上 下
2 / 30
第一章「きみのために強くなる」

第2話 ”開かずの間”

しおりを挟む

(Jill WellingtonによるPixabayからの画像 )

 岡本佐江《おかもとさえ》は暗いホテルの廊下でアーモンド形のきれいな瞳をひらいて、清春《きよはる》を見た。

「ホテルの、ルームサービスの怪談?」
「深夜のラストオーダー近くの時間に、ルームサービスの電話が客室から入るんだ。スタッフは指示されたフロアにいって客室を探すんだが、見つからない。
 ふと後ろを見ると降りたはずのエレベーターが消えていて、前にも後ろにも延々《えんえん》と客室が続いてる―――と、まあこんな怪談だな」
「延々と客室が続いている? とってもホテルらしい怪談ね」
「ホテルマンにとっちゃ悪夢みたいな怪談だよ」

 と清春はぼやいた。

「どこまでも客室が続いていれば、ハウスキーピングは永遠に清掃しなきゃならない。ルームサービスはオーダー先の客室を探し続けるしかない。
 リザベーションはどれだけ部屋を売っても満室にならないし、レセプションでは永遠にチェックイン作業を続けるんだ」

 佐江は清春の言葉に笑った。

「大変そうですけど、あなたはそれほど、嫌じゃないんでしょう?」
「うん?」
「キヨさんはワーカホリックでしょう。仕事があればあるほど楽しいんだから、延々と客室が続く夢も、そう悪くはないはずよ」

 はは、と清春は笑った。それからふと思い出したように

「このフロアにいて、声を上げて笑ったなんて二十年ぶりだな」
「二十年?」

 佐江が驚いて清春を見た。
 清春は笑ったまま、佐江の額《ひたい》にキスをした。
 ひんやりした佐江の額は、いつでも清春のキスを待ち受けているような気がする。そしてキスを終えた清春は、もう一度煙草をくわえた。
 佐江の額を味わった後では、マルボロがにがく感じられた。

 しかしその苦《にが》さが、今夜の清春には必要だ。
 すっと息を吸って、清春が話し始める。

「さっきのは作り話だけれど、こっちは事実だ。コルヌイエには”開かずの間”がある」
「いよいよ、怪談らしくなってきたわ」
「もっとも、この部屋は現実に存在するよ。2《ツー》ベッドルームにリビングがついて、コルヌイエ自慢の日本庭園に面している部屋だ」
「いいお部屋ね」

 清春はうなずいた。しだいに煙草が短くなってくる。

「見晴《みは》らしも設備も、コルヌイエの中じゃ最上級の部屋だ」
「そのお部屋、なぜ‟開かずの間”なんですか」

 佐江は清春の手から煙草を取りあげた。短くなった煙草を灰皿に押し付けて、捨てる。
 清春は佐江の小さな手が働くのを、ぼんやりと見ていた。

 この手が、おれを救ってくれる。
 そう信じるから、清春は今夜ここに佐江を連れてきたのだ。

「その部屋は、客に売らないんだ」
「え?」
「夏の繁忙期だろうが、クリスマスイブだろうが。たとえコルヌイエの千五百の客室全部が埋まってしまうことになっても、その部屋だけは売らない。
 だから‟開かずの間”なんだ」
「売らない? お客さまを泊めないんですか?」

 清春はうなずいた。それからいとおしげに、長い指で佐江の頬骨をなぞった。

「売らない。清掃はしてあるし、リネンも交換する。でも、売らない」
「ふしぎな部屋ね」

 佐江はすなおに首をひねっている。その真っ正直さが清春の心を温かくする。清春はちょっと困ったように目をほそめて、たおやかな恋人の姿を見た。

「‟開かずの間”を見たいか、佐江?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

拝啓、259200秒後の君へ

野々峠ぽん
ライト文芸
死んでしまった藤間光は、同じフジマヒカリという名を持つ人物の死の運命をかたがわりしたのだと知る。 冥界法にて肩代わりさせられたものは、生き返るチャンスを得ることができる。 その条件は、死ぬ三日前に戻り、自分を嵌めたものを特定すること。 あやしいのは、同じ学校の五人。そのうちの二人は光の親友である。 光は、新入死人管理局員のジンロンの管理のもと、生き返りをかけた調査にのりだしていく。 ファンタジー要素ありの、学園青春ミステリーです!

神様のボートの上で

shiori
ライト文芸
”私の身体をあなたに託しました。あなたの思うように好きに生きてください” (紹介文)  男子生徒から女生徒に入れ替わった男と、女生徒から猫に入れ替わった二人が中心に繰り広げるちょっと刺激的なサスペンス&ラブロマンス!  (あらすじ)  ごく平凡な男子学生である新島俊貴はとある昼休みに女子生徒とぶつかって身体が入れ替わってしまう  ぶつかった女子生徒、進藤ちづるに入れ替わってしまった新島俊貴は夢にまで見た女性の身体になり替わりつつも、次々と事件に巻き込まれていく  進藤ちづるの親友である”佐伯裕子”  クラス委員長の”山口未明”  クラスメイトであり新聞部に所属する”秋葉士郎”  自分の正体を隠しながら進藤ちづるに成り代わって彼らと慌ただしい日々を過ごしていく新島俊貴は本当の自分の机に進藤ちづるからと思われるメッセージを発見する。    そこには”私の身体をあなたに託しました。どうかあなたの思うように好きに生きてください”と書かれていた ”この入れ替わりは彼女が自発的に行ったこと?” ”だとすればその目的とは一体何なのか?”  多くの謎に頭を悩ませる新島俊貴の元に一匹の猫がやってくる、言葉をしゃべる摩訶不思議な猫、その正体はなんと自分と入れ替わったはずの進藤ちづるだった

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

疎遠になった幼馴染の距離感が最近になってとても近い気がする 〜彩る季節を選べたら〜

若椿 柳阿(わかつばき りゅうあ)
ライト文芸
「一緒の高校に行こうね」 恋人である幼馴染と交わした約束。 だが、それを裏切って適当な高校に入学した主人公、高原翔也は科学部に所属し、なんとも言えない高校生活を送る。 孤独を誇示するような科学部部長女の子、屋上で隠し事をする生徒会長、兄に対して頑なに敬語で接する妹、主人公をあきらめない幼馴染。そんな人たちに囲まれた生活の中で、いろいろな後ろめたさに向き合い、行動することに理由を見出すお話。

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...