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第6章「東京 コルヌイエホテル」

第46話「においが、消える」

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(UnsplashのAnnie Sprattが撮影)

『このシャツ、音也さんのですよね』

そう言った環《たまき》の声が、まるで呪いのように聡にまとわりついた。
 目をそらして答える。

「……そうだったかな」
「サト兄さんが、このあいだ音也《おとや》さんから借りていたのを見ました」
「……そうだな」
「汚《よご》れものは、家政婦さんが洗濯します。このバスケットには、誰にも触《ふ》れられたくないものだけを、いれておくんですよね」

 おびえた小鹿《こじか》のような視線が、聡とぶつかった。
 環はささやくように尋ねる。

「このシャツ、このままにしておきたかったんですね」

 聡は環を見て笑った。
 もう、笑うしかないと思ったのだ。

「誰にも、触《さわ》られたくなかったんですね?」
「ああ」
「洗濯もしたくなかった……?」
が消えるからな」

 聡は環のから濃紺のシャツを取った。シャツを手にしたままキングサイズのベッドに腰をおろす。
 ぎしっと古いベッドがきしんだ。

 巨大なキングサイズのベッドにはアイボリー色のシーツが、かかっている。シーツの四隅《よすみ》の折りこみは角《かど》がつきすぎて、さわったら切れそうだ。

 ベッドメイクは毎朝、聡が自分でやる。
 軍隊のように完璧に整えられたベッドの上に、聡は無造作に濃紺のシャツをほうりだした。
 我ながら、その無作為《むさくい》さが鼻につく。
 環にも分かっているだろう。

 ベッドに座ったまま、小柄な妹分《いもうとぶん》を見上げる。
 聡が守らねばならない少女。
 何も知らないままで、この家から出してやる予定の妹が、いたましそうな顔で聡を見ていた。

 環が、口を開く。

「おとやさんを、好きなんですか」

 聡の口元に笑いがにじんだ。

「なあ、環ちゃん」
「はい」
「きみは物の聞き方をしらないな。おれも、そうらしい。ってことは、こいつは遺伝か?」
「私とサト兄さんは血がつながっていません。遺伝はしませんよ」
「そうだな」

 聡は笑った。

「そしておれとおふくろも、血はつながっていない。
 だとしたら、おふくろの教育のたまものだろうよ。
 ありがたくない遺産だな――なあ、たまちゃん」
「なんでしょう」
「オトには、言わないでくれ」

 聡は立ち上がり、環にそっと笑いかけた。

「いずれ終わる。だから、あいつには知られたくない」

 環の中で、何かがグッと大きくふくらんだようだった。
 しかし利口な妹は何も言わずに、ふくらんだものを飲みくだした。
 初夏の輝くような夕暮《ゆうぐ》れのなかで、ゆっくりと環が口を開く。

「あさって、東京へお供します」

 うん、と言って聡は微笑んだ。

「ありがとう、たすかるよ」
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