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6-前
しおりを挟むそのまま時雨の体は前方へと傾き、足が自然と前へ出る。手を引かれる度前進する時雨と、手を引きながら前進する椎名は牢獄部屋の出入り口を通過した。
牢獄部屋にある二つの出入り口の内、時雨が迷い込む際に一度使った出入り口はすでに屋敷の従者が使っている。
そこから牢獄部屋へ入ろうというところだ。
となれば使えるのはもう一つの出入り口。
二つある出入り口のどちらを通るか。それに関して選択の余地はなかった。
出口付近だけは、牢獄部屋から漏れる明かりで照らされていて僅かながら明るい。
しかしその先は終わりの見えない一本道が続き、おまけに暗闇だ。
(このまま進んでいいのかな...)
永遠に続いて見えるそれに時雨は不安だけが湧いてきた。
そんな時雨をよそに、椎名はなりふり構わずといった感じで、とにかく先へ進もう進もうと時雨の手を引き走っている。
時雨はその速さになんとか付いて行ってはいるもののすでに息が上がり、肺に空気を入れるので精一杯だ。
「椎名....はぁ...っ傷は....?こんなに走って大丈夫なの!」
体力がないとはいえ無傷の時雨の息が上がる程の速さだ。拷問を受けて間もない椎名はかなり苦しいのではないかと時雨は思った。
「え..あぁ大丈夫だ。お前の薬が効いたかな」
その問いに息ひとつ切らさずそう答えた椎名は拷問を受けていない時雨より苦しくなさそうだ。
時雨は、椎名が少しでも回復したのならそれは結果的に喜ぶべき事だと思ったがここまで回復するとは思ってもみなかった。
痛み少しが治り、血をある程度止められたら上々だろうと考えていたのだ。信じられない底力を見せる粒薬が一周回って恐ろしく感じた。
しかし結局のところ、回復した事に変わりはなく、時雨は少しの安心を得た。
時雨と椎名はそれからしばらく無言で暗闇を走る。
二人の耳に入る音といえば、足が地面を蹴る際に出る音と時雨の息遣いだ。
しかし突然、時雨の「はぁ、はっ」という息遣いは止まり、代わりに一言発せられた。
「......痛..っ....」
それは気付けば口から出ていた言葉で、当の時雨も何が『痛』かったのか頭で理解したのは言った後だ。
それは片手が抑えつけられるようなもので、片手を握る椎名の手によるものだった。
時雨の声を聞いて数秒後、椎名はまず足を止めた。
それからすぐ後、握っていた時雨の手を離す。
時雨は椎名に『手を握る力が強すぎて痛い』と伝えた訳でないが椎名はなぜかそれを瞬時に理解したようだ。そして「悪い。強すぎた」と時雨に告げた。
握られた感覚は少しの間余韻の様に時雨の手に残っているが、痛いという感覚はもうなくなった。
しかし胸を撫で下ろしたのも束の間。時雨は重大な事態に気が付いた。
(あれ、?でも私、これじゃ歩けない...)
そう思った理由はごくごく単純なものだ。
それは暗闇の中で全く目が効かないからだった。その証拠に今も全く周りが見えていない時雨は今や椎名がどの方向にいるかすら全く分からない。
今までは椎名が手を引いて先導してくれていたからよかったものの、それがなければここまで走る事すらできなかっただろう。
時雨が牢獄部屋に入る前、書物庫から牢獄部屋につながる通路へ入った時も時雨の目は全く同じ状態だった。
突然閉じた回転壁によって書物庫からの光を完全に遮断され、時雨はその瞬間からそれまで見えていた周囲が全く見えなくなっているのだ。
幸いにも、あの時は牢獄部屋から差す光に気が付き、明かりを目指して歩くことができたがもしそれがなければ、今もあの通路を永遠と彷徨う事になっていただろう。
「椎名、やっぱり手離さないで!」
その経験からしても今椎名に手を離されるという事態は回避しておく必要があった。
自分で『痛い』と言っておきながら、ずいぶんと勝手だが、時雨は必死になって椎名を呼び止める。
それから時雨は、自ら椎名の手を取ろうと手を前へ出したものの、片手は誰にも触れることなく宙を掻いてしまった。
(あれ...?さっきまでここに.....なんで居ないの?)
それに頭が真っ白になった時雨は、反射的に足を一歩前へ出す。
すると今度はその片手が何かに触れた。
しかしそれは、椎名の手ではない。
それよりもずっと表面積の広いものだ。
時雨は一瞬何に触れたか分からず、手を離し、もう一度触れた。
その感触は固く少し温かい。
(........?)
「椎名....?椎名どこ?」
固く温かいものに触れながら時雨は椎名を呼んだ。
「ここ」
その返答は思ったより至近距離だ。
それは正面から聞こえたような気がした。
「...じゃあこれって...」
「俺だな。」
そう返す椎名の口調は焦る時雨と対照的に平然としている。
その言葉から数秒、突然時雨の片手の手首は少し大きな手に掴まれた。
その手はまるで腫れ物に触るかのようにそっと時雨の手首を掴んでいるが、それは先程まで握っていた椎名の手だ。
時雨はひとまず安心し胸を撫で下ろした。
「握っとくぞ」
椎名はそう言って時雨の手首を掴んだ手を時雨の手の平へと移動させ、再び握り直すと結局二人は牢獄部屋を出た時と同じ状態に戻った。
ただ、一つだけ違う事がある。それは時雨の手を握る椎名の力が格段に弱いものになっている事だ。
「痛くないか?」
「う、うん。痛くない」
力加減を尋ねた椎名に答えた時雨は、もう椎名から手を離されないようにと、強くはない力で軽く握り返した。
それから、時雨と椎名がお互い何も話さない時間が数秒流れたが、それに終止符を打ったのは椎名だ。
「あ、そう言えば聞きたい事があった。いいか?」
「聞きたい事?何?」
ふと思いついたように軽い口調で言う椎名に時雨も身構える事なく聞き返す。
「まあ、進みながら話すか。」
そう言って椎名は再び時雨の手を引き暗闇を進み始めた。先程までと異なり、走るまでいかない早歩き程の速さで椎名は歩を進め始める。
それに付いて行く時雨も同様だ。
そして椎名は時雨も歩き始めたのを確認しすぐに『聞きたい事』の本題へと入った。
「お前って東雲時雨か?東雲家の長男の」
「え....」
その言葉に分かりやすく反応した時雨の両肩は小さく跳ね、否定とも肯定とも取れない声が思わず漏れる。
(.......??)
(.....椎名は私を知ってる?)
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