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律と一楓 湊と亮介
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「一楓、お前んとこの修学旅行って長崎だろ?」
「うん、そうだよ──ってそっか、亮ちゃんも同じだったね」
いつものようにはん半田家の夕食を手伝っていた一楓は、その家の一人息子、亮介が唐揚げをつまみ食いするのを見て、笑いながら答えた。
両親を失くした後、幼い妹と共に引き取られた半田家は、一楓の母親の妹の家で、従兄弟の亮介とは同い年だった。
ひとりっ子に見られがちな優しさの中に、少しの我儘をスパイスした性格の亮介は、気遣いする一楓の呼吸を楽にしてくれる、頼り甲斐のある自慢の従兄弟だった。
「確か日程も同じでしょう?」
「はい、スケジュールも似てます」
食卓に茶碗や箸を並べながら、一楓は叔母に返事をした。
「修学旅行なんて行く場所同じだもんな」
「俺、亮ちゃん見つけたら絶対声かけるよ」
小学生からテニスを続ける亮介は、今は部活でその手腕を発揮し、逞しい肌は日に焼けて随分と大人っぽい。褐色の肌に似合う白い歯で、ニカっと微笑まれた。
「お兄ちゃん、ご飯よそったよー。運んでよぅ」
危うい手付きで茶碗を持つ美琴に咎められ、「はいはい」と、一楓はサボっていた手を動かした。
「美琴ちゃんは偉いな、いっつもお手伝いしてさ」
兄より背の高い位置の亮介に頭を撫でられた美琴が、束ねた長い髪を跳ねさせると、嬉しそうにニッコリした。
「亮ちゃんの手大っきいねー」
「だろ? お兄ちゃんより背も高いし、カッコいいだろ?」
「うん、美琴大っきくなったら亮ちゃんのお嫁さんになる」
「そっかそっか。美琴は可愛いなぁ。ってことで、兄貴よろしく」
ラケットを握る力強い手で、一楓は背中を軽く叩かれた。
「痛いよ、亮ちゃん。それに何だよ、兄貴って」
「だって兄貴だろ? 誕生日は一楓のが早いし。俺九月、一楓は五月だもん」
「だもんって……。見た目だと亮ちゃんのが歳上だよ」
「一楓は華奢だし、ちっこいし可愛いーもんな」
「ちっこいはともかく、可愛いってのは余計だよ」
いつもの亮介のからかいが一楓を和ませ、半田家にいていいんだと思わせてくれる。両親を亡くした寂しさを埋めてくれようとする亮介の優しさに、一楓は心底から感謝していた。
「はいはい。おふざけは終わりよ。ご飯できたから誰かお父さん呼んできて」
すると年少が「はーい」と返事をし、意気揚々と駆けて行く。
美琴の小さな背中を見つめながら、一楓は半田家の優しさを有り難く噛み締めていた。
「ホント可愛い……」
渇望したような掠れた呟きは亮介の口から溢れ、聞き取れなかった一楓は、何か言った? と、振り返った。
「……いいや、何も」
日焼けした顔で微笑んでくる亮介に一楓も笑顔を返すと、「修学旅行、楽しみだね」と言い残してキッチンへ向かった。
修学旅行初日、浮き足立った生徒達を不安げに見守る教員陣は、注意事項を大声で喚起していた。
「一般の方の迷惑にならないよう行動すること。集合時間は十六時にこの駐車場で。わかったな!」
自由行動を前に騒ついている生徒に、担任達は何度も念を押している。
「一楓っ、一緒に回ろうぜ」
担任の『解散』の声と同時に、律は一楓のもとへ駆け寄った。
「律。他のみんなはよかったの?」
「いいの、いいの。あいつらどうせすぐ脱線するし」
過去には自分もその仲間だったことは棚にあげ、律は上から目線で言った。
「じゃ遠慮なく、律を独り占めだね」
さらっと口にして言った一楓の言葉で、心臓が激しく脈打つ。
そんな可愛いこと言われると、今すぐ抱き締めたくなる。
「長崎って言えば──」「あのさ──」
話を切り出そうとした二人の言葉が、また弾むように重なった。
今となってはお決まりの現象で、慣れっこな二人は互いの顔を見合わせ「また被った」と、大声で笑い合った。
