25 / 25
第四章
最終話「夏の終わりに」
しおりを挟む
(Unsplashのcaroline Belhumeurが撮影)
「――結局、あの『秘密』の正体は何だったんだ」
すべてのことが終わり、王軍が撤収の支度をしている中庭を眺めてイグネイは尋ねた。副官はイグネイの荷造りをしつつ、答える。
「どうも、このあたりで獲れる『菌体』のようです」
「菌体? キノコみたいなものか?」
「そうです。この地域の水場に自生しているもので、湿気と暗い場所、適度な熱があれば、五、六年は生きるそうです。
ですが強い光を浴びると過剰に反応して一気にふくれあがり、爆発する」
イグネイはふと、サジャラが『庵』で言っていたことを思い出した。
『三つのあさが来たら、四つめのあさに火をたく』
『床に池の水をまいてから、火をたく』
熱と湿気、そして暗く閉ざされた石造りの建物。
あれはすべて、瓶の中の菌体である『秘密』を活性化させるためのものだったのだ。
修道院長による、サジャラを森の奥にくぎ付けするために考えつくされた仕組みの一部。
「身に堪えかねる秘密――か」
そこへ従者がやってきた。
「公子、サジャラさまがおいでです」
従者のすぐ後ろから、ぴょこっと金色の巻き毛がのぞいた。イグネイが笑う。
「また髪を整えるのを忘れたな」
「リボン、ヘアピン、きらい。いたい」
サジャラは矢の傷が治るまで修道院にとどまり、今は村にもどっている。家族はもう誰も残っていないが、イグネイが金で雇った女たちが世話をしている。
丁寧に世話をされているとはいえ、サジャラは十年ものあいだ、一人で自由に森で暮らしていたせいか、村の生活がきゅうくつらしい。
たびたび抜け出してくる。
だが、それも今日までだ。
新たな王命がくだり、軍の大部分は都に戻ることになった。
村と修道院にはわずかな駐屯兵が残る。このあたりの反乱軍が南に移動したので危険性が下がったと大臣たちが判断したからだ。
イグネイも軍とともに都へ戻る。
修道院の中庭には、秋の気配がただよっていた。夏は終わったのだ。
サジャラはじっとイグネイを見た。
「都で、うわき、する?」
ふふ、とイグネイは笑って、サジャラの頭を撫でた。
「大変な言葉をおぼえたな」
サジャラの言葉は村を連れ出された六歳の状態で止まっている。それ以来、人と話していないからだ。村に戻ってから少しずつ言葉を覚えている。
「浮気はしないよ。しばらく都に行く。用事があるんだ」
「かえってくる?」
「ああ」
イグネイはそっと小さな顔を両手で包み込んだ。
「もどってくる。おれの秘密は『聖なる森』に残したままだからな」
結局、イグネイの母の秘密はわからなかった。
『秘密』と呼ばれたものはただのキノコだったし、告解を聞いた修道院長は自死した。
もし、あのキノコに告解された中身をつたえる音声機能があったとしても、イグネイが瓶ごと叩き割ってしまった。
トウィス・ガンウォーリス・アルタモントの秘密は、もはや誰にもわからない。イグネイ自身、もう知りたくなくなった。
秘密の中には、秘密のままで置いておいたほうがいいものも、ある。そういうことだ。
イグネイは笑ってサジャラの巻き毛に指をからめる。
「戻ってくるよ――こんなに美しい許婚者を手に入れたと、陛下に謝ってからだな」
「公子。王姪殿下との結婚は、逃すには惜しいと思われますが」
副官はそういうが、そう言いながらも惜しいと信じていないようだ。笑っている。
「そうだな。だがおれは、姉かもしれぬ女人とは結婚できんよ」
「イグネイ?」
サジャラの不思議そうな顔を見て、イグネイはまた笑った。
ゆっくりと金色の頭に鼻をうずめる。
サジャラの髪からは、よく乾いた草の匂いがした。
そして柔らかい唇は――永遠にイグネイの秘密を守っている。
愛している、という一言を。
【了】
「――結局、あの『秘密』の正体は何だったんだ」
すべてのことが終わり、王軍が撤収の支度をしている中庭を眺めてイグネイは尋ねた。副官はイグネイの荷造りをしつつ、答える。
「どうも、このあたりで獲れる『菌体』のようです」
「菌体? キノコみたいなものか?」
「そうです。この地域の水場に自生しているもので、湿気と暗い場所、適度な熱があれば、五、六年は生きるそうです。
ですが強い光を浴びると過剰に反応して一気にふくれあがり、爆発する」
