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3「シャツのボタンのはずし方」

第13話 「俺の前立腺は、愛情と直結している」

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(SchäferleによるPixabayからの画像 )


 その夜――。
 深夜ゼロ時ちかくに、白石糺しらいしただすはコルヌイエホテルのスタッフエントランスから出た。
 冷たい風が吹きつけて、捻挫したばかりの手首にしみる。

「くそ、寒いな」

 ジャケットの襟を立て、白石は足早に歩きはじめた。
 スタッフ用のエントランスから駅までは、コルヌイエホテルの広大な日本庭園の端を突っ切るのが最短ルートだ。
 白石は出口の守衛に軽く挨拶をして、路上へ出た。

 ふと見上げると空には星が出ている。東京でも星が見えるときがあるな、と白石が思っていると歩道の先で、じわ、と密度の濃い影が動いた。

 影が、大きい。
 白石は顔色を変えた。
「何なんだよ、あんた」
 "山中"はニヤリと笑い、

「ヘルプに来た。今日の俺は介護職員だ。不便だろ、左手が使えないとさ。風呂とかどうするんだよ」
「ギプスで固定してあるから、ビニール袋をかぶせれば、風呂にだって入れるよ」

「シャンプーは?」
「床屋に通う」
「めしの支度は? あんた、コンビニの飯が食えないんだろう」

 ぐっと白石は黙った。

 たしかに白石はコンビニの白飯のにおいが苦手で、弁当が食えない。しかしそんなことはほとんどの人が知らないはずだ。
 いったいどうやって知った? といぶかしく思っていると、山中の巨体が音もなく近寄ってきた。

「――井上から、いろいろ情報を仕入れたんだよ。
なあ、あんたが俺の部屋で勝手にすっころんで手首を捻挫したのは、たしかに俺のせいじゃない。
だが、昨夜あれほど飲ませたのは俺だ。あんたの手首が治るまで世話をしてやるよ」

「……いらない」
「人の好意は素直に受けるもんだ」

 山中は白石の手からカバンを取って歩き出した。

「おい、どこへ行くんだ」
「あんたの家でもいいし、おれの部屋でもいい。とにかくめしと風呂の世話だけするよ」
「――めしと風呂、それだけだろうな」

 山中は笑った。
「めしと風呂、それだけだよ。あとはまあ、オプションだな」
「オプションはいらない」
「ほんとうか?」

 山中は白石の顔をのぞきこんだ。
「あんたのカラダは、なんて言ってるんだ?」

 白石は足を止めた。
 ほんとうは、腹が立つほどこの男が欲しくてたまらない。だが、そんな気配はひとかけらも見せたくない。
 白石は言い放った。

「俺たちは昨日、寝てない。それくらい、どれほど泥酔していたって分かるんだぜ」

 山中は、夜の路上でうんざりしたように白石糺を見た。
「それでいいじゃねえか。あんたは、理屈がなくちゃシャツのボタンもはずせない男だからな」
「そっちは、1グラムの愛情がなくてもベルトまで、はずせる男だな」
「セックスに愛情はいらねえよ。つまりは、前立腺の問題だ」

 白石はムッとして言い返した。
「俺の前立腺は、愛情と直結しているんだよ。あんたとは違うんだ」

 山中は足を止めてバリバリと頭を掻いた。
「めしと風呂の世話に、あんたの恋愛ポリシーが関係あるか?」
「――ない」
「そうだろ? あんた、面倒に考えすぎなんだ」
「初対面でいきなりキスする男に、恋愛ポリシーなんて言われたくないよ」
「あんなもん、挨拶だ。
どうすんだよ、あんたの家に行くのか、俺のところに来るのか」

 白石は根負けした。空腹でもある。
「……めしは何が出る?」
「筑前煮、精進揚げ、小松菜のおひたし」
「うまいか?」
「うまいよ。俺は料理が趣味なんだ。その話、井上から聞いてねえか」
「いや、聞いてない」

「井上も、料理はプロはだしだぜ。岡本は料理が全然ダメなんで、井上君が作って喰わせている」
「へえ、知らなかったな」

 白石はついさっき夜勤の仕事を引き継いだばかりの、美貌の後輩を思い出した。
 ほんのりとエルメスの香りをただよわせた井上は、端正な顔に満足げな表情を浮かべて、夜勤のために出勤してきた。
 白石はふと、どうでもいいことを口にした。

「あいつ、今日は香水が違った」
「ふん?」

 山中は不思議そうな顔をした。手にはしっかりと、白石のカバンを持ったままだ。
 まるで、人質のように――。
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