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第6章「東京 コルヌイエホテル」
第45話「このシャツ、音也さんのですよね」
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(UnsplashのPhotos by Lantyが撮影)
聡は黄金色の夕日に照らされた部屋で、これまでの人生で一度もしたことがない事をやった。
環の前で、土下座《どげざ》して頼んだのだ。
「頼む、頼むよ、たまちゃん。
来週の東京行きに同行してくれ。
顔見せのために、政治資金パーティに出席する。音也《おとや》も一緒なんだ」
「はあ、そうでしょうね」
楠音也《くすのき おとや》は聡の政治秘書だ。同行するのが当たり前だろう。
しかし、その『当たり前』に耐えられないのが、今の聡だ。
聡は伏《ふ》し拝んだまま続けた。
「今回は最終の新幹線で行く。たまちゃん、きみはただ、おれと音也のあいだに座ってくれればいいんだ」
「それは……いま一番やりたくないことです。
最近のサト兄さん、音也さんがいらっしゃるとピリピリしているんだもの」
「……え」
聡は絶句した。
「そ、そうかな」
「そうです。だいいち、私が同行するって音也さんは了承《りょうしょう》なさったんですか」
聡の勢いは目に見えてしぼんだ。うつむいて、ぼそぼそと答える。
「いやその、音也には、まだ」
「まだ?」
「でも、あいつはきみに甘いからダメとは言わないはず……」
「では音也さんがよろしければ、東京までおともしましょう」
環が譲歩の気配を見せてきたので、聡は一気にたたみかけた。
「ああ、そう! じゃあ決まりだな。
あ、その日はコルヌイエホテルに泊まるから、たまちゃんも宿泊の用意をしておいてくれよ」
聡は自分の言いたいことだけを言うと、環がしかめっ面《つら》をしているあいだ隣の寝室にひっこんだ。
とっとと着替えて、音也の命じたとおりに地元商店街の夏祭りへ行かねばならない。
選挙活動は、有権者に顔を売ってなんぼだ。
聡自身も師匠の横井謙吉《よこいけんきち》の選挙で、何度も下働きを経験した。候補者が実際に『姿を見せる』ことの重要性はよくわかっている。
名前でもポスターでもなく、生きて歩いて握手をする候補者にこそ、有権者は票を入れてくれる。
今の聡は、音也が分《ふん》きざみで作ったスケジュールに従って、毎日、選挙区を歩きまわっている。
『松ヶ峰聡《まつがみね さとし》』と言う人間がいること。
次の衆院選に立候補すること。
聡は代々、国会議員をだしてきたあの松ヶ峰家の人間であること。
それを広く知ってもらうことが、政治家になる聡の最初の仕事なのだ。
着替えていると、隣の部屋から環が顔を出した。
「サト兄さん、着替えは……まだですね。どれを着るんです?」
「クローゼットのハンガーにかかっているシャツとチノパンを出してくれよ。
音也がそろえていった服なんだ。カッコ悪いけど、他のものを着ていったらあいつに殺される。イメージ戦略だかなんだか知らねえけどさ」
聡がぶつぶつ言いながら支度をしていると、背後でふと空気が固まったような気がした。
「たまちゃん?」
ふりかえった聡は、環がベッドわきのバスケットから濃紺のシャツを取り上げたのを見た。
一気に、血がひいてゆく。
環は唇を白くして、濃紺のコットンシャツに目を据えたままつぶやいた。
「このシャツ、音也さんのですよね。なぜサト兄さんのお部屋に……?」
聡は黄金色の夕日に照らされた部屋で、これまでの人生で一度もしたことがない事をやった。
環の前で、土下座《どげざ》して頼んだのだ。
「頼む、頼むよ、たまちゃん。
来週の東京行きに同行してくれ。
顔見せのために、政治資金パーティに出席する。音也《おとや》も一緒なんだ」
「はあ、そうでしょうね」
楠音也《くすのき おとや》は聡の政治秘書だ。同行するのが当たり前だろう。
しかし、その『当たり前』に耐えられないのが、今の聡だ。
聡は伏《ふ》し拝んだまま続けた。
「今回は最終の新幹線で行く。たまちゃん、きみはただ、おれと音也のあいだに座ってくれればいいんだ」
「それは……いま一番やりたくないことです。
最近のサト兄さん、音也さんがいらっしゃるとピリピリしているんだもの」
「……え」
聡は絶句した。
「そ、そうかな」
「そうです。だいいち、私が同行するって音也さんは了承《りょうしょう》なさったんですか」
聡の勢いは目に見えてしぼんだ。うつむいて、ぼそぼそと答える。
「いやその、音也には、まだ」
「まだ?」
「でも、あいつはきみに甘いからダメとは言わないはず……」
「では音也さんがよろしければ、東京までおともしましょう」
環が譲歩の気配を見せてきたので、聡は一気にたたみかけた。
「ああ、そう! じゃあ決まりだな。
あ、その日はコルヌイエホテルに泊まるから、たまちゃんも宿泊の用意をしておいてくれよ」
聡は自分の言いたいことだけを言うと、環がしかめっ面《つら》をしているあいだ隣の寝室にひっこんだ。
とっとと着替えて、音也の命じたとおりに地元商店街の夏祭りへ行かねばならない。
選挙活動は、有権者に顔を売ってなんぼだ。
聡自身も師匠の横井謙吉《よこいけんきち》の選挙で、何度も下働きを経験した。候補者が実際に『姿を見せる』ことの重要性はよくわかっている。
名前でもポスターでもなく、生きて歩いて握手をする候補者にこそ、有権者は票を入れてくれる。
今の聡は、音也が分《ふん》きざみで作ったスケジュールに従って、毎日、選挙区を歩きまわっている。
『松ヶ峰聡《まつがみね さとし》』と言う人間がいること。
次の衆院選に立候補すること。
聡は代々、国会議員をだしてきたあの松ヶ峰家の人間であること。
それを広く知ってもらうことが、政治家になる聡の最初の仕事なのだ。
着替えていると、隣の部屋から環が顔を出した。
「サト兄さん、着替えは……まだですね。どれを着るんです?」
「クローゼットのハンガーにかかっているシャツとチノパンを出してくれよ。
音也がそろえていった服なんだ。カッコ悪いけど、他のものを着ていったらあいつに殺される。イメージ戦略だかなんだか知らねえけどさ」
聡がぶつぶつ言いながら支度をしていると、背後でふと空気が固まったような気がした。
「たまちゃん?」
ふりかえった聡は、環がベッドわきのバスケットから濃紺のシャツを取り上げたのを見た。
一気に、血がひいてゆく。
環は唇を白くして、濃紺のコットンシャツに目を据えたままつぶやいた。
「このシャツ、音也さんのですよね。なぜサト兄さんのお部屋に……?」
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