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大学で律と偶然の再会をした門叶は、複雑な感情を味わっていた。
初めて会った時より少し背も伸びて、より、男らしい姿に成長していた。
高校生だった律はまだモラトリアムな雰囲気を纏い、幼さが垣間見えていたけれど、大学生になった今の律には過去に見たあえかさは消えていた。
いい男なのは変わらないけどな……。
頭の中とはいえ、律を意識すると、初めて会った夜のことが津波のように押し寄せてくる。自分の中に燻っているトラウマを、唯一感じさせなかった人間は律だけだった。だからなのか、律との出会いは、忘れたくても忘れられないものになった。
正直、毎日、毎日、彼を思い出して焦がれていたわけではない。にもかかわらず、突然の再会は門叶の心拍数を一気に上昇させた。
知らなかったでは済まされないあの行為も、反省の裏側で恋しい気持ちの顔をするから、心の隅っこに追いやっていた。なのに、何年も経っているのに、辛いくらい恋しい人になっていた。
大人のくせに、刑事のくせに、うつつと夢の狭間を彷徨う律に、自分は何をしたのか。なのに、自省しても、泡沫のようなひと時をまた味わいたいと思っている。
こんなこと、刑事としては有るまじきことだ……。
律へ向かう特別な感情を振り払うよう、門叶は自身の頬を両手で挟むように叩くと、喫煙所にいる錦戸のもとへと急いだ。
「あ、君達ちょっと教えて貰えるかな。教育学部の先生の部屋ってどこかな」
うまそうに煙草をふかしている錦戸と合流した門叶は、広いキャンパスで目的の場所を確かめようと、目の前を歩く二人組の女生徒に声をかけた。
刑事だと名乗ると、彼女達は目くばせして耳を塞ぎたくなる奇声を発した。
女子特有の、キンキン声が平気な人間がいたら会ってみたいものだ。
「ヤバい! 刑事だよ、ドラマみたーい」「イケメン刑事、ヤバ」
囃し立てられて門叶が困惑していると、見兼ねた錦戸が律するように間へ割って入ってくれた。
「君達は此本千歳さんを知ってるかな?」
年季の入った迫力に押されたのか、さっきまでの興奮は消え、二人は急に大人しくなった。
「名前は知ってるけど……朋美は何か知ってる?」
「うーん、特にはなぁ。あ、でも前から気になってたことはあるんだよなぁ」
朋美と呼ばれた学生が、何かを思い出したように続けて話す。
「あの子って、よく生方先生の部屋に行ってたの。先生の授業取ってないのに、何の用事があるのかなぁって不思議だったんだぁ」
「えっ、生方先生の?」
「そう、そう。私が受けてる講義の教室が先生の部屋の近くにあって、何回か見かけたよ」
門叶は錦戸と顔を見合わせた。
「でも、それだけだよ。それが殺されたことに関係あんの?」
朋美が、キョトンとした顔で首を傾げている。
あけすけな物言いに、苦々しく思いつつも門叶は質問を続けた。
「生徒さんって、先生の部屋に行くことはよくあることかな?」
優しさを意識して尋ねた。後で刑事に脅されたとか脚色されたら、たまったもんじゃない。
「私は行かないなぁ。学部の違う先生なら尚更──あ、そう言えば一度、泣き声を聞いたっけ」
記憶を手繰り寄せるよう、朋美が人差し指を顎に当て、空に向かって言った。
「泣き声? それはいつ頃かな?」
「えーっと、確か食堂に忘れ物して遅れて講義受けた日だから、二週間くらい前かな」
「二週間前か……」
「急いでいたから本当に泣いてたのか、それが此本さんかは分かんないけどさ」
軽い口調で話す彼女をやるせなく思ったが、思いがけず貴重な情報を得ることが出来た。
第一発見者の生方が、千歳と面識があったのだ。それを隠していたことは、やましいことがあるからと当然思えてくる。
捜査の取っ掛かりをくれた女生徒へ礼を言おうとした時、彼女達から再び歓喜の声が湧き上がった。声の音量は、門叶が声をかけた時より、三倍はあったかもしれない。
