ワニと泳ぐ

エコ

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1.わたしと噂

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夏と共に、噂がやってきた。

「夜になるとね、音楽室からピアノの音が聞こえるんだって」

「それと女の人の泣き声も」

「あと鏡に子供が映るって」

 ざわざわと生徒たちの声がぶつかり合う中でそんな声ばかり耳に届くのは別に私が好きだから意識して聞き取っているとかではなくて、それくらい教室中で同じ話をしているのだ。
学校七不思議なんて、小中高と十年も学校にいれば飽きてくる頃だろうに。
関東にありながら田畑に囲まれた長閑なわが天羽高校は中学から繰り上げ式であるため、形式的な入学式からたった三ヶ月の教室でも既にグループが固定され、昼休みは絶えず声で溢れている。


「何でこんなに流行ってるの?」

 向かいに座る夏子が弁当と購買で買ったプリンを食べ終わるのを見届けてから、常備している菓子の詰まったポーチを差し出し、そう尋ねてみた。夏子は「ありがとう」と言いながら情報量を受け取ると、5センチほどのクッキーを一口で頬張る。むせそうだ。

「なんか、見た子がいるらしいよ」

「何を」

「何ってそりゃあ、お化けでしょ」

言いながら両手首を揃って胸の前でぶらりと垂らし、怪しげな声音を作り出す彼女、六合夏子は、やはりこの突然の流行の原因を知っていた。
中学で知り会って以降、人間関係の機微に疎い私の情報源の殆どが、噂好き(自称情報通)の彼女だ。
人懐こい笑顔で新しい交友関係を育んではネタを仕入れ帰ってくる。しかしだからと言って、学業としての知識が飛び抜けているわけではない。夏子が拾うのはあくまで噂やその事実関係という、日常を潤すちょっとしたスパイスたり得るものだ。机に置かれたままの私のポーチから勝手にもう一つチョコレートを取り出すと、大きな粒をまたも一気に口へ放り込んだ。

「3組の子が先週の夜、誰もいない教室で楽器の音を聞いたんだって。その話が廻り回って尾ひれを5本くらい引き連れて七不思議の出来上がりよ」

 見てはいないんかい、という言葉は胸にしまった。

「機械とかじゃないの?」

「さぁ。社会科教室らしいんだけど、誰もいなくて鍵もかかってたって。今は妖精の音楽って呼ばれてる」

「妖精?」

「音色がすごく綺麗らしいよ」

「へぇ」

 たまに授業でも使われる社会科教室は入り口ドアに小窓があるので、確かに人がいないことはすぐに分かるだろう。怪談と呼ぶには少し弱い気もするが、噂の発端なんてそんなものだろうか。それから夏子は、

「あとはやっぱり夏だからね」

と付け足した。

「もう夏か。早いなぁ」

「覇気がないなぁ、おばあちゃんかよ」


 「今年も夏祭り行くぞ!」と気合十分な夏子の、期末考査の結果に想いを馳せる。そろそろ返却される答案が平均点以下なら夏休みは補習だぞ。
椅子の背もたれにぐいと体重を預け天を仰げば、プラスチック製の青い椅子がぎしりと鳴いた。
我が校の椅子はなかなかに座りやすい、背中から腿にかけて包み込むように丸みを帯びたフォルムをしていて、机は板が手前から上にぱっかり開いて取り出しやすい。
修学旅行は国内だし食堂のメニューにバリエーションはないが、ただの木ではないこういう細かな部分に私立のこだわりを感じる日々だ。他の高校の設備は知らないけれど。

そのまま天井の模様に目を向け冗談交じりに感慨にふけっていると、機械的な鐘の音によって昼休みの終わりが告げられた。こうして他愛ない話をいくつかするだけで四十分の昼休みは無くなってしまうし、勉強して食べて寝てを繰り返すうちに高校初の夏休みは始まるし、それこそすぐにおばあちゃんにだってなってしまうんだろうな。

面倒なことはしたくないし平穏無事が結局一番だと思う一方、そういう漠然とした焦りが最近ちらつく。アンニュイな私をよそに、夏子はポーチから飴を一つ取り出し口に入れていた。次の英語の授業には、発音のテストがある。