「先に話してよ、律」
クスクスと笑いながら一楓が手を差し出し、「どうぞ」と譲ってくれる。話す順番を律が譲ってもらうのも、今では恒例になっていた。
「いや、長崎って言えばチャンポンだよな」
「早速食べ物? 律らしいけどせっかく長崎来たんだから観光しない?」
「えー、観光? 平和公園見たからもういいじゃん」
ツアーガイドの説明を聞き飽きながら、退屈を表すように大きな伸びでアピールをしていた自分を振り返って一楓に甘えてみた。
「去年行った京都でも、退屈そうにしてたもんね、律」
一楓の言葉を聞き、見てたんだと、律の目があさっての方へ泳ぐ。
「わ、分かったよ。一楓はどこに行きたいんだ?」
チャンポンは一旦置くと宣言しながら、律は浮かれている自分を自覚していた。
一楓と一緒が嬉しくて、鼻歌まで披露しながら二人でパンフレットを覗き込む。
三年生になって同じクラスになれたのは奇跡だったなぁと、しみじみ思った。
中学最後の年はイベント満載で、それら全てを一楓と一緒に味わえるのだ。
なんて幸せなんだろうと、律は心の中で神様に感謝した。
「うーんとね、あ、ここ。この眼鏡橋に行きたい」
「眼鏡橋? なんだそれ?」
「日本三名橋の一つで、川に移った影がメガネの形に見えるからそう呼ばれてるんだ」
「へぇー、一楓はよく知ってるな」
感心している律を横目に、一楓がクックっと笑っている。
「なんだよ」
「だって俺、パンフレット読んだだけだよ」
「なんだ、一楓すげぇ物知りって思ったのに。京都の時も詳しかったからさ」
「律怒った? フフ、かわいいー」
「うわ、可愛い一楓に可愛いって言われてしまったぁ」
「な、何だよ可愛いって」
「可愛いから可愛いって言ったのです」
ふざけて言うと耳朶を真っ赤にし、一楓の眉が困ったとよじれている。もう何もかもが愛おしい。
友人が聞いたら寒気がすると言われそうな甘ったるい言葉を、戯れと一緒に口にする。恥ずかしくもなんともない、本当に嬉しいのだ。
「でもよかったよな。三年で同じクラスになれて」
眼鏡橋へ向かう道すがら、真っ青な空に向かって言った。
神様に感謝していた言葉を改めて口にし、この幸せがずっと続きますようにと、心から祈る。この先も、一楓の隣を歩けますようにと。
「始業式の日、遅刻ギリギリだったよね、律」
「そうなんだよ、目覚ましの電池切れててさー。母さんも夜勤でいなかったし。でも、教室入ったら一楓の姿があって、あの瞬間は一気にテンション上がったな。席も近かった──あ、そう言えば一楓の誕生日ってこの旅行中だろ? 俺何か買ってやるよ。って言ってもあんま高いのは無理だけどな」
「俺の誕生日覚えてたの?」
「そりゃ……まあ」
「嬉しい。ありがとう、それだけで十分だよ」
満面の笑顔を一楓が惜しみなくくれる。その姿に見惚れ、互いの肩が触れそうで触れない距離をもどかしく感じていた。
いつの間にか目的地に辿り着き、一楓が橋に向かって軽やかに先陣を切って走って行く。律は無邪気な姿を見守るように、「あんま先に行くなよ」と声をかけてゆっくり後を追った。
数メートル先から手を振る一楓の姿が人山で見えなくなり、観光客の波間に目を凝らして探した。
「律、こっち、こっち」
視線の先で手招きする一楓が見えると、律は慌てて橋の真ん中まで駆け寄った。
「一人で先に行くなって」
視界に捉えた姿に何故か安堵し、無意識に溜息を吐いていると不意に腕を引っ張られ、律の肩に一楓の小さな頭が乗っかった。
「ほら、律。笑って」
一楓が空にスマホを掲げ、シャッターをきった。
「これが、プレゼントだ。ありがと律」
一楓は嬉しそうに、撮ったばかりの写真を眺めながら言った。
「写真なんていくらでも撮ってやるよ。それより、何が欲しいか考えとけよ」
手を繋ぐことも、ましてや肩を抱くことも出来ないけれど、身体中から発酵する熱や、眼差しで一楓への思いを伝えよう。
迸る気持ちを控えつつ、律は自分の横にいる愛しい存在を見つめていた。