「朋美、朋美。東郷先生だよ! あー、もうマジかっこいい」
少し離れた廊下を歩く男性を指差し、二人は頬を高揚させている。
「東郷先生って?」
「講師の東郷拓人先生。めっちゃカッコよくて優しくて、先生を嫌いな女子はいないんじゃないかなぁ」
遠目でみても女生徒が騒ぐのも分かる相好は、門叶達のもとへ近付きながら会釈をしてくれた。
門叶も答えるように頭を下げ、彼がやって来るのを待った。
「君たち講義始まるぞ。教室に早く行きなさい」
鶴の一声に「はぁい」と甘えた声で返事をし、彼女達はイケメン講師を名残惜しそうに見ながら去って行った。
「刑事さんですよね。初めまして、経済学部経営学科の講師で東郷と言います」
優に百八十は超えている身長の持ち主が、ご苦労様ですと労いの言葉をくれた。
「恐縮です。私は錦戸──」
「門叶です。先生、亡くなった此本さんのことで少しよろしいでしょうか」
手帳を片手に尋ねたが、名前も今回のことで知ったくらいだと告げられ、東郷が申し訳なさそうにすいませんと言う。
それもそうだ、知らないのは仕方ないと思う。中学や高校とは違い、大学生は半分大人だ。甲斐甲斐しく目をかける必要はない。
おまけに生徒の数も比にならないほど大学は多い。自身の講義を受けていなければ、生徒と講師が知り合う機会などそうそうないだろう。それが大学と言うところだ。
科目も選択していなければ、講義も受けていない生方のもとへ、なぜ千歳は訪れていたのか。しかも、一度や二度ではない。
おまけに、生方は千歳を知らないと言った。それが何を意味するのか。
懊悩していると、腕時計にチラリと視線を向ける東郷に気付き、これは彼がこの場から解放して欲しい合図だと悟った。
「東郷先生、お忙しいところありがとうございました。何か思い出した際には教えていただけると助かります」
決まり文句を口にすると、東郷が「わかりました」と、頭を下げてきたので、二人も会釈を返した。
背の高い背中が見えなくなると、門叶と錦戸はすぐさま踵を返し、生方の部屋へと向かった。
初めて会った時より少し背も伸びて、より、男らしい姿に成長していた。
高校生だった律はまだモラトリアムな雰囲気を纏い、幼さが垣間見えていたけれど、大学生になった今の律には過去に見たあえかさは消えていた。
いい男なのは変わらないけどな……。
頭の中とはいえ、律を意識すると、初めて会った夜のことが津波のように押し寄せてくる。自分の中に燻っているトラウマを、唯一感じさせなかった人間は律だけだった。だからなのか、律との出会いは、忘れたくても忘れられないものになった。
正直、毎日、毎日、彼を思い出して焦がれていたわけではない。にもかかわらず、突然の再会は門叶の心拍数を一気に上昇させた。
知らなかったでは済まされないあの行為も、反省の裏側で恋しい気持ちの顔をするから、心の隅っこに追いやっていた。なのに、何年も経っているのに、辛いくらい恋しい人になっていた。
大人のくせに、刑事のくせに、うつつと夢の狭間を彷徨う律に、自分は何をしたのか。なのに、自省しても、泡沫のようなひと時をまた味わいたいと思っている。
こんなこと、刑事としては有るまじきことだ……。
律へ向かう特別な感情を振り払うよう、門叶は自身の頬を両手で挟むように叩くと、喫煙所にいる錦戸のもとへと急いだ。
「あ、君達ちょっと教えて貰えるかな。教育学部の先生の部屋ってどこかな」
うまそうに煙草をふかしている錦戸と合流した門叶は、広いキャンパスで目的の場所を確かめようと、目の前を歩く二人組の女生徒に声をかけた。
刑事だと名乗ると、彼女達は目くばせして耳を塞ぎたくなる奇声を発した。
女子特有の、キンキン声が平気な人間がいたら会ってみたいものだ。
「ヤバい! 刑事だよ、ドラマみたーい」「イケメン刑事、ヤバ」
囃し立てられて門叶が困惑していると、見兼ねた錦戸が律するように間へ割って入ってくれた。
「君達は此本千歳さんを知ってるかな?」
