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3「シャツのボタンのはずし方」
第13話 「俺の前立腺は、愛情と直結している」
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その夜――。
深夜ゼロ時ちかくに、白石糺はコルヌイエホテルのスタッフエントランスから出た。
冷たい風が吹きつけて、捻挫したばかりの手首にしみる。
「くそ、寒いな」
ジャケットの襟を立て、白石は足早に歩きはじめた。
スタッフ用のエントランスから駅までは、コルヌイエホテルの広大な日本庭園の端を突っ切るのが最短ルートだ。
白石は出口の守衛に軽く挨拶をして、路上へ出た。
ふと見上げると空には星が出ている。東京でも星が見えるときがあるな、と白石が思っていると歩道の先で、じわ、と密度の濃い影が動いた。
影が、大きい。
白石は顔色を変えた。
「何なんだよ、あんた」
"山中"はニヤリと笑い、
「ヘルプに来た。今日の俺は介護職員だ。不便だろ、左手が使えないとさ。風呂とかどうするんだよ」
「ギプスで固定してあるから、ビニール袋をかぶせれば、風呂にだって入れるよ」
「シャンプーは?」
「床屋に通う」
「めしの支度は? あんた、コンビニの飯が食えないんだろう」
ぐっと白石は黙った。
たしかに白石はコンビニの白飯のにおいが苦手で、弁当が食えない。しかしそんなことはほとんどの人が知らないはずだ。
いったいどうやって知った? といぶかしく思っていると、山中の巨体が音もなく近寄ってきた。
「――井上から、いろいろ情報を仕入れたんだよ。
なあ、あんたが俺の部屋で勝手にすっころんで手首を捻挫したのは、たしかに俺のせいじゃない。
だが、昨夜あれほど飲ませたのは俺だ。あんたの手首が治るまで世話をしてやるよ」
「……いらない」
「人の好意は素直に受けるもんだ」
山中は白石の手からカバンを取って歩き出した。
「おい、どこへ行くんだ」
「あんたの家でもいいし、おれの部屋でもいい。とにかくめしと風呂の世話だけするよ」
「――めしと風呂、それだけだろうな」
山中は笑った。
「めしと風呂、それだけだよ。あとはまあ、オプションだな」
「オプションはいらない」
「ほんとうか?」
山中は白石の顔をのぞきこんだ。
「あんたのカラダは、なんて言ってるんだ?」
白石は足を止めた。
ほんとうは、腹が立つほどこの男が欲しくてたまらない。だが、そんな気配はひとかけらも見せたくない。
白石は言い放った。
「俺たちは昨日、寝てない。それくらい、どれほど泥酔していたって分かるんだぜ」
山中は、夜の路上でうんざりしたように白石糺を見た。
「それでいいじゃねえか。あんたは、理屈がなくちゃシャツのボタンもはずせない男だからな」
「そっちは、1グラムの愛情がなくてもベルトまで、はずせる男だな」
「セックスに愛情はいらねえよ。つまりは、前立腺の問題だ」
白石はムッとして言い返した。
「俺の前立腺は、愛情と直結しているんだよ。あんたとは違うんだ」
山中は足を止めてバリバリと頭を掻いた。
「めしと風呂の世話に、あんたの恋愛ポリシーが関係あるか?」
「――ない」
「そうだろ? あんた、面倒に考えすぎなんだ」
「初対面でいきなりキスする男に、恋愛ポリシーなんて言われたくないよ」
「あんなもん、挨拶だ。
どうすんだよ、あんたの家に行くのか、俺のところに来るのか」
白石は根負けした。空腹でもある。
「……めしは何が出る?」
「筑前煮、精進揚げ、小松菜のおひたし」
「うまいか?」
「うまいよ。俺は料理が趣味なんだ。その話、井上から聞いてねえか」
「いや、聞いてない」
「井上も、料理はプロはだしだぜ。岡本は料理が全然ダメなんで、井上君が作って喰わせている」
「へえ、知らなかったな」
白石はついさっき夜勤の仕事を引き継いだばかりの、美貌の後輩を思い出した。
ほんのりとエルメスの香りをただよわせた井上は、端正な顔に満足げな表情を浮かべて、夜勤のために出勤してきた。
白石はふと、どうでもいいことを口にした。
「あいつ、今日は香水が違った」
「ふん?」
山中は不思議そうな顔をした。手にはしっかりと、白石のカバンを持ったままだ。
まるで、人質のように――。
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