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最終章「薤露青(かいろせい)」~清春×佐江 編
最終話「そしてすべてが、恋になる」
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(UnsplashのTiko Giorgadzeが撮影)
おれのものだ、と初めて清春の眼がはっきり言った。
「きみの頭の中も感情も、ぜんぶをおれの妹がかっさらっている。だが、君の扉だけは、おれのものだ」
「……いいえ」
チン、とエレベーターの到着音が鳴る。銀色の箱が一段と美しく輝いた。
「いいえ、あたしはあなたものじゃない」
「佐江――あのどうしようもない男に、くれてやったのか」
ぎらり、と清春の眼が重く鋭く光った。佐江はその鋭さに驚きながらも、やんわりと笑った。
「あたしの扉は誰にも明け渡しません」
エレベーターの扉が開く。清春が扉を押さえかけると、その手の上に佐江の手が乗った。
体温が入り混じる。
佐江は清春の切れ長の瞳を見た。しんじられないほど、恋しい女によく似た目元だ。
だが真乃の眼ではない。清春の眼だ。
佐江が初めてキスして、初めて熱を探らせた男だ。
なにもかもすべて、佐江が許したことで、佐江が選んだことだった。
自分自身が望んで決めた行動だったのだと、初めて気がついた。
そしてすべてを誘導してくれたのは、清春だったということ。
佐江は清春を見つめながら、静かに続けた。
「あたしの扉は、誰にもふれさせません。どんな男にも――だから、あなたにも、開けさせません。
でも」
「……でも?」
清春がかすれた声で尋ねた。ほほえんだ佐江の指が、ふわっと薄い男の唇に乗った。
「必要なときは、必ずあなたを呼ぶわ。あなたよ、ほかの男じゃない」
清春の唇が動く。佐江は笑って、指に力を込めた。
「あたしの言うことを――きいて、清春さん?」
ふっと清春の全身から力が抜けた。唇に当てた指から、かすかな震えが伝わる。
あたたかい、と佐江は思った。
清春の唇は温かい。いつだって温かい。あの初めての夜も、1年前の太陽の香りがするリネン室でも、いつだって温かく佐江を包み込み、助けてくれた。
いつだって。
そして、これからもずっと。
岡本佐江が信用する男は、清春ただひとりだ。
秘密を分け持ち、死ぬまで一言も漏らさずに隠しぬいてくれる男は、井上清春ただ一人だ。
ピンクのネイルを塗った指先が、きゅっと清春の口を押さえた。
「忘れないで。あたしがこの世で信用している男は、あなたひとりよ」
清春が目を閉じる。満ち足りたように、そっと舌を出した。
ざらり、と佐江の指をなめあげる。
「これほど甘いお預けは、はじめてだ」
「ふふ……死ぬまで何もありませんよ」
「かまわない」
清春は、削ぎあげたような切れ長の目を開けた。
佐江を見る。その視線にはもう、欲情はない。かわりに笑ったようなきらめきがあった。
共犯者のきらめきだ。
「さあ、ついた。きみが先にエレベーターを降りなさい。いい女は、いつだって男の前を歩くものだ。おれはいつだって、きみの後をついて行こう。きみを――」
『愛しているから。ほんとうに、愛しているかもしれないから』
清春の言葉はこう続いていたはずだけれど、言わなかった。
佐江も、聞かないふりをする。
コルヌイエホテルの廊下には、毛足の長いじゅうたんが敷き詰められている。佐江の足音はいつだって、立てるそばから吸い取られていく。まるで赤い雲の上を歩いているようだ。
だが、不安はない。
後ろをあるく清春が、佐江の愛情を見えないドレスのトレーンのように掲げ持っているのが分かるからだ。
秘密の恋は、佐江と清春が分け持っている。
そして佐江と清春のかすかな恋も、二人で分け持っている。
岡本佐江は顔を上げて、クリスマスの華やぎの中へ足を踏み入れた。
ええそうね。
まず、キスから始めましょう。
唇から指へ、指から熱へ。そして――きっと、いつかすべてが、恋になる。
【了】
このお話は、ここから2年後の『キスを待つ頬骨』へ続きます。
清春と佐江の恋の続きをご覧になりたい方は
ぜひ、どうぞ。