年季の入った迫力に押されたのか、さっきまでの興奮は消え、二人は急に大人しくなった。
「名前は知ってるけど……朋美は何か知ってる?」
「うーん、特にはなぁ。あ、でも前から気になってたことはあるんだよなぁ」
朋美と呼ばれた学生が、何かを思い出したように続けて話す。
「あの子って、よく生方先生の部屋に行ってたの。先生の授業取ってないのに、何の用事があるのかなぁって不思議だったんだぁ」
「えっ、生方先生の?」
「そう、そう。私が受けてる講義の教室が先生の部屋の近くにあって、何回か見かけたよ」
門叶は錦戸と顔を見合わせた。
「でも、それだけだよ。それが殺されたことに関係あんの?」
朋美が、キョトンとした顔で首を傾げている。
あけすけな物言いに、苦々しく思いつつも門叶は質問を続けた。
「生徒さんって、先生の部屋に行くことはよくあることかな?」
優しさを意識して尋ねた。後で刑事に脅されたとか脚色されたら、たまったもんじゃない。
「私は行かないなぁ。学部の違う先生なら尚更──あ、そう言えば一度、泣き声を聞いたっけ」
記憶を手繰り寄せるよう、朋美が人差し指を顎に当て、空に向かって言った。
「泣き声? それはいつ頃かな?」
「えーっと、確か食堂に忘れ物して遅れて講義受けた日だから、二週間くらい前かな」
「二週間前か……」
「急いでいたから本当に泣いてたのか、それが此本さんかは分かんないけどさ」
軽い口調で話す彼女をやるせなく思ったが、思いがけず貴重な情報を得ることが出来た。
第一発見者の生方が、千歳と面識があったのだ。それを隠していたことは、やましいことがあるからと当然思えてくる。
捜査の取っ掛かりをくれた女生徒へ礼を言おうとした時、彼女達から再び歓喜の声が湧き上がった。声の音量は、門叶が声をかけた時より、三倍はあったかもしれない。
「朋美、朋美。東郷先生だよ! あー、もうマジかっこいい」
少し離れた廊下を歩く男性を指差し、二人は頬を高揚させている。
「東郷先生って?」
「講師の東郷拓人先生。めっちゃカッコよくて優しくて、先生を嫌いな女子はいないんじゃないかなぁ」
遠目でみても女生徒が騒ぐのも分かる相好は、門叶達のもとへ近付きながら会釈をしてくれた。
門叶も答えるように頭を下げ、彼がやって来るのを待った。
「君たち講義始まるぞ。教室に早く行きなさい」
鶴の一声に「はぁい」と甘えた声で返事をし、彼女達はイケメン講師を名残惜しそうに見ながら去って行った。
「刑事さんですよね。初めまして、経済学部経営学科の講師で東郷と言います」
優に百八十は超えている身長の持ち主が、ご苦労様ですと労いの言葉をくれた。
「恐縮です。私は錦戸──」
「門叶です。先生、亡くなった此本さんのことで少しよろしいでしょうか」
手帳を片手に尋ねたが、名前も今回のことで知ったくらいだと告げられ、東郷が申し訳なさそうにすいませんと言う。
それもそうだ、知らないのは仕方ないと思う。中学や高校とは違い、大学生は半分大人だ。甲斐甲斐しく目をかける必要はない。
おまけに生徒の数も比にならないほど大学は多い。自身の講義を受けていなければ、生徒と講師が知り合う機会などそうそうないだろう。それが大学と言うところだ。
科目も選択していなければ、講義も受けていない生方のもとへ、なぜ千歳は訪れていたのか。しかも、一度や二度ではない。
おまけに、生方は千歳を知らないと言った。それが何を意味するのか。
懊悩していると、腕時計にチラリと視線を向ける東郷に気付き、これは彼がこの場から解放して欲しい合図だと悟った。
「東郷先生、お忙しいところありがとうございました。何か思い出した際には教えていただけると助かります」
決まり文句を口にすると、東郷が「わかりました」と、頭を下げてきたので、二人も会釈を返した。
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