「何見てんの?」
鷹屋敷湊は、眼鏡橋を見つめる亮介に声をかけると、「別に」と、素っ気ない返事に、ふーんと返した。
五月の長崎は汗ばむ陽気に恵まれ、校則を破りたくなる気温だ。
ルールを守る亮介を横目に、緩めていたネクタイを外してポケットにねじ込んだ。開襟部分をはためかせて、風をパタパタと体の中に取り込みながら、亮介の視線の先にある存在を見つけた。
「なあ、あれって他校の生徒じゃん。あっちも修学旅行みたいだな、同じ東京の学校かな」
あまりにも亮介が食い入るように見つめるから、横に並んで照準を合わせて同じ方向を眺めた。
「──東京の中学だ」
眼鏡橋を数メートル先に捉えた位置から、亮介の眼光は橋の上へにずっと張り付いている。
中高一貫校に入学し、同じクラスになった時から亮介との付き合いは始まった。
部活は違ったけれど、気が合って一緒にいることが多く、湊と亮介は周りからも親友だと認識される仲だった。
そんな親友の、これまで見たこともない不満を含んだ目を一瞥し、湊は愉快そうにほくそ笑んだ。
「何でわかんの。もしかして知り合い?」
口を真一文字に結び、亮介の視線は橋の上の二人に向かったままだ。
「なあ聞いてるのか。亮介、あいつらって誰なんだよ」
問いかけても亮介の口は開かれず、仲睦まじく写真を撮っている二人組を見つめている。
「……従兄弟だよ」
湊がもう一度尋ねようとした時、ようやく答えが返ってきた。盗み見ると、瞬きするのを忘れた目には負の感情が溢れている。
「へぇ、従兄弟ね。どっち? 背高い方? 低い方?」
「低い方」
高低差のない声で呟く亮介のこぶしが固く握り締められている。そうしないといられない意味を察し、湊は心が躍った。頭に浮かんだことが正解だったら、これはちょっと、面白くなるんじゃないのかと。
「かわいい顔してるじゃん。亮介の話しによく出て来る子だよな」
「そんなに話してないし」
「まあまあ。でも俺は背の高い方が好みだな」
あけすけな言い方をわざとし、湊は自分の唇を指でなぞった。
「あのな、お前が男しか興味ないの俺が知ってるからって、あんま大っぴらに言うなよ」
「はいはい。俺はゲイです──ってか声かけねーの?」
「いい、あっち行くぞ」
橋に背を向け、その場を離れようとした亮介に対し、「亮ちゃん!」と、遠くから声が降り注いできた。
呼ばれたことに気付いているくせに、亮介が去って行こうとする。一方、名前を呼んだものの、聞こえてないと思ったのか、亮介を呼ぶ声は二度三度と続き、こちらへ走ってきた。
「亮介、従兄弟君が呼んでるぞ。いいのか」
「ほっとけ──」
「やっぱり亮ちゃんだっ」
側まで来た気配で亮介の足が止まり、思いっきり溜息を吐きながら渋々振り返っている。
「……一楓」
「偶然だね、亮ちゃん。まさか本当に会えるとは思わなかったよっ」
「そう……だな」
そっけない亮介の態度に気付かないのか、声をかけてきた従兄弟らしい学生が、満面の笑顔で立っている。隣にいる背の高い生徒を見やると、湊の期待通り、好みの男で顔もかなりのイケメンだった。
亮介が一楓と呼んだ学生が、イケメンの腕を引き寄せ、「律、従兄弟の亮ちゃんだよ」と空気も読めず嬉しそうに紹介してきた。
世間で天然と呼ばれる類は嫌いだ。亮介の従兄弟はまさしく、そのタイプに振り分けられると直感し、湊は隣にいるイケメンばかりを眺めていた。
「ども、繪野律です」
「半田亮介……っす」
「どーも、俺、鷹屋敷湊。亮介のダチでーす。で、君が従兄弟で、君は繪野律くんかー」
「あ、うん。村上一楓です、よろし──」
「ほんっと、繪野君キレーな顔してるね。背も高くてスタイルいいし、モテるでしょ?」
一楓の挨拶も聞かず、律の手を強引に掴むと、握った手をブンブンと激しく揺さぶった。律が戸惑っていると、亮介に首根っこを引っ張られ、律から引き剥がされてしまった。
「痛ってーな。何すんだよ亮介」