イグネイはふと、サジャラが『庵』で言っていたことを思い出した。
『三つのあさが来たら、四つめのあさに火をたく』
『床に池の水をまいてから、火をたく』
熱と湿気、そして暗く閉ざされた石造りの建物。
あれはすべて、瓶の中の菌体である『秘密』を活性化させるためのものだったのだ。
修道院長による、サジャラを森の奥にくぎ付けするために考えつくされた仕組みの一部。
「身に堪えかねる秘密――か」
そこへ従者がやってきた。
「公子、サジャラさまがおいでです」
従者のすぐ後ろから、ぴょこっと金色の巻き毛がのぞいた。イグネイが笑う。
「また髪を整えるのを忘れたな」
「リボン、ヘアピン、きらい。いたい」
サジャラは矢の傷が治るまで修道院にとどまり、今は村にもどっている。家族はもう誰も残っていないが、イグネイが金で雇った女たちが世話をしている。
丁寧に世話をされているとはいえ、サジャラは十年ものあいだ、一人で自由に森で暮らしていたせいか、村の生活がきゅうくつらしい。
たびたび抜け出してくる。
だが、それも今日までだ。
新たな王命がくだり、軍の大部分は都に戻ることになった。
村と修道院にはわずかな駐屯兵が残る。このあたりの反乱軍が南に移動したので危険性が下がったと大臣たちが判断したからだ。
イグネイも軍とともに都へ戻る。
修道院の中庭には、秋の気配がただよっていた。夏は終わったのだ。
サジャラはじっとイグネイを見た。
「都で、うわき、する?」
ふふ、とイグネイは笑って、サジャラの頭を撫でた。
「大変な言葉をおぼえたな」
サジャラの言葉は村を連れ出された六歳の状態で止まっている。それ以来、人と話していないからだ。村に戻ってから少しずつ言葉を覚えている。
「浮気はしないよ。しばらく都に行く。用事があるんだ」
「かえってくる?」
「ああ」
イグネイはそっと小さな顔を両手で包み込んだ。
「もどってくる。おれの秘密は『聖なる森』に残したままだからな」
結局、イグネイの母の秘密はわからなかった。
『秘密』と呼ばれたものはただのキノコだったし、告解を聞いた修道院長は自死した。
もし、あのキノコに告解された中身をつたえる音声機能があったとしても、イグネイが瓶ごと叩き割ってしまった。
トウィス・ガンウォーリス・アルタモントの秘密は、もはや誰にもわからない。イグネイ自身、もう知りたくなくなった。
秘密の中には、秘密のままで置いておいたほうがいいものも、ある。そういうことだ。
イグネイは笑ってサジャラの巻き毛に指をからめる。
「戻ってくるよ――こんなに美しい許婚者を手に入れたと、陛下に謝ってからだな」
「公子。王姪殿下との結婚は、逃すには惜しいと思われますが」
副官はそういうが、そう言いながらも惜しいと信じていないようだ。笑っている。
「そうだな。だがおれは、姉かもしれぬ女人とは結婚できんよ」
「イグネイ?」
サジャラの不思議そうな顔を見て、イグネイはまた笑った。
ゆっくりと金色の頭に鼻をうずめる。
サジャラの髪からは、よく乾いた草の匂いがした。
そして柔らかい唇は――永遠にイグネイの秘密を守っている。
愛している、という一言を。
【了】
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
天使の顔して悪魔は嗤う
ねこ沢ふたよ
ミステリー
表紙の子は赤野周作君。
一つ一つで、お話は別ですので、一つずつお楽しいただけます。
【都市伝説】
「田舎町の神社の片隅に打ち捨てられた人形が夜中に動く」
そんな都市伝説を調べに行こうと幼馴染の木根元子に誘われて調べに行きます。
【雪の日の魔物】
周作と優作の兄弟で、誘拐されてしまいますが、・・・どちらかと言えば、周作君が犯人ですね。
【歌う悪魔】
聖歌隊に参加した周作君が、ちょっとした事件に巻き込まれます。
【天国からの復讐】
死んだ友達の復讐
<折り紙から、中学生。友達今井目線>
【折り紙】
いじめられっ子が、周作君に相談してしまいます。復讐してしまいます。
【修学旅行1~3・4~10】
周作が、修学旅行に参加します。バスの車内から目撃したのは・・・。
3までで、小休止、4からまた新しい事件が。
※高一<松尾目線>
【授業参観1~9】
授業参観で見かけた保護者が殺害されます
【弁当】
松尾君のプライベートを赤野君が促されて推理するだけ。
