9 / 21
第二章 「シンジ・身体的に追い詰められる」
第9話 「コマがそろった。行くぜ!」
しおりを挟む
深夜二時。
ボスはどこかに消えて、すぐに赤い軽自動車に乗って戻ってきた。この時間だ、レンタカー屋が開いているはずがない。まともな手段で借りてきたものじゃないんだろうけど、今は何も知りたくない。聞きたくない。
アホ男どもにつかまっている椿つばきちゃんのところへ行くのが先決だ。
おれは軽自動車の助手席にすわった。
「何をしましょうか」
ボスは薄く笑った。
「何にも考えんな、シンジ。てめえはハナっから、数に入っちゃいねえよ」
「え……まさかボスがひとりで行くんですか? 相手は何人いるかわからないですよ、危ないです」
SMバー‟ダブルフェイス”の裏口でおれを襲った連中は、ケンカに慣れていた。
とくに龍とトラのスタジャンを着た男は、人間の急所を知っているうえに、ねらったところは確実なパンチを打ち込める男だった。きっと仲間も同じだろう。
たとえボスでも、連中のたまり場に一人で行くのは危険だ。
でもボスは運転しながら鼻で笑った。
「バーカ、あばらを2本やられているお前に何ができるんだよ。俺だけで十分だが、夜のケンカに一人で行くのはつまらねえよ。
思いきり暴れたいから、シンガリを連れていく」
ボスは口元を邪悪にゆがめた。とても老舗ホテルのメインバーを預かるチーフバーテンダーとは思えない、酷薄な顔つきだ。背筋がぞっとする。
「シンガリって、なんです?」
「ケツモチだよ。あいつがいりゃ、俺も好きなようにやれるからな」
そう言うと、ボスは白い壁のマンション前に車をとめた。都内でも高級住宅地と呼ばれる場所で、子どもがいるファミリー向けのマンション。近くに公園があって、昼間なら子供の声がするだろう。おれやボスには不似合いな場所だ。
「ボス……ここは?」
おれが尋ねたとき、長身の男がエントランスから出てきた。
男はロングコートにパンツというありふれた服装。着ているものがぜんぶ黒いから、闇からいきなり浮かび上がってきたみたいだ。
シャープな骨格と天使も引き下がるような美貌が、夜風に吹かれていた。
「……え?」
おれは思わず目をむいた。
まさか――井上さん?
都内でも有名な高級ホテル、コルヌイエのレセプションカウンターを優雅に仕切り、ゲストに対してもスタッフに対しても柔らかい物腰で対応する井上さんが、ボスと一緒にケンカに行く?
おれはもう、助手席で口を開けているばかりだ。
井上さんは何も言わずに、後部座席に乗り込んだ。狭い軽自動車のバックシートに音もなく座る。
「いのうえ、さん」
「いったい、このクズ男と何をしているんです、飯塚?」
井上さんの視線は、炎さえ消せそうなほど冷たい。踏みつぶす価値もない虫を見るような目つきだ。さっきのボス以上に、ホテルマンにふさわしくない表情。
このひと、コッチが本性なのか? もうさっきからイヤな汗が止まらない。忘れていた痛みがよみがえる。
こえええ。
やっぱり、帰ればよかったかな……。
黙っていると、ボスが陽気にアクセルを踏み込んだ。
「さて、コマがそろった。行くぜ!」
車は一気に加速した。メーターを見なくても、時速120キロ近くまで行っているのが分かる。車はビル風を受けてふらつく。ボスはそんなもの全く気にしないで、ひたすらアクセルを踏み続ける。
猛スピードで鳥居坂下とりいざかしたの信号をつっきり、六本木ヒルズゲートタワーの横をかすめて、かっ飛ばしていく。鼻歌つきでゴキゲンだ。
バックシートの井上さんは黙っている。おれはどうしても納得できなくて、聞いてみた。
「あの、井上さんはなぜ来たんですか」
「呼ばれたんですよ、このバカに」
「うるせえぞ、キヨ」
ぎゅいっとボスは車を急カーブさせた。シートベルトをしていても身体がかしぐ衝撃。折れているんだか、ひびが入っているんだかわからないアバラ骨が、ぎぎっときしんだ。
「がはっ!」
気が遠くなりそうに、痛い。ボスは薄笑いを浮かべて、こっちを見た。
「車といっしょに揺れるんだよ、シンジ。ちっとは痛みが、楽になる」
「――痛み? どういうことです、飯塚」
あああああ。井上さんの声が冷たい。全身からイヤな汗が噴き出す。おれはバックシートを見ないようにして、答えた。
「あのう、あばらを、ちょっと」
「折れたのか?」
「いえ、ボスは骨折まで行ってない、ただのヒビだって」
「このバカの言うことは信じるな、飯塚。いつだって出まかせだ。折れているかもしれないぞ。そんな身体で、どこへ行こうっていうんだ」
一瞬だけ、考える。一体どこへ行こうとしているんだろう。行先を知っているのはボスだけだ。
え、ボスだけ?