「お前はジッとしてろ。悪いな、えっと──繪野」
「いや、別に……」
「そうだ。ねえ、亮ちゃんも一緒に回る? 今からチャンポン食べに行くんだ。律がどーしても食べたいって我儘言うからさ」
「お前も食べたいって、さっきノリノリだったろ?」
一楓が頬を染めて律を見つめている。そんな二人を切なそうに見つめている亮介。そして彼ら三人を湊は静かに諦観していた。
退屈していた日常に、何やら楽しげなことが起こりそうな予感。
湊は従兄弟同士で繰り広げられる会話を、黙って聞いていた。
「いや、他校の生徒と一緒にいたら担任に怒られるから」
「そっか……そうだよね。じゃ亮ちゃんまた家で、だね」
おー、天使の微笑みってか? 無邪気に笑っちゃって。こいつに亮介の気持ちなんて、微塵も伝わってないんだろーな。
亮介と一楓の様子を眺めながら、そんなことを考えていたが、それ以上に気になったのは、繪野律と言う、最高にいい男の存在だった。
引き攣った笑顔で一楓に別れを告げる亮介を尻目に、湊は「繪野君、またねー」と、今生の別れの如く両手を振った。
つられた律が微笑みを返してくれると、やっぱりいい男だと改めて思った。
同時に、あの笑顔を欲しいなとも。
二人の姿が見えなくなると、ツイっと亮介の横顔を見た。
中一で同じクラスになり、ツレになって、初めて見る邪心が滲む友の顔を。
「あの二人、デキてるよな。どうすんの?」
確信を持った言葉を投げかけると、亮介の双眸は明らかに動揺を見せた。
「ど、どうするって俺は別に……」
「俺は亮介に協力するよ。繪野君のことタイプだし」
亮介のネクタイを整えてやりながら、湊は冷笑を浮かべて言った。
「俺はお前とは違う──」
「亮介がそう思うならいいけどさ。でもこれだけは言っとく、俺はお前の味方だ。それも最強のな」
友情の顔か、共謀者の顔なのか。自分でも汲み取れない笑顔を作り、湊は翳をさす友の背中を予言するように撫で上げてやった。
「うん、そうだよ──ってそっか、亮ちゃんも同じだったね」
いつものようにはん半田家の夕食を手伝っていた一楓は、その家の一人息子、亮介が唐揚げをつまみ食いするのを見て、笑いながら答えた。
両親を失くした後、幼い妹と共に引き取られた半田家は、一楓の母親の妹の家で、従兄弟の亮介とは同い年だった。
ひとりっ子に見られがちな優しさの中に、少しの我儘をスパイスした性格の亮介は、気遣いする一楓の呼吸を楽にしてくれる、頼り甲斐のある自慢の従兄弟だった。
「確か日程も同じでしょう?」
「はい、スケジュールも似てます」
食卓に茶碗や箸を並べながら、一楓は叔母に返事をした。
「修学旅行なんて行く場所同じだもんな」
「俺、亮ちゃん見つけたら絶対声かけるよ」
小学生からテニスを続ける亮介は、今は部活でその手腕を発揮し、逞しい肌は日に焼けて随分と大人っぽい。褐色の肌に似合う白い歯で、ニカっと微笑まれた。
「お兄ちゃん、ご飯よそったよー。運んでよぅ」
危うい手付きで茶碗を持つ美琴に咎められ、「はいはい」と、一楓はサボっていた手を動かした。
「美琴ちゃんは偉いな、いっつもお手伝いしてさ」
兄より背の高い位置の亮介に頭を撫でられた美琴が、束ねた長い髪を跳ねさせると、嬉しそうにニッコリした。
「亮ちゃんの手大っきいねー」
「だろ? お兄ちゃんより背も高いし、カッコいいだろ?」
「うん、美琴大っきくなったら亮ちゃんのお嫁さんになる」
「そっかそっか。美琴は可愛いなぁ。ってことで、兄貴よろしく」
ラケットを握る力強い手で、一楓は背中を軽く叩かれた。
「痛いよ、亮ちゃん。それに何だよ、兄貴って」
「だって兄貴だろ? 誕生日は一楓のが早いし。俺九月、一楓は五月だもん」
「だもんって……。見た目だと亮ちゃんのが歳上だよ」
「一楓は華奢だし、ちっこいし可愛いーもんな」
「ちっこいはともかく、可愛いってのは余計だよ」
いつもの亮介のからかいが一楓を和ませ、半田家にいていいんだと思わせてくれる。両親を亡くした寂しさを埋めてくれようとする亮介の優しさに、一楓は心底から感謝していた。
