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7.わたしと倉橋の記憶

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 どこかに座りたいと言うので、私たちは中学等三階の談話ルームに移動した。ルームとは言っても廊下の突き当たり、少しひらけた場所に椅子と机がいくつか並べられただけの空間だ。
 ただ鍵も何もないため、休校中でも問題なく座ることができた。
 それから、倉橋は割とすぐに話し始めた。


「俺ひとりっ子なんだけどさ、妹がいたんだ」
 〈いた〉というのは、〈もういない〉とも聞こえる。倉橋は手に持つさかなネコをじっと見て、押したり伸ばしたりしながら続けた。

「このぬいぐるみ、妹に貰ったものなんだ。昔、なんでだっけな、俺が泣いてたら、このぬいぐるみをくれた」

 私は黙って言葉の続きを待った。遠く、おそらく窓の外から、かすかに誰かの笑う声が聞こえてくる。窓から差し込むオレンジ色が室内ごと私たちを包んで、あの日の謎解きを思い出した。

「妹は別に亡くなったんでも、誘拐されたんでもない。このぬいぐるみをくれた日、確かに俺たちは二人で一緒に遊んでいて、」
 それから倉橋は迷うように一拍おいて、続けた。


「…気付いたらいなくなってた。言葉通り消えてたんだ、存在そのものが」

「え?」

「急にいなくなった。慌てて探したよ。でも探していたら、親にそんな子知らないって言われた。親だけじゃなくて、そもそも妹を知る人は誰も居なかった。そう言われて家に帰ると確かに、写真とかおもちゃとか、〈いた〉って証明できる物は何ひとつなくて。でも、俺はこいつを持ってたから、」

 倉橋は俯いたまま、ぎゅっとさかなネコを握りしめた。



「…妹の名前が、りおちゃん?」

「え?」

「ぬいぐるみのタグに書いてあった」

「…うん」

「そっか」
 人の記憶から人がなくなるなんて、そんなことがあるんだろうか。
 あったとして、自分も消えない保証がどこにあるだろう。そんな曖昧な世界を目にするのは、きっとすごく怖い。

 
「変な話してごめん。…子どもの記憶なんて当てにならないって分かってるし、誰かと勘違いしてるのかもって、何度も考えた。でも、どうしてもあれは妹だったんだ。いたんだよ、本当に。目が合って、話して、遊んで、それからこのぬいぐるみを渡された」

「それを、どうして今になって捨てようと思ったの?」

 ずっと持っていたのに、たった一つの存在証明をあの日は捨てようとしていた。

「阿部さんの話を聞いて」

「私?」

「もう忘れようと思ってたときに、阿部さんが少し不思議な子だったって話を聞いて、そういう説明できないようなことが本当にあるならって思った。…それと、最後にしようとも思った。それから何とか阿部さんと話をして、確認しようとして、結局七不思議はただの噂だった」

「なんかごめん」

 私の言葉に倉橋は笑った。
「いや、確かに阿部さんは不思議だったけどね」

「バカにしてる?」

「してないって。…そういうことも、世界の何処かにはあるんだと思った」
 私の勘なんて、そんな大層なものじゃないのだけれど。

「でもだからと言って状況は変わらないし、もう潮時だよなぁって」
 彼が少し顔を上げると、目が合った。

「信じる?」

「うん」

 正直に言えば、私の話よりもさらに突拍子もない話で、戸惑いはしている。
 でも私は、倉橋が嘘をついていないと分かる。だからいつかの私と同じ質問に、彼と同じ答えを返した。
 けれど倉橋はそれほど納得できていないようで、さかなネコを握りしめたまま「そっか」と呟いた。

「昔の偉い人でさ」
 私は何となく、昔かじった記憶を掘り起こして言葉を繋いだ。

「え?」

「誰だっけな、まぁ誰でも良いんだけど、『我思う、故に我あり』って言った人がいるの、知ってる?」

「…デカルト」

「そうだっけ?よく知ってるね。さすが優等生」

 倉橋は困惑したまま私を見ている。そりゃあそうだろう。何の脈絡も無い話だという自覚はある。けれど、気付いているだろうか。視線は少し上がった。

「その人が結局何を言いたいかなんて、私には分からないけどさ、その人は目に映るものが本当にそこにあるのか、全てを疑ってそう言ったんだって」
 倉橋は何も言わない。


「私が見ているものは私にしか見えてないかも知れなくて、でもその偉い人だって確証があってそう疑うわけでもなくて、」
 言いながら考えが纏まらなくて、一旦言葉を切る。こういうのは苦手だ。

「とにかく、世界が本当はどういう色形してるかなんて多分一生分からないし、自分の世界は自分で完結させるしかないと思うんだよね」
 我ながら強引に言い切った。倉橋はやっぱり何も言わないので、沈黙が続いた。



「…何となく分かったけどさ」
 倉橋はふっと吹き出した。

「あんまり例え話上手くないね」

「うるさいな」

 自分が何を言いたかったのか、自分でもよく分からないのだけれど、彼が分かったと言うのだからそれで良いことにした。それから何となく二人して笑って、夏子が発音のテストの日に飴を舐めてしまった話とか、芦屋さんの恋多き日々の話をしてから、今度は私から、



「探そうか、りおちゃん」
 爆弾を投下してやった。


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