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第9章「何かを我慢している男は、どうしてこんなに美しいのだろう」

第59話「“機能性”が、深夜のホテルルームから出てくる」

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(UnsplashのHelen Cramerが撮影)

 井上清春は、このコルヌイエホテルでも古参スタッフの一人だ。
 聡は12才で初めて母親の松ヶ峰紀沙《まつがみね きさ》に連れられてコルヌイエに泊まった時から、この端正な男を知っている。
 15年前のことだ。

 そのころから、井上はきれいな男だった。
 当時まだ新人ホテルマンだった井上は、レセプションカウンターではなくゲストの荷物を運ぶベルマンとして働いていた。
 オリーブグリーンの制服をスッキリと着こなし、にこやかに客の荷物を運ぶ井上は他のベルマンとは明らかに違って見えた。まるで井上の頭上だけに特別な光が当たっているかのごとく、つねに輝いて見えたのだ。

 そして驚くほど有能。
 紀沙《きさ》はコルヌイエに到着して、この男がメインロビーにいるのを見た瞬間に無条件に機嫌が良くなったものだ。

『ああ、井上さんがいるわ。じゃあもう安心ね』

 その言葉通り、井上がレセプションスタッフになってからは、東京滞在中の松ヶ峰家の生活は、ほぼすべてこの男の手腕にゆだねられた。
 定期的に上京してくる松ヶ峰家のリクエストに対し、丁寧かつ機敏な動きで応え、快適なホテルライフを提供するのだが……。


 聡は細めにあけたドアから、井上の姿をあらためてじっくりと眺めた。ほの暗い廊下の照明のもとで、ダークスーツを着た井上の長身が浮かんでいる。

 きっちりと撫でつけた黒い髪や形の良い額《ひたい》、なだらかな鼻梁《びりょう》が切《き》り絵《え》のような井上の美貌へ絶妙な陰影《いんえい》を与えていた。

 やや甘く見える顔立ちを引き締めているのは、鼻の上に載っているシルバーフレームの眼鏡。そしてその奥には、切れ長の目がいつもひんやりと光っている。
 まるで、コルヌイエホテルで起きる大小の事物をなにひとつ逃《のが》さず見ているように。
つまり二十四時間、一瞬も休まずに稼働する老舗ホテルと同じく、井上とは機能性のかたまりのような男なのだった。

 “機能性”が、深夜のホテルルームから出てくる。
 聡ならずとも、が気になるところだ。
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