「はいはい。おふざけは終わりよ。ご飯できたから誰かお父さん呼んできて」
すると年少が「はーい」と返事をし、意気揚々と駆けて行く。
美琴の小さな背中を見つめながら、一楓は半田家の優しさを有り難く噛み締めていた。
「ホント可愛い……」
渇望したような掠れた呟きは亮介の口から溢れ、聞き取れなかった一楓は、何か言った? と、振り返った。
「……いいや、何も」
日焼けした顔で微笑んでくる亮介に一楓も笑顔を返すと、「修学旅行、楽しみだね」と言い残してキッチンへ向かった。
修学旅行初日、浮き足立った生徒達を不安げに見守る教員陣は、注意事項を大声で喚起していた。
「一般の方の迷惑にならないよう行動すること。集合時間は十六時にこの駐車場で。わかったな!」
自由行動を前に騒ついている生徒に、担任達は何度も念を押している。
「一楓っ、一緒に回ろうぜ」
担任の『解散』の声と同時に、律は一楓のもとへ駆け寄った。
「律。他のみんなはよかったの?」
「いいの、いいの。あいつらどうせすぐ脱線するし」
過去には自分もその仲間だったことは棚にあげ、律は上から目線で言った。
「じゃ遠慮なく、律を独り占めだね」
さらっと口にして言った一楓の言葉で、心臓が激しく脈打つ。
そんな可愛いこと言われると、今すぐ抱き締めたくなる。
「長崎って言えば──」「あのさ──」
話を切り出そうとした二人の言葉が、また弾むように重なった。
今となってはお決まりの現象で、慣れっこな二人は互いの顔を見合わせ「また被った」と、大声で笑い合った。
「先に話してよ、律」
クスクスと笑いながら一楓が手を差し出し、「どうぞ」と譲ってくれる。話す順番を律が譲ってもらうのも、今では恒例になっていた。
「いや、長崎って言えばチャンポンだよな」
「早速食べ物? 律らしいけどせっかく長崎来たんだから観光しない?」
「えー、観光? 平和公園見たからもういいじゃん」
ツアーガイドの説明を聞き飽きながら、退屈を表すように大きな伸びでアピールをしていた自分を振り返って一楓に甘えてみた。
「去年行った京都でも、退屈そうにしてたもんね、律」
一楓の言葉を聞き、見てたんだと、律の目があさっての方へ泳ぐ。
「わ、分かったよ。一楓はどこに行きたいんだ?」
チャンポンは一旦置くと宣言しながら、律は浮かれている自分を自覚していた。
一楓と一緒が嬉しくて、鼻歌まで披露しながら二人でパンフレットを覗き込む。
三年生になって同じクラスになれたのは奇跡だったなぁと、しみじみ思った。
中学最後の年はイベント満載で、それら全てを一楓と一緒に味わえるのだ。
なんて幸せなんだろうと、律は心の中で神様に感謝した。
「うーんとね、あ、ここ。この眼鏡橋に行きたい」
「眼鏡橋? なんだそれ?」
「日本三名橋の一つで、川に移った影がメガネの形に見えるからそう呼ばれてるんだ」
「へぇー、一楓はよく知ってるな」
感心している律を横目に、一楓がクックっと笑っている。
「なんだよ」
「だって俺、パンフレット読んだだけだよ」
「なんだ、一楓すげぇ物知りって思ったのに。京都の時も詳しかったからさ」
「律怒った? フフ、かわいいー」
「うわ、可愛い一楓に可愛いって言われてしまったぁ」
「な、何だよ可愛いって」
「可愛いから可愛いって言ったのです」
ふざけて言うと耳朶を真っ赤にし、一楓の眉が困ったとよじれている。もう何もかもが愛おしい。
友人が聞いたら寒気がすると言われそうな甘ったるい言葉を、戯れと一緒に口にする。恥ずかしくもなんともない、本当に嬉しいのだ。
「でもよかったよな。三年で同じクラスになれて」
眼鏡橋へ向かう道すがら、真っ青な空に向かって言った。
神様に感謝していた言葉を改めて口にし、この幸せがずっと続きますようにと、心から祈る。この先も、一楓の隣を歩けますようにと。
「始業式の日、遅刻ギリギリだったよね、律」
