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第四章
第23話「この世にあっては、ならない事」
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(UnsplashのJosh Applegateが撮影)
小さな修道院長は黒衣の裾を引き、立ち尽くしていた。その足元には巨大な息子がうずくまっていた。
イグネイは静かに言った。
「……彼はあなたの息子でしたか……」
修道院長はだまって、白みはじめた空を見ていた。イグネイはつづける。
「清き身の修道院長に、息子がいた。しかもそれが、村に盗賊を引き込む手引きをしていた。
理由は知りませんが、貴方の身の破滅になるのは確かですね」
「……だれにでも、秘密はある」
「ええ、そうです。誰にでも秘密はある。
ですが、秘密を守るために他人を火あぶりにし、さらに他人の十年を盗むことは――ただの、罪です。修道院長」
ゆっくりと、森に光が満ちてきた。夜明けが森のすみずみにまで、満ちあふれようとしていた。
イグネイは修道院長に近づいた。
「おれが知りたいのは――あなたがなぜ、サジャラを殺さなかったのか、ということです。殺す方が、簡単だったでしょう。
盗賊の一件は、濡れ衣を着せられたひつじ番を処罰したことで終わりました。
あなたにはこの十年、サジャラを生かしつづけておく必要はなかったはずです。
森の中で一人で暮らすサジャラを殺すことは簡単だったはず。あなたしか、彼女が生きていることを知らなかったんですから」
イグネイの問いに、修道院長は平板な声で答えた。
「……われらは天のしもべです。偽りを口にしても、殺生はいたしません」
「それが、あなたの誇りですか」
いたましそうに、イグネイは尋ねた。老いた修道院長はかすかに笑って、イグネイを見あげた。
「人には、拠って立つ岩場が必要です。たとえどれほどぐらつき、あやうくても、この一点だけを守れば生きていけるという岩場が必要なのです。
私は、たしかに姦淫の罪を犯して息子を得ました。
息子が道を踏みはずし、盗賊団の一員となってもかばい続けました。
そのために、無実の人間が火あぶりになった――罪はすべて、私の上にあるでしょう。
サジャラが、どこまで知っているのかわからなかった。幼すぎたからです。
どこまで知っているのか確かめるために、成長するまで森に置いておこうと思った。
やがて、何も知らないということが分かったが、その時にはもう――」
「もう?」
イグネイの言葉に、修道院長はかすかに笑った。
「もう、サジャラを村に戻すことはできなかった。
サジャラの母は死に、戻っても家族はなかった。あのまま、森に置いておくのが正解だと思われたのです」
修道院長はゆっくりとかがんで、乾いた土から聖別された剣を取った。
「公子、初めてお会いした時、私がこういったのを覚えておいでですか。
『秘密は、秘密のままにしておくほうがいい。人は、この世にあってはならない事を抱えつづけることはできない』と」
「覚えていますよ、修道院長。
あなたはこういった。
『身に耐えかねるからこそ、秘密を手放すのです』と」
にこり、と修道院長は笑った。
「そうです。そして身に耐えかねる秘密であっても、それが大事なもののためなら、人は堪えうるのです。
たとえば家族のため、子供のために。
ちょうど、あなたのお母上のように」
「母上? おれの母がどう関係するのです――あっ!」
イグネイが叫んだ瞬間、修道院長は手にした鋭利な剣をするりと自らの喉に突き刺した。
刃は乾いてやせた老人の喉に、怪鳥のくちばしのごとくあっさりと突き立った。
まるで、最初からそこにあったもののように。
古い秘密を、ようやく解き放ったあとのくちばしのように。
「……とうさんっ!」
若い修道士が駆け寄った。剣とともに崩れ落ちた老父の身体を抱きしめる。
「とうさんっ、とうさんっ!!」
小さな修道院長は黒衣の裾を引き、立ち尽くしていた。その足元には巨大な息子がうずくまっていた。
イグネイは静かに言った。
「……彼はあなたの息子でしたか……」
修道院長はだまって、白みはじめた空を見ていた。イグネイはつづける。
「清き身の修道院長に、息子がいた。しかもそれが、村に盗賊を引き込む手引きをしていた。
理由は知りませんが、貴方の身の破滅になるのは確かですね」
「……だれにでも、秘密はある」
「ええ、そうです。誰にでも秘密はある。
ですが、秘密を守るために他人を火あぶりにし、さらに他人の十年を盗むことは――ただの、罪です。修道院長」
ゆっくりと、森に光が満ちてきた。夜明けが森のすみずみにまで、満ちあふれようとしていた。
イグネイは修道院長に近づいた。
「おれが知りたいのは――あなたがなぜ、サジャラを殺さなかったのか、ということです。殺す方が、簡単だったでしょう。
盗賊の一件は、濡れ衣を着せられたひつじ番を処罰したことで終わりました。
あなたにはこの十年、サジャラを生かしつづけておく必要はなかったはずです。
森の中で一人で暮らすサジャラを殺すことは簡単だったはず。あなたしか、彼女が生きていることを知らなかったんですから」
イグネイの問いに、修道院長は平板な声で答えた。
「……われらは天のしもべです。偽りを口にしても、殺生はいたしません」
「それが、あなたの誇りですか」
いたましそうに、イグネイは尋ねた。老いた修道院長はかすかに笑って、イグネイを見あげた。
「人には、拠って立つ岩場が必要です。たとえどれほどぐらつき、あやうくても、この一点だけを守れば生きていけるという岩場が必要なのです。
私は、たしかに姦淫の罪を犯して息子を得ました。
息子が道を踏みはずし、盗賊団の一員となってもかばい続けました。
そのために、無実の人間が火あぶりになった――罪はすべて、私の上にあるでしょう。
サジャラが、どこまで知っているのかわからなかった。幼すぎたからです。
どこまで知っているのか確かめるために、成長するまで森に置いておこうと思った。
やがて、何も知らないということが分かったが、その時にはもう――」
「もう?」
イグネイの言葉に、修道院長はかすかに笑った。
「もう、サジャラを村に戻すことはできなかった。
サジャラの母は死に、戻っても家族はなかった。あのまま、森に置いておくのが正解だと思われたのです」
修道院長はゆっくりとかがんで、乾いた土から聖別された剣を取った。
「公子、初めてお会いした時、私がこういったのを覚えておいでですか。
『秘密は、秘密のままにしておくほうがいい。人は、この世にあってはならない事を抱えつづけることはできない』と」
「覚えていますよ、修道院長。
あなたはこういった。
『身に耐えかねるからこそ、秘密を手放すのです』と」
にこり、と修道院長は笑った。
「そうです。そして身に耐えかねる秘密であっても、それが大事なもののためなら、人は堪えうるのです。
たとえば家族のため、子供のために。
ちょうど、あなたのお母上のように」
「母上? おれの母がどう関係するのです――あっ!」
イグネイが叫んだ瞬間、修道院長は手にした鋭利な剣をするりと自らの喉に突き刺した。
刃は乾いてやせた老人の喉に、怪鳥のくちばしのごとくあっさりと突き立った。
まるで、最初からそこにあったもののように。
古い秘密を、ようやく解き放ったあとのくちばしのように。
「……とうさんっ!」
若い修道士が駆け寄った。剣とともに崩れ落ちた老父の身体を抱きしめる。
「とうさんっ、とうさんっ!!」
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