ」

 半ば強引にを押され、そのまま一緒にエレベーターに乗り、エントランスを抜けて駐車場まで来てしまった。流されるように来てしまったが、料理が苦手な俺としてはありがたい提案だった。

   できれば部屋で料理を教えてもらいたいところが、さすがにここで言うのは厚かましいので、またの機会に頼むとしよう。

   呉内さんの車は、車に詳しくない俺でもわかるほど高級なもので、思わず乗るのを躊躇うほどだったが、当たり前のように呉内さんが助手席のドアを開けてくれたので、すんなりと乗車することができた。

「いきなりごめんね」

 車内はやけにきれいでいい匂いがするし、さすが高級車なだけあって座り心地もいい。

「あ、いえ。俺もちょうどお腹空いたんで」
   
 どうせ家にいても食べるのはコンビニ弁当かインスタントラーメンくらいだし、財布はズボンのポケットに入れっぱなしだったので外食でも問題はない。

「理人くん、苦手なものとかある?」
「あ、ないです。結構何でも食べます」

   本当はちくわが苦手だが、何となく言うのが恥ずかしくて黙っておくことにした。

 呉内さんは好き嫌いなさそうだし、そもそも迷うことなく車を運転しているところを見ると、すでに行く店は決まっているのだろう。下手なことを言って気を遣わせるのは申し訳ない。

「理人くんって大学生だよね? 車の免許取らないの?」

 車を運転する姿がかっこよくて、じっと見つめていると、呉内さんが前を見たまま話しかけてきた。

「そうですね。取る予定はないです」
「そうなんだ。俺が学生のときは大学に入学するとみんな取りに行ってたからさ」
    
   十八歳になってからというもの、この話題を振られることが多くなった。実際、友達の中には車や原付の免許を取ってるやつはいるし、ローンを組んで新車を買ってるやつもいる。

 こうして呉内さんの車に乗るとやはり便利でいいと思うし、周りの女の子たちも付き合うなら車持ちがいいという子が多くなっているのも事実だ。だが俺は今のところ車の免許を取るつもりはない。

「あー、その……俺、小学生のころに交通事故に遭ったらしくて。小さかったんであんまり覚えてないんですけど……トラウマっていうか、何か運転するのがちょっと怖いんです」

   凄惨な事故だったと母親が言っていた。トラックの運転手の居眠り運転によるもので、事故に遭って病院に運ばれたときは、手術に成功して意識を取り戻しても、歩けなくなるかもしれないと言われていた。

   それが長期入院とリハビリの甲斐あって、奇跡的に後遺症もなく回復したわけだが、一度体験した恐怖は自分の意識するところよりも深くまで及んでしまうらしい。十八歳になってすぐのころに一度免許を取ろうと教習所に行ったが、ハンドルを握った瞬間、フロントガラスに子供の頃の自分が見え、体が震えて指一本動かせなくなった。

「そっか。ごめんね。嫌なこと思い出させちゃって」
「あ、いえ。俺もほとんど覚えてないんで。気にしないでください」

   それから十分ほどしてレストランに到着した。呉内さんはさりげなく先に運転席から降りて、助手席のドアを開けてくれた。

   内装はきれいだが高級レストランというわけではないらしく、案内されたテーブルに置かれていたメニューを見る限り、俺でも支払えそうな値段設定だったので安心した。

「どれも美味しそうですね。呉内さんは何を注文するか決まっているんですか?」
「俺はパスタにするよ。理人くんは?」
「じゃあ、俺はハンバーグにします」

   呉内さんはすぐに店員を呼び、料理を注文してくれた。一つ一つの行動が紳士的なところも大人の余裕という感じがあってかっこいい。

   それに呉内さんが店内に入った瞬間、複数の女性客がちらちらとこちらを見ていた。中には席に着くまで目で追っていた人もいる。相当モテるのだろう。やはり仲良くなれば年上の女性の一人や二人、紹介してくれそうだ。

「ここのレストランの料理、結構美味しいんだよ」
「よく来られるんですか?」
「海外にもチェーン店があってね。向こうにいたとき、たまに行ってたんだ」

    にこりと笑う呉内さんの顔は本当にきれいで、俺が女なら惚れるだろうな、と考えたところで、またあの夢のことを思い出した。大きな腕に抱きしめられる夢。太すぎず、程よく筋肉のついた腕。

 今思い出しても抱きしめられていたときの感触がやけにリアルで、思わず呉内さんの手を見て触れてみたくなった。

「理人くん?」
  
  ふと我に返ると、心配そうな顔の呉内さんと目が合った。

「は、はい!   何ですか?」
「やっぱり嫌だった? 男と二人で外食なんて」
「あ、全然そんなことないです。むしろいつも一人で寂しくコンビニ弁当とか食べてるんで、こうやって誘っていただけるのは嬉しいです」
  
 俺がそう言うと、呉内さんは心底安心したように笑った。むしろ大学生の男を誘うより、知り合いの美女を誘ったほうがよかったのではないかと、俺が心配になってきた。

「そういえば、呉内さんは彼女いないんですか? 俺なんかよりそっちのほうが……」
「いないよ。向こうにいたときは毎日仕事に追われてて出会いなんかなかったしね」
   
   意外な答えになぜか自分が安堵していることに気がついた。べつに呉内さんに彼女がいたところで俺には何の関係もないし、どうでもいいことなのに。

「そういう理人くんは?    モテそうだけど」

   人生においてこの言葉は数え切れないほど言われてきたが、この人に言われると本気で自分は大してモテてないんじゃないかと思ってしまう。

「いないですよ。まあ、欲しいとは思うんですけどね」

 呉内さんは少し驚いたような顔をしたが、俺からすれば呉内さんに彼女がいないほうが驚きだ。

   これだけ顔もスタイルもよくて優しくて、おまけに料理もできるのに彼女がいないってことは、呉内さんは仕事人間なのだろうか。それとも自分が完璧すぎるから相手に求めるものも高いのだろうか。あるいは何でもできすぎて逆に浮気されやすかったりして。

 こんなきれいな人と付き合って浮気なんて、俺には想像もできないけど。

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