「そうなんだよ、目覚ましの電池切れててさー。母さんも夜勤でいなかったし。でも、教室入ったら一楓の姿があって、あの瞬間は一気にテンション上がったな。席も近かった──あ、そう言えば一楓の誕生日ってこの旅行中だろ? 俺何か買ってやるよ。って言ってもあんま高いのは無理だけどな」
「俺の誕生日覚えてたの?」
「そりゃ……まあ」
「嬉しい。ありがとう、それだけで十分だよ」
満面の笑顔を一楓が惜しみなくくれる。その姿に見惚れ、互いの肩が触れそうで触れない距離をもどかしく感じていた。
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数メートル先から手を振る一楓の姿が人山で見えなくなり、観光客の波間に目を凝らして探した。
「律、こっち、こっち」
視線の先で手招きする一楓が見えると、律は慌てて橋の真ん中まで駆け寄った。
「一人で先に行くなって」
視界に捉えた姿に何故か安堵し、無意識に溜息を吐いていると不意に腕を引っ張られ、律の肩に一楓の小さな頭が乗っかった。
「ほら、律。笑って」
一楓が空にスマホを掲げ、シャッターをきった。
「これが、プレゼントだ。ありがと律」
一楓は嬉しそうに、撮ったばかりの写真を眺めながら言った。
「写真なんていくらでも撮ってやるよ。それより、何が欲しいか考えとけよ」
手を繋ぐことも、ましてや肩を抱くことも出来ないけれど、身体中から発酵する熱や、眼差しで一楓への思いを伝えよう。
迸る気持ちを控えつつ、律は自分の横にいる愛しい存在を見つめていた。
「何見てんの?」
鷹屋敷湊は、眼鏡橋を見つめる亮介に声をかけると、「別に」と、素っ気ない返事に、ふーんと返した。
五月の長崎は汗ばむ陽気に恵まれ、校則を破りたくなる気温だ。
ルールを守る亮介を横目に、緩めていたネクタイを外してポケットにねじ込んだ。開襟部分をはためかせて、風をパタパタと体の中に取り込みながら、亮介の視線の先にある存在を見つけた。
「なあ、あれって他校の生徒じゃん。あっちも修学旅行みたいだな、同じ東京の学校かな」
あまりにも亮介が食い入るように見つめるから、横に並んで照準を合わせて同じ方向を眺めた。
「──東京の中学だ」
眼鏡橋を数メートル先に捉えた位置から、亮介の眼光は橋の上へにずっと張り付いている。
中高一貫校に入学し、同じクラスになった時から亮介との付き合いは始まった。
部活は違ったけれど、気が合って一緒にいることが多く、湊と亮介は周りからも親友だと認識される仲だった。
そんな親友の、これまで見たこともない不満を含んだ目を一瞥し、湊は愉快そうにほくそ笑んだ。
「何でわかんの。もしかして知り合い?」
口を真一文字に結び、亮介の視線は橋の上の二人に向かったままだ。
「なあ聞いてるのか。亮介、あいつらって誰なんだよ」
問いかけても亮介の口は開かれず、仲睦まじく写真を撮っている二人組を見つめている。
「……従兄弟だよ」
湊がもう一度尋ねようとした時、ようやく答えが返ってきた。盗み見ると、瞬きするのを忘れた目には負の感情が溢れている。
「へぇ、従兄弟ね。どっち? 背高い方? 低い方?」
「低い方」
高低差のない声で呟く亮介のこぶしが固く握り締められている。そうしないといられない意味を察し、湊は心が躍った。頭に浮かんだことが正解だったら、これはちょっと、面白くなるんじゃないのかと。
「かわいい顔してるじゃん。亮介の話しによく出て来る子だよな」
「そんなに話してないし」
「まあまあ。でも俺は背の高い方が好みだな」
あけすけな言い方をわざとし、湊は自分の唇を指でなぞった。
「あのな、お前が男しか興味ないの俺が知ってるからって、あんま大っぴらに言うなよ」
「はいはい。俺はゲイです──ってか声かけねーの?」
「いい、あっち行くぞ」
橋に背を向け、その場を離れようとした亮介に対し、「亮ちゃん!」と、遠くから声が降り注いできた。
