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第11章「最深部」

第133話「何も言えない、ろくでなし」

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 清春が静かなテノールでささやくと、眠っている佐江は、かすかに眉をひそめた。
 その表情がかわいらしくて、清春はつい、ひたいにキスを重ねる。

「起きろ。風邪をひくぞ」

 ゆっくりと佐江の二重まぶたが開く。ぱちぱちと数回まばたきをして、ちょっと、驚いたように目を見張った。

「キヨさん」
「そのまま、ソファで寝るなよ。水でも、飲むか?」

 清春はスイートルームの冷蔵庫から水のボトルを取り出し、佐江の前においてやる。
 佐江は眠そうに眼をこすり、ソファの上に起き上がった。水のボトルを手に持ったまま、ぼんやりとしている。

 清春は向かいにあるオットマンに座った。そして佐江の手から水のボトルを取ると両手で栓をひねり開け、ぼんやりしたままの佐江に持たせてやる。

「ほら、飲んで」

 佐江はこくりとうなずいて、水を飲む。そのしぐさが清らかな少女のようで、清春はもう、何も言えなくなる。

 この女を、自分の不注意な行動が痛めつけたのか? ほんとうに?
 とっさに立ちあがり、ルームサービスのメニューを手にして、佐江の元に戻ってきた。

「きみ、仕事の後、そのまま来たんだろう。何か、食べたほうがいい」

 かぶりを振る佐江に、清春はそっとメニューを押し付ける。

「頼む。おれを助けると思って、何か食ってくれ。
どうせきみも、真乃《まの》と洋輔に頼まれて来たはずだ。おれになにか食わせて休ませたいのなら、きみも食ってくれ」
「じゃあ、キヨさんが食べたいものを」

 清春は時計をちらりと見て、まだルームサービスが頼めるのを確認してから内線で食事をオーダーした。それから佐江に視線を戻す。

 佐江はだまって手の中の水のボトルをもてあそんでいる。清春は、そのまま彼女を眺めていた。
 視線に気づいた佐江が、仕方なさそうに微笑む。

「どうしました?」
「きみ、少し痩せただろう。もともと細いんだから、もっと食わなくちゃだめだ」

 おれはいったい、何を言っている? 清春の半分が自分をののしる。

 佐江を取り戻したいのなら、もっとましなことを言うべきなんだ。
 きみをあいしている、とか。
 あのことは、すまなかった、とか。

 しかし、甘い言葉は清春の口から出てこない。

 身体いっぱいに満ちあふれている悔恨《かいこん》も後悔も申しわけなさも、清春の舌を経由すると、感情のこもらない端的《たんてき》な言葉になる。

 清春が、ろくでなしだからだ。
 これまで、どんな女を大切にしてこなかった男だからだ。

 小さくため息をついた。
 おれはろくでなしだ。佐江の許しを請うこともできない。
 こんなに佐江を愛しているのに。
 生まれてはじめて、何もかも捨ててもいいと思える人に出会ったのに。
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