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第2章「白日の影のごとく」
第16話「純粋培養された子」
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(UnsplashのChris Hardyが撮影)
北方御稲は、わずかの間だが口を開くのをためらったようだった。
ゆったりと御稲の指に挟まれたシガリロから煙が立っていた。御稲はそれを軽くふかし
「あの男は早くに死んじまったよ。お山の大将になるには人がよすぎたんだろう。あたしにこの家と軽井沢の家を残して、死んじまった――聡」
「はい」
「環は、松ヶ峰の家にいづらいんじゃないのかい」
御稲に痛いところを衝かれて、聡は一瞬だけ180センチを超す長身をこわばらせた。しかしすぐに気を取り直して、
「馬鹿らしい。あそこは、たまちゃんが育った家です。
誰に何と言われようがあの子はおふくろの育てた子ですから、おれの妹と同じだ。おれが守ります」
「妹同然、だけどほんとうの妹じゃない。そこがめんどうなんだ、聡。
ついこのあいだ、環はここへきて、いずれ松ヶ峰の家を出て働きたいと話していたよ」
「家を出る? たまちゃんが!?」
聡の声は、おどろきのあまり裏返った。
「たまちゃんまで、おれを捨てていく?
おれの周りには、誰もいなくなるじゃないか!」
残るのはただ一人、ビジネスでつながっている音也だけになる。
聡がおかしくなりそうなほどに恋をしている男が残されるだけ。
それも契約期間が終わるまで、だ。
聡は急激に寒くなった気がして、あわてて言いつのった。
「たまちゃんは、うちを出てから、どうしようって言うんです?
あの子はおふくろが純粋培養で育てた子だ。
外のことなんて何も知らない、アルバイトさえしたことがないんですよ!?」
「だから、これから知りたいんだろう」
「冗談じゃない、あんな子があのまま世間に出たら、あっというまにろくでもない男に引っかかって泣かされますよ。冗談じゃない」
「あのなあ、聡」
御稲はひょいと片方の眉毛を持ち上げた。
そんなふうにすると六十を過ぎてもシャープな御稲の目元は一気にしわが伸び、十歳も若く見える。
きっと松ヶ峰紀沙と一緒に学校に行っている時はこんな顔をしていたのだろう、と聡はいつも思う。
「お前、今日は何か用があってここへ来たんじゃないのか」
はっと聡は、環から言われてきたことを思いだした。
「そうだ―――鍵」
ふわり、と御稲のシガリロが香る。葉巻が短くなり始めている。
御稲の面会時間はシガリロ一本ぶんと決まっている。聡の持ち時間は尽きようとしていた。
「あの、おふくろの部屋から、鍵が出てきたんです。たまちゃんが見たこともない、どこかの家の鍵だそうで……。
御稲先生、知っているんでしょう」
聡がストレートにそう尋ねると、御稲はもう露骨にイヤそうな顔をした。
「お前は、ものの尋き方を知らないね、聡」
北方御稲は、わずかの間だが口を開くのをためらったようだった。
ゆったりと御稲の指に挟まれたシガリロから煙が立っていた。御稲はそれを軽くふかし
「あの男は早くに死んじまったよ。お山の大将になるには人がよすぎたんだろう。あたしにこの家と軽井沢の家を残して、死んじまった――聡」
「はい」
「環は、松ヶ峰の家にいづらいんじゃないのかい」
御稲に痛いところを衝かれて、聡は一瞬だけ180センチを超す長身をこわばらせた。しかしすぐに気を取り直して、
「馬鹿らしい。あそこは、たまちゃんが育った家です。
誰に何と言われようがあの子はおふくろの育てた子ですから、おれの妹と同じだ。おれが守ります」
「妹同然、だけどほんとうの妹じゃない。そこがめんどうなんだ、聡。
ついこのあいだ、環はここへきて、いずれ松ヶ峰の家を出て働きたいと話していたよ」
「家を出る? たまちゃんが!?」
聡の声は、おどろきのあまり裏返った。
「たまちゃんまで、おれを捨てていく?
おれの周りには、誰もいなくなるじゃないか!」
残るのはただ一人、ビジネスでつながっている音也だけになる。
聡がおかしくなりそうなほどに恋をしている男が残されるだけ。
それも契約期間が終わるまで、だ。
聡は急激に寒くなった気がして、あわてて言いつのった。
「たまちゃんは、うちを出てから、どうしようって言うんです?
あの子はおふくろが純粋培養で育てた子だ。
外のことなんて何も知らない、アルバイトさえしたことがないんですよ!?」
「だから、これから知りたいんだろう」
「冗談じゃない、あんな子があのまま世間に出たら、あっというまにろくでもない男に引っかかって泣かされますよ。冗談じゃない」
「あのなあ、聡」
御稲はひょいと片方の眉毛を持ち上げた。
そんなふうにすると六十を過ぎてもシャープな御稲の目元は一気にしわが伸び、十歳も若く見える。
きっと松ヶ峰紀沙と一緒に学校に行っている時はこんな顔をしていたのだろう、と聡はいつも思う。
「お前、今日は何か用があってここへ来たんじゃないのか」
はっと聡は、環から言われてきたことを思いだした。
「そうだ―――鍵」
ふわり、と御稲のシガリロが香る。葉巻が短くなり始めている。
御稲の面会時間はシガリロ一本ぶんと決まっている。聡の持ち時間は尽きようとしていた。
「あの、おふくろの部屋から、鍵が出てきたんです。たまちゃんが見たこともない、どこかの家の鍵だそうで……。
御稲先生、知っているんでしょう」
聡がストレートにそう尋ねると、御稲はもう露骨にイヤそうな顔をした。
「お前は、ものの尋き方を知らないね、聡」
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