呼ばれたことに気付いているくせに、亮介が去って行こうとする。一方、名前を呼んだものの、聞こえてないと思ったのか、亮介を呼ぶ声は二度三度と続き、こちらへ走ってきた。
「亮介、従兄弟君が呼んでるぞ。いいのか」
「ほっとけ──」
「やっぱり亮ちゃんだっ」
側まで来た気配で亮介の足が止まり、思いっきり溜息を吐きながら渋々振り返っている。
「……一楓」
「偶然だね、亮ちゃん。まさか本当に会えるとは思わなかったよっ」
「そう……だな」
そっけない亮介の態度に気付かないのか、声をかけてきた従兄弟らしい学生が、満面の笑顔で立っている。隣にいる背の高い生徒を見やると、湊の期待通り、好みの男で顔もかなりのイケメンだった。
亮介が一楓と呼んだ学生が、イケメンの腕を引き寄せ、「律、従兄弟の亮ちゃんだよ」と空気も読めず嬉しそうに紹介してきた。
世間で天然と呼ばれる類は嫌いだ。亮介の従兄弟はまさしく、そのタイプに振り分けられると直感し、湊は隣にいるイケメンばかりを眺めていた。
「ども、繪野律です」
「半田亮介……っす」
「どーも、俺、鷹屋敷湊。亮介のダチでーす。で、君が従兄弟で、君は繪野律くんかー」
「あ、うん。村上一楓です、よろし──」
「ほんっと、繪野君キレーな顔してるね。背も高くてスタイルいいし、モテるでしょ?」
一楓の挨拶も聞かず、律の手を強引に掴むと、握った手をブンブンと激しく揺さぶった。律が戸惑っていると、亮介に首根っこを引っ張られ、律から引き剥がされてしまった。
「痛ってーな。何すんだよ亮介」
「お前はジッとしてろ。悪いな、えっと──繪野」
「いや、別に……」
「そうだ。ねえ、亮ちゃんも一緒に回る? 今からチャンポン食べに行くんだ。律がどーしても食べたいって我儘言うからさ」
「お前も食べたいって、さっきノリノリだったろ?」
一楓が頬を染めて律を見つめている。そんな二人を切なそうに見つめている亮介。そして彼ら三人を湊は静かに諦観していた。
退屈していた日常に、何やら楽しげなことが起こりそうな予感。
湊は従兄弟同士で繰り広げられる会話を、黙って聞いていた。
「いや、他校の生徒と一緒にいたら担任に怒られるから」
「そっか……そうだよね。じゃ亮ちゃんまた家で、だね」
おー、天使の微笑みってか? 無邪気に笑っちゃって。こいつに亮介の気持ちなんて、微塵も伝わってないんだろーな。
亮介と一楓の様子を眺めながら、そんなことを考えていたが、それ以上に気になったのは、繪野律と言う、最高にいい男の存在だった。
引き攣った笑顔で一楓に別れを告げる亮介を尻目に、湊は「繪野君、またねー」と、今生の別れの如く両手を振った。
つられた律が微笑みを返してくれると、やっぱりいい男だと改めて思った。
同時に、あの笑顔を欲しいなとも。
二人の姿が見えなくなると、ツイっと亮介の横顔を見た。
中一で同じクラスになり、ツレになって、初めて見る邪心が滲む友の顔を。
「あの二人、デキてるよな。どうすんの?」
確信を持った言葉を投げかけると、亮介の双眸は明らかに動揺を見せた。
「ど、どうするって俺は別に……」
「俺は亮介に協力するよ。繪野君のことタイプだし」
亮介のネクタイを整えてやりながら、湊は冷笑を浮かべて言った。
「俺はお前とは違う──」
「亮介がそう思うならいいけどさ。でもこれだけは言っとく、俺はお前の味方だ。それも最強のな」
友情の顔か、共謀者の顔なのか。自分でも汲み取れない笑顔を作り、湊は翳をさす友の背中を予言するように撫で上げてやった。
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身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。
ハッピーエンドです。
若干の胸くそが出てきます。
ちょっと痛い表現出てくるかもです。
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