「井上さん、行先を知っていますか?」
「知りません」
「……何をするのか、知っています?」
「知りません」
「あの、ひょっとして椿ちゃんの知り合いですか?」
つばき? と、井上さんは不思議そうな声をだした。おれはあわてて後ろを向いて、説明する。くそ、身体をひねると痛い。
「舘林 椿(たてばやし つばき)です。あ、おれのカノジョですけど」
「ああ。例の、きみの恋人ですね。いや、知りませんよ」
え?
まさかこのひと、まったく知らない女を助けるために、深夜に呼び出されたのか?
混乱しながら、もう一度聞く。
「え、あの、井上さん、何も知らずに出てきたんですか」
おれは思わず大声をだした。井上さんは、心底いまいましい、という顔で運転席にいるボスを見た。
「このバカが、行動する前に説明する男かよ。洋輔、やっぱりおれは帰る」
えええええっ!? ここにきて、それは勘弁してください、井上さん……。
ボスはどこかに消えて、すぐに赤い軽自動車に乗って戻ってきた。この時間だ、レンタカー屋が開いているはずがない。まともな手段で借りてきたものじゃないんだろうけど、今は何も知りたくない。聞きたくない。
アホ男どもにつかまっている椿つばきちゃんのところへ行くのが先決だ。
おれは軽自動車の助手席にすわった。
「何をしましょうか」
ボスは薄く笑った。
「何にも考えんな、シンジ。てめえはハナっから、数に入っちゃいねえよ」
「え……まさかボスがひとりで行くんですか? 相手は何人いるかわからないですよ、危ないです」
SMバー‟ダブルフェイス”の裏口でおれを襲った連中は、ケンカに慣れていた。
とくに龍とトラのスタジャンを着た男は、人間の急所を知っているうえに、ねらったところは確実なパンチを打ち込める男だった。きっと仲間も同じだろう。
たとえボスでも、連中のたまり場に一人で行くのは危険だ。
でもボスは運転しながら鼻で笑った。
「バーカ、あばらを2本やられているお前に何ができるんだよ。俺だけで十分だが、夜のケンカに一人で行くのはつまらねえよ。
思いきり暴れたいから、シンガリを連れていく」
ボスは口元を邪悪にゆがめた。とても老舗ホテルのメインバーを預かるチーフバーテンダーとは思えない、酷薄な顔つきだ。背筋がぞっとする。
「シンガリって、なんです?」
「ケツモチだよ。あいつがいりゃ、俺も好きなようにやれるからな」
そう言うと、ボスは白い壁のマンション前に車をとめた。都内でも高級住宅地と呼ばれる場所で、子どもがいるファミリー向けのマンション。近くに公園があって、昼間なら子供の声がするだろう。おれやボスには不似合いな場所だ。
「ボス……ここは?」
おれが尋ねたとき、長身の男がエントランスから出てきた。
男はロングコートにパンツというありふれた服装。着ているものがぜんぶ黒いから、闇からいきなり浮かび上がってきたみたいだ。
シャープな骨格と天使も引き下がるような美貌が、夜風に吹かれていた。
「……え?」
おれは思わず目をむいた。
まさか――井上さん?
都内でも有名な高級ホテル、コルヌイエのレセプションカウンターを優雅に仕切り、ゲストに対してもスタッフに対しても柔らかい物腰で対応する井上さんが、ボスと一緒にケンカに行く?