長いお話になりました。最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
水ぎわ拝
おれのものだ、と初めて清春の眼がはっきり言った。
「きみの頭の中も感情も、ぜんぶをおれの妹がかっさらっている。だが、君の扉だけは、おれのものだ」
「……いいえ」
チン、とエレベーターの到着音が鳴る。銀色の箱が一段と美しく輝いた。
「いいえ、あたしはあなたものじゃない」
「佐江――あのどうしようもない男に、くれてやったのか」
ぎらり、と清春の眼が重く鋭く光った。佐江はその鋭さに驚きながらも、やんわりと笑った。
「あたしの扉は誰にも明け渡しません」
エレベーターの扉が開く。清春が扉を押さえかけると、その手の上に佐江の手が乗った。
体温が入り混じる。
佐江は清春の切れ長の瞳を見た。しんじられないほど、恋しい女によく似た目元だ。
だが真乃の眼ではない。清春の眼だ。
佐江が初めてキスして、初めて熱を探らせた男だ。
なにもかもすべて、佐江が許したことで、佐江が選んだことだった。
自分自身が望んで決めた行動だったのだと、初めて気がついた。
そしてすべてを誘導してくれたのは、清春だったということ。
佐江は清春を見つめながら、静かに続けた。
「あたしの扉は、誰にもふれさせません。どんな男にも――だから、あなたにも、開けさせません。
でも」
「……でも?」
清春がかすれた声で尋ねた。ほほえんだ佐江の指が、ふわっと薄い男の唇に乗った。
「必要なときは、必ずあなたを呼ぶわ。あなたよ、ほかの男じゃない」
清春の唇が動く。佐江は笑って、指に力を込めた。
「あたしの言うことを――きいて、清春さん?」
ふっと清春の全身から力が抜けた。唇に当てた指から、かすかな震えが伝わる。
あたたかい、と佐江は思った。
清春の唇は温かい。いつだって温かい。あの初めての夜も、1年前の太陽の香りがするリネン室でも、いつだって温かく佐江を包み込み、助けてくれた。
いつだって。
そして、これからもずっと。
岡本佐江が信用する男は、清春ただひとりだ。
秘密を分け持ち、死ぬまで一言も漏らさずに隠しぬいてくれる男は、井上清春ただ一人だ。
ピンクのネイルを塗った指先が、きゅっと清春の口を押さえた。
「忘れないで。あたしがこの世で信用している男は、あなたひとりよ」
清春が目を閉じる。満ち足りたように、そっと舌を出した。
ざらり、と佐江の指をなめあげる。
「これほど甘いお預けは、はじめてだ」
「ふふ……死ぬまで何もありませんよ」
「かまわない」
清春は、削ぎあげたような切れ長の目を開けた。
佐江を見る。その視線にはもう、欲情はない。かわりに笑ったようなきらめきがあった。
共犯者のきらめきだ。
「さあ、ついた。きみが先にエレベーターを降りなさい。いい女は、いつだって男の前を歩くものだ。おれはいつだって、きみの後をついて行こう。きみを――」
『愛しているから。ほんとうに、愛しているかもしれないから』
清春の言葉はこう続いていたはずだけれど、言わなかった。
佐江も、聞かないふりをする。
コルヌイエホテルの廊下には、毛足の長いじゅうたんが敷き詰められている。佐江の足音はいつだって、立てるそばから吸い取られていく。まるで赤い雲の上を歩いているようだ。
だが、不安はない。
後ろをあるく清春が、佐江の愛情を見えないドレスのトレーンのように掲げ持っているのが分かるからだ。
秘密の恋は、佐江と清春が分け持っている。
そして佐江と清春のかすかな恋も、二人で分け持っている。
岡本佐江は顔を上げて、クリスマスの華やぎの中へ足を踏み入れた。
ええそうね。
まず、キスから始めましょう。
唇から指へ、指から熱へ。そして――きっと、いつかすべてが、恋になる。
【了】
このお話は、ここから2年後の『キスを待つ頬骨』へ続きます。
清春と佐江の恋の続きをご覧になりたい方は
ぜひ、どうぞ。
長いお話になりました。最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
水ぎわ拝
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