ワニと泳ぐ

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6.わたしと悩み事

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 〈来週のくずは祭り、行くよね?〉

 夏子からのメッセージ通知によってスマホが鳴いたのは、八月も中頃に差し掛かる日の夜だった。

 自室で夜食にクッキーをかじりながら机に向かい、数学の問題集とお見合いしていた手を止めると、アプリを開きメッセージを確認する。
 ギリギリで夏期休暇中の補習を回避した夏子とは既に何度か会っていたけれど、そう言えば今年はまだ、夏祭りの話はしていなかった。学校から近い場所で毎年行われるその祭には、うちの学校の生徒の参加者も多く、例に漏れず私と夏子も毎年参加している。

 〈行く。宿題進んでる?〉

 〈息抜きは必要だよね〉
 どうやら順調ではないらしい。


 それでも何とか間に合わせる夏子を見て来たので、「南無」とスマホの向こうにいる反面教師に手を合わせ、宿題の続きに取り掛かることにした。

 しかしそれから、ふと視界の端に薄汚れたぬいぐるみが映ると、再び手が止まってしまった。

 あの日、何故か倉橋と謎解きに興じることとなった夏の始め、駅にひとり(一匹?)置き去りにされたさかなネコを置いて帰ることが出来なくて、私は少し悩んだ結果、こいつを持ち帰って来てしまった。
 最近は意識していなかったけれど、久しぶりに予感というか、自分の勘が仕事をしてしまった感覚だ。

 このさかなネコは、倉橋がいま捨てるべきものではない。

 けれどだからと言って、こいつをどうして良いのかは一向に分らなかった。
 分からないままにずるずると時間は過ぎて、結局駅で別れたきり一度も連絡していないのだ。
 もう何度目かになる悩みを抱えた私は机を離れ、勢いよくベッドにダイブする。ぎしりと鳴りながらも私は柔らかい布団に受け止められ、そのまま枕に突っ伏すと、《息抜きは必要だよね》という夏子の声が脳内で再生された。

 だって。
 まず何より、捨てたということは、少なくともあのときあの瞬間、倉橋にとってこのさかなネコは不必要な品であったのだ。それを私の単なる勘によって拾い上げ、「持っていろ」などと言えるだろうか。言えないから困っている。


『信じる?』

『うん』

 倉橋はあの日学校で、私の話を、迷うことなく肯定してきた。
 少し言い方を変えれば「私は超能力者です」なんて言っているような話だというのに。わざわざ注意して見なくても嘘はついていなくて、本当に本気で信じてくれちゃったのだ。相当なアホなのか、変わった個性に憧れるタイプなのか。

 薄汚れたさかなネコをじっと見る。この小さなぬいぐるみ一つでこれほど困っているというのに、そいつはやっぱり暢気な顔で笑ったままだ。それと見ていて気付いたのだけれど、タグのところに黒いペンで何かが書いてあるのだ。滲んでしまって分かり辛いそれは恐らく、「りお」、名前だ。誰だよ。

 流行っていたのが確か小学四年生の頃、それから六年、これほど薄汚れても持っていたのに、急に手放した原因は何だったのだろう。あの日、七不思議の仕組みを暴いた日だ。私も何か関わっているだろうか。

「あーもう…」

 だいたいどうして、いつも私の前で落とすのだ。それが悪いんじゃないだろうか。

『気が向いたら連絡して』

 そう言ったのは倉橋自身だ。
 奴の好奇心に付き合ってあげた恩もあるはず。

 〈明日、時間ある?〉

 結局勢いに任せてそうとだけ送るとスマホを放り投げ、私はそのままベッドで眠ることにした。《息抜きは必要だよね!》もう一度、脳内で夏子が嬉しそうに言った。




 〈久しぶり、また随分と急だね。夕方なら良いけど〉

 〈五時に、学校で〉

 〈分かった〉


 相変わらず、行動を起こすまでのハードルが低いようで助かった。
 驚くほど唐突に、そして流れるように約束は取り付けられた。そうしてこの勢いのままに行動してしまった方が良いと自らを奮い立たせ、さかなネコを制服のスカートのポケットに突っ込むと、私は家を出た。



 八月の五時はまだ明るく蒸し暑くて、風はじとりと重たくて、家の冷房にすっかり甘やかされた私の身体は、あっと言う間に蒸されきってしまった。そのまま電車を乗り継ぎ学校へ向かう最終のバスに乗り込み、やっと学校へ降り立つ。
 細かく約束はしていなかったけれど、高校棟の昇降口に倉橋は立っていた。


「お待たせ」

「二時間待った」

「根に持つタイプ?」

「冗談だよ」
 相変わらず爽やかに笑う倉橋は一ヶ月前と何ら変わりないようで、軽口を叩きながら話せることに内心ほっとした。たった一ヶ月でそれ程変わることもないだろうけれど、やっぱり少し違う気もする。

「連絡来ないと思ってた」

「ごめん、急に」

「いや、嬉しいから良いよ」

「ならよかった」

「反応薄いなぁ」


 正直また少し迷ってしまって、会話どころじゃなかった。けれど、

「どうしたの?」

 と聞く声があまりに穏やかで、私はポケットの中で握りしめていたさかなネコをやっとの思いで、そっと差し出した。倉橋は無言だったけれど、差し出したさかなネコ越しに、手がぴくりと動くのが見えた。顔を上げると、思った通り倉橋は目を少し見開いて、私の手に収まるさかなネコを凝視していた。

「ごめん、あの日、置いてくのが見えて」

「…捨てたつもりだったんだけど」
 それは分かっている。でも倉橋は、ゴミ箱には入れなかった。

「もう少し、持って方が良いと思う」

「もしかして、倉橋さんの例の勘?アンテナ、だっけ」

「そうかも」

「そっか」

 そう言ってさかなネコを受け取るとそれをじっと見つめ、もう一度「そうかぁ」と言うと、今度は両手で顔を覆ってしまった。私は予想外の反応にどうしたら良いのか分からなくなってしまって、

「リオさんの、ものなの?」

 遠慮気味にそう尋ねると、「分からない」と小さな声が返ってきた。

 分からない?



「うーん、ちょっと、聞いてくれない?」


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