おれはもう、助手席で口を開けているばかりだ。
井上さんは何も言わずに、後部座席に乗り込んだ。狭い軽自動車のバックシートに音もなく座る。
「いのうえ、さん」
「いったい、このクズ男と何をしているんです、飯塚?」
井上さんの視線は、炎さえ消せそうなほど冷たい。踏みつぶす価値もない虫を見るような目つきだ。さっきのボス以上に、ホテルマンにふさわしくない表情。
このひと、コッチが本性なのか? もうさっきからイヤな汗が止まらない。忘れていた痛みがよみがえる。
こえええ。
やっぱり、帰ればよかったかな……。
黙っていると、ボスが陽気にアクセルを踏み込んだ。
「さて、コマがそろった。行くぜ!」
車は一気に加速した。メーターを見なくても、時速120キロ近くまで行っているのが分かる。車はビル風を受けてふらつく。ボスはそんなもの全く気にしないで、ひたすらアクセルを踏み続ける。
猛スピードで鳥居坂下とりいざかしたの信号をつっきり、六本木ヒルズゲートタワーの横をかすめて、かっ飛ばしていく。鼻歌つきでゴキゲンだ。
バックシートの井上さんは黙っている。おれはどうしても納得できなくて、聞いてみた。
「あの、井上さんはなぜ来たんですか」
「呼ばれたんですよ、このバカに」
「うるせえぞ、キヨ」
ぎゅいっとボスは車を急カーブさせた。シートベルトをしていても身体がかしぐ衝撃。折れているんだか、ひびが入っているんだかわからないアバラ骨が、ぎぎっときしんだ。
「がはっ!」
気が遠くなりそうに、痛い。ボスは薄笑いを浮かべて、こっちを見た。
「車といっしょに揺れるんだよ、シンジ。ちっとは痛みが、楽になる」
「――痛み? どういうことです、飯塚」
あああああ。井上さんの声が冷たい。全身からイヤな汗が噴き出す。おれはバックシートを見ないようにして、答えた。
「あのう、あばらを、ちょっと」
「折れたのか?」
「いえ、ボスは骨折まで行ってない、ただのヒビだって」
「このバカの言うことは信じるな、飯塚。いつだって出まかせだ。折れているかもしれないぞ。そんな身体で、どこへ行こうっていうんだ」
一瞬だけ、考える。一体どこへ行こうとしているんだろう。行先を知っているのはボスだけだ。
え、ボスだけ?
「井上さん、行先を知っていますか?」
「知りません」
「……何をするのか、知っています?」
「知りません」
「あの、ひょっとして椿ちゃんの知り合いですか?」
つばき? と、井上さんは不思議そうな声をだした。おれはあわてて後ろを向いて、説明する。くそ、身体をひねると痛い。
「舘林 椿(たてばやし つばき)です。あ、おれのカノジョですけど」
「ああ。例の、きみの恋人ですね。いや、知りませんよ」
え?
まさかこのひと、まったく知らない女を助けるために、深夜に呼び出されたのか?
混乱しながら、もう一度聞く。
「え、あの、井上さん、何も知らずに出てきたんですか」
おれは思わず大声をだした。井上さんは、心底いまいましい、という顔で運転席にいるボスを見た。
「このバカが、行動する前に説明する男かよ。洋輔、やっぱりおれは帰る」
えええええっ!? ここにきて、それは勘弁してください、井上さん……。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
エッチな下着屋さんで、〇〇を苛められちゃう女の子のお話
まゆら
恋愛
投稿を閲覧いただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)
『色気がない』と浮気された女の子が、見返したくて大人っぽい下着を買いに来たら、売っているのはエッチな下着で。店員さんにいっぱい気持ち良くされちゃうお話です。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました
utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。
がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
真夏の温泉物語
矢木羽研
青春
山奥の温泉にのんびり浸かっていた俺の前に現れた謎の少女は何者……?ちょっとエッチ(R15)で切ない、真夏の白昼夢。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
お兄ちゃんは今日からいもうと!
沼米 さくら
ライト文芸
大倉京介、十八歳、高卒。女子小学生始めました。
親の再婚で新しくできた妹。けれど、彼女のせいで僕は、体はそのまま、他者から「女子小学生」と認識されるようになってしまった。
トイレに行けないからおもらししちゃったり、おむつをさせられたり、友達を作ったり。
身の回りで少しずつ不可思議な出来事が巻き起こっていくなか、僕は少女に染まっていく。
果たして男に戻る日はやってくるのだろうか。
強制女児女装万歳。
毎週木曜と日曜更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる