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第4章「奇妙な家」

第33話「鹿島の件」

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(UnsplashのBen den Engelsenが撮影) 

 名古屋の名家、松ヶ峰家には、代々の当主は衆議院選にしか出馬しないという不文律《ふぶんりつ》がある。
 そのため、愛知県選出の参院議員・横井謙吉《よこいけんきち》は聡を子供のようにかわいがっている。
 参議院議員である横井と聡では、おたがいに有権者を食い合う危険性が少ないからだ。

将来的に聡の邪魔にならないからこそ、母親の松ヶ峰紀沙《まつがみね きさ》は、横井を聡の預け先に選んだのだった。


 聡たちが事務所に入ると、横井は顔を皺《しわ》だらけにして迎えた。

「おう、来たか。待っとったんだわ、昼飯に行くぞ」

 横井は聡の肩までしかない小兵《こひょう》で、頭はすっかり禿《は》げあがり、耳の脇にちょっと白髪が残っているだけだ。
 細長《ほそなが》い顔のなかで、ぎょろりとした目ばかりがよく動く。
 なるほど北方御稲《きたかたみしね》の言うとおり、顔つきは『イタチ』によく似ていた。

 横井は音也と聡を連れて近所の定食屋に入り、店主に軽く手をあげると、おしぼりで顔を拭いて、適当に放り出した。
 せわしなく聡に尋ねる。

「そっちの様子はどうだ」
「何とか、動いています。来月、仮《かり》の事務所開《じむしょびら》きをします。ええと、いつだったかな」

 横井は顔をしかめ、

「大事な船出《ふなで》の日を忘れるやつがおるか、馬鹿もん。
 日付は、大安《たいあん》を選んだだろうな」

 と、質問の後半は秘書である音也に向けた。

「はい」

 聡のかわりに音也が答える。横井はもう聡ではなく、音也に向かって、

「事務所開きの当日は、人をまわしてやろう。ほしいだけの人数を佐久《さく》に言え。
 オープン日に人の出入りが少ないのはみっともないぞ」
「お願いいたします。あっ、先生のところからきていただいている今野《こんの》くん、よく働いてくれますよ」
「おお、あいつなあ。あれは政治屋になる気はこれっぽっちもないんだが、ひょっとするとひょっとするかもしらん」

 横井は、少しうれしそうに笑った。
 そこへ、そばが運ばれてくる。横井は大量のとうがらしをかけると箸を割り、目の前の二人にも食べるようにけしかけた。

「おまえらも食え、食え。
 特に聡、お前は選挙戦が始まったら、食えんし寝られんからな。
 今から肉をつけとけ。あんまり細っこすぎるのもイメージが良うないぞ」
「努力します」

 聡はぼそぼそと答え、ざるそばに箸を伸ばす。
 隣に座る音也は、ぴしりと背筋を伸ばしたままだ。

 横井が一口、二口食べたところで入口ががらりと開き、男がひとり、慌てた様子で入ってきた。横井の政策秘書である 佐久《さく》だ。

「先生、こんな時間に飯なんか……おっ、松ヶ峰か。久しぶりだな」
「佐久さん、お疲れさまです」

 聡は立ち上がって挨拶をした。
 40代半ばの佐久は、横井事務所を統括《とうかつ》している第一秘書だ。
 横井の事務所に出入りする政治家希望の若者にとっていわば兄貴分といえる。

「うん。お前もいよいよだな、がんばれよ。
 先生、飯は途中にして事務所に戻ってください。これから党本部で打ち合わせです。遅れますよ」
「飯を食う時間もないのか」

 ぼやきながら、横井は席を立った。
 せわしげに歩く途中、ふと音也に目をやって尋ねた。

「そう言えば、鹿はどうなった?」

 ぴくっ、と音也のなだらかな眉毛が跳ね上がった。
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