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4「キスしか、していない」
最終話 「抱きたい、抱かれたい――もうどっちでもいい」
しおりを挟む(successdhamalaによるPixabayからの画像 )
「抱かせろよ?……あんたに、できるのか?」
山中は、かがやくようなショップフロアに仁王立ちになり、疑わしいという表情で百九十センチの巨体から、白石を見おろしていた。
白石はムッとして言い返した。
「できる。何度も言わせるな」
「いや、俺の言いたいのは――」
といって、山中はシャツをつかみあげている白石を、あっさりと引きはがした。
「あんたに、男を抱けるのかって話だよ。そっちは、ネコだろう?」
「は? ……ネコじゃない」
えっ、という驚きの声が山中から、でた。
「あんた、ネコじゃねえの?」
「ちがうよ、タチだ」
「そのツラ、その身体つきでタチ? えええ、サギだなあ、おい」
山中は大きな声で笑いはじめた。
「なんだよ。じゃあ、この十日間の俺の我慢はいったい何だったんだよ」
「がまん?」
「だって、そんな可愛いツラしていたらネコだって思うだろうが」
「勝手な思い込みだなあ」
山中はゲラゲラと笑いながら続けた。
「そっちだってそうだろう?」
「何が」
「俺のこと、タチだと思っていただろう」
「……タチだろう?」
山中が、にやりとする。今度は、白石が目を丸くする。
「えっ? タチじゃないのか。まさかネコ?」
「まさか、じゃねえよ。おれは一度も男を抱いたことなんてねえ。バリネコだ」
「そのツラ、その身体でバリネコ? そっちこそサギだろう!」
「ひとを見た目で判断すんなよ」
山中は巨体をふわっと浮かせてテーブルに近づき、ふとい指をコーヒーカップの中に突っ込んだ。ずぶ濡れのSDカードをつまみあげる。
「あーあ、だいなしだ」
「悪いね。ほんとうにバックアップをとっていないのか?」
白石がそう言うと、山中は目だけで笑って見せた。
「俺が、超重要なデータのバックアップをとらねえって本気で思ったのか」
「思わないよ。どこかにもう一枚、SDカードがあるんだろう?」
「ねえよ」
さらっと山中は言った。それから、自分のこめかみをトントンと叩いた。
「バックアップはここにある。俺が、あんたの身体を忘れると思うのか。
腰骨、背中のくぼみ、肩のライン、二の腕、喉もと、ふくらはぎ。ぜんぶミリ単位で覚えている――きれいなカラダだ」
そう言って、山中はゆっくりと身体と落としてきた。白石があわてて、
「ちょっと待て。ここじゃだめだ」
「うん。人が来るなあ」
「分かってるなら、やめろ。こら、よせ」
「ここまで来て、やめろと言われてもな」
するっと山中の唇が落ちてきて、舌がすべりこむ。
「……んっ」
「きれいなカラダだ。35才だって? うそだな」
「ほんとうだよ。おい、いい加減にしろって」
「うちに帰りゃ、いいか?」
「ああ」
白石は山中の巨体を押しのけ、身体をずらしてキスを終わらせた。それから自分のカバンの中をあさる。
合鍵を取り出して、山中に渡した。
「今日だけ貸してやる。うちに来たら返せよ」
山中は白石の手からひょいと鍵を取り上げた。まじまじと見る。
「今日だけ? ケチな男だなあ。ところであんたんち、どこだよ?」
「高田馬場。駅からすぐだから電話しろよ。おい、ここでキスはほんとうにやめろ」
「抱きてえんだよ」
笑い声が濃厚に混じった声で、山中はささやいた。
「抱きてえ、抱かれてえ、もうどっちでもいい。あんたがいるなら、それでいいんだ」
「……お前、ほんとうにネコなんだろうな?」
「ネコだって。何なら、ここでやってみようか」
「しない。だいたい、お前まだ仕事中だろう」
ちっ、と山中は舌打ちした。
「今何時だ……まだ21時か。くそ、あと1時間ある」
「働けよ。めしは用意しておこう」
「めしなんかいらねえよ」
「おれは食う。お前もちゃんと食え」
白石は、山中の短く切りたてた髪を撫でてやった。まるで毛を逆立てている猫をなだめるように。
山中が大きくひとつ伸びをする。
「じゃあ、もう少し服を売るとするか」
「ああ。そうだ、おれにも服を売ってくれよ」
「ドリーの服か? いいけど、ここの服はふつうのサラリーマンには高い買い物だぜ」
「うーん、そうだな。でも、たまに小物を買うくらいはできるだろう? お前が、コーディネートしてくれよ」
白石がなにげなくそう言うと、山中は露骨に嫌な顔をした。
「冗談だろ。今以上に俺好みの男になったら、それこそ家から一歩も出してやらねえよ」
「そいつはぜったいに、幸せな男だ」
白石は柔らかく笑った。
山中も笑う。それから
「そういえば、あんたの名前、まだ知らねえな」
「白石だよ」
「そっちは知ってる。ギヴンネームってのか、下の名前だよ」
「ああ、糺(ただす)だ。‟しらいし ただす”」
「ただす、か。良い名前だな」
「――そっちは?」
「善彦(よしひこ)。山中善彦だ」
「へえ。シンプルで、良い名前じゃないか。じゃあ、おれは先に帰る――働けよ、善彦」
白石がそう言って階段を降りかけると、後ろから山中が言った。
「鍵、ありがとう――糺さん」
ぴた、と白石の足が止まった。それからまた階段を降りかけて、振り返った。
階段の上に山中の巨体が軽々と乗っている。
白石の男の、カラダだ。
「悪くない。悪くないよ、“糺さん”ってのは」
笑ったまま、軽い足音で階段を下りていった。1階のきらびやかなシャツやジャケットやコートの間を足早に抜けていく。
路上に出てから白石が振り返ると、ガラス張りになっているビルの2階では山中が早速やってきた客にジャケットをかかげていた。
白石は微笑む。
いまさら、清く正しい愛なんていらない。
だけど、それに似たものを二人で探すことはできる。もし見つからなくても、探してみることに価値がある。
だから今はただ、きみが、そばにいればいい。
長い長い夜を、ともに過ごすひとがいればいい。
それが、白石の最後の恋だ。
そのあとはもう、ふりかえらずに、白石糺は歩いて行った。
恋しい人がやって来る家に、帰っていく。
ーーーーー了ーーーーー
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次ページに、「シー・ノより御礼の言葉」を書かせていただきます。
このままどうぞ! お読みくださいませ💛
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