 午後に待ち受ける英語と古典の睡魔に打ち勝ち、迎えたホームルームでは終業式についての詳細が告げられた。
夏休みの友となる課題は、あと数回の授業の中でそれぞれ申し渡されるらしい。それから授業後に職員室へ呼び出された夏子のことを涙をのんで送り出すと、帰宅するために荷物をまとめた。



 教室を出た廊下の床、中央に真っ直ぐ引かれた白い線の上を落ちないように歩く。

持ち帰る教科書をゆっくりと選別したお陰で、既に殆どの生徒は部活へ赴くか、家路に着くか、教室で青春を消費するかを選んでおり、三階教室から昇降口までの道すがら、私が真っ直ぐな線を辿るのを邪魔する者はいない。

そういえば小学生の頃にはよく横断歩道の白線で同じ遊びをしていた。白線の外に足を置くと「海」に落ちたと見なされ、ワニに食われるゲームだ。こういう子供のちょっとした遊びは地域ごとに細かなルールが異なる場合も多いのだけれど、うちの近所ではワニに食われたところで何ら実害はなく、何ならゲームの正しい終わり方も無い、曖昧で平和な遊びだった。

ゲームステージを盛り上げるように、金管楽器のような音色が耳に届いた。テストが終わったばかりなのに、感心してしまう。

そのまま白い線の上で過ぎた日々に思いを馳せつつ進むと、廊下を縦断する白い線の延長線上に、ぽとりと何かが降ってきた。
遠目からも分かるほど黄ばんだそれは拾い上げればストラップの付いたぬいぐるみで、その名も『さかなネコ』。簡易的な造形の顔をした猫の頭に、こちらも簡易的な水色の魚の身体が付いた奇怪なキャラクターだ。
随分と懐かしい。
確か私が小学生の頃に流行っていたもので、流行りのキャラクターが描かれた文具を持つことは一種のステータスであったこともあり、私も母と雑貨屋へ赴く度に買ってもらったものだ。

 黄ばんださかなネコから少し視線を持ち上げると、続く白線の上に男子学生が一人遠ざかって行くのが目に止まった。たぶん落としたのは彼だろう。


「あの、落としましたよ」

 上履きのラインが黄色なので同じ学年であることは分かったが、あいにく知らない人にも初めからフレンドリーになれる柔軟性は持ち合わせておらず、敬語で少し声を張る。
けれど振り向いた人物は見知らぬながらも見慣れた顔、四月の入学から約三ヶ月を共に過ごしたクラスメイトの倉橋祐一だった。振り向き私を視認すると少し驚いていて、そういえば会話するのは初めてかもしれない。

「あぁ、ありがとう」

「懐かしいね、これ。私も集めてた」

全くの他人行儀な態度も印象が悪いかと思いそう声をかけながらさかなネコを差し出したが反応は芳しくなく、彼は「あー、うん」と歯切れの悪いままそいつを受け取った。
何だ。「趣味が子どもみたいね」みたいな皮肉にでも聞こえたんだろうか。

流行は回って戻ってくるらしいから安心しな、と心の中で声を掛け、そういえばさかなネコグッズを集めていたのは専ら女の子だったなと思い出した。
私の穏やかな心持ちが伝わったかは知らないが、倉橋は少し視線を彷徨わせてから結局「また明日ね」とだけ言い残し去っていった。
そんなに心配しなくても「随分と可愛い趣味ね」だなんて言いふらさないのだけれど。面倒だし。


倉橋祐一はいわゆる優等生だ。私や夏子と同じく中学から我が校に通い、成績は上位を維持、適度にノリも良く誰にでも優しいと校内では人気があって、クラス内で可愛いと言われる芦屋さんも彼が好きだとか。
もちろん、うっすら存在するスクールカーストではトップに所属している(夏子調べ)。

カースト中間を自負する私は特にその恩恵を受けたことはないので、今朝校庭で見た朝顔の鉢植えと同じく「咲いてるなぁ」くらいの認識でいたのだけれど、あの歯切れの悪さが初の対面だとイメージと違うというか、可愛いと思っていたパンダの目が思ったより鋭かったときの気持ちを思い出した。

「あっ」

ふと足下を見れば私は白い線を踏み外し、ワニに食われていた。

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