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第9章「何かを我慢している男は、どうしてこんなに美しいのだろう」

第63話「何に堪《た》えているのだろう」

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(UnsplashのChristopher Campbellが撮影)

 井上は左手にからめた髪にくちをつけたまま、かすかに息をはいた。

 まるで、愛しい人をベッドに誘う時のように。
 ささやくような、甘い呼吸だった。

 女性が低くおさえた声でつぶやく。

「キヨさん、髪、はずれましたか」
「……もう少し」

 井上は髪に口を寄せたまま、そう答えた。

「もう少し、だけ」

 女性は軽くうつむいて、井上がネックレスを軽く揺らすのにじっと耐えているようだった。

 何に堪《た》えているのだろうか、と廊下をのぞき込みながら聡は思った。
 言うことを聞かないネックレスの金具に腹を立てているのか。
 それとも井上の声に崩れ落ちぬよう、耐えているのか。

 崩れてしまったほうが楽だろうな、と聡は二人を食い入るように見つめながら思った。
 崩れてしまったほうが、タガをはずしてしまったほうがずっと楽になるはずだ。
 井上も、黙って後ろを向いている女性も。
 たぶん、今ふたりを盗み見ている聡も。

 それが、分かっていてもどうにもならない。
 
 そっと、井上が女の髪からくちをはずした。
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