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第一章「きみのために強くなる」
第2話 ”開かずの間”
しおりを挟む(Jill WellingtonによるPixabayからの画像 )
岡本佐江《おかもとさえ》は暗いホテルの廊下でアーモンド形のきれいな瞳をひらいて、清春《きよはる》を見た。
「ホテルの、ルームサービスの怪談?」
「深夜のラストオーダー近くの時間に、ルームサービスの電話が客室から入るんだ。スタッフは指示されたフロアにいって客室を探すんだが、見つからない。
ふと後ろを見ると降りたはずのエレベーターが消えていて、前にも後ろにも延々《えんえん》と客室が続いてる―――と、まあこんな怪談だな」
「延々と客室が続いている? とってもホテルらしい怪談ね」
「ホテルマンにとっちゃ悪夢みたいな怪談だよ」
と清春はぼやいた。
「どこまでも客室が続いていれば、ハウスキーピングは永遠に清掃しなきゃならない。ルームサービスはオーダー先の客室を探し続けるしかない。
リザベーションはどれだけ部屋を売っても満室にならないし、レセプションでは永遠にチェックイン作業を続けるんだ」
佐江は清春の言葉に笑った。
「大変そうですけど、あなたはそれほど、嫌じゃないんでしょう?」
「うん?」
「キヨさんはワーカホリックでしょう。仕事があればあるほど楽しいんだから、延々と客室が続く夢も、そう悪くはないはずよ」
はは、と清春は笑った。それからふと思い出したように
「このフロアにいて、声を上げて笑ったなんて二十年ぶりだな」
「二十年?」
佐江が驚いて清春を見た。
清春は笑ったまま、佐江の額《ひたい》にキスをした。
ひんやりした佐江の額は、いつでも清春のキスを待ち受けているような気がする。そしてキスを終えた清春は、もう一度煙草をくわえた。
佐江の額を味わった後では、マルボロがにがく感じられた。
しかしその苦《にが》さが、今夜の清春には必要だ。
すっと息を吸って、清春が話し始める。
「さっきのは作り話だけれど、こっちは事実だ。コルヌイエには”開かずの間”がある」
「いよいよ、怪談らしくなってきたわ」
「もっとも、この部屋は現実に存在するよ。2《ツー》ベッドルームにリビングがついて、コルヌイエ自慢の日本庭園に面している部屋だ」
「いいお部屋ね」
清春はうなずいた。しだいに煙草が短くなってくる。
「見晴《みは》らしも設備も、コルヌイエの中じゃ最上級の部屋だ」
「そのお部屋、なぜ‟開かずの間”なんですか」
佐江は清春の手から煙草を取りあげた。短くなった煙草を灰皿に押し付けて、捨てる。
清春は佐江の小さな手が働くのを、ぼんやりと見ていた。
この手が、おれを救ってくれる。
そう信じるから、清春は今夜ここに佐江を連れてきたのだ。
「その部屋は、客に売らないんだ」
「え?」
「夏の繁忙期だろうが、クリスマスイブだろうが。たとえコルヌイエの千五百の客室全部が埋まってしまうことになっても、その部屋だけは売らない。
だから‟開かずの間”なんだ」
「売らない? お客さまを泊めないんですか?」
清春はうなずいた。それからいとおしげに、長い指で佐江の頬骨をなぞった。
「売らない。清掃はしてあるし、リネンも交換する。でも、売らない」
「ふしぎな部屋ね」
佐江はすなおに首をひねっている。その真っ正直さが清春の心を温かくする。清春はちょっと困ったように目をほそめて、たおやかな恋人の姿を見た。
「‟開かずの間”を見たいか、佐江?」
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