【タイムカプセル1~7】
暗号を色々+事件。和歌、モールス、オペラ、絵画、様々な要素を取り入れた暗号
【クリスマスの暗号1~7】
赤野君がプレゼント交換用の暗号を作ります。クリスマスにちなんだ暗号です。
【神隠し】
同級生が行方不明に。 SNSや伝統的な手品のトリック
※高三<夏目目線>
【猫は暗号を運ぶ1~7】
猫の首輪の暗号から、事件解決
【猫を殺さば呪われると思え1~7】
暗号にCICADAとフリーメーソンを添えて♪
※都市伝説→天使の顔して悪魔は嗤う、タイトル変更
マクデブルクの半球
ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。
高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。
電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう───
「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」
自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。

後宮生活困窮中
真魚
ミステリー
一、二年前に「祥雪華」名義でこちらのサイトに投降したものの、完結後に削除した『後宮生活絶賛困窮中 ―めざせ媽祖大祭』のリライト版です。ちなみに前回はジャンル「キャラ文芸」で投稿していました。
このリライト版は、「真魚」名義で「小説家になろう」にもすでに投稿してあります。
以下あらすじ
19世紀江南~ベトナムあたりをイメージした架空の王国「双樹下国」の後宮に、あるとき突然金髪の「法狼機人」の正后ジュヌヴィエーヴが嫁いできます。
一夫一妻制の文化圏からきたジュヌヴィエーヴは一夫多妻制の後宮になじめず、結局、後宮を出て新宮殿に映ってしまいます。
結果、困窮した旧後宮は、年末の祭の費用の捻出のため、経理を担う高位女官である主計判官の趙雪衣と、護衛の女性武官、武芸妓官の蕎月牙を、海辺の交易都市、海都へと派遣します。しかし、その最中に、新宮殿で正后ジュヌヴィエーヴが毒殺されかけ、月牙と雪衣に、身に覚えのない冤罪が着せられてしまいます。
逃亡女官コンビが冤罪を晴らすべく身を隠して奔走します。
この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。
二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。
彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。
信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。
歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。
幻想、幻影、エンケージ。
魂魄、領域、人類の進化。
802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。
さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。
私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
ミノタウロスの森とアリアドネの嘘
鬼霧宗作
ミステリー
過去の記録、過去の記憶、過去の事実。
新聞社で働く彼女の元に、ある時8ミリのビデオテープが届いた。再生してみると、それは地元で有名なミノタウロスの森と呼ばれる場所で撮影されたものらしく――それは次第に、スプラッター映画顔負けの惨殺映像へと変貌を遂げる。
現在と過去をつなぐのは8ミリのビデオテープのみ。
過去の謎を、現代でなぞりながらたどり着く答えとは――。
――アリアドネは嘘をつく。
(過去に別サイトにて掲載していた【拝啓、15年前より】という作品を、時代背景や登場人物などを一新してフルリメイクしました)

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる