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第五話  大賢者と嫌疑

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「魔王よ、食らうがいい!」

フロウの大剣が易々と魔王の体を分断する。
肩口から下脇腹まで一直線に。

「よっしゃ、でかしたよフロウ」

リディアの高速剣が、分断された体を更に裁断する。
こうなると魔族の王とやらも形無しである。
もはや肉片と呼ぶに相応しく、原型すら留めていない。

それにしても2人の若々しさよ。
すっかり老いたワシからすると、何とも羨ましい。
こちらは戦闘に加わるどころか、杖が無くては歩くことさえままならぬ。

「まだ生きているのか! なんという生命力なんだ」
「クソが! このままじゃアタシらがへばっちまうよ」

その言葉を証左するように、肉片のひとつひとつが蠢く。
まるで意思を持つかのように集まり、躍り、そして形作っていく。
それは人型を模し、忌まわしき男の姿を取り戻そうとしている。

何度殺しても死なない究極の生命体。
まるで悪夢を現実で見ているかのような気分だ。

「クラストさん、どうしますか! じきに蘇りますよ!」
「頼むよ知恵者。何か良い策を出しとくれよ」
「クラストさん、はやく!」
「クラスト!」

問われた。
かつてと同じように。
そしてワシの答えは、今も変わらない。


「封じるしかあるまい。そうして時を稼ぎつつ、打開策を探るのだ」
「本当にそれで良いのですか?」
「なんだと?」
「それが正しい選択なのか、と聞いてるんですよ」


フロウがその場に剣を捨て、こちらへ歩み寄ってくる。
瞳孔を開き、酷薄な笑みを浮かべながら。


「私たちはねぇ、弱ってくんですよ? いずれは死んじゃうんですよぉ?」
「フ、フロウ!?」
「こんな風にぃぃい!」


一歩また一歩と歩みを進める度に、フロウは醜く老いていった。
筋肉による肉体美はみるみる痩せ細り、張りのある肌はシワにまみれ、きらびやかな髪が縮んで抜け落ちていく。
やがて皮膚が、肉が腐り落ち、骨だけになって倒れる。
それすらも何処かからか吹いた風に晒され、塵となって消えてしまった。


「何としたことか! フロウ!」
「はぁ、つまんねぇの。封じて時を稼ぐって、結局は問題を先送りにしただけじゃん」
「リディア……」
「5年10年程度なら良いさ、待てるよ。でもアンタは50年以上かけてもダメだったじゃないさ」
「それはそうだが、他に打つ手など無かったのだ!」
「どうだか。ビビッただけじゃないの。もう時間切れだね。その結果が人間の危機に繋がったとしたら、アタシらは良い笑いもんだよ」


リディアの体が炎に包まれてゆく。
痛みも苦しみもないのか、平然としている。
どこか寂しそうな横顔だけ残し、そして消えた。


「ワシが誤っていただと? 封印は臆病が故と言いたいのか!」


答えるものは居ない。
ただ肉塊が再度の復活に向けて蠢くばかり。


「ならば教えてくれ! 正解は何だったのか! ワシらに一体何が出来たのかと!」


静寂。
無明。
孤独。
後に残されたのはそれだけだ。


「誰か、答えてくれ。教えてくれーぃ……ハッ!?」


気がつくと、目の前には見慣れた机があった。
長年にわたって研究時に使用しているものである。
窓の外は宵闇。
どうやらいつの間にか眠りに落ちていたらしい。


「久々に見たものが悪夢とはな。もう少し気和らぐものでも良かろうに」


汗ばんだ右手には、ユーリから受け取った石が握られている。
あれから連日のようにコイツを調べてはいる。
だが完全にお手上げである。
何せ日によって、あるいは時間帯によって、不規則多様に性質を変えるからだ。

先日は水中にコツンと沈んだかと思えば、翌日にはプカプカ浮いたりする。
昨晩も試そうとしたが、今度は水に触れた途端に煙を発したので、慌てて中断した。
水を扱った試験ひとつでこの有り様。
万事にわたって変異が起こるので、手に負える代物ではないと判断した。


「あの男はワシに拘っているようであった。この石を読み解け、と言いたいのだろうか。面妖なことだ」


気になりはするが、ひとまず不可思議な石は脇に置く。
ワシとて暇な身の上ではないのだ。

引き続き己の研究を進めようと思ったが、必須素材がいくつか足りない。
仕方がないので、再び眠る事にした。
明日は早い時間に素材屋に出向くとしよう。

寝床で睡眠と覚醒を繰り返すこと数度。
突然通りの方で歓声が上がった。
窓の外は明るく、太陽の位置も高い。
廊下の窓から通りの方を確認しようとしたが、建物が邪魔で確認ができない。


「何事か。催しものは無かったと記憶しているが」
「フワァー。こりゃ何の騒ぎだい。おちおち寝てらんないよ」
「リディア。お主にも心当たりが無いのか?」
「知らないよ。都の連中に興味ないしね。アタシはもう一度寝に戻るよ」


再び客間に戻るリディアを見送り、ワシは杖を片手に外へ出た。
歩いている間も歓声は続き、時おり肌に熱気が伝わる。

しばらくして大通りに着く。
するとそこは人混みで埋め尽くされていた。
外門へと続く一番大きい通りだけが開かれ、そこへと繋がる裏路地は全て観客で占められているようだ。


「そこのお主。これは一体何の騒ぎか。まるで王族の婚約パレードのようではないか」
「おやクラストさん。ごきげんよう。今日の事をご存じ無いので?」
「知らぬから問うておる」


こうして尋ねている間も「ワァァ!」と喝采が響き渡る。
時おり戦備えの騎士が見えるが、反乱鎮圧でもするつもりだろうか。


「まさか貴方が知らないなんてねぇ。王国も一枚岩じゃ無いんですね」
「勿体振らずに教えていただきたい。ただ事では無いのだろう」
「ええ。今回組織された遠征軍は、王国最強の第2騎士団なんですがね。名声についてはご存じですか?」
「知らぬ。興味もない。その第2騎士団とやらがいかがした」
「なんでもね、魔王の封印を解いて、討伐するそうですよ」
「ま、真か!?」
「あっしもね、無茶が過ぎやしねぇかって思いますがね。それでもこの勇壮なる大兵を眺めてたら、もしかしたらって思いますねぇ」


まるで暗がりで頭を殴られたような気分だ。
魔王の封印を解くなどと、正気の沙汰とは思えない。
あれは多勢無勢など関係なく、どれだけ雑兵を集めようと意味を為さない。
異次元の力を秘めた破壊の権化なのだ。
対抗手段の無い我らは、今まさに滅びへと向かっているのである。


「止めねば。どうにかしてボンクラ王を説得せねば!」


ワシは転がるようにして王宮へと駆けた。
城門前で謁見の申し出をすると、待たされること無く王の前に通された。
まるでこちらの動きを予見していたかのような準備の良さ。
不吉極まりない。


「大賢者どの。血相を変えていかがした」
「これが落ち着いていられるか! 即刻兵を戻させよ!」
「ふぅ。何を慌てておる。まるで不始末の発覚を恐れる下僕のようではないか」
「なんだと?」


そのとき、居並ぶ文官武官から哄笑が漏れた。
気が昂って気づかなかったが、今日はいつもに増して反応が冷ややかだ。
いや、敵意があると断じても良いほどに。

ねめつけるような視線の王が、静かに口を開く。


「かつて、魔王を殺せなかったのは、単にそなたの力不足よ。封印など生ぬるい真似をしおって。今の王国にはかつてを凌ぐ兵力がある。いかなる魔族をも寄せ付けぬ、強大な力が」
「思い違いも甚だしい。魔王は並みの魔族とは大きく異なる! 決して延長線上の存在ではないのだ!」
「クラスト卿。いや、クラスト。そなたは研究資金がどうのと言うが、その結果はいつ陽の目を浴びるのだ?」
「む、むう。目下対応中である。だが、それがどうしたと言う!」


ワシには二点ほど隠し事がある。
ひとつは、魔王の封印に期限があること。
無用な混乱を招かない為にも、有期期間であることは伏せておいたのだ。
故に大多数の人間は、永劫に封じられるとの認識を持っている。

そしてもうひとつは、研究内容について。
新薬だの特効薬だのと口では言っていたが、概ね嘘である。
薬は最低限度だけに留め、大いに余らせた力を全て「完全なる封印術」の為に費やしていた。
ひとつ目の秘密と重なるので、誰にも知らせてはいない。
今は目眩(めくら)ましとなる、ささやかな新薬の実績も差し出すことはできない。
封印法の進捗を知らしめるなどもっての他。

故に言い淀む。
それすなわち、罪を半ば認めたような扱いとなる。


「ふん。やはりな。貴様は金をせびるだけの詐欺師。それが賢者を自称するとは片腹痛い。こうなると魔王とやらの実力も怪しくなる」
「あの怪物の事すらも疑うか。どこまで目が曇っておるのか!」
「確かに、ほんの二代前に人間は滅ぼされかけた。だが、それは本当に魔王の仕業か? 偶然にも疫病が流行したからではないか?」
「魔王の爪痕は今もなお残されている。群臣の祖父方にでも聞けば良い」
「それには及ばぬ。かび臭い老人の戯言など聞くだけ無駄よ。余には反証があるのだ。なぁ、ファウスト?」


王の汚れた目が隣に向く。
そこには華奢な体つきの、あからさまに文官の風体(ふうてい)の男が居た。
ファウストと呼ばれた、どこか妖しい気配を持つ青年。
彼の紫色の両目がワシを射抜くように見る。


「私めが独自に調査したところ、魔王の噂が聞かれた頃に流行り病が蔓延しました。人間どもが呆気なく頭数を減らしたのも、病が原因であると具申致します」
「聞いたか。つまりはこうだ。貴様はそれらしき魔族と結託し、魔王などという幻影を生み出し、人民をたぶらかした。卑劣にも病の流行に便乗してな。頃合いを見て居もしない魔王を封じたと嘯(うそぶ)き、英雄の地位を得る。それで卑しい身分と貧しい暮らしから抜け出した、という寸法であろう」
「さすがは陛下。非の打ち所の無い、完璧なる論理です」
「クックック。クラストよ、図星であったようだな。こうも見事に真相を暴かれては、言い繕う事も出来んか」


言葉もない。
絶句とはこの事を指すのだろう。
あまりの暴論に、つぎはぎだらけの論理に、反論する気すら失せてしまった。

魔王一派の猛威を知る生き証人は、今もなお健在である。
だがそれらには耳を貸さず、出所の怪しい、自分に都合の良い話ばかりを鵜呑みにしている。
恐らくは王にとって目障りなもの、短的に言えばワシと魔王を一掃する口実を探したのではあるまいか。
だとしたら、余りにも身勝手で、愚かである。
稚拙な王とは思っていたが、ここまでとは思いもしなかった。


「立ち去れ、乞食の老害め。詮議(せんぎ)が不十分ゆえに帰宅を許すが、決定が降り次第に首を晒してやる」
「陛下、よろしいのですか? この者の大罪は明白。今すぐに処分なされた方が」
「よい。せめてもの慈悲よ。この死に損ないが大それた事を出来ようはずもない。王都から逃げようにも、その足腰では散歩すら叶わぬであろう」
「……御意」


それからは衛兵に両脇を抱えられ、強引に退出させられた。
背中にはいくつもの心無い罵倒が突き刺さっている。
それらを整理する猶予もなく、城門の外に投げ出されてしまった。


「とっとと消えろ、薄汚い爺め!」
「なぁにが大賢者だぁ。ただの嘘つき野郎じゃぁねぇか!」
「そもそも、お前は魔法なんか使えんのか? オレは一度も見たことねぇぞ!」
「次会うときゃお前をぶっ殺す時だ。それまで自宅で大人しくしてろ!」


ーーズガッ!
槍の柄が頬を打つ。
口の中に血の味が広がった。

何という事か。
遠征を止めるどころか、有らぬ疑いまでかけられてしまった。
こうなってしまっては打つ手が無い。
途方に暮れ、足取りを重くして帰宅する。

……などという訳もなく。
帰った振りをしつつ、速やかに城壁の死角に身を隠した。
周囲に人影はなく、動きを気取られた様子もない。


「全くもって嘆かわしい。先代は教育もまともに出来ん愚図か」


取り留めもないグチを溢しつつ、ワシは城壁に両手を当てた。
そのまま精神を統一する。
体に巡る魔力を丁寧に膨らませながら。


「浮き世にあまねく疾(と)き精霊たちよ。大地の徒たるクラストが願う。天と地遥かなれど、弱卒の徒が赤心(せきしん)に応(こた)え、ひとときの加護を与え給わんことを」


満ちた。
両手に確かな力を感じる。
何年かぶりに発動する魔法はいかほどのものか。
それを今ここで確かめる。


「ストームノヴァ!」


指向性を持った強烈な風が両手から発し、狂ったように吹き荒れる。
それは目の前の城壁を瞬く間に崩し、王宮の屋根を掠め後、空の彼方へと消えていった。
それだけで事態は治まらず、凄まじい風圧が宮殿を傾かせ、脆くなった部分を丸裸にした。
これにて、最上階部分は全てが雨ざらしとなったのだ。


「威力はまぁ、及第点か。それよりも問題は発動時間であるな」


魔力の集約に時間がかかってしまう。
破壊力の減退よりも、そちらの方が気がかりだ。
戦い方には工夫が必要になるかもしれない。


「まぁ良い。ともかく見つかる前に退散しなくては」


そこで城に背を向けた。
傾いた王宮を見ても、特に胸を打つものはない。
自分の愛国心は以外にも粗末であったらしい。


「さらばだ、愚鈍なる王よ。以後は天を仰ぎ、天より学べ」


そうして家路に着いたが、すぐに荷造りを開始した。
ワシの役目はまだ終わってはいない。
実力行使に訴えてでも、遠征軍を止めなくてはならないのだ。
猶予も居場所も無くした老人の力を見せる時は、すでに目前へと迫っていた。
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